熱血ライター 神山典士がゆく

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February 07, 2016

ラボパーティー50周年おめでとうございます~

今年はラボ教育センターの発足50周年。
各地でお祝い行事が行われているようです。

ラボは一言で言えば英語教育団体で、物語を語り演じながら
「言葉と文化」を学習していく「運動体」です。

ぼくは小学校5年生のころからお世話になり、
10代の時期にはアメリカ・ネブラスカ州でのホームステイという
「異文化交流」を体験させてもらって、
その後の人生においてとても大きな影響を受けました。

地域を超えて全国に友人知人もたくさんできたし、
30歳のころには、ホームステイをしている10代の子供たちの姿を取材して
「ひとりだちへの旅」という本を書かせてもらいました。

当時から先生方(テューターですね)には大変お世話になっています。

こんな文章を書いてみました。

「ラボパーティー50周年おめでとうございます。
ラボの歩みは、そのまま「異文化交流」の歩みですね。

日本は1964年の東京オリンピックと70年の大阪万博を境に、ようやく世界に対して門戸を開きました。
それ以前の一般人の渡航は、訪問先に身元引受人が必要だったり、
外貨持ち出し制限(500ドル)があったりして、非常に難しかったのです。

もちろん渡航費用もべらぼうに高かった。
取材で60年代にヨーロッパに渡って料理修業をした何人かのシェフにインタビューしたことがありますが、
みな一様に「あの時代の飛行機代は24万8000円もした」と、その代金を覚えていました。
当時の月給は2万円に届かなかったということなので、
給料1年分という金額が、強烈に記憶に残っていたのだと思います。

64年の出国者数は12万7000人余り、70年は66万3000人余り、
そしてラボが最初の国際交流を実施する72年には139万2000人余り。
初めて100万人の大台にのったこの年に10代の国際交流が始まっているのですから、
当時にあって「ラボ国際交流」がいかに時代を先取りした企画であったかがわかると思います。

しかも農村地帯へのホームステイという方法を徹底してくれたことも大きかった。
家庭に入り生活を共にすることで、私たちは互いの文化を直に感じることができます。

ぼく自身74年に国際交流に参加し、帰国直後の作文にこう書いています。
「向こうでの生活を経験して、ぼくはなんだか恥ずかしくなりました」、と。

作文の書き出しには、農場の広大さや14歳で自動車を運転できることや夏休みが3カ月もあること、
宿題がないことなどへの羨ましさが綴られているのですが、
最後には「恥ずかしい」という表現が刻まれている。それはなぜか。作文はこう続きます。

「彼らにとって一番大切なことは労働です。男の子は牛を飼い、
女の子は家事の手伝いなどをして、労働するのです。
そしてその対価としてお金を得て、一年間の小遣いにしています」

つまり14歳のぼくは、当初はアメリカという「異環境」に驚いているのですが、
その生活に入り込むことで、「自立」という開拓者の血に流れる逞しい文化に触れた。
そして自分たちの文化との差異を実感した。
まさに「異文化」。
遠くネブラスカの農場で、ぼくは初めて日本を、日本人であることを考えた。
そこからぼくの「ひとりだちへの旅」は始まった―――と言っていいと思います。

さらにいえば、異文化に入り込みその面白さや魅力に触れ、記録し、
のちに文章にして多くの人に伝えるというこの作文を書くプロセスは、
そのまま今のフリーランスの文章書きであるぼくの生活そのものです。

アマゾンを訪ねて明治時代に世界を闘い歩いた前田光世=コンデ・コマの評伝を書き、
北朝鮮を旅してその体験記を書く。
そんなぼくの書き手としてのスタイルは、この作文に「最初の一歩」が刻まれている。
あの10代の一カ月の夏が、ぼくの歩みのスタートとなっている。

