熱血ライター 神山典士がゆく

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May 01, 2011

父との約束~父が赴任していた学校に献本しました

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「平成23年5月1日 日曜日


             学校、校長           


花の候とはいえ、心落ち着かない日々となってしまいました。
お便り暗投お許しください。
私はノンフィクションを書いております神山典士と申します。

実は私の父・幸士が、御校に     年ころに赴任しておりまして、音楽を中心に教壇に立っておりました。
昭和4年生まれの父は、戦後の代用教員の最後の世代で、お蔭様で平成5年ころまで都内各地の小中学校に奉職させていただきました。ピアノが大好きで、家でも酔うと演奏する父でしたが、それも紙の鍵盤で練習したのだと自慢げに話しておりました。
その父が、今年3月26日に享年81歳で他界いたしました。
その頃たまたま私が、ピアニストの辻井伸行君のことをテーマにした作品を執筆しておりました。入院中の父にできあがってきたその表紙を見せて、「出版されたらお父さんが働いた学校には寄贈させてもらうから」と言うと、もう言葉も出ない状態でしたが、ぽろぽろぽろぽろと涙してくれました。
そんなわけで、突然の申し出で恐縮ですが、父との約束でもありますので、拙書を送らせていただきます。図書館の片隅にでも置いていただけたら幸いです。

いうまでもなく伸行君は、障害を乗り越えて09年にヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝しました。私はご縁があって、彼が小学校5年生のころから折に触れて取材をさせていただきました。彼が12歳の時には、ちょうど取材をしていた指揮者の佐渡裕さんに彼の演奏テープを手渡し「聴いてみてください」とお願いしたこともありました。
その佐渡さんの手引きで、伸行君は13歳の時にパリでのデビューリサイタルを成功させました。その時に、彼の中に「世界で演奏できるピアニスト」という夢が宿ったのだと思います。
誰しも、10代の半ばで、何か一つ心の奥底に「夢」が宿ります。うまく言葉にできないような夢であるかもしれませんが、種火のように、宿り続けます。
だから人の一生とは、その夢をこつこつこつこつ掘り進めることと言ってもいいのではないでしょうか。
そんな黄金の年代を生きる子どもたちに、ぜひこの物語を贈りたいと思います。
この国は、もう一度作り直さないといけないようです。その原動力になる世代への、私なりのエールです。どうぞよろしくお願いいたします。

連休があけると、様々な学校行事にお忙しいころと思います。
先生方にもくれぐれもよろしくお伝えください。

昔のこととはいえ、御校には父がいろいろとお世話になりました。校舎や音楽室の片隅に、父の魂は眠っていることと思います。
心豊かな子どもたちが巣立っていくことを、お祈りいたします。
ありがとうございました。

神山典士」

約束が一つ果たせて、ほっとしています。
多くの子どもたちに読んでもらえたら嬉しいです。

2011 05 01 [父・幸士] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

April 29, 2011

父・幸士を偲ぶ会~生前のご厚情に感謝いたします

花の候とはいえ、心落ち着かない日々となってしまいました。
本日はご多用の中、父・幸士を偲ぶ会にお集まりいただき、ありがとうございました。
楽しく賑やかな酒が大好きだった父ですので、皆さんの元気な笑顔をみることができて、どこか上空で喜んでいるはずです。何よりの供養になりました。お蔭様です。

先日、荒井先生からメールをいただきました。こんな文面でした。

「人は親を失ったとき、過去を失い、子どもを失ったとき未来を失う。
生まれしとき親無くを孤といい、老いて子無くを独という。

いろいろなフレーズが頭の中をよぎります。確かに親を失ったとき足元をすくわれたような感覚を感じたのを覚えています。あまりに多くの喪失の中でその実感は肉体のものであり、しかし希望は言葉の中にあるのかもしれません。
(中略)
とここまで書いたとき、久しぶりにブログを開いていた博子さんが「大変、神山君のお父さんがなくなってる。」

被災地のことを自分の父の死から書き始めた偶然。あれは33歳のときでした。1人焼場から離れた所から煙突を見ていました。煙突の先からぽっと白い煙が出たとき、急に寄ってたつところを失ったような、根無し草になったようなそんな感じを持ったことを今でもはっきり覚えています。寂しさではありません。普段はあまり感じてはいませんでしたが、やはりルーツのようなものを根底に感じていたのかもしれません。

つい自分のことを書いてしまいました。遅ればせながらお悔やみ申し上げます。でも、もう確実に次の一歩を踏み出している様子で、周りは安心していることでしょう。自分の気持ちより、周りへの態度が大事なときもありますものね」

先生らしい文面ですね。僕はこんな返信を書きました。

「父の最晩年は、孫に囲まれ、母には毎日看病にきてもらい、それなりに幸せだったと思います。
僕もたまたま父が入院している最中に伸行君のことを書いていて、
表紙のデザインができあがったときに病室にもっていくことができました。
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父は戦後の代用教員の最後の世代で、紙の鍵盤でピアノをマスターして、ずっと小学校の音楽の先生でした。ピアノが大好きで、家でも孫によく弾いてくれていました。
去年の夏には、通い始めた高齢者施設でピアノを弾いて人気者だったそうです。
父は、ベットの上ではもうあまり話すこともできなかったのですが
本を見せて「お父さんの務めた小学校全校に献本してきますよ」と言ったら
ぽろぽろぽろぽろ涙をこぼしてくれました。
嬉しかったのだと思います。
その姿を見て僕は、人間の魂は不滅なのだなと実感しました。
肉体は有限ですから亡びてついえますが、この魂は不滅なのだと。
だからなのでしょうか。父の肉体は消滅しましたが、
その存在が消えたという実感がないのです。
書き手として、父と一つの約束を守れたからかもしれません。