その意味でも、ラボには大いなる感謝を捧げなければなりません。
あの旅を体験させてくれて、本当にありがとうございました。

これからも多くの少年少女たちがこの旅を体験することを願います。
そしてそこからこの星の未来を切り拓く価値が生まれることを、祈ってやみません。

                     ノンフィクション作家・神山典士」

この国の次の50年を担う若者が、ここから生まれてくることを祈りつつ----。

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April 30, 2010

ロアンヌ~ジュネーヴ~ニースの旅、その2、春のヨーロッパの朝市の魅力

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じじゃーん、どうです。凄いでしょう。
ロアンヌの朝市です。
ミッシェルが連れて行ってくれました。
当然ですが、ミッシェルはこの朝市の人気者。
たくさんの店から声がかかるし、
行き交う人からは「あなたはもしやトロワグロさん?お会いできて光栄です」
なんて握手を求められたりしてました。

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3つ☆のレストランも山荘のビストロも、料理長は若手に任せているので、
ミッシェルはこの市場で新鮮な食材を味見して、
次なる料理のヒントを得ているのだそうです。
もちろんここだけでなく、世界を旅してインスピレーションが湧き出てくるのを待っていると言っていました。

にしても、こんな朝市があるなんて、ほんと素敵ですよね。
なんで東京にはないんだろ。地方に行くとたまーに出会いますが。八戸とかね。
東京近郊の農家の方なんて、こういう場があればはりきると思うんだけどな。
書き手と一緒で、いい読者、いい消費者がいないと、生産者は育ちませんよね。
なんとかならないかな、日本の保健所行政は。とほほだな~。

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とはいえ、フランスでも、こういうブッシェリとかは後継者不足で、この技術を継承できるか心配なのだそうです。
いずこも同じ悩みをもっていますね。

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ちなみにこのカレイを売っていた魚屋さんの襟元には、トリコロールカラーが光っていました。
つまりこの人はMOFという、フランスの職人優秀賞を持っているということ。
魚屋さんにまでそういう表彰制度を持っているというあたりが、食材王国フランスの底力です。
ちなみに昨日紹介したシャロン牛もAOCという、特定産地制度に守られています。
その代わりシャロン牛を名乗るためには、一定面積内の牛の密度(頭数)が決められていて、
大きな群れで飼うことはできません。
だからあの写真のようなのどかな風景になるし、牛もストレスなく育つから、結果的に肉が美味しい。
「松坂牛は素晴らしいけれど、牧草を食んでいるところを見たことない」とピエールも言っていました。
言外に、「狭い牛舎の中でビール漬けで飼われて可哀相」と言っているようでもありました。
この辺も、食材に対する日本とフランスの意識の違いがありますね。

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トロワグロの3つ☆を維持している原動力の一つ、鳩屋さんです。
フランスの3つ☆は、こういう生産者との巨大なピラミッドがあってこその勲章です。
お金があれば買ってこれる食材じゃありません。
人間対人間、技術と信頼と歴史の上に成り立つ関係性。
そのことは拙書『情熱のシェフ・松嶋啓介』の中で、もう一つの3つ☆、レジス・マルコンのところで書きました。
ぜひ見てやってください~。

2010 04 30 [] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 29, 2010

ロアンヌ~ジュネーヴ~ニースの旅、ぼるけーのの驚異と共に、その1

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4月の中旬。約10日間かけて、ロアンヌ~ジュネーヴ~ニースを訪ねてきました。
目的は二つ。
一つは、拙書『初代総料理長サリー・ワイル』『情熱のシェフ・松嶋啓介』に続く、
日本のフレンチ史3部作、第三弾『幻のレストラン』(仮題)の取材のために、
ロアンヌで40年以上3ツ☆を維持するトロワグロを訪ねるため。
その先代ピエール・トロワグロこそ、今から40年以上前の1966年、縁も縁も食材もまーったくない極東の島国へ、勇気を振り絞ってやってきてくれた史上初の2つ☆シェフだったのです。
銀座にできた奇跡のレストラン『マキシム・ド・パリ』の初代総料理長として腕を振るってくれました。

その生き証人に会うためにリヨンから約100キロのロアンヌへ。
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齢80歳を越える今もとーってもお元気で、記憶も確かに当時のことを語ってくれました。

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親子二代、豪華6つ☆の共演です。

とはいえ、トロワグロ自体は田舎の駅前旅籠から発展した店なので、
ロケーションは全く面白くありません。

ところが二代目ミッシェルは、昨年約50キロ離れたシャロン牛の産地のど真ん中に、
素敵なオーベルジュを建てました。
こちらは素晴らしい。
ひろーい牧草地とぽっかり浮かぶ雲。そして、のーんびり草を食むシャロン牛たち。
それ以外はなーんにもありません。

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ここでいただいたエクリビュス(ザリガニ)のリゾットが美味しかった。
どうです。この表情。
名前を付けてあげたいくらいですね。
伊勢海老じゃないんす。ザリガニなんす。
 さすが食材王国フランスですね~。(つーびー・こんてにゅ)


2010 04 29 [] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 31, 2008

思想としてのデブの氾濫~ひさびさのアメリカ合衆国、レポート1

それにしても、チケット一枚400ドルたぁ何事だ!!
先月末、10年ぶりに出かけたマンハッタンで目が点になってしまいました。

猛暑の中、地下鉄の駅から大勢の人込みをかきわけながら辿り着いたヤンキースタジアム。
もちろん松井が不在のことは知っていたけれど、まさかこんな商法があるとは驚きでした。
「1枚だけなら残っているよ。君はラッキーだね。400ドルだけど」
公式チケット売り場の窓口に座ったおじさんがニヤリとしながら言います。
お前には買えないだろと言わんばかりの口調です。
そりゃそうっすよね、買えっこないじゃん。4万4000円ですよ!
一瞬カードを窓口に差し出そうとしたけれど、慌ててひっこめました。

後でホームページで確認すると、ネット裏最高の席の価格は「325ドル~400ドル」。何故か「~」がついているんです。
つまりその日の客の入り具合によって(あるいは対戦カードによって)、窓口のスタッフの最良で価格を変えてもいいとういことなのでしょうか。
さすがに「マネー」が神に君臨する国だけのことはあります。

いや~それにしてもなんで10年も足が遠のいちゃったんだろう。かつてはあんなに行きやすかったアメリカ合衆国なのに。ニューヨークという言葉の響きだけで、胸がわくわくしたころもあったはずなのに、今じゃなーんか最初からバランスの悪さを感じてしまいますよねぇ。
もちろん、キャリアのNWのサービスの悪さも入国審査の理不尽な厳しさも覚悟の上だったのですが、
トランジットのデトロイト空港に降り立っただけで、一瞬にして何もかもがうっとおしくなりました。
なんで生野菜を着る店員の手元がビニール手袋なんだ?
なんでハンバーグのポスターの脇に誇らしげに「アメリカンビーフ100%」と書いてあるんだ?
なんで視界に入る者の9割9分がデブばっかりなんだ???

空港やバス、地下鉄の中で目にする人々は、ほんとにデブばかりなんす。
それでいて、マンハッタンのセントラルパーク近辺を散歩すると触れ違う白人は皆スラリとしてるんです。
この違いはなんなんだ??
WASPのエリートたちは、強迫観念に取りつかれたように早朝からジムに通い、セントラルパーク内をジョギングやサイクリングしながら体型の維持に務めているそうです。
つまり個性としてのデブが多いんじゃない。思想としてのデブが氾濫しているだけなんですね。
たるんでるんすよ、貧乏人たちは。
あくせくしすぎなんすよ、エリート白人たちは。
あ~客観的に見ると、どこぞに「マネー」という神が君臨していて、みーんなその神に操られているようにしか見えない国ですよ。

それだけじゃないっす。
タイムワーナービルに入った「マツキ」という寿司屋の客単価はなんと500ドル!
ボクなんか、宿代もけちってYMCAですよ。一泊100ドルですよ。
部屋に入ってみたら、その狭さは覚悟していたけれど、小さなシャワーだなと思って扉を開けたらワードローブでしたよ。バス・トイレ共同ですよ48歳にして。とほほだなぁ。

でもこれは、後に意外な発見に繋がるんです。
廊下にある共同シャワーを使っていたら、隣に入ってきたのは栗色の髪の美少年だったし(なはは)、
廊下には裸同然の10代の女の子がうろうろしうているし。
ま、経済から遠く離れるとそういういいこともあるわけです。マンハッタンにも。
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空港からマンハッタンに向かうバスの中。
暮れなずむ摩天楼の光景に見とれていたら、乗客たちはほぼ全員携帯電話にしがみついていることに気づきました。
みーんな繋がりたいんだ。何かに必死に。
みーんなしがみつきたいんだ。マネーという神に。

この場で携帯電話をもっていたら、瞬時に日本に繋がってしまうのはわかっているけれど、日頃から携帯を持つ習慣がないから、怖くて借りられないっすよ。最近ではメールでさえそのままのアドレスで通じてしまうんですってね。とほほ、そんなことも伝聞でしか知らないっす。

目の前の人間とは繋がらずに、ここではないどこか、遠くはなれた誰かと繋がってしまうこの現実。
ならばほんのわずかな間だけれど、「孤独」という名の幸福にひたってやれって気にもなります。
気ままな一人旅イン・ニューヨーク・ステート。
トラブルを歓迎する旅は、こんな思いから始まりましたん。(たぶん続く)

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July 04, 2007

この樹なんの樹を探しにハワイまで

なんとも酔狂な旅をしてきました。
一本の樹の裏側にある物語を探してハワイまで。
特に何があるとわかっていたわけじゃないんです。
何かあるだろうから探してきてくれと。編集部の意向はそんな曖昧なものでした。
でも、ま、ハワイ。いいじゃないですか。やってやろうじゃないですか。てなわけで、行ってきましたよ。
ハワイ6日間の旅。皆さん、この樹に見覚えはありませんか?
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木陰に入ると涼しいんです。
その直径約50メートル。ま、ハワイでは特別に大きいというわけでもありませんが、
日本人観光客はひっきりなしにやってきて、記念写真を撮っていきます。
Jp

実は撮影モデルになっているこの人、JPデーモン氏がこの公園の、ひいてはこの樹の持ち主なんです。
今から約150年前、彼の先祖が宣教師としてハワイにやってきて、カメハメハ大王との知遇を得ました。
大王自らクリスチャンになったわけですから、当時の宣教師は大きな力をもっていたのですね。
そしてその息子が王家のファイナンシャル・アドバイザーとなり、この周辺の山頂から海岸までの広大な土地を分け与えられたのだとか。
ハワイには「アフポワ」という言葉があるのですが、それが「山頂から海辺まで」を指す言葉なんです。
いったいそりゃどんだけ広いんだ---なかなか実感できませんよね。
でも、偶然その広さを目にすることが出来ました。ワイキキのホテルの窓から夜、山の方角を見上げた時のこと。
山頂から海岸線に向かって、谷に沿って住宅の灯が煌々と照らされています。この巨大な逆三角形がまさに「アフポワ」なのです。すげーでけー。
んでもってJPの祖先がこの地の人々のためにこの土地を使おうと考え、そこに南アフリカからモンキーポッドの樹を移植して、アイルランドからやってきた庭師がデザインしてできたのがこの公園なのだそうです。
公園ができてたら約120年、今その樹は樹齢約140年を迎えて、こんなに立派になりました。
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どうです。この形には皆さん見覚えがあるでしょう。
そう「この樹なんの樹気になる樹~」のあれですよ。通称「日立の樹」。
でも、アメリカではあのCMは放送されていませんから、全く無名なんですが、たははは。
それでも地元の人たちに聞くと、HITACHI TREEという認識はあるようでした。

実はこの樹が移植された頃、デーモン家はジョン万次郎の世話をしていたのだそうです。
初代が「フレンド」という新聞を発行していて、そこでは当時の世界情勢が一目で読み取れたのだそうです。
なぜならあの時代、太平洋を旅する捕鯨船や商船は全てハワイに食料や燃料の補給のために寄港します。
同時に人や情報もこの地に降り立ちます。つまりハワイは、当時の環太平洋地域の情報のセンターでもあったのですね。
そこで発行されていた新聞を通して万次郎は世界を知り、日本の鎖国政策が遅れていることを悟ります。
そして開国させることを目的に、日本に戻っていくのです。

なーんてことをいろいろな方に聞きながら、取材を続けてきました。
その成果は夏の終わりか秋の初めごろのアエラで見ていただけると思います。

今回の取材、お世話になったのは現地でフィルム・プロダクションを経営する宇野さん親子でした。
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宇野さんは70年代初頭に大学を卒業してハワイに渡り、今では現地と日本、そしてロスに事務所を構えています。ご自宅はワイキキのヨットハーバーを見下ろす大きなコンドミニアム。すげ~。ハワイアン・オープンが開催されるWAIALAEカントリークラブのメンバーでもあって、最終日の午後、ワンラウンド廻らせていただきました。
午後3時にスタートしてホールアウトが6時15分。ハーフじゃありませんよ。しっかりと18ホールやってこの時間。これまたスゲーでしょ。宇野さんが早撃ちということもあるんだけど。ふふふ。僕のスコアは赤羽オープン程度だけど。あ~楽しかった。

そしてもう一人、今回のアイボーはこいつです。
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フォードムスタング・カブリオレ。日本ではまさかご縁があるとは思いもよりませんでしたが、空港のレンタカー屋でこれが空いていて、最低料金で貸してくれました。トップを開閉させるのが楽しくて、何回も何回も開いたり閉じたり。ふふふ、気持ちいいもんですね。
運転の様子はこんな感じです。
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どうです。着流しにオープンカー。なかなかいけてるでしょ。
今回は浴衣を二枚もっていって、取材はほとんどこのスタイルだったんですが、ハワイはいいっすよ。だーれも浴衣姿だなんて気にしないんですね。これが日本の山手線あたりだとじろじろ見られて気持ち悪いんだけど。
つまりそれだけ「自立」してるのかな。異文化をそれぞれに認めるスタンスがちゃんとある。
逆に言えば、多民族が混じり合って生きているから、それぞれのパーソナリティを認め合っていかないと息苦しくなっちゃうんでしょうね。
その辺も今回の取材の肝になりそうです。
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ちなみにこんなお城がワイキキのど真ん中にあるのもご存じですか?
これ、今から70年前に建てられた日系人の教会です。モデルになっているのは高知城。トップには金じゃないけれど鯱もついてます。こんな教会があるのも、多民族都市・ハワイの秘密なんですね。

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ワイキキの浜辺に出ると、ちょうど満月が浮かんでいました。こんな日は地元の人たちは、一晩中サーフィンをして楽しむんだそうです。
そして帰国の日、ワイキキの空港上空には綺麗な虹がかかってくれました。
バイバイ・レインボー。名残おしい旅になりました。
 

2007 07 04 [] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 29, 2007

地中海と小千谷縮

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どうっすか。この姿。ふふふ、後ろ姿はなかなかでしょう。
ニースの隣町、ビルフランシュという小さな入江の街に泊まりました。
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ここはジャン・コクトーが教会の壁画を描いた街として有名なんですが、
それ以外にもホテルの壁面にはマイケル・ダグラスとかチャーチルとか、有名人の写真とサインが
たくさんありました。ま、浅草のお好み焼きの店の壁に芸能人のサインがあるみたいなことでしょうか。たはは。
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陽差しの強い地中海には、着物がぴったりですね。
ちょうど渡仏の前に、去年の秋に十日町で買っておいた反物が仕立てあがってきたので、
それをもってきたわけです。それほど荷物にもならないし、いつでも着られるし、地中海に着物、ぴったしですよ。
ここは、ブイヤベースで有名な港に面したレストランです。
コートダジュールでは、もう一カ所、エズという山間の街にもいきました。
そこのシャトーからの眺めはこんな絶景です。
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ニースは観光地なのでタクシーとか高いっす。予めチップこみでメーターの二倍程度の額を言ってくるし。
でも2日目からはもう路線バスの使い方を覚えて、バスを乗り継いでこの街にも登ってきたのでした。
いやはや、ヨーロッパ貴族文明は、ほんと、凄いですね。
正面奥に見える小さな半島には、ロスチャイルドの別荘とかあって「世界で最も絶景に建つ別荘」とガイドブックには載っています。その半島の向こう側が、僕が泊まったビルフランシュ・シュール・メールです。
ニースの海岸線のホテルは超高いですが、ここのウェルカム・ホテルはそれほどでもなく、いいっすよ。

2007 05 29 [] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 08, 2007

なんか春めいていますねぇ

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見てください。この「ひねもすのたりのたり」の光景。
真鶴道路を有料道路のほうにいかずに旧道を通ってみたんです。そしたらみかんばたけが広がっている一帯があって、何か閃いて細い道をおりて行ったら、こんな光景にぶつかりました。
江の浦テラスという二階建てのレストラン&リゾートから撮った光景です。向こうに見えるのは小田原でしょうか。
にしても、素晴らしい陽光だったな。大きなレストランも素敵だったし、一階のメゾネット式の部屋もなかなかよさげでした。エントランスにはテレビロケでやってきたドラマ撮影班の一行の写真が飾ってあって、そこに懐かしい筒井真理子嬢の姿もありました。
眼下には小さな漁港もあります。こんな感じです。
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やっぱり海がところはいいなぁ。ここはミカン畑ももっていて、会員になるとミカン狩り等もできるとか。
また一つ真鶴のおいしい場所をみつけてしまいましたん。むふふ。

あ、あくまで仕事で行ったんですよ。熱海まで。とほほ。

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January 23, 2005

マツケン・サンバ隊募集!!

アマゾンの雄大な空の下、マツケンサンバを一緒に踊りませんか?
なんて、いきなりです。きましたです。うふふ、怪しいお誘いがありました。今年の7月から8月にかけてブラジル・ツアーを行う歌手、井上祐見さんからのお誘いでした。
井上さんの事を知ったのは、ブラジル・ポルトアレグレ在住の和田さんからのメールでした。「もう6年も連続してブラジル・ツアーをしている井上さんという歌手がいます。いまではすっかりコロニア(開拓地)の日系人とも親しくなり、コロニアが育てた歌手として紅白歌合戦にぜひ出場していただきたいと思っています」というような内容でした。
機会をつくってあってみると、無邪気なんです。「ある日NHKのど自慢のサンパウロ大会をみたんです。そしたら会場の皆さんが歌を本当に楽しんでくださっているのが判って、私も行きたいと思っちゃったんです」
当然僕は、井上さん自身も何かブラジルに縁のある人だと思っていたのです。でもこの言葉を聞くとそういうことじゃないんです。ただこれだけの感動で、マネージャーと交渉してなんとかコネをつくって99年に海を渡っちゃったのだと言います。そして続けているのです。こりゃすんごいことだ。
僕も以前ロック座のママを団長にして、踊り子ツアーを組んだことがあります。サンパウロ、ポルトアレグレ、そしてアマゾン川河口のベレンと三カ所で公演を行い大盛況でした。でもその時は観客と踊り子たちと涙を流して感激して「またくるね」と言って別れるのですが、実際二回目は難しいんです。経済的にも日程的にもモチベーション的にも。これまでもコロニアでコンサートを開いた歌手は、有名無名有象無象あわせて何百人単位でいたはずです。でも、一度目は勢いで出来ても二度目は難しい。まして連続はもっと難しい。井上さんはギャラなしで、大きな会場から5人10人の会場まで、自分でカラオケ用のラジカセを持ってブラジルの大地に分け入っていくのだといいます。
「私が飛行機で24時間かけてきましたと挨拶したら、会場の人に私はバスで28時間かけてきたよと言われちゃいますから」。ま、もともとそういうところです。ブラジルは。だからこそ、大都市だけでなく田舎を回りたい。井上さんはそう思っているのだそうです。
で、如何でしょうか。今年の夏。ツアー全てに帯同するのは難しいとしても、コンデ・コマの第二の故郷ベレンあたりで合流して何カ所かまわるというのは。日本からだとどうしてもロスでトランジット、サンパウロ経由アマゾンなので、往復だけで3、4日はかかります。都合10日は必要かな。お金はエアが20万円弱かな。ホテル等は安いところは安いです。でも治安がなぁ。ベレンなら、ホームステイという手もあります。いいっすよ、むこうの人の人情は。
そして舞台で井上さんのバックで踊るんす。マツケンサンバ。あ、向こうはサンバの本場だから、現地の人もたくさん飛び入りしてくるでしょうね。楽しくなりそうですね。
希望者はメール下さいまし。僕もスケジュール考えないとな。とほほ。なんかうずいてきてしまいましたん。よろしくどーぞ。

2005 01 23 [] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック

December 28, 2004

ひねもすのたりのたりかな

hayama2hayama
のたりのたりと葉山に行ってきました。原稿が終わり、その確認作業と打ち上げも兼ねて。小学校時代からの友人ベシが最近買ったリゾートマンションが空いてるというので、借りてみました。そしたらほら、絶景かな絶景かな。写真が下手だから電線が入っちゃってますが、裕次郎灯台、森戸神社、その向こうには江ノ島、鎌倉等が一望できます。さすが御用邸の地。ひなびてますがすんごいっす。夜は駅前の路地裏の居酒屋に飛び込んだら、これまたうまいの。お客さんも仲良しで、さっそく常連の仲間にいれていただきましたん。〇五年は葉山で仕事しよっと。ベシに借りて。
その絶景を見て思い出したのは、五月のスイス取材の最後に立ち寄った南仏ビルフランシュでした。駅を降りて列車が目の前を行き過ぎると、まるで緞帳が開くように紺碧の入江が広がります。右にはサマセット・モームが愛したウェルカム・ホテル。左にはロックフェラー等の世界の大富豪の別荘群。入江には大小無数のヨットが浮かびます。僕はもちろんウェルカムホテルの一番安い部屋に「高いな」なんてぶつぶついいながら泊まったんですが、富豪たちは違います。夕方になるとヨットというかクルーザーから小さなタグボートでタンタンタンと岸までやって来て、海沿いに並ぶレストランで極上のシャンパンと白ワインの宴が始まるのです。そして終わるとまたまたタグボートでタンタンタンと帰っていく。地上に泊まる奴なんて、見向きもされません。
入江はちょうど子宮の形をしています。そこに浮かぶヨットを見ながら、だから人間の極上の寝床は母のお腹の中なんだなと思ったものです。ま、あの時もスイス、フランスでいい取材ができたから、気分的にもとてもリラックスできました。今度も原稿書き終えてたから、余計葉山の空気が新鮮でした。またいこっと。ベシ、よろしくね。

2004 12 28 [] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 14, 2004

九州荒尾の皆さんで~す。

11月8日。金森先生とそのお母さん達。最後の講演会だったのですが、気持ちのいいお部屋で明るい皆さんと楽しいひとときをもてました。九州の方達は、子どもが三人や四人なんて当たり前ですね。やっぱり自然環境が違うんですよね。この後僕は、有明海をフェリーで長崎に渡りました。これまた小春日和の中、束の間おだやかな海の旅を満喫しました。金森先生はじめ皆さん、どうもありがとう。kanamori.JPG

2004 11 14 [] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 10, 2004

妖しい一夜

11月5日。熊本にいったら、「ノワール」(下通りのへん、ビルの五階、毎回迷うとほほ)でっせ。なんかよくわからないリーマン二人とOLさん(けっこうトシマ、ゆゆゆるせ友よ)がやっているバーっす。ゲイバー風味かな。ふふふ、変な女の子入れないで、三人の魅力でやりきってほしいっす。高校の同級生の裁判官I君を連れて行ったら、大喜びしていました。kumamotonoir.jpg

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