午前4時前に危篤になったので、看取ったのは母だけでした。
亡くなったとき、担当の先生が母に「死因が特定できません。必要ならば解剖します」と言われたそうです。
無論そんな必要はありませんから、母は断りました。
強いて言えば老衰ということになります。
そのこと一つとっても、幸せな最晩年だったと思います。

たぶん年末になってしめ縄なんかが必要になった時に、あれ、どうやって作るんだろう、オヤジにしっかりときいときゃよかったなんてことになりそうです。
記憶もまた、細部に宿るんだと思います。
父は、いつまでも僕の中にいます」

亡くなったあと、ベンが一枚の写真を持ってきてくれました。
いつだったか、父が書を書いて、ベンに送っていたのだそうです。

「友情の 根がはる 故郷 有り難さ」

そう書かれていました。
僕には入間市の仲間がいることを、父も喜んでくれていました。
そういう父でした。
生前のご厚情を深く深く感謝いたします。
今後当分、入間市の家は母が一人で住むことになります。
機会がありましたら、声をかけてやっていただければ幸いです。
こんな時期です。やるべきことをやりながら、天国の父たちにも安心してもらえるような国をもう一度創り直さなければいけませんね。
頑張りつつ、頑張りすぎず、山を降りながらも、美しい自然をめでる豊穣な心を持つ国がいいのかなと、そんなことを思ったりしています。

平成23年4月29日、神山典士
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みんなで父の得意技だった「せんべい落とし」をやりました。
奥の方で、べしと海野なんてやりゃーしない。ったくな~。なは。

2011 04 29 [父・幸士] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 06, 2011

父・幸士の葬儀を終えてきました

3月31日、無事父・幸士の葬儀を済ませてきました。

故人の意志により、親族のみの密葬形式にさせていただきました。
ご連絡もできず、申し訳ありませんでした。

生前のご厚情に深く深く感謝いたします。

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お蔭様で、幸せな最晩年だったと思います。

なお、故人を偲ぶ会を4月29日に開かせていただきます。

16時~16時30、自宅にてご挨拶
17時~入間市「ノンノン」にて「偲ぶ会」
会費3000円(ママさんのご厚意で飲み放題)

参加いただける方は、バザールまでご一報くださいませ。

03-5248-0811ファックス0810

よろしくお願いいたします。


2011 04 06 [父・幸士] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 28, 2011

納棺師という仕事

父の逝去に際しては、多くの方からお悔やみのメッセージをいただきました。
どうもありがとうございます。

27日、自宅にて納棺の儀が行われました。

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この時はたまたまだったのですが、母方の親族が多数集まってくれていました。
神山家最年少の3歳から、最年長の90歳まで。
多彩なメンバーが集まってくれて、父も喜んでくれていたはずです。

そしてそして、驚いたのは単に棺桶にいれるだけなのかと思っていたら
映画で見た「納棺師」がきてくれて、見事な手さばき立ち居振る舞いで
父に死に化粧をしてくれたことです。

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写真を撮り始めたのは儀式の途中からなのですが、病院で着ていた浴衣を脱がして白装束にして、
紫色の羽織まで着せてくれます。
この間一切遺体を視線にさらすことなく、常に薄い掛け布団の下で作業は行われます。
もちろん死後硬直も始まっているわけですから、両腕を袖に通すには大変な力が必要だったはず。
それを、女性の納棺師が見事にこなしてくれました。
すご!

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顔も髭も剃って、薄化粧も施してくれて、父も気持ちよかったでしょう。

そうそう、亡くなる前日には看護士さんが風呂にも入れてくれたとか。
「あー極楽極楽」なんて呟きながら、本当に天国に行ってしまったのかな。

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普段着慣れたジャケットやハンカチ、靴下、帽子等々を入れて
旅立ちの準備完了です。

もうしばらくは自宅で休んでもらって
その後密葬ということになりました。

こうやって人はあの世に送られていくんですね。
すべての作業が終わった時には、思わず拍手がでかかってしまいました。
納棺師さん、ありがとうございました。

父には、迷わず天国に向かってほしいと思います。

みなさん、ありがとうございました。


2011 03 28 [父・幸士] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 26, 2011

父・幸士が旅立ちました

今朝方早く、約3カ月入院していた病院で、父・幸士が旅立ちました。

葬儀等は密葬の形で親族のみで行う予定です。

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ずーっとお袋が看病しつづけ、孫や子供たちも頻繁に見舞いに行くことができ、
最晩年も、本人の口癖の通り「幸せだな~」というものだったと信じています。

一つだけ心残りは、昨日卒業式を無事終えた娘の中学生制服姿を見てもらえなかったことでしょうか。

孫の卒業を見守ってくれての旅立ちとなりました。

生前のご厚情に深く深く感謝いたします。

これから入間に向かわないといけないので、この辺で。

お父さん、長い間ありがとうございました。
ゆっくりとお眠りください。

2011 03 26 [父・幸士] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

March 21, 2011

入院中の父

入院中の父にも、多くの方からお見舞いをいただいています。
ありがとうございます。

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多くの病院関係者、老人看護関係者の方にお世話になりながら
毎日見舞いにくる母と妹夫婦、そして孫たちに囲まれて
幸せな最晩年を過ごしています。

体はすっかり衰弱しましたが、
熱さえなければ目は澄んでいて綺麗で
生き生きとしています。
意志はしっかりとしているのだから、素晴らしい。

魂は普遍だと思えます。

お見舞いをいただいたみなさん、本当にありがとうございます。

2011 03 21 [父・幸士] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック