熱血ライター 神山典士がゆく

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July 27, 2017

バザールのホームページを新しくしました。

2010年ころから使っていた自転車姿の表紙のホームページを新調して、

「Writing」「Education」「,Producing」の3つの活動分野のことを
詳しく書いた新しいホームページに切り換えました。

アドレスは、

http://norio-kohyama.com/

今後はこちらでお願いします。

フェイスブック「神山典士」「神山典士の秘密基地」「こうやまのりお」も
みられるようになっています。

「note」では作品もみていただけます。

よろしくお願いします~。

2017 07 27 [神山典士の仕事] | 固定リンク | トラックバック

March 13, 2017

鈴木孝夫先生×平田オリザさんの対談本出版記念トークショー&パーティーのお知らせ

言語学の泰斗・鈴木孝夫先生と、演劇界で八面六臂の活躍を続ける平田オリザさん。

二人がこれからの時代の生き方を熟議した新刊「下山の時代の生き方」が
4月半ばに平凡社新書から上梓されることになりました。

去年2月にオリザさんと取材で出会い、「鈴木先生はぼくの恩師なんです、あったことないけど」という言葉を聞いて「では対談を」とその場で閃き、
そこから平凡社の金沢さんU相談し、鈴木先生のサポーターの元ラボ会長松本さんにお世話になり、
対談の場を二回セットして、やっと今日最終ゲラになりました。
(ほんとはまだオリザさんのまえがきがきていないんだけど、とほほ)

その内容はこんな感じです。

対談内容、
・いま求められる日本式の思考スタイル~「現代口語演劇理論」はいかに生まれたか/いまの地球に必要な日本式の思考スタイル/世界に広げたい「タタミゼ」効果/語尾で情感が伝わる日本語/会話と対話の違い/恵まれた歴史ゆえの日本の弱み/文化の自己肯定感
・戦略としての言葉~欧米輸入型の学問からの脱却を/人の悪口が増えてきた/外国語を学ぶ理由/文化と教育は国家戦略/日本の繁栄は運がよかっただけ
・「登山の時代」から「下山の時代」へ~「登山の時代」は終わった/循環の思想が世界で求められる/島でなければできない「発酵」/国は地方自治体に学べ/地球全体を考える/エリート教育も必要/二〇二〇年の教育大改革/まちづくりの成功のカギは/憲法を改正するとしたら/イエス・ノーに気をつける/語学教育は異文化教育/目的のない教養主義はダメ/子供が面白がる教育を
・下った先に見える風景~豊かさは度を過ぎると毒になる/人口が減ることを真面目に議論しよう/欧米の日本文化の受け止め方/しんがりのリーダー論/「地球市民」の感覚を持ちつつ鎖国する/大自然を前に無力な人間/問題解決能力より問題設定能力/ビオスとゾーエー/地球規模の憲法とは/グローバルでないのはアメリカ人/下り列車の先の未来

素晴らしい熟議がお読みいただけるはずです。お楽しみに~。

そしてその出版を祝うトークショーとパーティーを4月23日に開催します。

第一部お二人のトークショー、神山は司会です。14時30から16時。銀座8丁目CHAIRS、会費3000円、大学生2000円(新刊一冊付)、高校生以下無料

第二部パーティー(神山のフリーランス30周年もそっとつけちゃいます、ふふ)新垣隆さんの演奏付
16時30から18時30、銀座7丁目ライオン、6階クラシックホール、会費6000円

お申し込みは実行委員会、mhd03414@nifty.comまで。
「氏名、連絡先、第一部第二部、両方、大学生高校生」明記でお願いします。

両方ともに定員制です。お早めにお願いします~。
お目にかかれるのを楽しみにしています~。
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2017 03 13 [神山典士の仕事] | 固定リンク | トラックバック

July 04, 2016

青い鳥文庫新刊発刊記念、小学生の読書感想文大会開催します~

講談社青い鳥文庫『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』刊行記念、小学生読書感想文大会のお知らせ
~主催、株式会社バザール、児童ノンフィクション作家こうやまのりお

楽しい夏休みが近づいてきました。
みなさん、元気に勉強と遊びに励んでいるかな?
夏休みは学校の宿題で読書感想文を書くことが多いと思います。
どうやって書こうかな?どう書いたらいいのかな?
そんなことを考えているみなさんのために、読書感想文大会を企画しました。
好きな本を選んで自由に書いてもいいし、学校の宿題用に書いてもいいです。
書き上げた感想文をコウヤマまで送っていただけたら、添削してお戻しします。
優秀作品のいくつかには、いろいろな人から賞と賞品がでますよ。
本を読むことが大好きな子どもになるように、
日頃から文章を書くことに親しむように、チャレンジしてみてください。
ではみなさんの文章と出会えるのを楽しみにしていますね~。いい夏を~。

・対象図書(いづれも著者は神山典士)
『ピアノはともだち 奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』(講談社青い鳥文庫)
『ヒット商品研究所へようこそ!~瞬足、ガリガリくん、青い鳥文庫はこうしてできた』(講談社)
『めざせ!給食甲子園』(講談社)
『怪魚ハンター、世界をゆく~巨大魚に魅せられた冒険家、小塚拓矢』(佼成出版)
『みっくん、光のヴァイオリン』(佼成出版)※この作品は絶版のため、書きたい人はコウヤマまでメールで連絡ください。メールで全文章を送ります。価格1000円(後日振込)。
ただし内容にはのちに真相が解明された「ペテン」が含まれています。

・応募要項
文字数は各自に任せます。学校の宿題用だったら先生の指示に従ってください。
おおよその文字数は、低学年ならば原稿用紙1枚(絵でもいいです)。3年生以上ならば2枚。高学年は3~4枚程度でしょうか。先生やご両親と相談してください。
本はご購入いただくか、近くの図書館に蔵書希望をだしてください。ただしこの場合は少し時間がかかります。

・費用、無料(ただし添削を返送してほしい人は、必ず切手を貼った封筒を添えてください)。

・作品の送り先
メールの場合はmhd03414@nifty.com、タイトルは「夏休み読書感想文」としてください。※メールの場合も切手を貼った返信用封筒を郵送ください。
郵送の場合は170-0011東京都豊島区池袋本町4-47-12-1603株式会社ザ・バザール「読書感想文大会宛」(※切手を貼った返信用封筒を添えてください)

・締め切り
2016年8月20日土曜日必着。8月末日までに添削して返送します。

・問い合わせ
株式会社ザ・バザール 170-0011豊島区池袋本町4-47-12-1603 03-5950-4848

・神山典士プロフィール
1960年埼玉県入間市生まれ。豊岡小学校豊岡中学校、県立川越高校(バレーボール部)を経て信州大学人文学部心理学科卒業。
1996年『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』にて第三回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞、現在は『不敗の格闘王、前田光世伝』(祥伝社黄金文庫)。『ピアノはともだち』は2012年度全国読書感想文コンクール課題図書に選定される。
2014年「佐村河内事件報道」にて第45回大宅壮一ノンフィクション大賞(雑誌部門)受賞。主な著書に、『伝説の料理長サリー・ワイル伝』(草思社文庫)、『フレンチの王道、シェ・イノの流儀』(井上旭氏と共著、文春新書)、『新・世界三大料理~和食は世界料理たりうるのか』(PHP新書)、『ゴーストライター論』(平凡社新書)等多数。
朝日カルチャーセンターエッセイ講座、自分史講座、高大生文章キャリアヴィジョン教室、小中学生の作文教室等の講師を務める。

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February 01, 2016

新たな才能の登場----楽しみだな~エッセイ講座

1月26日から、朝日カルチャーセンター「エッセイ講座」の2ndセッションが始まりました。
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(写真は1stセッションのものです、あしからず)

今回も3回だけ(1、2、3月)の講座なんですが、
前のセッションからの継続の方に新しい参加者が4名加わって、
新鮮な気持ちで講座に臨むことができそうです。

毎回出席のみなさんには作品を一本書いてきていただいて、
講座の中でそれをシェアしながら進めていきます。

何回か書いていくと、それぞれに文章の「鉱脈」があって、
それを掘り進める作業が楽しくなっていきます。

ある人は、「色彩感」が鉱脈です。

初回は「紫のバラ」がテーマとなり、二回目はラピズリーの青、
そして3回目は外苑前の紅葉の「黄色」をテーマに鮮やかな文章で綴ってくれました。

またある人は、月に一度程度帰省して世話をする「やもめ暮らしの父」のことをテーマに、
連作を書いてくれています。

齢80を過ぎたこのお父さん、ガールフレンドがいるんですね。しかも何人か。

その一人の「老女」がかいがいしく食事やお酒の世話をしてくれる様子が、ユーモラスに描かれています。

つまり娘としては独り暮らしの父親の世話をしてくれるのはありがたい。
老後にもそういう楽しみが必要なことはわかっている。
けれど亡くなった母親のことを思うと切ない。
母が生きているときから親しかったのではないかと疑念も沸く。

さらに父には、この老女の他にも親しい女性がいるようだ。
それを思うと老女にも申し訳ない。

そし文章の最後は決まって、

「私は夫より絶対に先には逝くまい」
「男って、本当に勝手な生き物だ」

と、男性批判で結ばれるのです。あぁ-----。

他の参加者から「今回もIさんの作品が読みたい」と指名がかかるほどの、人気エッセイになっています。

そしてもう一人、今回初参加の方のエッセイが素晴らしい。
こんな内容です。(僕が抜粋しました)

「○年○日に母から来たメールを携帯電話に保存している。
タイトルは「最後のメール」
母はいなくなった。死んだわけではない。縁切りメールだった。

物心付いたときから母は父の悪口を私に聞かせた。母心より女心の比重が大きすぎて、
成長する娘はライバルだったのだ。

思春期には「胸がないからブラジャーはいらないわね」と言われ買ってもらえなかった。

ある日、自分は母のごみ箱なのだと気がついた。40歳だった。馬鹿すぎるほど遅い反抗期。

「最後のメール」は返信せずに8年になる。月々の生活費を送る対価として、
幸せな縁切りが続いている」

続きが読みたいな~。
この鉱脈を掘り進んでほしいな~。

どうですか?
書かなければ前に進めないテーマでしょう。

書くことは生きること。
自分を癒すこと。

そんなふうに文章と対峙していけたらいいなと思っています。

興味ある方、これからでもご一緒にいかがですか?

2016 02 01 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 04, 2016

2016年新春、いかがお過ごしでしょうか。

あっと言う間に三が日もすぎてしまいました。

賀春です。
どんな新年をお迎えですか?

今年もよろしくお願いいたします。

初仕事は、東北関連のテーマになりました。

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震災以降、明星の会やリボンの仲間たちと東北に通ってきましたが、
日本全体でみても、あんなに優秀な若者たちや組織が集まっているところはない。
この国の未来を支えるイノベーションの萌芽が感じられる地だと思っています。

アエラでは昨年「東北食べる通信編集長高橋博之氏」
「教壇を離れて震災の語り部になった佐藤敏郎氏」を書いてきましたが、
今年もう一人、
震災直後に女川大槌に入り、コラボレーションスクールを立ち上げた今村久美さんを
書くことになりました。

同時に彼らの思想や取り組みを普遍的な価値にするべく、
単行本の企画も考えています。

10~20年後のこの国のエンジンは東北からの風であると信じて。
思いの丈を書いていきたいと思います。

去年からは、朝日カルチャーセンターで「エッセイ講座」も始めました。
これが面白い。

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自分の文章が生まれてくるのも素敵なことですが、
他者の文章にかかわってそれが劇的によくなっていく様は、
これまた文章の醍醐味だと実感しました。

今年もどんな文章との出会いがあるか、楽しみです。

山と自転車と水泳もルーチンで続けたいと思っています。

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夏山は念願の西穂高かな。
上高地~焼岳~西穂高~穂高山荘~涸沢の縦走ができたらいいな~。
子供たちとはどこの山に昇りましょうか。
去年台風で諦めた雲取山一泊もいいな。
ま、頑張ります。トレーニングもしなくちゃね。

去年は母親が倒れて入院したり(いまも続いていますが)、
明星が休み駒八が休業したり、
親しい友人がガンで倒れたりと、
環境的にも激変の年でした。
生は有限であり、
否応なくやってくる「老い」とも対峙しないといけないと実感しました。

ならば、せめていまできることを
「やっちゃえ、コウヤマ」
やらなければ前に進めないことを
「やっちゃえ、コウヤマ」

いろいろやっちゃおうと思っている新春です。

なんか借り物ですが、なはは。

今年もよろしくお願いいたします~。

2016 01 04 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 12, 2015

伝説の総料理長サリー・ワイル物語

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今月上梓した「伝説の総料理長サリー・ワイル物語」(草思社文庫)に、
書評サイト「HONZ」から嬉しい批評をいただきました。

20代の批評家が書いてくれたようです。
そのことも余計に嬉しいですね。

ぜひみてやってください。

http://honz.jp/articles/-/41486

よろしくお願いします~。

2015 06 12 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 01, 2015

あっと言う間に2月も終わりですね

今日は寒い一日になりました。
いかがお過ごしですか?

この二カ月間、執筆と地方出張に忙殺されて、ブログの更新ができませんでした。
すみません~。
生きていた証に、写真を中心に一気にコウヤマの二カ月間をご紹介しますね~。

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正月5,6日と、娘を連れて京都へ。将来京都の大学に行きたいなんていいだしたものだから、
地元に住んでいる旧友雫石くんにお願いして、
あちこち大学キャンパスを見てきました。
いま高校1年生。どんなことをき思ったでしょうか。
詩仙堂がよかったな。

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1月15日には、元民主党の都議会議員こさいさんの早朝勉強会へ。
こさいさんはいま、議員を引退されて山梨で農家をやっています。
「メディアの大罪」を語ってきました。

朝早くから勉強会なんて、すごいですね~。
この日はそのまま花巻に向かいました。

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1月23日からは、4泊で北海道ツアーへ。
東京大学名誉教授の月尾嘉男先生が開いている自然塾が、北広島、留萌、倶知安で開催されました。
地元の人たちのあつーい歓迎を受けて、美味しいものをいただいてきました。
同行してくれた東京塾Rの安藤君、宮野君、ありがと~。
北広島では、辻川さん、黒田さんもきてくれました。
最後は旭川でFM出演。
長いツアーでした~。原稿かかなくちゃ~。

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2月の頭は恒例志木市のリンクススキーツアーへ。
一泊ですが、子どもたちと貴重な体験ができました。
みんな、楽しかったね~。

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2月5日には、新垣隆さんの誕生会。
本当は9月なんですが、あの記者会見から新生新垣隆が生まれたということで、
久しぶりに文春のみんなとも会いました。

新垣さん、いろいろ大活躍。嬉しいですね~。

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18日には仙台で、3月に行う新垣さんのツアーの記者会見。
大勢の記者さんに囲まれました。
石巻(3月26日、ビックバン)、陸前高田(27日朝日のあたる家と米崎仮設)、女川(28日野球場仮設、清水仮設)のみなさん、お楽しみにね~。

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その夜、女川野球場仮設の自治会長さんにご挨拶。みなん楽しみにしてくれています~。

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さらに夜は佐藤敏郎先生がパーソナリティをつとめるFM女川「大人のかたりば」に出演しました。
女川ビューティーズのみなさん、ありがと~。

そんなこんなの1,2月でした。
原稿もたくさん書きました。

3月9日のアエラ現代の肖像に「東北食べる通信」の高橋博之編集長のこと書きます。
みてくださいね~。

そして平凡新書では「ゴーストライター論」を4月に上梓。
どんな反応をいただけますか。ちと怖いな~。とほほ。

3月もがんばります~。

2015 03 01 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 01, 2015

謹んで新春のお慶び申し上げます~2015年元旦

あけましておめでとうございます~。

元旦から雪が舞っていますね~。
みなさま、どんな新年をお迎えですか。

今年もバザールと神山典士、ならびにこうやまのりおを
よろしくお願いいたします~。

年末年始もなく、アトリエに籠もって書いています。
締め切りが1月2月3月と連続してあります。
どんな文章が出てくるかな~、
今年もまた、読んでやってください。

といいつつ、大晦日は石巻から珍客、たけちゃんがきてくれました。
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※直してくれた炊飯器です。とほほ。

去年は水道を直してくれましたが、今年はなんと、蓋が壊れていた炊飯器を直してくれました。
そして手作り餃子大会~。
姪のレイナ二人で約100個つくってくれました。
美味しかった~、たけちゃん、ありがと~。
元旦、お雑煮を食べてから、小田原に向かって去っていきました。

さーて、今年はどんな出会いが待っていてくれるでしょうか。
どんな主人公と出会えて、どんな文章が出てくるか、
自分でも楽しみです。

自転車も登山もゴルフもカヌーもがんばりましょう~。

みなさん、今年もよろしくおねがいします~。

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September 23, 2014

たまたまですが、百花繚乱状態に---

この秋、というか夏の終わりからずーっと「佐村河内事件の全貌」にとりかかっているのですが、
その間もいくつか違う原稿も書いていたりして、
いま書店にはぼくの作品が何種類か並んでいます。

そのラインナップが、自分としても笑っちゃいます。

「オール読物」では、官能特集に「浅草ロック座の女傑、斎藤智恵子」を書かせていただきました。
いままでやったことのないくらい、精一杯「官能」を意識して、
パソコンで「ヒブ」と打ったら、「日歩」なんて出てきたりして。なはは。

でも、めったにないことですから、ぜひ立ち読みでもしてみてください。

小説家は凄いですね。つねにこういう雑誌で他の作家と比較されながら書いているんですから。
官能小説が並んでいますが、できはでこぼこですね。

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続いて昨日、講談社から「6刷りできました」というお知らせをもらいました。
3年前に書いた児童書「ヒット商品研究所へようこそ!」です。

ガリガリ君、青い鳥文庫、瞬足の制作陣の物語です。
これは面白い!
小学生年代の子どもを持つご両親にもぜひ読んでほしいですね。

昨日ガリガリ君買っちゃいました。「ミルクミルクミルク」美味しかったな。たは。

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さらに、PHP新書からは食文化に関するレポート「新・世界三大料理~和食は世界料理たりうるのか」
と、
祥伝社黄金文庫からは、明治期の格闘家の世界放浪をテーマにしたノンフィクション、
「不敗の格闘王・前田光世伝」も出ています。

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官能小説、児童書、食文化ルポ、歴史ノンフィクション、
我ながら多彩ですね~ふふふ。

全てアマゾン等で手にしていただけます。
ぜひ見てやってください。

そして今日から「佐村河内事件の全貌」(仮)もいよいよ第三部へ。
今年1月からの週刊文春編集部と佐村河内の対決シーンに移ります。
どんな文章が出てくるか、楽しみだな~。
12月にはみなさんに見ていただけるはずです。
あと一息、がんばります~。

よろしくお願いします~。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%85%B8%E5%A3%AB


2014 09 23 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 05, 2014

新刊『新・世界三大料理~和食は世界料理たりうるのか」ができてきました~。

食欲の秋に相応しい(かな?)食文化をテーマにした新刊ができてきました。

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https://www.facebook.com/norio.koyama.7/posts/705874902837901?comment_id=705938149498243&offset=0&total_comments=11

『新・世界三大料理~和食は世界料理たりうるのか』(PHP新書)

今回は監修者として、フランス料理は、日本人料理人として初めて本場パリでミシュランの一つ星に輝いた
中村勝宏さん

中国料理は、ヌーベル・シノワの第一人者であり、吉祥寺「知味竹炉山房」のオーナーシェフである
山本豊さん

そして日本料理については取材協力として、辻調理師専門学校の辻芳樹校長のお世話になりました。

フランス料理の世界戦略
なぜ日本や英国の宮廷では晩餐会にフランス料理が出されるのか

「気」の料理、「不老長寿」の料理、中国料理
日本の中国料理の発展秘史

日本料理は「水の料理」「引き算の美学」
世界に広まる和食の実態
「口中調味」を学ぶ欧米人たち
際立つ衛生概念、「おもてなしの心」
料理用語に見る、各国料理の特徴と秘密

等々、思い切って書いてみました。

書店でみかけたら、ぜひ手にしてみてください。
面白く読んでいただけるはずです。

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%83%BB%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%89%E5%A4%A7%E6%96%99%E7%90%86-PHP%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%A5%9E%E5%B1%B1-%E5%85%B8%E5%A3%AB/dp/4569819087/ref=pd_rhf_eebr_p_img_2

よろしくお願いいたします~。


2014 09 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 06, 2014

できてきました~『不敗の格闘王、前田光世伝』(祥伝社黄金文庫)

一昨日、祥伝社に行って、刷り上がったばかりの『不敗の格闘王、前田光世伝』を
何冊かもらってきました。

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いい本に仕上がりました。
長いまえがき、あとがきを加筆しました。
本文も、何カ所も修正して、ブラッシュアップしています。

思い返せば、グレイシー柔術の存在を知ったのは確か93年のこと。
そこから、前田光世という明治の格闘家の存在を知って、
その足跡を辿り始めたのが94年のことだったでしょうか。

その時は、故郷弘前に行って、郷土史研究家の山本銀司さんにお目にかかって、
自費出版されていた資料や写真等、貴重な資料をいただいたのでした。
(山本さんは約15年前にお亡くなりになっています。ご冥福をお祈りいたします。息子さんに献本させていただきました)

それを、当時連載していた『ワールド・プラザ』という雑誌に書きました。
その後、当時講道館の国際部にいらした方から、
「95年正月にアマゾンでコンデ・コマ杯という柔道大会を開く」という情報を聞きつけて、
集英社の週刊プレイボーイに相談したんです。
「こういう人がいてこういう大会があるんですが、取材にいかせてもらえませんか?」と。

いまだったら、とても難しい相談だったんではないでしょうか。
でもその時の副編集長、清水さんという方が「いいよ」といって、
確か30万円だか50万円だか、取材費を出してくれました。

それで初めての南米を訪ねることができたんです。
そしたらその大会は、チアリーダーはいるわ、ヒップホッポの様な音楽は流れているは、
とても日本の柔道の大会とは違ったド派手な雰囲気で、
しかも試合後記者会見があるからといって訪ねた会議室では、
中央にドーンとアントニオ猪木さんがいて、記者はぼく一人で、
たはは、二人で茶飲み話になってしまったのです。

でも、そのお蔭で、次にキューバを訪ねるときに、
猪木さんが「おれはキューバに島をもっているから、なんでも相談にのってやるよ」と
言ってくれて、実際、取材のアテンドもしてくれたのでした。
猪木さんはカストロから「イスラ・アミーゴ・ド・イノキ(友人猪木島)」というのを
もらっていたんですね。
さすが猪木。スケールが違います。なはは。

てなことが折り重なって、一つの物語が徐々にできあがっていきます。
まだまだエピソードは満載です。
連載で書きますね。

よろしくどーぞ~。

2014 06 06 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

April 05, 2014

娘への手紙、すべての10代の若者たちへ

この春から都立高校に進学する娘に、
お祝いとしてこの前の「ミャンマー-上海」の旅と、一本の便りを贈りました。

すべての10代の若者たちへ。
この国の未来を託す若者たちへ。

大人からの「思い」です。
心の片隅に留めてくれたら嬉しいです。

「卒業おめでとう。卒業式でのメグたちみんなは、とても輝いて見えました。いい仲間、いい先生と出会えたのだと思います。いつまでも、その関係性を大切にしてください。
式の中で、校長先生が「義務教育の終了」といっていました。それまであまり意識していませんでしたが、確かにそうですね。もう君は、国や親から強制されて勉強しなくてもいい年齢になりました。これまたおめでとう。学ぶことも、自由になったのです。
これからは、学びたいことを、学びたい人から、学びたいように学んでいいのだと思います。学校を否定するわけではないけれど(ぼくも人並みに高校、大学までいっているけれど)、今から思えば、学ぶ場所は決して学校だけではありませんでした。
たとえば旅です。今週末から、君をアジアにつれていくけれど、それは、学びの場所としての「旅」を体験してほしいという気持ちの現れでもあります。君がどう感じるか楽しみですが、少なくともぼくは、中学校2年のときのアメリカホームステイ、大学3年(一年間休学したのだけれど)のときのヨーロッパ放浪が、とても大きな体験でした。
旅はいろいろなことを教えてくれます。失敗も不安もあります。それを乗り越えたときに、何か手応えがあるものです。それもまた、覚えておいてください。
どんな「人」に出会えるか。それもまた、学びです。ぼくは大学を出て、フリーランスのジャーナリスト(作家)になりました。日々いろいろな人と出会います。一つ一つが驚きであり、感動です。ごくたまに、佐村河内の様な変なやつにも出会いますが、いろいろな人に出会って、いろいろな価値観を感じて、それを吸収すること。それもまた、学びだなと思っています。
本を読むこと。それもまた、学びです。これは言うまでもないでしょう。本という知的パッケージは、人類の最大の発明だとは思いませんか?パソコンのように重くないし電気は不要だし、人に邪魔されることもありません。先達の知恵を、あんな小さな手軽なパッケージに詰められること。それは、インターネットやメールに勝るとも劣らない発明だと思っています。(ぼくは本を書く仕事をしています、それは多少の誇りです)
たくさんの本を読んでください。一冊の本が人生を決めることもあります。そういう出会いがあったらいいですね。
そして、友達にあうこと。それもまた学びです。もはや言うまでもないでしょう。パパもママも、普通に考えたら、めぐよりも先に死にます。その時めぐに残されるのは、やはり友達です。大切にしてください。
あるいは、これから君がするであろう「恋愛」も学びです。男性という異文化を知って、その不思議さに驚いてください。その時、君が女性であることを、改めて知るかもしれません。
その結果、子どもが生まれたら、子育ては「学び」以外の何者でもありません。子供が育つのではなくて、親が育つのです。いつの日か、君にもそういう日がくるでしょう。ぼくらは「メグ」という先生に、いろいろ教えられました。ありがとう。今度は君が子供にどう学ぶか、楽しみにしています。
そうしてもう一つ。「孤独」もまた、学びの場です。これはまだ君には少し早いかな。いつの日か、そのことがわかる日がくるかもしれません。自分を孤独だなと感じたら、今自分はそこから何かを学んでいるんだと、前向きに考えてほしいと思います。
つまり総じて言えば、生きていくということは「学ぶこと」だとぼくは思います。学校だけではなく、人生というフィールドで、いつも好奇心の羽を大きく広げてください。その羽が自由に大きく広がれば、人生は豊かになります。お金では買えないものを、手にすることができます。それさえわかれば、学ぶことは辛いことではありません。もはや、喜びです。
いつどんなときでも、学びの芽は、君の目の前にあります。それに気づくか気づかないか。それに手を伸ばすか伸ばさないか。そこから学ぼうとするかしないか。そこで大きな差がでます。
結局、人生が楽しいか否かは、そんなささいな違いだけです。せっかく生まれてきたのだから(君は精子の段階で1億の倍率を勝ち抜いてきたのだから)、好奇心の翼を精一杯広げて、楽しい人生を送ってほしいと、ぼくは思っています。

中学校卒業おめでとう。その真っ白なキャンパスに、君がどんな絵を描くか、楽しみにしています。

                            神山典士」


2014 04 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 01, 2014

師から、言葉をいただきました

今朝の朝日新聞の拙稿をみた高校時代の師から、メールをいただきました。

「神山様

世の中には色々と矛盾することがあります。
私自身はこれまで教師をやってきて、自分が
正義ですべて正しいと思ったことはありません。
例えば、贈答品が届いたとき、若いころは
送り返したこともありましたし、押し入れに
しまい込んで使ったことがありません。
(この間引っ越しで、その品物を子供が
お金に換えたところ10万円くらいありました。)
その心がだんだんと麻痺して、晩年は楽しみに変わりました。
しかし自分は教師として常に生徒の目標となる大人でなければいけないし、
結果を出さなければいけないという考えは今も変わりません。

私は死ぬ直前まで、何が正しいのか思い悩みながらも、
これまで教えてきた生徒の心を裏切らない教師でいると思います。

スポーツの根底にあるのは遊びです。そしていつの日か道徳的に価値があるものとなり、
今では商業主義的オリンピックになっています。何が正しいのでしょうか。

教師でありながら、勝利至上主義の人生を歩んできましたが、いつも自分の心の中で葛藤しながら
自分の法律を作ってきました。
これからも信念を持って頑張ります

人生とは人と人とのつながりを大切にしながら、矛盾することと戦い続けること。

萩原」

萩原先生は、高校教師から日本バレーボール協会の強化本部長にまでなり、
2002年の北京オリンピックでは選手団長を務めました。

いまは、地元埼玉にクラブチーム『アザレア』をつくり、
バレーボールの普及と選手育成、そしてそれらをとおしての
「生き方の伝承」を行っています。

先生、大切なのは、自分自身と闘いながら生きていくことですね。
あの10代の日に汗したコートを、ぼくは忘れていないつもりです。

ありがとうごさいました。

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2014 04 01 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 08, 2014

そろそろ梅も綻び始めましたかな?

4日に帰国して、少しはのんびりしたかったんですが(取材してきたデータや資料の整理も必要だし)、
その後すぐばたばたに巻き込まれてしまいました。

ここ2、3日の風景をみてやってください。

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お、なんじゃこりゃ?
けっこうチープなステージに、豪華な内容でした。
ありがと~ミック!!

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お、なんんじゃこりゃ2?

まさに羊頭狗肉、タイトルと内容が全く異なる記者会見でした。
まともに相手しちゃだめですね~。とほほ。

ま、来週の文春も見てやってください~。

2014 03 08 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 01, 2014

謹んで新春のお慶び申し上げます。

穏やかな新春となりました。
みなさん、いかがお過ごしですか?

今年も株式会社バザール、ならびに神山典士、こうやまのりおを
よろしくお願いいたします~。

今年の新春は、一つ変化がありました。
いままでは賀状は目上の方、年上の方を中心に出していたのですが、
去年の暮れに住所録を見ていたら、
児童書の読者として出会った子どもたちの住所が増えていることに気づきました。
キャンプや作文教室で出会った子も大勢いるし。

ということで、今年の賀状からは、子どもたちにも出すことにしました。
そしたら、その数がけっこういて、ほぼ3分の1に。
これから毎年増えていったら、楽しいだろうな。
新しい読者との出会いは書き手としての何よりの喜びです。

どうぞよろしくお願いいたします。

年末最後に書いたのも、学校図書館協議会の冊子用の子どもたちに向けてのメッセージでした。
まだ発刊前ですが、みてやってください。

「ぼくには一つの宝物があります。
 それは、中学校2年生の夏に書いた作文です。
 タイトルは「ぼくのみたアメリカ」。
 この年の夏休み、ぼくは独りぼっちでアメリカの農家に、一カ月間のホームステイをしました。
 見渡す限りの広大な草原の中にある小さな家で、もちろん言葉は通じないし、当時はインターネットもありませんでしたから、メールもラインも使えません。
 朝は5時に起きて、お父さんとホストブラザーとトラックに乗って農場に出ます。
 干し草を刈り、牛の世話をし、畑を耕す―――。
 同い年のホストは車もバイクも運転するし、夏休みも3カ月あって、宿題もなさそうです。
 週末になると、高校生のお兄さんたちと一緒に50㎞くらい離れた町に遊びに行って、映画を見たりプールで泳いだりしました。
―――アメリカっていいなぁ。自由だなぁ。
 ぼくは心から羨ましかったのです。
 そんな生活の中で、いくつかの謎が現れました。
 一つは、ホストが持つ魔法の手帖です。町に行くとホストはその手帖を取り出して、料金と名前を書いて窓口に出すと、映画が見られたりコーラが呑めたりするのです。
―――なんでお金を払わないでいいんだ?
 農場では、彼はある一頭の牛だけをせっせっと世話していました。
―――なんであの一頭だけ大切なんだ?
 疑問に思っても、言葉で質問できないし、ホストの話す英語も理解できません。
 ところがある時、その二つが繋がって、謎が解ける瞬間がありました。
 ホームステイ最後の日曜日、一家でお祭りにでかけました。ホストはそこに例の牛を連れていって、セリにかけました。
―――あ、ホストはあの牛を売って銀行にお金を預けるんだ。魔法の手帖は、預けた分だけお小遣いとして使えるんだ。
 同時にもう一つわかったのは、
―――ということは、失敗してあの牛が死んだら、1年間お小遣いがないんだ!
 帰国後、ぼくは作文にこう書きました。
「アメリカにいたら、なんだか恥ずかしくなりました。我々は日頃実行(労働)をしていません。家でもろくに手伝いもしません。大学を卒業するまで親にすねかじりで、これでいいのかなぁと感じました」
 あの時感じたアメリカの自主自立の気風。それゆえの自由。
 ぼくにとってそれは、フリーランスで文章を書く今の生活に繋がる、大切な大切な思い出となりました。
 10代の時には、誰でも一つ、大切な記憶が胸に刻まれるものです。君たちにもそれは宿ります。
 それを大切に、大切にしながら、日々を過ごしてほしいと思います」

 去年の忘年会では、このホームステイの年の秋から始まった中学校の生徒会活動の仲間たちとバンドを組みました。
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彼らとは、だからもう40年近い関係になります。
なぜそんなに長くつきあえているのか。なぜこの歳になっても「会いたい」と思うのか。
それはきっと、この作文にある「自主自立」というテーマを、10代のあの日に一緒に「闘った」仲間だからだと思うのです。
10代の子どもたちに「黄金の日々」といっても、それは今はわからないでしょう。
でも、一つのテーマをもった仲間だからこそ、一生涯の友達になれる。
そのことはなんとなーくでもいいから、わかってほしいなと思います。
 
さて、みなさんの新年はいかがですか?
今年もフェイスブックとhttps://www.facebook.com/norio.koyama.7
このHPをよろしくお願いいたします~。

仕事はさておき、
今年は北アルプス燕~槍ヶ岳縦走、やりたいな~。
ツールド東北ももちろんいきますよ~。
バンドを率いて、東北もいきたいな~。
PSNと共演したいな~。

いろいろ「したいな~」だらけのコウヤマですが、そこんとこ、よろしくどーぞ~。

2014 01 01 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 09, 2013

盟友、松丸奨先生(文京区青柳小学校)が給食日本一に輝きました~。

昨日、駒込の香川栄養大学キッンスタジオで行われた『第8回全国学校給食甲子園』。
全国から参加した2266校(センター含む)の中から見事、
日本一に輝いたのは、
去年であってずっと江戸野菜や江戸牛、軍鶏などの取材を一緒にしてきた
青柳小学校松丸奨先生でした~。
調理師の大野雅代さんも大活躍。

ほんとうにおめでとうございます~。

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この日の勝因は、審査員の田中延子先生も言っていましたが、
『準備』

青柳小学校チームは、どこのチームよりも詳細な「工程表」や「作業動線」をつくっていたし、
調味料を小分けしておくとか、また板ケースを調理途中の仕切りにするとか、
素晴らしい準備が目につきました。

その結果、1時間以内で調理準備から調理、盛りつけ、片づけまで二人で(作業によってエプロンを付け替えながら)行わないといけないというルールの下、
見事59分ですべての作業を終えていました。
途中で見ていても、だいたい予定よりも1分以上遅れることはありませんでした。

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実は大会前に学校に取材に伺った時、松丸先生はこっそりと
「最初のときは2時間半かかっていました」と教えてくれました。

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そこから約1カ月、ほぼ毎日練習を重ねて(この食材費は主催者からは2万円しかでませんから、
ほぼ自腹!です)
見事に時間内で終わらせたのです。

もちろん、味も大切です。練習中も、「この駒込三寸人参、味がしないね~。業者さんに言って、違うのに変えてもらおうか」と相談したり、
「出汁はもう少し早めに火にかけて、しっかりと取ろう」なんて言っていました。

この日のメニューは、
『のらぼう飯』『江戸前つくねの宝袋』
『伝統つくだ煮あえ』『すり流し小鍋仕立て汁』
『はちみつ人参ゼリー』、そして仕入れが大変な『東京牛乳』

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のらぼう菜とは、江戸時代に西多摩地方で作られ始めて、凶作の時は人々の命を救ったと伝えられています。
たぶん江戸東京野菜の生産者、宮寺さんのものでしょう。

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宝袋のつくねには、江戸軍鶏が使われていました。
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これは、秋川の浅野さんの軍鶏かな。

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とにかく「畑も生産者も少なく食材が乏しい」といわれる東京で、これだけの食材を「地産地消」で揃えるのは
大変な努力です。
松丸先生の日頃からの研鑽に拍手!! ですね。

審査員の先生方も、そういうそ努力を評価してくれたのだと思います。
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とはいえ、給食の宿命は「毎日続くこと」
優勝の美酒に酔うわけでもなく(ぼくは昨夜一人で祝杯をあげましたが、なはは)
今日も松丸先生は朝6時前には調理場に出勤して、業者のみなさんとの挨拶と会話から仕事を始めたはず。
大会前日の土曜日も、めずらしく子どもたちの登校する日だったので、
腕を振るったといっていました。

そういうところも素晴らしい。
これからもひたひたと目指す理想の給食、子どもたちが喜ぶ給食、夢を叶える給食をつくり続けて
ほしいと思います。

いまからアエラにそのレポートを書きますね。
掲載は年明けかな。ちとお待ちください~。

2013 12 09 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 24, 2013

故郷入間市にアトリエ・バザールを開設しました~。

98年に開設した板橋バザールですが、ちと訳あって
執筆機能を故郷、埼玉県入間市に、
オフィス機能を豊島区池袋本町に移転することになりました。

板橋は近くに愛車ベルジュの疾走ロードとカヌー・アリュート号の遊び場である
荒川があって快適だったのですが、実家の母が83歳で独り暮らしのために、
少しでも近くにいたほうがいいだろうとの判断からです。

今週は引っ越し作業で忙殺されてしまったのですが、
がらーんとしていくオフィスを見ていて、あーぼくはここがほんとうに好きだったんだな~と、
しみじみしてしまいました。
ここでは下記のように、本当にたくさんの文章を紡いできました。
場所の力も大きかったと思います。
この場所、この空間に感謝感謝です。
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新たな活動拠点は2カ所になります。
オフィス・バザールは
170-0011豊島区池袋本町4-47-12-1603
03-5950-4848、ファックス5950-4847
アトリエ・バザールは
358-0023埼玉県入間市扇台4-1-7
04-2968-9242、ファックス9243

振り返れば板橋バザールは98年にオープンし、
『北朝鮮にスマッシュ!』(メディアファクトリー)あたりから書き始めたのだと記憶しています。
以降、
01年『「日本人」はどこにいる~異文化に生きる武士道のこころ』(メディア・ファクトリー)
『勝負あり』(河出書房、井上斌さんと共著)
02年『奮い立て~大阪近鉄バッファローズの奇跡』(実業の日本)、『生きること演じること』(ぴあ)(毎日新聞連載演劇コラム)、
04年『組織に頼らず生きる』(平凡社新書、小杉俊哉氏との共著)、
05年『初代総料理長サリー・ワイル』(講談社)
07年『日本の職人』(河出書房新社、神山典士フリーランス20周年記念出版)
08年『情熱のシェフ~南仏・松嶋啓介の挑戦』(講談社)
10年『忌野清志郎が聴こえる、愛しあってるかい』(アスコム、09年にフライデーに連載)
11年『掛けたくなる軸』(山口智子と共著、朝日新聞出版、10年にアエラに連載)
11年『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』(講談社、12年度全国読書感想文コンクール課題図書)
『ヒット商品研究所へようこそ!』(講談社)
『地球を走った男、間寛平アースマラソン』(ヨシモトブックス)
13年『みっくん、光のヴァイオリン』(佼成出版)
『めざせ!給食甲子園』(講談社)、
『桜井章一の「教えない」「育てない」人間道場』(講談社+α文庫)
等、幾多の主人公と物語に出会い、紡いできました。

『サリー・ワイル』の初校は約700枚あったのですが、
最後のフレーズを書いている時に目の前にワイルさんが現れて、
涙が止まらなくなってしまって、自分でもどうしようもなかったことが懐かしく思い出されます。
これからも新鮮な気持ちで主人公と向かい合い、物語の鉱脈を探し続けていきたいと思っています。

現在バザールでは、「日本の食文化シリーズ」として、
新書で10作品を目標に企画編集執筆に当たっています。
いままでに、『総料理長の美食帳、ホテル・オークラ半世紀』(根岸規雄著、新潮新書)
『世界一のサービス』(下野隆祥著、PHP新書)を企画制作し、
12月には新潮新書より『和食の知られざる世界』(辻調理師専門学校校長・辻芳樹著)
が出版されます。
来年には某新書から『シェ・イノ、フランス料理世界最高峰の矜持』(仮題)が出版され、
神山典士著『世界一の料理、和食、フレンチ、中華の魅力と秘密』(仮題、PHP新書)
も現在取材執筆中です。

全10作品が世に出る時には、一つの世界観が生まれているのではないか---と、自分でも楽しみです。

アトリエは、高校を卒業して信州に向かうまで生活していた故郷です。
友人もたくさんいるし、ゴルフ銀座でもあります。
ベルジュを走らせるには絶好の田舎道も入間川沿いのサイクリングロードもあるし、
カヌーのアリュート号は名栗でできそうですね。
山は、手を伸ばせば届くような距離だし、
山菜川魚料理で有名な「ともん」さんも近いです。
ぜひアウトドア系の目的で、遊びにきてください。

あ、もちろんぼくは仕事仕事の毎日ですが(たぶん?)なはは。

というわけで、バザールと神山典士は一区切りの新しいスタートです。
今後もよろしくお願いいたします~。

みなさんも、寒さに向かいます。ご自愛くださいね~。

2013 11 24 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 25, 2013

「こうやまのりお」と「神山典士」、二冊同時に刊行になりました。よろしくお願いします~。

8月22日、拙書が二冊同時に刊行になりました。

一冊は、児童ノンフィクション作家「こうやまのりお」として4冊目になる

『めざせ! 給食甲子園』(講談社、世の中への扉シリーズ)

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http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%9B-%E7%B5%A6%E9%A3%9F%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%9C%92-%E3%81%93%E3%81%86%E3%82%84%E3%81%BE-%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%81%8A/dp/4062182319/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1377394728&sr=1-1&keywords=%E3%81%93%E3%81%86%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%81%8A

学校給食って、誰にもどの時代にもいろいろな思い出があると思います。
「先割れスプーン」「ソフト麺」「脱脂粉乳」「Cゼリー」なんていうのが、
ぼくが生まれ育った埼玉県入間市の給食にはありました。
昭和40年代のお話です。

みなさんはいかがですか?

その給食が、近年ものすごーく進化発展していることをご存じだったでしょうか。

・「地産地消」を徹して、地元手採れた食材でふるさとの味を提供する
・出汁にこだわって、和風出汁なら「東京吉兆」、ラーメンの日には「大正軒」と同じ素材を使う学校がある
・衛生管理が徹底していて、宇宙食と同じ基準でつくられる
・子どもたちに希望のメニューを聞いて、その希望になるべく沿ったメニューをつくる
・学校内だけでなく地域の宝になるようなメニューを考える
・絶滅しそうなふるさとの食材を復活させた事例もある
などなど、
とにかく、現場の栄養士栄養教諭の先生方のがんばりがすごいんです。
給食の全国大会があるなんて、ご存じでしたか?
その取材をきっかけに、深い給食の森に分け入って、上記のような魅力的な物語を綴ってみました。
ぜひお母さんお父さんにも読んでほしいな。親子で読める給食物語です。

本書に関連したミニ講演会があります。

9月11日14時~九段で「ギリークラブ」
12日19時~新宿で「辻調塾」

参加希望者はいってくださったら席を用意してもらいます。
ともに、文京区青柳小学校栄養士、松丸先生(第一章の主人公でもあります)にも参加いただいて
給食室からの生の声もお届けします。

奮ってご参加ください~。

もう一冊は、これはここ5年以上ずーっとお世話になっている雀鬼・桜井章一会長の日常の姿を綴った

『桜井章一の「教えない」「育てない」人間道場』(講談社プラスアルファ文庫)

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http://www.amazon.co.jp/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E7%AB%A0%E4%B8%80%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E3%80%8C%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%81%93%E5%A0%B4-%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E9%9B%80%E9%AC%BC%E3%81%AE%E2%80%9C%E4%BA%BA%E3%81%8C%E8%82%B2%E3%81%A4%E2%80%9D%E6%A5%B5%E6%84%8F-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%A5%9E%E5%B1%B1-%E5%85%B8%E5%A3%AB/dp/4062815273/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1377394728&sr=1-3&keywords=%E3%81%93%E3%81%86%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%81%8A

ぼくは麻雀やらないんです。牌に触ったこともないくらい。
でも「出会ったしまったとき」に、会長は「麻雀なんて知らない方がいい」といいながら、
その日常生活、合宿生活、パラオでの大海原との格闘、弟子たち(雀鬼会)との絆等々を、
包み隠さずみせてくれました。

会長は、麻雀の強さばかり語られているけれど、その本質は
「70センチ四方の麻雀卓の中に大自然を感じられる人、野性児」なんです。
人間は、文明を手に入れる代わりに五感六感の鋭さをなくしてしまったわけですが、
桜井会長は古の人間がもっていた感覚に生きている。
「部族の酋長」なんですね。

だからそこにあるのは「教育」とか「育てる」といったものでなくて、生きる叡知の伝承です。
時には鮫に向かっていくような、手荒いイニシエーション(通過儀礼)もある。

一人でも多くの人に「感じてほしい」本です。
いまこのタイミングで上梓できたことが、本当に嬉しいです。
会長には、長いまえがきも書き下ろしていただきました。
これまたかっこいい。
ぜひ触れてみてください。

よろしくお願いいたします~。

2013 08 25 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 04, 2013

夏を楽しんでますか~?この一週間のコウヤマです

なんか戻り梅雨ですが、みなさん、いかがお過ごしです~?

コウヤマは今週もいろいろな人にあい、いろいろなところにいき(たいていは浴衣姿です)、
素晴らしい出会いの連続でした。

みてやってください。

26日の午後は(先週ですが)、横浜市中央図書館で、図書館や国語の先生を相手に講演をしてきました。

『黄金の10代の夢を職業にする喜び~辻井伸行、風美ちゃん、そして自分の10代体験』

約150名の先生が集まってくださって、熱心に聞いてくださいました。
そしてそして、『サリー・ワイル』を書いているときに逗子で出会って意気投合した女子柔道一家の八戸さんとお嬢さんのかおりさん、ご友人がきてくださって、最前列で聞いてくれました。
これまた嬉しかったな~。

10代って、誰でも一つづつ、胸のふかーいところに大切な「何か」が宿るんですよね。
それが宿った瞬間のことを書いた、僕の14歳の時の作文が残っています(30歳の時に自宅で見つかったんです)
それを紹介しながら、人生はその「何か」を探す旅だし、それが職業になったら、こんな幸せはないということを話してきました。

でも、この日の写真がないんです。先生送ってください~。

その日の夕方は東京塾R、4thセッション『ミャンマービジネスの光りと影』
バガン・インベストメントの松下英樹さんをお迎えして、アジアのラストフロンティア、ミャンマーでいま起きていること、そしてミャンマーの魅力を語っていただきました。

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28日は、川崎市高津区のスポーツ祭りの中で、『東北支援チャリティコンサート』を開催。

自閉症の音楽家、小柳拓人くん親子、
隻腕のヴァイオリニスト、大久保美来ちゃん、妹の舞美ちゃん、
そして「明星の会」が誇るソプラノ歌手、栗原陽子さん

3組が、それぞれ素晴らしいパフォーマンスを展開してくれました。

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会場では『あの日を境に、記憶の海』という写真展も開催。
90年代はじめの南三陸の漁村をとり続けてきた仙台在住の写真家、小岩勉さんの作品と、
震災後何度も被災地に入って撮影してきた長野容子ちゃんの作品を並べて展示。
震災前後の東北の変わり方をみていただきました。
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この日は、「明星の会」と高津区の総合型スポーツ倶楽部SELFのみなさん、そして
東海大学観光学部遠藤ゼミのみなさんでの共同主宰事業。
今年から3者で「女川御前ファンクラブ・リボン」という団体をつくって活動していきます。

おそろいのピンクのシャツをつくってみました。
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この日は約10万円のチャリティが集まりました。
今後の活動にいかしていきたいと思います。

この日ご来場のみなさん、コンサートにご出演いただいたみなさん、スタッフのみなさん、ありがとうございました~。

今後ともよろしくお願いします~。

そして30日は、二年連続で志木市「りんくす」での『作文教室』

今年は『美味しい給食の秘密』をテーマに、栄養士の猪瀬先生に来ていただいて、
ぼくがインタビューする方法で行いました。

子どもたちも、給食大好きだから、最初からのりのりです。

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この日語っていただいたのは、猪瀬先生が給食甲子園の代表になった時のレシピ
『ごぼうのごまだれ丼』

どうやれば美味しいごぼう料理ができるのか、その秘密を実践していただきました。

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これなら子どもたちものりのりだよね。

「先生、もう書き出してもいい~」なんて声も出るほどに、
一斉に原稿用紙に向かいます。

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約3時間の授業でしたが、子どもたちは集中して飽きもせずにがんばってくれました。

素敵な作文がたくさんできましたよ~。スタッフのみなさん、ありがと~お疲れさまでした~。

2日には、去年の給食甲子園の東京都代表、文京区青柳小学校松丸先生の
「東京の食材探し」の同行取材をしてきました。

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約200頭の「秋川牛」を飼っている竹内さん、
肉が美味しい軍鶏を飼っている浅野さん、
ともに素晴らしい哲学をもった農家でした。

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年休をとって、生産者を訪ね歩いて「ぜひ給食用に食材をお願いします」と頼んだり、
学校で行う食育の授業のためにメモをとったりする松丸先生も素晴らしい。
青柳小学校の給食は美味しいんです。
そこにはこんな秘密があったんですね~。

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浅野さんは、この大きなプロペラのついたパラグライダーで、大空を滑空しているそうです。
これまたすんごい!
偉大な農家でした。

そしてそして、今日4日は、新宿の小料理屋『まゆきち』のみなさんと一緒に荒川でカヌー。
アリュート号ががんばってくれました。
川風が涼しかった~。

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さあー、原稿だ。頑張りましょう~。

2013 08 04 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 29, 2013

異文化二作『ライオンの夢、コンデ・テマ=前田光世伝』と、『初代総料理長サリー・ワイル』が電子書籍としてデビューしました~。

文筆家としてのコウヤマの3大テーマの一つに「異文化」があります。(あと二つは「アウトロー」「表現者」)
これは、僕が14歳の時に一人でネブラスカでのホームステイを体験したせいでもあると思うのですが、
ノンフィクションを書き始めてからも、「隙あれば異文化」と思ってテーマを狙っていました。

その中で、30代の時と40代の時に書き切ることができた(僕の中での)異文化二大作が、キンドルで電子書籍がデビューしました。

『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』(小学館、96年小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞作)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9E%EF%BC%9D%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%85%89%E4%B8%96%E4%BC%9D-ebook/dp/B00CZ6ELOI/ref=sr_1_5?s=books&ie=UTF8&qid=1369799217&sr=1-5&keywords=%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%85%B8%E5%A3%AB

時は1904年、日露戦争の勝利という「意外性」を伴って、日本が国際社会にデビューしたちょうどその年、
太平洋を渡りアメリカを皮切りに、後に2000試合無敗と言われることになる「武者修行」に出た若者がいました。
弘前出身の講道館柔道四段、前田光世。
後に、余りの強さからスペインで「コンデ・コマ=高麗伯爵」と呼ばれるようになるこの若者は、嘉納治五郎から
「日本と大和魂を伝えてこい」との命を受けて世界を転戦します。
アメリカ、イギリス、スペイン、中南米に渡ってメキシコ、キューバ、ブラジル等々。
その足跡を辿ると、その地に住む移民一成たちの中には、約一世紀たったいまも、こんな記憶が残っていました。
「コンデさんは強かった。ジェントルマンだった。ハバナでは500ドルをかけて黒人の大男と対戦して、
見事に勝利した。黒人は腕を折られて、ワンワン泣いていた」
「当時わたしたちがハバナにやってくると、お前は中国人か、チーノチーノと馬鹿にされました。ところが日本人だというと、態度が変わって、お前はコンデ・コマを知っているか。素晴らしい若者だった、強かった、と態度が一変する。私たちは誇らしかったものです」

僕の取材は、アマゾン(ベレン、マナウス)、キューバ、メキシコ、イギリス、スペイン、アメリカ、そして国内では生地弘前にも及びました。
コンデさんとであったことで、とても幸せな時間を過ごすことができました。
15年ぶりの出版ですが、少しも古びていない、むしろいまこそ多くの若者に読んでほしい物語です。

1章、キューバ、1996「移民一世」
2章、東京、1899「講道館」
3章、ワシントン、1905「日露戦争」
4章、ニューヨーク、1905「異種間格闘技」
5章、メキシコ、1909「排日思想」
6章、ブラジル、1926「民族発展の地」
7章、アマゾン、1941「巨星墜つ」
エピローグ、アマゾン、1995「心意気」

どうぞよろしくおねがいいたしまーす。
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※『初代総料理長サリー・ワイル』については、後日書きますね。あまりにも熱くなってしまうので。なはは。クールダウン!

2013 05 29 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 28, 2013

維新の渦中、ミャンマーのヤンゴンに行ってきました

いや~、1月に続いての訪問でしたが、訊ねるたびにいろいろな発見があります。
今回はジョージ君という、ミャンマー生まれ、日本やシンガポールでのビジネスを体験して、
現在ロサンゼルスで企業のオーナーとして活躍している若者に会いました。
彼はいいました。

「ぼくが生まれたころのミャンマーは、東南アジアで一番栄えていた国でした。
チャットも金本位制で世界中どこでもドルに両替できたし、今の40倍の価値がありました。
だからぼくらは、ゼロから新しいミャンマーをつくろうとしているんじゃなくて、
黄金の50、60年代に戻そうとしているだけです」

なーるほど。
歴史的に見ると、シンガポールやマレーシアって、ビルマを見本に国づくり都市づくりをしていたわけですからね。

そしてもう一つ、
今のミャンマーには、海外在住の成功者が多いんです。
「みんな社会主義政権を嫌って国を出ました。
そして死に物狂いでがんばって大成功している。
国連ではウ・タント事務総長がそうですし、
アパレルでも機械メーカーでも食品チェーン店でも、世界的な企業のオーナーがたくさんいます。
そういう人たちは、ミャンマーに愛想を着かして出ていったわけだけれど、
『ミャンマーは変わりました。ぜひ祖国を発展させるために力を貸してください』とアピールしたい。
それができたら、ミャンマーは飛躍的に発展します」

なーるほど。ジョージ君自身、学生時代に社会主義社会に見切りをつけて国を出ただけに説得力があります。
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そんなミャンマーの動きに乗じた各国の動きもかしましい。
市内の閑静な住宅街には、フレンチスタイルのオーベルジュもできていました。
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なんとそこは、3つ星シェフ、ミシェル・ブラスの弟子が調理場にいるレストラン。
ブラス氏もすでに一度来ているとか。
「料理を国家戦略にする国・フランス」らしい姿勢です。

さて、日本はどうするのか。
ただODAで巨額の金を落とせばいいのか。

いやいやもっと、現地の人たちの心にふかーく突き刺さる経済交流の仕方があるはずです。
それを探していきたいですね。

2013 03 28 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 15, 2013

嬉しいお便りが続々と---

読書感想文の全国コンクール表彰式以降、全国から嬉しいお便りを続々といただいています。
みなさん、ありがとうございます。

愛知県、岡崎市からは、『優秀作品集』という冊子が届きました。
市内の小中学校のみなさんが書いた読書感想文の中から、秀逸な作品を集めたものです。
拙書『ピアノはともだち』をテーマに書いてくれた子もたくさんいます。

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エレクトーンを演奏している常磐小5年生の雄斗君は、こう書いてくれました。
「今のぼくは、練習で辛いことや苦しいことがあってにげたくなってしまうことがたくさんある。
でも本番の舞台にたって演奏すると、すごく楽しいし、ひききったときはすごく気持ちがいい。
つらかったことも一瞬で忘れて、またがんばって続けようと思う」

雄斗君、ありがと~。エレクトーンがんばれ~、いつか演奏を聴かせてね~。

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高知県からは、旭小学校の岡校長先生が、『みっくん、光のヴァイオリン』の感想をこう書いて送ってくれました。
「旭小にも453名の子どもたちがいます。一人一人の未来を想像し、夢をもって子どもたちが未来に進んでいけるかは、周りの大人がどの様に接し、支援していくかにかかっていることを、この本で改めて教えていただきました」

岡先生は、去年の夏、米子で開かれた全国図書大会の時にお世話になった先生です。
僕の講演の前に、素敵すぎる紹介をいただき、照れたことを覚えています。
今回は旭小学校が表紙になった、写真集も送っていただきました。

先生、ありがとうございました~。
453名の子どもたちによろしくどーぞ。
いつか遊びにいきますね~。

杉並区の杉原さんからもお便りが。
「日々研究熱心な松丸先生の姿が、こうやまさんの手でどんな文章になるか、とても楽しみです」
とのこと。
こちらは、今書いている(昨日脱稿しました~)
『めざせ!!全国学校給食甲子園』(仮題)の取材でお世話になったお母さんです。
栄養士の松丸先生、期待通り文中ですごい活躍をしてくれていますよ~。
GW前には見ていただけますから、もう少しお待ちくださいね~。

いや~、年若い読者や、子どもを思う大人の読者との出会いは、無上の喜びです。

これからも、がんばって書いていこうと思います。
みなさん、よろしくね~。

2013 02 15 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 14, 2013

嬉しいお便りが~東北からの風

昨日ポストを開けてびっくり。
こんなお便りと写真が届いていました。

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見えます?この文字。

読書感想文コンクールで内閣総理大臣賞を受賞した風美ちゃんからです。
文面もすごいんだけど、
この文字!!すごい~上手~にっぺんのみこちゃん(だったか?)みたい。

いや~びっくりしました。
お母様からのお便りも同封されていましたが、これまた達筆。
ありがとうございます。

風美ちゃんはこう書いてくれました。
「作文を書いていた時は、正直自分の名前の『風』という言葉については全く思っていませんでした。
こうやま先生のお話で『あっ』と驚きました。
母も祖母も校長先生も、『一生の宝だね』と言ってくれました」

そしてそして、
「こうやま先生の本はこれから全て読んでいくつもりです。
先生もお体に気をつけて、私たちの心に『風』を送り続けてください」

うーん、嬉しいし気持ちいいプレッシャーだな~。

ちといまは時間がないので、これくらいで。
風美ちゃん、ありがと~。いい春休みをね~。

2013 02 14 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 08, 2013

おめでと~受賞者のみなさん!!、青少年読書感想文全国コンクール表彰式

たったいま、日比谷の東京會舘から戻りました。
今日はここで、青少年読書感想文コンクールの表彰式が行われました。

拙書『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』を読んで感想文を書いてくれた子が、総理大臣賞を受賞したので、ぼくも呼んでもらえたというわけです。

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いや~思ったよりも盛大な授賞式で、ぼくもびっくり。

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総理大臣賞の風美ちゃんです。おめでと~。

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伸行君の幼いころの口癖は「今日の風は何色なの?」でした。
その感受性を風美ちゃんが引き継いで、自分の物語にして、文章の最後はこう結んでくれました。

「母が言った。『今日のピアノは優しい色ね』。私の心に今、少しだけ風が吹き始めている」

ん~すごい~なんて奇跡だ。感動してしまいました。

その他に、石川県小松市からきた結穂ちゃんも。お母さんとVサイン。
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結穂ちゃんは、聴覚障害をもっています。こう書いてくれました。
「その障害を差別されずに、自分の力を発揮できる場所が、きっと私にもあるはずだと思ったからです」と。

頼もしいですね。がんばれ~結穂ちゃん~

こちらは、東京大学地震研究所の大木聖子先生(『地球の声に耳をすませて』の著者)、
そして、全国学校図書館協議会長賞に選ばれた、
門岡さんとそのお母様です。
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こんなゲストの顔も見えました。
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みんなありがたがっちゃって、長蛇の列。いやはや、いきていらっしゃるだけで素晴らしい。

僕の挨拶も即興でしたがみなさんに届いたようで、何より何より。
パーティーにも顔出して、いろいろな方とご挨拶。
ありがとうございました。

でも締め切りがあるので途中で抜け出さないといけなくて---

みなさん、10年後20年後、また会いましょうね。
それまでぼくもしっかりと書いていなくちゃね。
お互い、がんばりましょう~。

地方から上京した子は、明日はディズニーランドかな?なはは。楽しんでね~。

2013 02 08 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 31, 2013

かの地で感じた『建国の息吹』~M氏への手紙

メールありがとうございます。

今回は現地6泊機中1泊の旅でした。
現地では、去年秋の本格的な民主化移行以来、国際資本の投資キャピタルのメンバーとして新首都ネピドーに駐在する友人と、
現地駐在員としてヤンゴンに5年目のベテランビジネスマンと、
さらに、88年の民主化学生運動のリーダーで、20年間日本に亡命していたミャンマー人エリート氏と会えました。

帰国早々、何人かに報告の手紙を書いたのですが、今回の印象をひと言で現そうと考えた時、
出てきた言葉は「建国の息吹が感じられる国」というフレーズ。
こんな言葉を使うなんて、自分でもびっくりです。かつて他国では感じたことのないものでした。

表層的には、まず若い。視界の中に飛び込んでくるのは、どんな場面でも若者たち、子どもたちです。
(児童就労という問題はありますが)
工事現場、レストラン、店、道の料金所、ホテル、自転車タクシー等々、どこをみても若者だらけ。
国の平均年齢が27、8歳、しかもヤンゴンでも若者たちは有り余っていますから、まさに若者天国です。
日本国内の光景との圧倒的な違いはここにありますね。
20代以下の若者に声をかけると、なんとか英語で話そうとしてくれます。
40代以上はあからさまに無理無理という表情でしたが。
世界を意識した世代が確実に育ってきているという印象です。
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その反面、ヤンゴンでもネピドーでも若者たちを含めて男女9割までが民族衣装ロンジー(日本の浴衣みたいな腰巻き)を履いています。
ヤンゴン大学の周辺だけはジーンズ姿が主流でしたが、これまた他のアジア諸国にもみられない光景です。
エリート氏曰く「これから新国家建設が課題だけれど、残したい文化はしっかりと守りたい」とのこと。
ぜひそうしてほしいと感じました。

ちなみに、このエリート氏は、昨年来テイン・セイン大統領から直々に「帰国して新しい国づくりを一緒に」とのメッセージを受けて帰国を決意したとか。
それまで日本では朝日新聞で働いていたので、日本語も流暢です。
しかも大学以来の研究テーマは「日本の高度成長の仕組み」
だから田中角栄も新幹線も列島改造も、ぼくよりも知識が豊富なほどです。
あの時代の日本に学び、いま衰退していこうとする日本の姿もまた他山の石にしたいという思いがありありでした。

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とはいえ、捩じれの国家であることもまた確かです。
表向きは2010年秋にスーチーさんの軟禁解除、昨年秋にNLDの政党復帰、12月にはオバマ大統領訪問と民主化の道を歩んでいるようにも見えますが、
実は皮膜の下には軍事政権がしっかりと存在しています。
中古車の輸入業一つとっても、軍のライセンスがないとできません。
60万円の中古車に対してライセンス料が200万円とか。
この国は戸籍がしっかりしていないので、住民税や所得税の徴税システムが機能しにくく、こういうやり方になっているのでしょう。
テイン・セイン政権を影で支える(院政を敷く)タン・シェ(軍のナンバーワン)が「圧政のレシピ」をつくっているのだそうです。
そうでなければ、2005年に完成した新首都ネピドーの存在に納得がいきません。
統計的にはアジア最貧国なのに、国会議事堂は東京ドームの70個分。皇居の何倍もの広さです。
そこにつながる道路は片道10車線!滑走路以外の何ものでもありません。
つい最近までは外国人は立入禁止だったとか。この辺も昨年秋からの変化だそうです。

そして軍は、たとえばヤンゴンやネピドー(近郊)にあるナイトクラブまで仕切っています。
ステージの周辺で制服姿の軍人が目を光らせているのですから、慣れないと怖いです。

これまた、軍部の資金源なのです。

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この国に、既報のとおり日本からのODAが今年度だけで1300億円入ろうとしています。
「東南アジア最後のフロンティア」と言われ、昨秋からANAは全席ビジネスクラスの直行定期便、
JALはチャーターのみの直行定期便を出すようになりました。
ところがヤンゴンのホテルの相場が高騰して、60ドルだったものが250ドル、30ドルだったところが100ドルです。
しかも常に満員。日本のビジネスマン、欧米からの観光客、韓国の観光客(直行便がある)で溢れていました。

それにしても、日本のビジネスマンはひ弱だ。
ネピドーに駐在するのは3人(社)だけで、あとはヤンゴンで日本のODA絡みのビジネスの分け前を狙うのみ。
政府自民党も、ミャンマーを経由すれば公共事業枠にとらわれずに日本企業に仕事を発注できる(しかも政治家へのキックバックあり!)わけですから、
両者ともにウイン-ウインの関係です。国民からみたら、とんでもない構図なわけですが。
日本企業が20社集まるビジネスカンファレンスを覗きましたが、約160席のホテルの部屋に、日本企業の関係者が100名以上。
ミャンマーの商工会議所会頭は最初の挨拶だけでさっさと帰り、あとはミャンマービジネスマンの姿はちらほらする程度。
NTT、NEC、日立、富士通といったそうそうたる企業の課長部長クラスが、下手な英語で自社のシステムの宣伝を語るのですが、
きいているのは日本人ビジネスマンのみです。
こんなところで語っていても、軍のライセンスはちっとも降りないのに。
やはりODA狙いなは明白です。

Photo_4

田舎に行くと、もちろん東南アジアですから高床式の竹壁の家が続くのですが、田んぼでの2毛作3毛作は当たり前、
インレー湖という大きな湖では、水草を集めた上に土を敷いて、トマト、ニンニク、アボガド、ナスビ等々、商品作物も豊富に栽培していました。
市場を見ると、籠から溢れんばかりの野菜の山々です。
つまり、頑張って働けば、今日より明日、明日より明後日と、確実に豊かな生活が期待できる。しかも大地からの恵で。
これまた、変わってほしくないミャンマーの光景の一つでした。

Photo_5

てな感じです。
かの国の息吹が多少なりとも伝わりましたでしょうか。
またお目にかかった時にでも。
写真を何枚か添えますね。

よろしくお願いいたします。

神山典士http://www.the-bazaar.net/index.htm

2013 01 31 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 29, 2013

東南アジア最後のフロンティア・ミャンマーに行ってきました

今朝、成田に戻りました。
いや~、たったの一週間の滞在でしたが、いろいろおもしろかったですね~。
新首都ネピドーでひとりぼっちで頑張るビジネスマン、
ヤンゴン滞在5年目になるベテラン駐在員、
88年の学生運動のリーダーで、その後日本に亡命して20年、
今年やっとミャンマーに戻ったエリート、等々
いろいろな人に出会えました。

その詳細を書いている時間はいまはないのですが、写真だけ紹介しますね。

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05年11月11日に新首都として誕生したネピドー。
東京ドーム70個分の広さの国会議事堂があるときいて「嘘だろ~」と思っていましたが、
こりゃすごすぎ。
なんたって、向こうは霞んでいて見えないんだもん。
こんな巨大なもん、よく建てましたね。
しかも、ぐーぐるあーすでは見られないという情報も。
完全な要塞都市ですね。

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そこに続く、片道10車線の大通り。
これまた滑走路だな。

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一転して田舎に行くと、これが普通の小学校ですよ。
グラウンド(なんて言えないけれど)サッカーボールもバスケットのゴールもない。
でも、子どもたちの元気な声が聴こえました。

Photo_4

すかさず、給食の取材も。
でも、ミャンマーでは給食ではなくて、お弁当でした。

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ヤンゴンのチャリタクの運転手君。
坂道をあせだらだら流しながら登ってくれました。
にしても、一通を逆行していくんだから、怖い怖い。
ニューヨークのメッセンジャーボーイ顔負け。
アジアのメッセンジャーボーイだな。

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スーチーさんの自宅。さすがに会えませんでしたが。
でも、昨年秋からの民主化は、まだまだ途上で、中身は軍事政権のままなのだそうです。

続きはまた後日。
お楽しみに~。

 

2013 01 29 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 18, 2013

みっくん、どこまでも遠くに、どこまでも高く!!

新刊ができあがってきました。

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みっくんは、先天性四肢障害をもち、右腕の肘から先が生まれつきありません。
それでもおばあちゃんは「みっくんはいつの日かヴァイオリンが弾けるようになる、私には見える」といって、
一歳の誕生日にヴァイオリンをプレゼントしてくれました。

そして3歳の誕生日、腕に流れる微弱な電流を使って腕を動かす筋電義手を手に入れたみっくんは
「弾きたい、弾いてみたい」と自ら言って、
ヴァイオリンに挑戦することになりました。

ヴァイオリンだけじゃないんです。
みっくんは幼稚園のころから衣食住、あらゆることを一人でやることに挑戦しました。
ご両親も「腕を隠すことは絶対にしない」「可哀相と思う方が可哀相」と、強い意志をもってみっくんに向かい合います。
みっくんは、たまさか体育でできないことがあっても、自分自身でルールをつくり
「ここまでできたら合格!」と自分で決めてがんばる子に育ちます。

でも、ヴァイオリンは難しい。ただでさえ右腕のポウイングが難しいのに、
みっくんは手首が使えません。
その代わり腕と肩を大きくまわしながら、美しい音、理想の音を求めてがんばります。
ヴァイオリニストの石川寛子先生も、一切手抜きはしません。
障害があろうとなかろうと、子どもであっても、美しさの前には一部の揺らぎもない先生です。
厳しいレッスンが続きます。

そんなある日、みっくんの前に素敵な男の人が現れます。
「みっくん、ぼくが君に曲をつくってあげよう」
それは----

24日ころには書店に並ぶ予定です。
ぜひ手にしてみてください。
そしてお子さんがいらっしゃる方は、ぜひ子どもにプレゼントしてあげてください。

ぼくはみっくんにこんな手紙を書きました。

「大勢の人たちのお蔭で、とても素敵な本ができました。
ぼくはこれからもみっくんのことをずーっと見ていきます。
ぼくらが見たこともない遠くまで、みっくんには歩いていってほしいな」、と。

そんなことが言える歳になり、そんなセリフを使えることに、感謝感謝です。
すべての子どもたちへ。
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もっと遠くへ、もっと高く、そしてもっともっと深く。

2013 01 18 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 03, 2012

大阪本の帯創作コンクール、おめでとう萌那ちゃん

先日、出版社経由でかわいいお手紙をいただきました。

「私は小学校5年生です。幼稚園のころからピアノを習っていたので、辻井さんの本を選びました」
そんな書き出しで、新聞記事のコピーなんかもはいっています。

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第八回大阪こども本の帯創作コンクール」なんて大会があるんですね。
そこで拙書『ピアノはともだち』を選んで帯を書いてくれた萌那ちゃんの作品が、
堂々「大阪府知事賞」に輝いたそうです。

おめでと~萌那ちゃん、ぱちぱちぱち。
可愛い帯ですね。

萌那ちゃんにはさっそくお祝いと、「ぼくにもその帯をちょうだい~」とおねだりして、
拙書を一冊送りました。

書いてくれるかな~。楽しみ楽しみ。
もちろん伸行君にも、レコード会社経由でお知らせしましたよ。

この本は、読書感想文の課題図書になったお蔭で、いろいろな人に読んでいただけて、
点字の本になったり、地域の感想文の課題図書になったり、
米子の司書さんの大会に呼んでいただいたり、
母校や他の中学校で講演会を開いていただいたり、
いろいろなご縁をいただきました。

ありがとうございます~。

さて、来年2月に発表になるという感想文コンクールでは、
どんな結果でしょうか。楽しみだな~。

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その前に、今月10日には、志木市りんくすで『大人のための文章高座』、じゃなくて、『講座』もやってきます。
そのときも、この本を使おうかな。

こちらもどんな大人に出会えるか、楽しみ楽しみ。

よろしくどーぞ~。

2012 12 03 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 15, 2012

ありがと~那加2中、豊岡中のみなさん~感想文をいただきました

今日ポストに大きな封筒が二通。
何かと思ったら、今月2度行った中学校での講演会の感想文でした。

テーマは『黄金の10代の記憶を職業にする喜び~辻井伸行君の歩みから』

茨城県那加市立那加2中の2年1、2、3組のみなさんと、
埼玉県入間市立豊岡中学校の3年生みなさん、
本当にありがと~。

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「今日の講演会は、今後の人生においてとてもためになると思った」なーんて書き出しの文章もあります。
いや~、みいな真剣に聞いてくれたんだな。
ま、感想文を書けなんて先生に言われて「よいしょ」なんて書いた子もいるかもしれないけれど。

那加2中は、中学時代の恩師秦先生の教え子たちだし、
豊中は文字通り母校だから、
両校の子はともに「後輩」にあたります。

彼らにぼくや伸行君の体験がストレートに伝わって、生きていく上での何らかの力になってくれたら、
こんな嬉しいことはありません。

今日はここに感想文の詳細を書く時間はないんだけど、本当にありがとう。
ぼくも「勇気」をいただきました。

「素直と勇気」

これは尊敬する雀鬼の言葉でもあります。

子どもたちの将来に、光があたりますように。
またどこかで再会できたら嬉しいな~。

ありがと~。

2012 11 15 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 07, 2012

若々しい才能達の開花、ヴァイオリンのみっくん、書道の卓也君

昨日、嬉しいメールが飛び込んできました。

「美来の、本日の水戸でのコンクールですが、見事、合格できました。
本人もとても喜んでいます。
全国大会でも、がんばってくれることと思います。
応援ありがとうございました」

ヴァイオリンの全国大会出場を目指して予選に望んだ大久保みっくんが、
見事初戦で合格を勝ち取ったというメールです。

みっくんとは、一昨年の暮れからのおつきあいで、
来年新春に、拙書『みっくん、光のヴァイオリン』が佼成出版から上梓されるんです。

Photo

これは、今年の夏、作曲家でみっくんの師匠でもある佐村河内守さんのご自宅でゲラの確認をした時のもの。
みっくんは、先天性四肢欠損症で右手の肘から先がありません。
でも、義手をつけてボウを操り、見事な演奏を聴かせてくれます。
守さんはみっくんのためにピアノ曲(ミッ君はピアノも弾きます)とヴァイオリン曲を献呈していて、
「将来はプロに」と、応援し続けています。

そんな二人の姿を通して「音楽とは、我が内なる激情をメロディに乗せて紡ぐもの」
「自分のためではなく、他者の光となる音楽を」
というテーマで書き進めました。
泣ける作品になっています。お涙頂戴ではなく、人間の可能性を感じていただけたら。

みっくん、クリスマスの全国大会も応援に行きますからね。
がんばれ~。

そしてもう一人。プレジデントファミリー「未来の泰斗」に書いた書道家の高橋卓也君からは、掲載後こんなメールが。

「神山 様
 遅くなりましたが、「プレジデント ファミリー」拝見致しました。
粋な文章でした。
 メールに添付されている写真は、昨日、宮城の実家で稲刈りをしてきたときの写真です。
 また会う機会が来ることを、楽しみにしています。
卓也より」

いやはや、褒められてしまいました。卓也君、どうもありがとう。

稲刈りの写真はこれです。

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そして卓也君の作品群。

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どうです。すごいでしょう。

卓也君は2、3歳の時から筆を握って漢字やひらがなを書きまくり、一度も書道の先生に習ったことはないのです。デビューはカナダの国際美術展。そこでグランプリを得て、作家デビューを果たしました。
つまり「国際標準のアーティスト」なんですね。
どうも日本の各界は、日本標準の狭い価値観に縛られていますからね。
そんなところにからめ捕られずに、これからものびのびと育って行ってほしいと思います。

卓也君からはその後、このときとれた新米を3キロ送っていただきました。
美味しい~。ありがと~。

それからそれから、もう一人、志木市中1の愛純ちゃんからもお手紙をいただきました。
この子は、夏の作文教室の参加者です。
「いただいた推薦図書のリストの本を全部読むことを目標にしました。
いい中学校生活を送れるようにがんばります」

この子には、拙書『組織に頼らず生きる』と、
僕の中学校時代に恩師荒井先生からもらった推薦図書リストを送ったのでした。
がんばれ愛純ちゃん。全冊制覇したらご褒美を送りましょうね。

振り返れば10数年前、辻井伸行君に出会った時もちょうどこの3人のような年代でした。
のぶりんはそこから10年かけて世界に羽ばたいていきました。
その後ろ姿を見ていることは、とても幸せな体験でした。
今度は3人がどんな歩みを見せてくれるのか。
楽しみにしていたいと思います。
そのためには、ぼくも次の10年間を、いい歩みにしないといけませんね。

この秋は、故郷入間市の豊岡中学校と、やはり中学時代の恩師、秦先生が教える
茨城県ひたちなか市那加2中でも講演があります。
どんな子どもたちと会えるか、とてもし楽しみです。

ぼくもほどよい緊張感をもって、ひたひたと生きたいと思います。
みなさん、よろしくね~。


 

2012 10 07 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 11, 2012

黄金の10代の夢を職業にする幸せ~米子全国学校図書館研究大会ヴァージョン

今年の夏の一つのハイライトは、拙書『ピアノはともだち 奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』(講談社)が青少年読書感想文コンクール課題図書に選ばれたご縁で、
米子で開かれた上記の大会にご招待いただいたことでした。
Photo

そこで、伸行君と自分の10代の体験を話しました。約90分くらいかな。

その速記録ができてきて、この前出版用に修正したのですが、
思いの外、自分の気持ちが素直に出ていたので、
ここでて紹介させていただきますね。

ちと長いですから、プリントアウトでもして、お時間ある時にご笑覧下さい。

よろしくどーぞ。

「はじめまして。神山典士と申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
 米子は大好きな街で、中学時代の恩師が住んでいるものですから、ちょくちょく訊ねて、大山に登ったり、昨日は植田正治の写真館を見させてもらったり、楽しく過ごしています。
 今日みなさんとお会いできるのは『ピアノはともだち 奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』という本を書かせてもらったご縁だと思います。ぼくは大学を出てからずーっとフリーランスの文章書きをやっていて25、6年になりますが、初めて書いた児童書になります。
 とある親しい編集者が児童局に移ったということで、「ちょっと児童書を書いてみないか」と誘ってくれた事が執筆のきっかけでした。
 とはいえ、伸行君とのお付き合いという事になると、彼が11歳の頃からとなります。別の出版社の編集者が、---(続く)

「slajyudai.docx」をダウンロード

2012 09 11 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 17, 2012

2012年夏、前半戦のご報告~

いや~、今年の夏は暑いですね~。日差しがキレてますね。

7月後半から昨日までの約2週間、仕事やプライベートを含めて、全国各地を廻ってきました。
いっぺんにご報告しますね。
久しぶりに夏らしい夏を満喫しています。

お楽しみください~。

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まず8月2日は、志木市を訪ねて、子どもたちと作文教室。

リンクスのみなさんが企画してくれました。

約20名の子どもたちが集まってくれて、まずはプールで水遊び。
その楽しい体験を作文に書こうという企画です。

プールからあがったら、まずは設計図作り。ポストイットに心がうごいたことを書き出して、それをグルーピングしていきます。
子どもたちは、プールが楽しかったから、表情も文章表現も生き生きしていました。

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家で書き上がった作文が、今日あたりからBAZに届き始めています。
添削して、返送しますね。
素敵な夏の思い出になりますように。
みんな、ありがと~。

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続いて5日からは盛岡取材。

「天才書道家」と呼ばれている高橋卓也君を訪ねました。

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どーです。いい面構えでしょう。
左手に筆を鷲掴みにして気合もろとも書き順なんかまったく気にしないで一気に書き上げます。
「書道家」かどうかは別にして、とーっても素敵な表現者です。
目の前で「炎天下」「真夏」と書いてくれました。

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卓也君の記事は、9月のプレジデント・ファミリー誌に掲載予定です。

もちろん、市内ではジャージャー麺もいただきました。
吉永小百合さんが食べた店だそうです。美味しいB級グルメですね~。
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そして帰路、初めての花巻へ。
アニメ師、杉井ギサブローさんにご縁をいただいた宮沢賢治を訪ねてきました。

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これは、賢治が「羅須地人協会」を開いていたという家です。
ここの和室で浴衣姿で寝ころがっていたら、あとからやってきた家族連れの子どもが
「あの人がミナザワケンジさんなの?」と、ずーっとお母さんに尋ねていました。
なはは、すんません。そうじゃないんですが、お母さんも答えにくかったでしょうね。

素敵な夏雲を見ながらの昼寝は最高でした。
隣の広場では、花巻農業高校生たちが鹿踊りの練習もしていたし。

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岩手県には、ほんとうに日本の原風景がありますね。
花巻はいいところだ。
いっぺんで好きになってしまいました。

9日からは米子に飛んで、全国学校図書館司書大会での講演と、恩師荒井先生との大山登山です。

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浅葱色(?)の小千谷縮みがいいでしょう。
行きの飛行機の中でもCAが「素敵ですね」って声かけてきたので、
「ぼくがですか?着物がですか?」と返したら黙っちゃいましたん。たはは。ごめんね~。

講演のあとはサイン会も。
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照れますね。

そして終了後、先生と大山へ。
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頂上がちょっとガスっているけど、いい山ですね~。
こんな山が家から車で20分のところにあるから、先生はトレーニングをかねて、一週間に3回も登っているのだそうです。すご!

700メートル地点から昇り始めて山頂は1711メートル。
二人でがしがし登って、1時間45分で登頂しました。
もーばてばてだけど。とほほ。

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途中では高山植物も綺麗でした。

翌日は出雲大社へ。
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8月頭に越後妻有にいって、脱皮する家で買った「脱皮する下駄」がいい感じでしょう。なは。

先生、いろいろありがとうございました~。

帰京後は、実家に親族が集まりました。
いいチャンスだから、生パスタ打ち、二回目の挑戦。
なかなかいい感じにできあがりましたよ。

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14日は真夏のバザールカップ・イン湯河原カンツリー。
8名の参加を得て、盛り上がりました。
盛り上がりすぎて午前中は雨と雷になってしまって、1時間の中断もあったけれど。
ぼくは「89」でグロス優勝でした~。(自慢げ)なはは。

そして15、16日は、故郷入間市の文化創造アトリエ「アミーゴ」の取材。
10年ほど前、ぼくはここのアドバイザーをしていました。
懐かしいみなさんにお会いできて、ますます活動も盛り上がっていて、なによりなによりでした。

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これは、ジャズピアニスト国分弘子さんのコンサート前に、打ち合わせする市民ディレクターのみなさんです。

翌日の夜は、劇団アミーゴのみなさんが集まって稽古をしていました。
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この劇団では、機を見て「アミーゴ誕生物語」という作品を10分間で上演しているそうです。
お客さんによってストーリーを変えたりして、なかなか好評とか。
9月22、23日に公演があるそうですから、行ってこようと思っています。

アミーゴのみなさん、ありがとうございました~。

そして15、17日は料理教室にも。

鶏南蛮とチャーシュー丼に挑戦してきました。
「なかなか手つきがいいですね」なんてほめられて、アーいい気分。なはは。
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さあ、残すところあと半分の夏になりました。
まだまだこれからですよ~。

大いに愉しみましょう!!

2012 08 17 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 22, 2012

愛知県の中学生のみなさん、初めまして、こんにちは~

教科書をつくっている光村図書さんから、一冊の本が送られてきました。

『中学生の読書2』
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愛知県の中学生を対象とした国語の副読本だそうです。

ここに、拙書『ヒット商品研究所へようこそ!』の中から

『瞬足-「大好き」を仕事にする人々』が掲載されているんです。
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目次を見ると、伊集院静さんや黒柳徹子さん、池田晶子さんといった書き手の人たちが並んでいます。

こういう人たちの作品が並ぶ一冊の中で、僕の作品がどう読んでもらえるのか、楽しみでもあります。

作品の中では、少年時代から靴が大好きだったアキレスの津端さんが、

大人になってもその夢を忘れずに、「どうすれば誰もが運動会でヒーローになれる靴ができるか」と

脳味噌に汗をかきながら奇想天外なアイディアを膨らますシーンがあります。
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実際、津端さんの家はいろいろな靴で溢れているんですよ。奥さんからは、古くなったのはもう捨てればと言われているそうですが。なかなかそれはできないよと仰っていました。

そういう「どーしようもなく好き」って感覚は、誰にもあるものですよね。

それが仕事になることって、すごく嬉しいことだと思います。

なーんて書きながら、なんとなく児童書文体になってるな。なはは。

とにかく、愛知県の中学生のみなさん、はじめまして。

楽しんでいってください。よろしくおねがいいたしまーす。

2012 03 22 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 12, 2011

埼玉県、小学校冬の推薦図書になりました

『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト、辻井伸行の秘密』が
埼玉県の小学校の冬の推薦図書に選ばれました。
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うれしいな~。

またまた新しい読者との出会いになりそうです。

どんな読まれ方をするかな。

この本は、来年度の山形県の中学2年生の国語の副読本にも選ばれました。

外は木枯らしでも、こたつのなかでぬくぬくと読んでくれたら嬉しいです。

よろしくおねがいしまーす。

2011 12 12 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 07, 2011

『ヒット商品研究所へようこそ!』トークショーも大盛況、嬉しいお便りもいただきました

3日祝日の夜、池袋ジュンク堂4階の喫茶店で、
ガリガリ君のプロデューサー萩原さんと、
瞬足の生みの親、津端さんと3人でトークショーをややってきました。

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会場は、友人知人を含めて約40名ぎっしり満員。
当初は来場者数が危ぶまれていたのですが、
足を運んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。

青い鳥文庫のジュニア編集委員の味園史音クンもご両親とともに
会場に駆けつけてくれました。
史音クン、べりべりさんきゅーです。

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トークの最後、お二人が期せずして語ってくれたのは、
「10年後には世界に羽ばたいていたい」という夢でした。

アイスキャンディーの王様ガリガリ君と
全国の小学生が一人一足履いている計算になる瞬足。

それらが世界の子どもたちに愛されるようになったら、日本も変わりますね。
そんな日が来ることを楽しみに待ちたいと思います。

その数日後、赤城乳業にはこんな嬉しいお便りも届いたそうです。

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僕の思いが読者の皆さんにもしっかりと届いたことがわかって、
僕も嬉しい~。

皆さん、本当にありがとうございました~。


2011 11 07 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 02, 2011

徳島、新潟、長崎、高知、岐阜の皆さん、こんにちわ

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共同通信の伊藤さんが取材執筆撮影してくれた記事が、
地方紙何紙かに掲載されたそうです。

徳島新聞9月23日
長崎新聞9月25日
高知新聞9月17日
岐阜新聞9月23日
新潟日報9月21日

僕の写真が添えられたものもありました。とほほ。

各地の子どもたちに、

「仕事ってわくわくどきどき、楽しいよ」
「やりたい仕事と出会うには、少年少女時代の『大好き』がキーワードだよ」
「人気商品の裏側には、素敵な大人たちの活躍があるよ」

という思いの丈が伝わってくれたら嬉しいのですが。

ま、一人歩きを始めた『ヒット商品研究所へようこそ!』を
よろしくお願いいたします。

2011 10 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 22, 2011

晩夏の北海道、白老(飛生)-江差-札幌と廻ってきました

先週末から5日間、めったに見られない北海道の姿を見てきました。

ひとまず写真だけアップしますね。

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白老町、といっても中心部からさらに山の方に30分以上走った「飛生」という小さな集落の廃校に、
もう25年間も「アートコミュニティ」が活動しています。
アーティストが集まって、制作したり地元の人と交流したり。

今は二代目世代に引き継がれて、17、18日には「アートキャンプ」が開かれました。
中心メンバーたちです。
「オールナイトイヴェント」なんて書いてあって一瞬引いてしまいましたが、
ま、それはそれ。
楽しませてもらいました。

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森の中の小さなブティック

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ビニールハウスの中のコンサート

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白樺の森の中のコンサート。ブリティッシュ・ロックの見事なサウンドでした。
この森を切り開くのが大変だったみたい。
お疲れさまでした~。

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白老といえばアイヌの集落。
アイヌ文化センターにも行ってきました。
これは子守歌を歌ってくれているシーンですね。

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北海道犬の「空」ちゃん。
なんでもソフトバンクのCMに出ている犬の息子だそうです。
きゃわゆかったな。


2011 09 22 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 01, 2011

『地球を走った男~なぜ彼だけが地球一周走れたのか』あと一歩で完成です~。

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2011 08 01 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 11, 2011

新刊がまもなく書店に並びます『ヒット商品研究所へようこそ!~ガリガリ君、瞬足、青い鳥文庫はこうして作られる』

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去年の秋ごろから取材を開始して、今年の春のはじめくらいまで一生懸命に書いていた作品が
やっと書店に並ぶ段取りになりました。

『ヒット商品研究所へようこそ!』
タイトルをつけてくれたのは編集者なんですが、
僕はまえがきで勝手に「研究所長」を名乗ってしまいました。なは。

そうそうこの本、『児童書初のビジネス書』というフレーズもいただいています。
「子どもたちのプロジェクトX」でもあるんです。
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ガリガリ君て食べてますか。
この前営業部長に電話したら「お蔭様で大変なことになってます」だって。
そりゃそうですよね。普通でも一日80万本売れているナンバーワンアイスなんですが、
この真夏日ですからねぇ。
僕も昨日執筆しながら『チョコチョコチョコチップ』を食べました。
ガリガリ君は60円ですが、リッチという100円のシリーズが好きだな。美味しいもんね。
なぜガリガリ君は生まれてきたのか。
その裏側にはどんな物語が潜んでいるのか。
その辺をお楽しみに、ね。

もちろん、瞬足と青い鳥文庫についても、とても面白い物語を書くことができました。

「仕事」って、最大の自己表現ですよね。
それに、仕事=生きている証になったら、とても素敵じゃないですか。

さすがにヒット商品の裏側には、そういう人間たちの物語も豊富に隠れています。
ぜひ子どもたちに読んでもらって、将来に思いを馳せてもらえたらと思っています。

14日から東北第三次キャラバンだから、この本ももっていきましょう。
みなさん、よろしくお願いいたしまーす。

2011 07 11 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 28, 2011

佐渡さん、ベルリン・デビューおめでと~。

行ってきました。ベルリン。
いや~すんごい。いろいろ凄すぎて、驚きの旅になりました。

まずは、かのカラヤンの時代からあるフィルハーモニー・ホールにびっくり!!です。

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見てください。この近さ。
この写真、取材を装って舞台上から撮ったわけじゃないんです。
お客さんは誰でもここまで近寄ることができます。
入った瞬間「ありゃ、小さいな」と思ったんだけど、
あとで聞いたら、キャパはサントリーホールよりも400席も多い2400弱とか。

つまり、どの席からも近いんですよ。ステージが。
そこで世界一の重厚な演奏が展開されるんだから、こりゃたまりませんね。

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この日の一曲目は武満徹だったので、彼の指定でこんな装飾が施されていました。
客席の中からパーカッションが5人登場してきます。
武満さんは彼らの衣装も、白、赤、黄色、黒、青と指定していて
彼らを中心に演奏が展開されるわけです。

さすがに演奏中の写真はありやせん。ごめんなさい。

そしてそして、シュスターコビッチのシンフォニー5番が終わった瞬間、
すごい拍手。しかも、普通はカーテンコールが何回も続くと
だんだんと拍手は収束していくものだけれど、
なんとなんと、
5回目のカーテンコールを終えてオーケストラが全員引き上げたあとに
またまた拍手が盛り上がって手拍子状態。

これを聞いた袖の舞台監督が「これはマエストロへの称賛です」と言って
佐渡さんを舞台へと誘ったとか。

たった一人のカーテンコールがここに展開されました。
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ちょっと小さいけれど、見えるでしょう。
佐渡さんも感極まってうるうるしていました。
初日のうるうるとはまた違った感慨だったって。

いくら日本からのツアー客が多かったといっても、
3日間約7000席が満席だったし、
このカーテンコールも会場全体からのものでした。

翌日の新聞の批評も絶賛だったとか(なはは、すんません。まだ翻訳が来ていなくて、読めてましぇん)

打ち上げ会場でも素晴らしいシーンが。
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会場となった日本食レストランでは、82歳になるご両親だけでなく
着物姿のご婦人を従えた紳士が一人。
なんと、佐渡さんがヨーロッパにわたった直後に二年間、彼を支えたパトロンの尾崎さんご夫妻でした。
「ぼくも事業を始めたばかりで、妻には佐渡さんのこといえなくてね~」なんて
初々しく仰っていました。
佐渡さんがローザンヌのコンクールで優勝した時に、
「将来ベルリンフィルを振ることがあったら必ずご招待します」と約束していたそうです。

凄いぞ佐渡裕。
夢を持つ才能もあるし、それをかなえるのも才能かもしれないけれど、
何よりも、夢を手放さない才があったんだね。

素敵なシーンを目撃させていただきました。

その後、日本人マフィアに拉致される佐渡裕。
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じゃなくて、日本の朝のテレビ番組に電話出演しているところでした。なはは。

そして翌日インタビューして、僕は夜行列車でパリへ。

そこでもいろいろなハプニングが待ち受けていたのですが、それはまた後日。

佐渡さん、おめでとございまーす。
二回目も期待してまっせ~。

2011 05 28 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 03, 2011

『黒魔女さん』シリーズの作家・石崎洋司さんからメールいただきました。

7月刊行の『大ヒット商品研究所、ガリガリ君、瞬足、青い鳥文庫』
の原稿も着々と進んでいます。
こちらも面白いですよ~。

『青い鳥文庫・10代の物語、夢中を仕事にした人々』
で書かせていただいた『黒魔女さん』シリーズの作家・石崎洋司さんと
編集の日下部さんからメールをいただきました。
拙稿を読んでいただいた感想です。

書き手が自分のこと書かれるって、本当はいやーなものなんですが
石崎さんには本当にお世話になりました。

ありがとうございます。

ちと紹介させていただきますね。
よろしくどーぞ。

「神山様

お世話になっております!
原稿、頂戴しました。

わたし、デスクで、ちょこっと泣いてしまいました。
フランクルのくだりです(←朝日新聞の記事でいまマイブームになってます)。
物語の力ってほんとにあると思っていますし、
十代が大切だというのも日々、思っているのですが、
こういう風に伝えられるんだったら、文章を自在に操れるって素晴らしいなと思いました。
神山さん、どんどん、たくさん、子ども向けに書いてください!

昨日、漢字辞典を見ていて、「究」って、
曲がりくねった細い穴を通す、というような意味なんだというのを見て、
「究める」ってたいへんなことだよなあ、細い穴かあ、と思っていたところでした。

子ども用の本って、究めないとだめですよね。
使えない表現や言葉使いや・・・、
あきると先を読んでもらえないし。
大人向けよりも数倍むずかしいと思います。

でも、神山さんはきっと向いてらっしゃると思います!
おお、これから楽しみですね。

・・・

石崎さんにもお送りしたところ、さっそく読んでいただけて、
お礼のメールを頂戴しました。下に貼っておきますね。

石崎さんもおっしゃってますが、
「かっこよすぎー」!(笑)
現場を知る者としては、やはりそう思ってしまいますが、
でも、かっこよく書いていただいて、ありがとうございます。
担当としては、
「死ぬまで書く」のくだりを書いておいていただいて、よかったです。
なにかあったら、ここに付箋をはって、
先生にお見せすることにします!

マフラーのくだりは、石崎さんも書いてらっしゃるとおり、
どちらでもいいことなので、
神山さんにお任せです。もちろん、このままでもけっこうです。
(凄く配慮があるように読めるので!)

・・・

というわけで、
もろもろご配慮、ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(以下、石崎先生からのメールです)


神山様
 さきほど、私に関して書いていただいたくだり、拝読させていただきました。
 他人のことについて、取材・執筆したことは、過去に何度かありますが、自分が題材になったのは、生まれて初めてです。
 なんだか、ひどく面はゆく、「過去に自分が書いた取材対象者もこんな気持ちだったのかも」と思ってしまいました。
 高校時代の本屋のくだりは、なんだか懐かしく思い出してしまいました。ほんとうにあれはいったいなんだったのでしょう? ほんとうに、なにかにひきよせられるように、小さな、薄手の文庫本を手に取ったのが、すべての始まりだったのですから。あれがなかったら、まちがいなく、自分は商社かメーカーで、サラリーマンをやっていたはずです。
 ともあれ、うまく脚色していただき、「他人事」のように読まさせていただきました。頭が下がります。ありがとうございました。
 若干、実像より出来すぎのような気がしますが(いや、若干ではありません、かなり、です)、事実関係はまちがっていませんので、わたしの方としてはこれでOKです。あ、ひとつだけ、どうでもいいところで、事実と異なる点があります。
 サイン会の日に、これみよがしに赤いマフラーをしていたのは、浦和レッズのものではなく、二日前まで行っていた、スペインは、リーガ・エスパニョーラの古豪「セビージャFC」のものです。って、ほんとうにどうでもいいですね、処理はおまかせします。
 ほんとうにいろいろありがとうございました。この部分だけではなく、この本全体が、若い読者が自分の将来を考えるきっかけになってくれれば、と、願っています。
 今後とも、よろしくお願いいたします。

石崎

ほんと、嬉しいです。何か心が繋がった感じがします。
石崎さんは今、夏に刊行の『黒魔女さん』を一生懸命に書いていらっしゃるはずです。
こういうときこそ子どもたちの心に残る物語を書かなければと
仰っていました。
同感です。
書き手はほんとうに無力だけれど、物語の力を信じて----。
 

2011 05 03 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 10, 2011

『掛けたくなる軸』、山口智子さんトークショー

ちと日は前後しますが、2月24日、丸の内オアゾ内の丸善で
『掛けたくなる軸』(朝品新聞出版)の出版記念「山口智子トークショー」をやってきました。

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会場には150名近い皆さんがやってきてくれて、大盛況。

漆の付け爪やワイングラスを企画している佐藤さんにも来ていただいて
楽しいトークが広がりました。

山口さんはBS朝日で流れる「音」をテーマにしたドキュメンタリー番組を企画制作しているとのことで
相変わらず大忙し。
この人も僕と同じで止まると駄目なマグロ回遊魚系なんすよね。なはは。

山口さんとの仕事は、

ダイムで連載していたテレビ番組紹介コラムで山口さんが出演していた「手業の細道」を書いて、
そこで彼女の職人技への取り組みを知って
そのことをテーマにアエラで肖像を書いて、
書き終わったあとで彼女と会ったときに彼女が運営していたショップ「燕子花」のことを知り、
「この人は平成の白洲正子になれるかも」と感じて何本かの企画書を書いて、
その一つがアエラの「軸」の連載になる、
という流れでした。
1年間の連載が終わって本になったのですが、
こうしてみると足かけ5年の仕事です。
同時に手がけた新潮の「旅」と「新潮45」の連載は残念ながら志途中で頓挫してしまったのですが
(担当編集の皆さんごめんなさい)
一つだけでも形になって、ほっとしています。

いい本ですよ~。ぜひ手にしてみてください。

その夜は水炊きで大宴会。
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こんなふうにできあがりましたん。

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山口さん、皆さんお疲れさまでした~。
ことに担当編集の浜田さんにはとてもとてもここでは言い尽くせないほど
お世話になりました。ありがとうございました。

このテーマはこれからも続けていかなくちゃね。
全国の職人さんたちにも、
今後ともよろしくおねがいいたしまーす。

2011 03 10 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 06, 2011

サイパン・マラソン、3位でした~

間寛平さんの取材で、サイパン・マラソンに行ってきました。
もちろん、ただ見ているだけじゃつまらないので、10キロ部門にエントリー。
出発前に事務所から戸田橋まで片道5キロを二往復して準備しました。
筋肉痛もしっかりと二日後にすこーしでることを確認して、いざスタート。

マラソン大会は板橋のに続いて二回目でしたが、やっぱ温かいところで走るのはいいですね。

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大会は全体で約900名が参加。
フルマラソン、ハーフマラソン、そして10キロの3部門でしたから、10キロの部は約300名程度の参加だったでしょうか。

フルは午前4時30スタート、10キロでもまだ漆黒の6時に号砲がなりました。
暑くなるまえに走っちゃおうということですね。

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僕はスタートするまで寛平さんについていこうか、それともある程度全力で走ろうか迷っていました。
でも走り出したら、タイツを履いていたことと取材で早くにスタート地点に行ったせいで準備運動が入念にできたことで、思っていた以上に足が軽いんです。オーバーペースは怖かったけれど、いけるところまで前にでることにしました。
上は途中で追い抜いた小夏ちゃん。
10キロ14歳以下の部の優勝者です。7歳だって。すご。

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寛平さんとは5キロの折り返しをすぎてしばらく走ったところですれ違いました。
あわててアイフォン出したので、こんなブレブレですけど。とほほ。

寛平さんはアースマラソンのゴール以降久しぶりに走ったみたいで、ゴール後はしんどいしんどいと言っていました。傍目でみてもすごく汗をかいていましたね。岡山で取材した時はそんなことなかったのに。

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いや~それにしてもサイパンはいいわ。
20代の最後のほうに遊びに行って以来、約20年ぶりでした。
改めて、飛行機で3時間だし日付変更線は超えないし、素朴な感じで悪くないですね。
そうそう、居酒屋にはホッピーもありましたん。なによりなにより。

来年もまた走ろうかなと「今は」思っています。なはは。

3位の証拠写真も見てください。

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これがセルティフィカ。アースマラソンのスポンサー名がべたべたです。電通の植木君が頑張ったんだな。
そしてそして、これが3位の印です。

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右のところに小さく「Ranking 3」って見えるでしょう。
そのとなりに「50-59」って数字も見えるはずだけれど。
なはは。50代の年齢別3位なんです。
こうしてみると、50歳も悪くないですよね。なんたって年代別最年少だからね。

記録は55分06秒。なんてことありません。総合1位の人は僕よりも20分近く速いみたいです。
つまり1キロで2分は違うということ。そりゃ別ジャンルのスポーツですよね。とほほ。

でも、サイパンでは思わぬお宝発見も。

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ショッピングモールの真ん中で、自動演奏のピアノが鳴っていました。
このブログの読者にはわかっていただけると思いますが
少年時代の辻井伸行君が弾いたピアノ???
正確にはそうじゃないんだけれども、こんなふうにいまもピアノが鳴っていました。

明日の伸行君を目指して、ここで演奏する子が現れないかな。
なーんてね。

楽しいサイパン3日間の旅でした。
あーしんど。筋肉痛は明後日ころでしょうか。とほほだな~。

2011 03 06 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 02, 2011

中国の世界遺産を訪ねて~山西省雲崗に行ってきました

講談社の雑誌セオリーの取材で、中国山西省の雲崗石窟に行ってきました。
二泊三日のとんぼ返り、
しかも途中雪が降って国内の飛行機移動が夜行列車になるなど
なかなかに魅力満載の旅でした。

北京から飛行機だと約1時間半。
僕らは乗り継ぎ便がなかったので車で約6時間。
大同という街に行ったのですが、ここが「麺の故郷」といわれている地域で
麺の種類が豊富なんです。それも楽しかったな~。

いろいろご紹介しますね。

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まずはやっぱりこの大仏でしょう。
体長15メートルくらいある大仏が5体並んでいます。
北魏の時代(3世紀から4世紀)にかけて造られた石窟は
長さ約1キロ。そこに全部で40あまりの石窟があります。

この大仏ももとは石窟の中に入っていたそうですが、外側部分は風化してしまったわけですね。
大仏自体も、何度も何度も修復されています。

石窟内の大仏はこんな感じです。

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二階部分の窓から陽が差し込んできて大仏を照らすと、思わずアッと声が出ますね。
それほど迫力だし、なんとも愛らしい表情だし、
全体から慈愛が溢れ出ています。

この石窟を「発見」して世界に公表したのが、明治期の日本人伊東忠太という建築家。
忠太は、法隆寺の研究をしていましたが、その建築様式がどこからきたのかを訪ねて
ユーラシア大陸をロバで横断したのだそうです。
すご。
なんか最近ユーラシア大陸にご縁があるな。なはは。

んでここを通り掛かったときにこの石窟を見て「法隆寺の故郷はここだ」と閃いたのだそう。
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石窟の扉等に掘られた模様が法隆寺のものと一致するのだそうです。

ま、僕ら素人にはわかりませんが。

でも中国人のガイドさんに言わせると、「中国でも前から研究していて文章には残っていますが、
忠太先生は写真や絵で発表されたのです」とのこと。
ま、中国の人が外国人に手柄を譲ることはありえませんからね。なは。

んで、麺ですよ、麺。
今回ツアーの案内をしてくれたコウさんが、いろいろな麺を教えてくれました。

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こりゃどうみてもハルマキの縦切りですよね。

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これはパンケーキでしょう。

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ただ手で延ばしているだけだし。

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うわ、こりゃ×××じゃないっすか??

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最後の刀削麺は日本でも有名ですが、上に並んだのが「麺」といわれてもちと困りますよね。
でもみーんなつけ麺の要領で出汁につけて食べるんです。
美味しいっす。麺ももちもちだし。

あー、またいきたいな山西省。
コウさんとは再会の固い約束を交わしてきました。

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そしておまけで中国ガールズ・コレクションもいっちゃいましょう。

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大同の369という粗穀麺屋さんのスタッフです。

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こちらは夜行列車で早朝5時に街に放り出された時に眠気覚ましに立ち寄ったケンタッキーで隣り合った子。
僕がノートをとっていたら、日本語表記を物珍しそうに覗き込んできました。

ただ、それだけのことですが。なはは。

2011 03 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 15, 2011

鹿児島県鹿屋市に行ってきました

雑誌地域創造の仕事で鹿児島の鹿屋に。

それってどこよと探したら、鹿児島市から見ると錦江湾と桜島を挟んでちょうど対岸になります。
大隅半島ですね。初めてでした。

そこで見たのは----

素晴らしい高校生ミュージカル『ヒメとヒコ』でした。

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太古の時代の大隅半島と奄美諸島の王子様と王女様の物語。
このオリジナル作品をつくったのが、この町出身の松永太郎さんです。

彼自身の故郷再発見の物語りこの作品がリンクして
とても感動的なストーリーになっていました。
高校生たちも真剣、かわい~。
故郷っていいな~としみじみ思います。

まだ文章を書いていないので、できたらここでも紹介しますね。

んで帰路は博多と京都で別取材。
垂水港から船で鹿児島にわたりました。
そしたら途中でこれですよ。

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フェリーに乗っているわずかな時間でも新しい噴煙が生まれていることがわかるでしょ。
すご。宮崎県の皆さんにお見舞い申し上げます。

んでもって、京都は大雪。会うべき人にも会えずに、すごすごと帰って来たのでした。

でもその旅の中で、一つすげーアイディアが浮かんできました。
それはまた今度ね。
ふふふ、すげーっすよん。よろしくね~。

2011 02 15 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

January 15, 2011

『掛けたくなる軸』が出版されました~

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朝日新聞出版から『掛けたくなる軸』が出版されました。

これは09年5月から10年5月までアエラで連載されたものに
大幅な加筆と書き下ろしを加えて編集されたものです。

山口智子さんの、日本と職人をめぐる仕事の一つの集大成と言ってもいいと思います。
そして外山俊樹さんの写真もまた素晴らしい。
僕は企画者として、京都紀行と金沢紀行を書かせていただきました。

山口さんはまえがきにこう書いています。

「しゅるしゅると巻物を広げれば、
たちまち、
見慣れた景色にもう一つの窓が開く。
日々に潤いや華やぎを呼ぶ「もの」の姿。
いさぎよい形の美しさを紡ぎ、
心の軸としてゆきたい」

本書の中には50を超えるこの国が誇る職人さんたちの手仕事、手業が集められています。
それともう一つ、この国の美学と美意識も。

素敵な本ですよ。
デザインも素晴らしい。
編集に携わってくれた皆さん、お疲れさまでした。

ながーく愛される本になることを祈ります。
ぜひ手にしてみてください。

よろしくお願いいたします。


2011 01 15 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

January 10, 2011

新春から東奔西走の日々

おだやかな新春になりましたね。
如何お過ごしですか。

僕は正月3日から博多に飛ばされて、早くも始動です。

博多はこんな冷たい雨が降っていました。

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画面右寄りを傘をさして走り出している後ろ姿わかります?
そう、あの間寛平さんです。
この日の朝7時45分にヨットで青島から到着して、記者会見やテレビの生中継を終えたあと、
さっそく博多市内まで約10キロを走り出したところなんです。

いや~インタビューしていても5分ともたずに「パンプキーン」なんてぎゃぐになっちゃうから
あんまりリアルに伝わってこないんだけど、
この人約2年かけて一日50キロずーっと走り続けて、地球一周してきたんですよね。
しかも太平洋と大西洋、そして真冬の東シナ海をヨットで横断したんです。
陸路と海路を合わせた地球一周は有史以来初めてのことだそうです。
すごすぎ。

で、もっとすごいのがよしもとのマネージメント。
この日は7時45分の到着から夜8時まで、ずーっと分刻みで取材や生出演、イヴェント等が入っていました。

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それを笑顔で乗り切る寛平さんも凄いけど。疲れはないのかな?

ま、これから数カ月かけて、彼のこの2年間の偉業を文字に刻む仕事が始まりました。
これまた大変なことだ。

で、5日には都内に戻って新年会を一つやって
翌日は雪国に向かいました。

1_3

待っていてくれたのは、、、、つーか僕が会いに行ったのは
この人、ガリガリ君ですよ。

この日はゲーム「モンスター・ハンター」とのコラボ企画で
新商品のサンプリングが行われていたのです。

場所は長野県渋温泉。長野電鉄の終点からさらにバスで約10分。
ひなびたいい温泉場でした。
もちろん取材前には共同浴場にも入ってきましたよん。

2月にはこのガリガリ君をはじめとして、子供たちに人気の商品の誕生物語を書くことになっています。
仮タイトルは『大好き、遊び、夢から生まれた大ヒット商品』
このフレーズ、気に入っているんですよね。
いい文章が出てくるはずです。

さてさて、頑張らなくちゃね。
今日も執筆だ~。

今年もよろしくどーぞ~

2011 01 10 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 02, 2011

半世紀少年、走る!書く!!呑む!!!~賀春です

Photo


皆さん、賀春です。おめでとうございまーす。

って、別にロンドンで新年を迎えたわけじゃありません。
地味に埼玉の実家で年越したのですが、ロンドン在住の長谷川君から
いただいた写真で新春を飾ってみました。なはは。
長谷川君ありがとう~。

今日僕はベルジュ初乗り。実家からBAZまで39・39キロを疾走してきました。
「さんきゅーさんきゅー」って、いい年になりそうですね。

途中で見えた富士山です。

2011

わかるかな~。小さな電信柱の右隣に見えているんですが。

さてさて今年は、なんといっても辻井伸行君のワールドツアーに帯同取材(をしたいな~)
という大目標があります。
まだどうなるかわからないんですが、媒体と交渉して(もう企画書は送ってあります)
事務所とも交渉して、伸君ともあれこれ考えて
ぜひいい形で実現したいと思います。

そしたらこの『熱血』でも「ワールド・ツアー生中継」できるかな。
技術的な問題がありますが、ま、なんとかチャレンジしてみたいですね。

皆さん、お楽しみに~。

冒頭のタイトルは、今年賀状を出させていただいた方に書いたメッセージ。
読めなかった方、こういう意味ですので、よろしくお願いしマース。

50歳で迎えた2011年。4月の誕生日には拙書『奇跡のピアニスト、辻井伸行誕生の秘密』(仮題)
が完成しているはず。今回は10代の少年少女たちという新しい読者との出会いにもなります。

そしてその先にはカンペイさんという、新しいテーマも待っています。

いずれの作品も、どんな文章が出てくるか、これまた楽しみです。

今年もバザールと神山典士と『熱血HP』をよろしくお願いいたします~。

2011 01 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 20, 2010

茨城県那珂2中の皆さん、どうもありがと~!!

もう先月のことになってしまいましたが、茨城県那珂市の那珂2中に行って、
2年生約80名を前にお話をする機会がありました。
テーマは『黄金の10代の宝物を職業にする喜び』

ピアニスト・辻井伸行君の世界での活躍、
100年前の明治大正期、日本人の誇りの伝承のために世界を闘い歩いた柔道家・前田光世のこと、
そして僕自身が14歳の時に体験したひとりぼっちのホームステイ体験と、その後に書いた作文の紹介。
14歳の体験が現在の僕の中で仕事としてどんなふうに息づいているか、等々。

誰もが10代の中で一つずつ、心の奥深くに大切な宝物を宿します。
そこからの歩みは、それが何なのか、どんな輝きをしているのか、
自分自身で自分の内面を探る旅になるんだと僕は思っています。
幸いにして自分で振り下ろす鶴ハシの先がその宝物にコツンとあたったら、
それを繰り返し繰り返しコツコツと掘り続けていくこと。

そんな作業が職業になったら、どんなに幸せか。どんなに醍醐味が感じられるか。
そんなことを語ってきました。

ちと難しかったかなとも思ったのですが、こんな感想文と記念の色紙をいただきました。
ありがとうございます。
ちと紹介しますね。

「たとえ目が見えないからといってあきらめてしまうのではなく、
その人生を決めるものを見つければ目が見えなくても楽しい人生を送れる
と思ったので、けしてあきらめてはいけないということがよくわかりました」(松本渉君)

「今回神山さんのお話を聞いた事で今の夢を職業にすることは大変だということを知りました。
それと同時に幸せだということも知りました。神山さんのお話を聞けてよかったです」(安島由唯さん)

「私は最近自分の夢について悩んでいました。でも神山さんはたとえ親や友達に反対とかされても、それが自分の個性であればかまわないということ。その言葉を聞いたときに、自分の悩んでいたことがすーっと抜けて気持ちが楽になりました。(略)神山さんは「孤独」の中で一人で旅に出るといいと言っていましたが、私はその孤独の中で努力したいです。どんなに辛くとも、このさきあきらめないと今日感じることができました。(略)私はこの先努力します」(市毛優衣さん)

「アメリカの方々のくらしや生活を知り、日本人の子供たちがどれだけ楽をしているのかがわかりました。
自分のお金は自分で稼ぐというのは、とても大変なことだと思いました。
ステイをしたことがないのでよくはわかりませんが、異国、異文化の方と接することも人間が生きていくには大切なことなんだと思いました。(略)私はまだ夢はないけれど、これから自分の好きなこと、やりたいことを見つけていき、自分にあった仕事、目標を見つけたいと思いました」(森田愛理さん)

「今回の話を聞いて、私たちの未来の可能性の大きさを改めて実感することができました。(略)私も私自身の夢に向かって頑張りたいです」(永山楓さん)

「両目の見えない辻井さんにとって「他人とコミュニケーションをとるためにピアノを弾く、
そして世界でピアノを弾く」、
こんなにも壮大な夢を10代で夢見て、その夢を今現実にしようとしているなんてとてもすごい事だと思います。(略)神山さんの取材した二人の日本人の生き方と、神山さんの取材に対する思いにとても感動しました」(津賀駿君)

いや~どうもありがとう。こんなふうに受け止めてもらえると、僕のほうが心の震えが止まりません。
今回の講演は10代の中学生生活の中のほんの一コマのはずですが、
彼らの脳裏や体内のどこかに留まっていてくれたらなと思います。
長い年月を経て、思いがけない発酵の仕方をすることもありますからね。

僕も彼らに恥ずかしくない生き方と仕事を残さないといけませんね。

もう一つお礼に、こんな色紙もいただきました。

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那珂2中2年生の皆さん、本当にありがとう。
出会えてよかった。
またいつか、どこかで会いましょう。
その日まで、元気で。
いい人生になりますように。

再会を楽しみにしています。

2010 12 20 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

December 07, 2010

16万回達成! 富田君ありがと~

昨日メールで、ライターの富田君から「16番目のキリ番を踏みました~」といただきました。

20101207


いやはや、忙しさにかまけてじぇーんじぇん知らなかった。
そんな数字になっていたんですね。

富田君、知らせてくれたありがとう。何かプレゼントを差し上げますね。

04年に始めてから足かけ7年ですか。
いつもいつも見ていただいてありがとうございます。

年末の仕事をなんとかこなして、2011年の正月を笑顔で迎えたいですね。

日本はいろいろひどい状況だけど、皆で踏ん張って、いい年にしましょう。

そうそう、この前『もしドラ』の作者の岩崎夏海さんにあって、いろいろ面白かったっす。
でもこの話はまたあとで。

さあ、今年もあと20日間あまり、しっかり乗り切りましょうね~。

2010 12 07 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 10, 2010

久しぶりにコンデ・コマ(前田光世)さんの雄姿が

先週の日曜日、読売新聞日曜版をごらんになりましたか?
うちは毎日新聞なので知らなかったのですが、友人からメールが。
「コンデ・コマさんが出てるよ」
なんて送られてきました。

この記事です。

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いや~うれしいですね。
久しぶりにメディアに登場するコンデさんの雄姿です。

弘前出身の記者が、同郷の偉人ということで書いてくれたもの。
冒頭とエンディングに津軽弁が書かれているんですが、僕には気づかなかった視点というか味わいで
やはり文章にもテロワール(地域性)があるんだなと再認識しました。

下段に拙書『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』も紹介されています。
もう13年も前に書いた本なのですが、
いまだにこんな形で生きていてくれるのはうれしい限り。
ノンフィクションの冥利につきます。

またあの雄大な雲が広がるアマゾンの空の下を歩きたいですね~。

2010 11 10 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 18, 2010

言語学の泰斗・鈴木孝夫先生のルポ、31日アエラ掲載(予定)となりました~

昨年の暮れからずーっと取材していた言語学者・鈴木孝夫先生のルポがやっとまとまりました。
一般にはあんまり馴染みのない先生だと思いますが、
あのたけしが「先生の本は面白い」と激賞したり、
85年には「言語戦略」という言葉で流行語大賞を受賞されたり、
岩波新書「ことばと文化」は上梓から40年近くたってもまだ読み継がれていたりと、
まさに日本を代表する世界的な言語学者なんです。

なんで言語かというと、少年時代野鳥が大好きで、鳥の学名を覚えることでラテン語の素養に目覚めたという
エピソードをお持ちです。そこから英語、フランス語、ロシア語等をマスターしたというのですから、インド・ヨーロッパ語の歴史的変遷を個人史の中で辿っちゃったという言い方もできますね。すご。

同時に、類稀なエコロジスト。
目黒区青葉台の自宅近くを散歩するだけで、いろいろ捨てられている物を拾ってきてしまうという「性癖」もお持ちです。

軽井沢の別荘を取材したら、こんな感じでした。

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Photo_2

上のトースターはドイツ製だそうですが、1926年の新婚当時のもの、
下の写真の棚に見える「峠の釜飯」は、いくつか集まると販売店にもっていくんだそうです。
「まだ使えますよ」って。売店の人はいい顔しないそうですが、でも使えるものは使おう、
無駄なエネルギーを消費するのは極力避けようという考えを実行されています。

なぜこんな行動を始めたかというと、少年のころにあれだけ愛した鳥類が、青葉台の自宅周辺だけでなく軽井沢でもめっきり減ってきているから。
環境保護を声高に叫ぼうにも、普通はそれを五感で感じることができないからいま一つ言葉や行動にリアリティが宿らないものですが、先生の場合は少年の日の記憶にしっかりとリンクしているから
こんな行動が始まったのだそうです。

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齢85歳になる今日のご興味は青山墓地に向いています。
「世界的に見て、仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教等の墓地が仲良く混在しているのは
この墓地しかない。珍しい」
という視点から。
今年発足した鈴木孝夫研究会「愛称タカ研」のメンバーを連れて
墓地を歩きながら解説してくれました。

Photo_4

お元気でしょう。ますますのご活躍を~

31日のアエラ、楽しみにしてくださいね~。


2010 05 18 [神山典士の仕事] | 固定リンク | トラックバック

April 13, 2010

もう一つのお誕生日、熱血eライブラリー

こんな感じで作業が進んでいます。
もうじき生まれてきますよ。
熱血eライブラリー。

Elibrary


アドレスは

http;//100-elibrary.com

よろしくお願いしますね~。

2010 04 13 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 11, 2010

ラオス、第二弾

今日もお届けします。
ラオス第二弾。
またまた子ども編です~。

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この子可愛いでしょう。
ウンパウン村で出会った子です。
一人にこにこしてくれたんですよね。
子どもは純真です。

でも、この村の小学校では、1年生では50人くらい入学しても、
5年生になると20人くらいに減っちゃうんです。
村には病院もないから、もちろん病死や事故死ということもあるんだけど、
何より多いのは家庭の事情で学校に通えなくなっちゃったり、
途中でタイやビエンチャン方面に出稼ぎに行っちゃったり。

お母さんが小学校を出ていないケースでは、出ているお母さんの子に比べて3歳までの生存率が10分の1というデータも聞きました。
やっぱり教育は必要なんですよね。当然ですが。

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2010 03 11 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 10, 2010

世界の最貧国の一つ、ラオスに行ってきました~

ラオスって国、ご存じでしたか?
ボクらフリーランス・ジャーナリストにとって、メコンデルタ一帯というのは、
ベトナム戦争の記憶が色濃い地帯です。
前に一ノ瀬泰造さんのことを書いたり、カンボヂアの彼のお墓を訪ねたりもしたのですが、
今回は、その隣国ラオス。
世界の最貧国の一つと言われている国です。

今は細かいことを書いている時間がないのですが、
ひとまで帰国報告。

たくさんの子どもたちの写真を撮ってきました。
みんなかわい~。
みてやってください。

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ここはラオス第二の都市、サワンケナートから車で約2時間、ウンパウンという村です。
こういう高床式の家がたくさん並んでいます。
人口は1300人程度。その中に小学校以下の子どもが約400人もいるということでした。

Photo_3

この子は5年生のウドンちゃん。
教室で先生が「日本語に興味がある人~?」と訪ねたら、一人だけ手をあげてくれた子でした。
やっぱり高床式住居で暮らしています。
そのキッチンはこんなです。

Photo_4

でもね。この村には電話なし、郵便制度なし、公共バスなし、テレビなしだから、ほとんど世界の情報は入って来ないんです。
そして村人はぜーいんこんな生活だから、概念として自分たちが貧困だとか貧しいとかの自覚は薄いみたい。
唯一あるのは、学校に行かせたいけれど靴がない着るものがないといった具体的な悩みでした。

小学校の旧校舎前で、全員集合してくれました。
Photo_5

秋になったら、ここに新校舎が建ちます。村人が総出でこの工事を手伝うんだそうです。

さてさて、どんなことになりますか。
続きはまた今度。お楽しみに~。


2010 03 10 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 10, 2010

「青」の熱血、大好評です。ありがとうございます~

HPリニューアルについて、たくさんをメールをいただきました。
べりべりさんきゅです。
一つ一つの言葉を糧に、また書いていこうと思います。

こんにちは~☆彡
お昼休みにHP覗きに行ったら、青くなってました。おおっ!
気持ちの良いブルーですね。ますますのご発展をお祈りいたします。
WHOの進藤奈那子さんて、NHKの「プロフェッショナル」にも出てましたよね
。あまりの大変さ加減に唖然としちゃいましたが、カッコいいなぁって印象に残って
ます。神山さんの文章楽しみにしてますね~♪

青に変えたとはいえ,相変わらずエネルギッシュですねぇ。
中期展望に基づくターンアラウンドなのでしょうかね。
この先のさらなる展開が,「赤→青→黄」なのか「赤→青→白」なのかわかりま
せんが,何事につけても健康第一ですよ。五十路を超えると思うに任せないこと
も増えてきますからね。

私は、実は、進藤奈邦子様の大ファンです。
実の弟様のことがきっかけで、お医者様になられ、その後、WHOの
メディカルオフィサーとして、インフルエンザの伝染をくいとめるお仕事を
なさっておられる方ですよね。男の子と女の子のお母様でもあり、とても
素敵な方ですよね。
取材の内容、とても楽しみです。
がんばってください!!

→進藤さんへのコメントが多いっすね。すご。こりゃジュネーブ取材が楽しみだ~。

赤から青 いいですね!
今年も、ますますのご活躍すね!
お身体には十分気をつけて!パワーをいつまでもいただきたいです

素敵な活動をされているんですね。
益々、神山様 と出会えたことを光栄に思いますし、
より一層よい刺激を受け、私自身も弊社も成長を
していきたいと思います。
今後とも、よろしくお願いします。

HP新装開店おめでとさん。
それにしても随分思い切って、さわやか系にしちゃったんだねえ。
自転車のポーズが決まりすぎ!視線の先には何が?
50歳を機にさらなる活躍、期待してます。
北海道サイクリングの計画も進めといてね。
ではでは。

→いきますよ~。真夏のツール・ド北海道。皆さん一緒に如何ですか~

HPリニューアルおめでとうございます♪
素敵です!

リニューアル、さっそく反響とはすごいですね。赤バージョンも衝撃的でしたが、今回は爽やかさと健康的なイメージが僕にはかなり衝撃的(笑)なのですが、最近の神山さんの動きを注視しているファンの皆さんにとっては、納得の新展開なんでしょうね。あ、心斎橋の新勝さん行きました。地元の子も知らないお店で、大満足でした。もちろん白子うどん食べてきました。おいしかったです。客も普通のおっさんから、ホストホステスとさまざまで楽しかったです。ありがとうございます!

→ディープ・オーサカを指南したんですよね。惣右衛門町の「新勝太郎」、美味しいっす。

益々ご活躍の様子 とてもうれしいし励みになります
わたしも新年より印刷所の仕事に加えてあまりよい仕事でないかもしれないのですがエコキュートの資料送付のアポを取り次ぐテレホォンアポインターの仕事を始めました
なにをするにしても人のなかで働くのが新鮮で嫌なことも経験と数えられるこの頃です

HPリニューアルおめでとうございます。
サイクルウェアを着て決めているポーズが素晴らしい。
専用のシューズも買いましたか?
さて、道志みちは智子さんのせいで残念でしたが、
この間に私は、1/31と2/7の2回、三浦半島一周コースに挑んでみました。
用賀から170キロ、8時間半コースでした。1回目は帰宅したら脚ガクガクで歩行困難状態。
2回目は慣れたせいか、ちと脚重い状態で終了。
やはり海辺の道は気持ちいいです。平坦基調で地獄の苦しみがないのがいい。
特に2/7は快晴で富士山がでっかく見えるポイントが多々あり、
疲れも癒されるなぁ、という感じ。

→すご! すごすぎ。春のツール・ド箱根、よろしくおねがいしまーす。

ニューHP、爽やかですね。
一瞬誰かわかりませんでした(笑)
ラオス、うらやましいです。
15年前に一度いきましたが、素晴らしい国でした。
またお仕事ご一緒できることを楽しみにしております。

HPリニューアルおめでとうございます!!!
「青」って爽やかさも狙っているんですか?
自転車の写真もいい感じです。
私は前のHPより好きですよ。
京都に行って来ましたが
誉田屋源兵衛さんのギヤラリ一は????でした
一般公開していない?又は日曜日はお休み?

元気そうで何より。
自転車に乗ってるみたいですね。
僕は、昨夏からジョギングを始めました。
そういう事をしないとなあって歳なのかな?
週3くらいで、5~6kmを走っています。ゆっくりね。
このゆっくり走るってのが若いうちはできなかったんだよね。

→そうそう、ゆっくーりですね。

お久しぶりです。
大雪が降って寒い!と思うと今日は暖かく春のようです。
神山さんのリニューアルされたHPをさっそく見ました。
熱いパワーいっぱいの内容に元気をたくさんいただきました。
元気になにかに向かいたいって思えるって久しぶりです。
ここのところ、子どもたちのことではない部分で
どんよりと人間を信じられなくなっていました。
ありがとうございます。
これからの活躍も楽しみにしています

HPリニューアルのお知らせありがとうございました。…冷静なる狂気を湛えた「青」へ…このフレーズに圧倒されました。夢、幻のようなこの現世を生ききる姿勢をお教えいただいたような気がします。自転車と一緒のお写真、かっこいいです(^^)。これからも楽しみに拝見させていただきます。ますますのご活躍とご健勝を心よりお祈りしています。ご自愛くださいね。

HPリニューアル、いいですね。
進化している感じがするし、前進する意欲にあふれる50代のスタート
が感じられます。
私もこの1月で50歳になりました。
40歳の頃、神山さんと飲んでいるときに「これからの20年は僕らの時代
ですね。やりたい放題ですね」というようなことを神山さんがおっしゃって
僕はとても驚いたことを覚えています。
僕は確か×××社に移ったばっかりのころで、果たして自分がここで通用す
るような仕事ができるのか、とか、世の中に受け入れられるような出版物、
売れるものが作れるのか、とかそんなことばかり考えていて、とても楽しん
でやろうというような余裕はありませんでした。
その40代もあっという間に過ぎ去り、勤め人としては、ゴールが見えるあ
たりまできていることに驚きます。ま、我が社は定年も何も決まっていない
し、そもそも、会社が10年後絶対にある保証もありませんが。もちろん、
絶対に残すべくがんばります。
ともかく、これからの10年、神山さんとご一緒に楽しく走っていけたらと
思います。(ついて行くだけで精一杯かも、笑い)
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします

HPリニューアル拝見しました。迂闊にも神山さんの姿を今回初めて拝見しました。元気で逞しい感じがしました。写真で見る自転車と共にある生活は力強さがあります。同類の作家の中では山本一力さんを思い浮かべました。
 さて、50歳になられ「肉体的、体力的、酒量的な衰えはまさに歳相応を自覚」されたそうですが、そんな弱気っぽいことを言わず益々お元気に活躍していただきたい、と思います。神山さんの迫力があり或る種の美味しさを感じる文章力は魅力のあるものです。
 ところで、今日偶々横浜市立図書館に行き、神山さんの本がどのくらいあるか調べたところ、勘定するのが面倒なほどありました。…ということは神山さんのお仕事は社会的にも重要になっていることを意味すると思います。いつか時代が来て神山さんのお仕事のようなノンフィクション部門の賞が作られたら真っ先に受賞することでしょう。
 私は今月末に69歳となりますが、神山さんの活躍を陰ながら期待しています。

おめでとう!
立ち上げてからますます活躍してる感じがするよ。より以上を願って、爽やかブルー。良いじゃん。
特に。オレには特別なHPになったしね。
今年の年頭は例年に無く受注が多いし、HPに恥じぬよう負けぬよう、がんばるよ。
「選ばれる」
側になるべく、頑張ってきたんだしね。
ファンレターは、事務所をとうしてね。これで、バザールの一員だから。
ははは

→このメールは、鳥海山の山頂写真で登場してくれた盟友小沢君でした。
個人的にファンレターがある場合は、バザール気付にしてください。いまんとこは一通もありましぇんが。なはは。
そこんとこ、よろしくどーぞ。

2010 02 10 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 03, 2010

『熱血』ホームページ、間もなくリニューアル!!

2004年10月に開設してから、6年目を迎えるこのホームページ。
お蔭様で多くの方に愛読していただいています。
いつもありがとうございます。

今年神山は50歳を迎えることもあり、まもなく、このホームページもリニューアルすることになりました。
その触りだけご紹介しますね。

Photo

熱血も赤からブルーへ。
冷静な情熱で、ここからの人生後半戦を乗り切っていきたいと思います。

ひとまずは、5月刊行予定の『清志郎伝』を仕上げないといけませんね。

頑張ります~。

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December 26, 2009

2009年、お世話になりました。来年もよろしく。皆さんよいお年を~

年の瀬、如何お過ごしですか。
BAZAARはひとまず本日で年内の活動を打ち上げます。
今年も一年間、本当にいろいろありがとうございました。
この「熱血」ブログも09年秋で丸5年。
延べ14万人余りの方に見ていただいています。
本当にありがとうございます。
こんなにも文章を書くことで人生を彩れるのは、皆さんのお蔭です。
神山には生業としてのライターという面もありますが、「書くことが生きること」という意志表明の場として、
これからもこのHPを大切にしていきたいと思っています。
来年2010年もよろしくお願いいたしまーす。

んで。
新年には熱血HP大リニューアルも計画中。
今準備していますから、ちとお待ちくださいね。
ぶっとびますぜ。なはは。

BAZの2010年、年始は元旦から始動します。
アエラのY口智子さんとの連載、というか連動もいよいよ丸1年を迎えます。
今号のアエラ(合併号、福山雅治君が表紙のヤツ)、見ていただけましたか。
智子さんと京都を訪ねた職人探訪ルポが載っています。
今年みていただける神山の最後の仕事です。
楽しんでいただけたら嬉しいっす。
来年は2月に金沢取材、そしてもう一本。「軸」の連載の最後にオランダ・ライデン取材を計画中です。
「遠く西のはての国に、もう一つのジャポンがひっそりと息づいている」
そんなレポートが書けたらなと思っています。

プレジデント・ファミリーでは、09年にすっかり時の人になった辻井伸行君のお母さん・いつ子さんと
「子育て対談企画」を仕込み中。
こちらもいろいろな方との「邂逅」の場になりそうです。楽しみ楽しみ。

新春早々には、07年に「フリーランス20周年記念出版・日本の職人」を編んでくれたDANの滝川君と、
「日本の電報史」というルポを書くことになりました。
昨日、山のような資料をもらってきたんですが、いつ読むんでしょ。なはは。
ま、彼女との仕事ですから、マイクを握りつつ手を抜くわけにはいきません。ふふふ。
どんな文章が出てきますか。これまた楽しみだ。

そしてそして。
いよいよ2010年には、これまで約8年間に渡って書き続けてきた日本のフランス料理史3部作の3作目、
『幻のレストラン』(仮題)の取材執筆に取りかかれそうです。
時は60年代。まだ民間人には渡航制限とドルの持ち出し限度枠があった時代。
銀座にパリの超一流レストランがそのままやって来るという事件がありました。
初代料理長は、来日前までミシュランの2つ星を持っていたピエール・トロワグロ。
彼は約半年間日本に滞在してその腕を余すところなく発揮していきます。
そして帰国直後、現在まで40年以上続く3つ星を獲得するわけです。
つまりこの時代、日本人はフランス本国以外で唯一3つ星の料理を味わえたということにもなるのです。
そこにはどんな舞台裏の格闘があったのか。
どんなお客様がいらして、どんな感動があったのか。
この作品では、お客様とのエピソードを中心に描きたいと思います。

これが完成したら、昭和初期から今日までの日本のフランス料理史が完成します。
第一部『初代総料理長サリー・ワイル』では、昭和2年から戦争を挟んで70年代に第一次黄金時代を築くことになる若手シェフの留学時代までを描き、
第三部『情熱のシェフ、南仏松嶋啓介の挑戦』では、フランス本国で「独りぼっちのアウェーの戦い」を続ける若手シェフの姿を通して、今日の最先端のフランス料理界を描きました。
そして今回の作品は、第二部。
60年代後半から80年代にかけて、高度成長の下、奇跡的に生まれた幻のレストランに集まった人間たちの姿が描けるはずです。

さーて。どんな取材になりますか。どんな人とであえますか。どんなエピソードが採集できますか。
ボクにもなーんにもわかりましぇん。でも必ず、必ず、出会えるはずです。
そう信じて、コンクリートの街に歩み出したいと思います。
どうか応援を、よろしくお願いいたします。
(あ、そうそう。まだ版元が決まっていません。独力での船出です。編集者の皆さん、今ならお買い得でっせ。
なはは。こちらもよろしくです~)

ということで。
最後に、予告編を。
Photo

ふふふ、2010年の神山はこういうことです。
一緒に走りまひょ。
合言葉は「人生に場外なし」
どうぞよろしくお願いいたします。

皆様、よいお年を~。

2009 12 26 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 24, 2009

メリークリスマス&2010年BAZAAR新年会のお誘い~

09年のクリスマス、如何お過ごしですか。
今年もいろいろお世話になりました。
仕事でご一緒できた方もできなかった方も、来年2010年がよい年になりますように。
新しい年に何かご一緒できたら幸せです。

今日、厳冬の八戸から、洞内康平君の作品が二点も届きました。
今年秋に八戸に伺ったときに、サバのお店で初体面。
今まではお姉さんからの情報や絵を送ってもらっていただけだったのですが、
明るい笑顔が素敵な少年でした。
そこの店主とも意気投合して、サバの絵を描いてくれました。
Photo

康平君、べりべりさんきゅね~。
2010年もまた、素敵な作品をじゃんじゃん描いてくださいね~。
期待してますよ~。

ということで。
2010年のBAZAARの年始めの会は、(せめて)景気よく銀座からとしてみました。
いつもの板橋銀座じゃござんせん。本物の銀座です。なはは。
1966年創業の7丁目カウンターバー「のぞみ」
ここではなんと60年ものの「山崎」が味わえます。
時は1月7日木曜日。6時~、7時~、8時~と3つのスタート時間を設けました。
銀座ですので小粋にサクッと飲んで楽しく笑ってサッと切り上げる。
そんなお洒落な大人の会にしたいと思います。
各回6席をいただいています。お仲間やご家族、恋人愛人等誘っていただいてOKです。
先着順で受け付けますので、新年の計画がお決まりの方、銀座の老舗バーを味わってみたい方、縁起物の神山と飲んでやるかという奇特な御方。メールをお待ちしております。
会費は、のぞみ名物のクリームスープ+コロッケ、ピザ、トーストサンド等一品付き、お酒はフリードリンク制で男性6000円、女性4000円。足りない分はBAZAAR負担とさせていただきます。

「のぞみ」銀座7-2-9平山ビル1階。03-3571-2894
(リクルート7丁目ビルの真裏です。旧電通通りとコリドー街の間の道(数寄屋通り)沿いです)

※尚、当日「酔っていなければ」という条件付きで、9時スタートの「特殊学級」もございます。神山が酔っぱらっていたら追い出されてるかもしれませんが、遅い時間でもしらふだという方、お顔を見せてやってください。

どうぞよろしくお願いいたします。
皆様、よいお年をお迎えくださいませ。

神山典士『熱血ライター』http://the-bazaar.net
〒173-0001板橋区本町36-1-703・ザ・バザール
電話03-5248-0811ファックス5248-0810
Mhd03414@nifty.com

 

2009 12 24 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 29, 2009

11月の神山です。

11月もあと二日ですね。早い早い。
今月はあんまりアップできなかったので、ダイジェストで今月の神山を。
んなの見たくないという方は、ま、ほっといてください。なはは。

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まずはPTAの親子ソフトボール大会からかな。
15日、学習院大学のグラウンドで開かれました。
練習も10回はしてきたでしょうか。
子どもたちは当初から比べるととーっても上達してくれました。
見事に2回戦突破。
でも3回戦で負けてしまいました。じゃんねん。
また来年、がんばろうね~。

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某日、新潟県十日町の鉢という集落で、歌手のトキコの結婚式。
東京は晴天だったのに、トンネルを抜けたら雨で寒い~。
でも旧真田小学校体育館は、部落中の人たちと遠方からやってきた友人知人たちで
盛り上がりました。
ご主人は大道芸人、というか14歳からスペインでサーカス修行をしてきたコウタさん。
いきなりパフォーマンスもみせてくれました。
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かっちょい~。
トキコのお腹には2月誕生予定のベイビーも。
お幸せにね~。
また遊びに行きますね~。

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某日、京都に二泊三日で滞在。
4人の素敵な職人さんとあってきました。
これは御所人形かな。
清水寺の近くのお店です。
この近くに絶品の洋食屋もありました。
まさに錦繍の都。
この季節を堪能してきました~。
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某日、家人のお祝いで、原宿のケイちゃんのレストラン「I」へ。
この日はケイちゃんはフランスでしたが、神保シェフが美味しい料理でお祝いしてくれました。

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これは、この店のスペシャリテ、江戸野菜のテリーヌ。
品川蕪とかなんたらニンジンとか、昔ながらの野菜が絶妙なバランスでテリーヌに。
もちろんフォアグラも入っています。
この白味噌をつかったソースか美味しい!
ちょっと重目の白ワインにあわせたら最高でしょうね。
ボクはもっぱら赤ワインですが。


某日、ベルジュで快走快走。荒川沿いを海まで走ってきました。
同伴は信大障害者問題研究会時代の先輩、青田さん。
自転車でも先輩で、ブリジストンのいいやつを持っています。
速い速い。かるーく35キロはいけますね。
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某日、ベルジュの一カ月点検で四谷まで走った帰り、ふと思い立って大久保の交差点を左折。
最近「クラブNG」という店をやってくれる宇野ちゃん夫妻の家を急襲しました。なはは。
この家はエレベータがないから、4階まで階段をえっちらおっちら。
そしたら案の定りえちゃんはすっぴんでててきてくれて大受け。なはは。失礼失礼。ヨウスケ君も在宅で、
ベルジュのお披露目になりましたん。
なはは、許せ友よ。
そしてふたたび階段を歩いて下りて、ベルジュは街中に走り去って行ったのでした。
そしてそして、またまたそこで事件に遭遇。

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どーっすかこれ。池袋芸術劇場前に現れた前衛芸術家たち、じゃなくてふつーのおやじたちです。
テント・カフェなんですが、突然踊りだすんですよね。これらが。とほほだ。
ちと自意識過剰の感じが鼻につくんですが、ま、イー味だしてました。
12月の土日もやってます。友人の得丸さんがでています。つーか、配膳しています。
ぜしに。

某日、春日の集会場で「第一回、谷川雁研究会」
約70名程度が集まって、大盛会となりました。
言語学者の鈴木孝夫先生もご出席下さって、ラボ発足当時の雁との関係性を語ってくださいました。
来年ご縁があったら鈴木先生のことも書かせていただきたいと思っています。

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某日、京都取材の折り、向こうに住む信大時代の旧友と会って、一時楽しいときを過ごしてきました。
そこに松本からわざわざ駆けつけてくれる友もいたりして。
それぞれアラウンド50歳ですが、元気元気。
しっかりと生きていることを確認して、泥酔状態で別れたのでした。なはは。松本時代となーんもかわらん。

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某日、PTAのパパさんバレー大会。
いや~、この大会のレベルはすげー高いっす。
現役のお父さんというよりも、助っ人たちのスーパープレーの闘いですからね。
予選リーグ2試合、決勝リーグ2試合。
全て失セットなし、全勝で優勝しましたぁ。
といっても、ボクは2試合、ムードメーカーで出ただけですが。
ま、よかったよかった。肉日も翌々日も筋肉痛もなし。なはは。まだ油断はできませんが、こちらも何よりです。

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某日、雀鬼会、全国大会。
今年でボクは見させていただくのは3回目ということに。
一般見学も許されたので、何人かの友人も来てくれました。
いや~。100人以上の雀鬼がいっせいに打ち出すのは壮観壮観。
夜の宴会まで、ノンストップで走りきりました。
各地からやってくるメンバーは、会長と袖刷りあえることが嬉しくてしょうがないんですよね。
その純な思いが伝わってきて、こちらも一時清々しい感じになります。
会長、皆さんお疲れさまでした~。
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そして30日からは、このメンバーで韓国・安東に行ってきました。
韓国でも幻の布になりつつある大麻布。
行ってみると、この地ではまだ紡績用に大麻が栽培されていて、何人ものおばちゃんたちが糸積み作業をしていました。
でも極上の15升という糸を積る人は、もう二人しかいないとか。
この貴重な糸を機械で積るかどうか。
これから近藤さんをはじめとする多くの日本のエンジニアの闘いが始まります。

ということで、11月のごくおーざっぱな神山アクションの紹介でした。
なんか田舎町の雑貨屋つー感じでしょ。ま、それがいいと自分では思っているんですが。
12月はどーなりますか。またよろしくどーぞ。

2009 11 29 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 20, 2009

アエラ・ジャックに成功しましたぁ!!

今週号のアエラ、ご覧になられましたか。
伊達公子さんの爽やかな笑顔が表紙ですが、
実はその中味は、ボクのてがけた記事が3本も載っているんですねぇ。

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一つは「現代の肖像」の辻井伸行君。
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初夏に行われたコロラド州アスペン音楽祭に同行取材したことを中心に、
この10年間行ってきた取材活動の一つの集大成となりました。
どうぞご覧くださいませ~。
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もう一つは、拙書
『人生の大切なことはすべて雀鬼に学んだ』の書評を、
担当編集の長瀬君が書いてくれました。
べりさんきゅです。

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彼女は先週、鳥海山に登ってきたとか。
やりますね~。
これからもよろしくね~。

そして3つ目は山口Tさんと連載している『かけたくなる軸』
外山さんの素敵な写真と共にお楽しみください。
こちらも読者には大好評で、11月には京都にスペシャル取材に行くことが
決まっています。
そしたら中ページで特集を組んでもらえそうです。

いや~、アエラには今年は随分お世話になってます。
ありがとうございまーす。
皆さん、ぜしぜし見てやってくださいね~。


2009 10 20 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 14, 2009

『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』、世界中で読んでいただいているようです

「わたしたちの40年」というサイトをご存じですか?

http://groups.yahoo.co.jp/group/watasitatino40nen/

これは、ブラジル・ポルトアレグレ市在住の和田好司さんが主宰されている、
南米移住者を中心とするサイト&メーリングリストなんです。
40年前、和田さんは早稲田大学の移住研究会(そんなサークルがあったんですねぇ、しみじみ)
を出て、ブラジルに渡られました。
その時の同船仲間や、その世代の方々がこのサイトに集まっています。
今やそのネットワークは南米だけでなく世界に広がって、
毎日毎日北米やヨーロッパ、そして日本からもたくさんのメールが飛び交っています。

その中のあや子さんという人が、拙書『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』を読んでくださって、
どこかに感想を書いてくださったようなのです。
ボクはまだその文章を見つけられていないのですが、
和田さんが以下のような返信を書いて下さっています。


「あや子さん
前回の猪熊 功と今回のコンデコマ(前田光世)の二人の柔道家を描いた神山典士さんの本の読後感有難う御座いました。著者の神山さんのコメントを聞いて見たいですね。ブラジル、チリ、オランダを回り読み継がれている神山さんの著書、次はどなたの所に回るのでしょうか?どなたか読んでみたい方がおられたらお知らせ下さい。神山さんの処女作、コンデコマの本は確か絶版になっているようです。96年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」 (小学館、第三回ノンフィクション大賞優秀賞作品)

来週から前田光世が活躍した北伯アマゾンの日本移民80周年の記念式展に参加のためにベレン、トメアスー、マナウスに出かけます。コンデコマのお墓がベレンにあると聞いおり行って見たいですが分かるでしょうか?

神山さん もしこのメールが目に留まっているようであればコメント下さい。DMも入れて置きます。また近作の紹介をお願いします」

嬉しいですね。
遥か明治時代、日本と日本人の誇りを背負って世界各地を渡り歩いたコンデさんの意志が
今、書籍という形になって、再びこの地球上を歩き廻っている。
もう10年以上前になりますが、ブラジル、アマゾン、イギリス、スペイン、そしてキューバと歩いて取材したあの日々を思い出します。
一つの仕事がこんな形で評価されるのは望外の喜び。
時代を越えて読み継がれてほしいと願います。

和田さん、あや子さん、ありがとうございます。

2009 10 14 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 05, 2009

『いいんだよ、そのままで』シンポジウム報告

本日11時~、世田谷キャロットタワー内で、アトリエ・エレマン・プレザンの美術展覧会「いいんだよ、そのままで」が開幕しました。先生ご夫妻が書かれた『いいんだよ、そのままで』(アスコム)の出版記念でもあります。
最初のプログラムは、主宰の佐藤先生ご夫妻と、ゲストの辻井いつ子さんとのシンポジウム。
ボクは司会を務めさせていただきました。

いや~、それにしても後ろの大作はすごいでしょう。
志摩のメンバーが共同製作をしたのだそうです。すげー、大迫力。事件的な作品ですね。
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会場には、午前中にもかかわらず、超満員立ち見まで出るほどの方がいらしてくださいました。
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みなさん、ありがとうございます。

子供の才能を如何に引き出すか。
親が、どれだけ才能の発露を「待つ」ことができるか。
環境を整えることの大切さ。
親自身が変わっていかなければならないこと。

佐藤先生も、ダウン症の作家たちの創作の様子をいきいきと語ってくださいました。
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展覧会は今週一杯続きます。
ぜひ足をお運びください。
連日5時までやっています。
エレマン・プレザン・スタッフによるワークショップもあります。

どうぞよろしくお願いいたします。

2009 08 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 02, 2009

さーて今日は、のぶりんではなく、神山典士in Aspen 編を。

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まずはこれからですね。
なんじゃこりゃ???って思うでしょ。
男物の浴衣をマントみたいに羽織って、その下に帯しめて、男物の下駄ですよ。
これじぇーんぶ、ボクのもんなんです。
アスペンは本当に浴衣が気持ちよくて、ほぼ毎日着ていたんです。
そしたらある日あるホテルのロビーで、ボクを追いかけてくる女性がいるじゃないですか。
それがこのナンシーでした。
「きゃー、まぁ素敵、美しい、かっちょいい、どこで買えるのこれどこで買えるの?」
なんてまくしたてるんです。
本当に気に入ってくれたみたい。
んで、あんまり瞳にいくつものハートマークが輝いているから、
「んじゃボクは明日帰るから、明日あげようか」と言ったんです。
そしたら「あら、私たちも明日帰っちゃうから会えないわ」となっちゃって、
「んじゃ今から着替えてくるから待ってて」という展開に。
なんともお人好しでしょう。とほほ。

でもね、その晩、ボクはのぶりんたちと食事して夜の街を徘徊していたら、
目の前をボクの浴衣がゆらゆらと歩いているではないですか。
なんとまたまたナンシーにあっちゃったんです。

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いや~、偶然もこう重なると何か縁を感じますね。
でも嬉しかった。
あれほど「着る前にはクリーニングしてね」と言ったのに、
嬉しくてすぐに着たくなっちゃったんでしょうね。
着こなしも自己流だけど、かっちょいい。ジュエリーデザイナーだとか言ってたな。
ま、せいぜい着ていただいて、日本のPRをしてください。
浴衣って、ほんとアメリカでもヨーロッパでも受けるから、じゃんじゃん向こうに輸出したらいいのにね。
日本人が旅行に行くときは、必ず持っていくようにすれば、うけますよ~。新しい輸出品目になるのにね。

んで、ノリオ・イン・アスペン編は、こう続きます。

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これはロケハンですよ~。ロープウエイの山頂の景色です。
4000メートル級がごろごろしてました。
山歩き好きにはたまりませんね。

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なはは、これもお約束。
クラブセットは持っていきませんでしたが、グローブとティーは持っていくという、内緒話でした。うふふ。

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左はボランティアスタッフのアイーシャ。
60回の歴史を誇る音楽祭で約2カ月開かれているのに、スタッフの数が少ないんですよ。
みーんなボランティアで廻しているのかな。
この辺も素敵ですね。
色々お世話になりました。さんくす・あすぺん。しー・ゆー・すーん!

2009 08 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 15, 2008

黄金の10代の記憶に生きる~母校豊岡中の後輩たちから感想文をいただきました

「大切なモノ、大切な人、人それぞれ違うけれど、大切なモノや人がいるから夢に向かって行けるのかなと思いました。私のたいせつなモノ、人はもしかしたらすでに私の中にあるのかもしれません。それを見失わないように、身の回りのモノや人を大切にしていこうと思いました」(山本郁美さん)

11月4日に行った母校・豊中での講演会の感想文をいただきました。
3年生全員150名あまり。いやはや、すごい量です。
皆さんありがとうございました~。

当日はこんな感じでした。
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体育館で150名を集めて1時間話すってけっこう大変。
しかも相手は多感な14、15歳ですからね。興味のない話しなんて聞きたくないでしょうしね。

そこでボクは、途中で何回も質問戦術にでました。なはは。マイクを突きつけられると、人は話さないわけにはいかないもんね。
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質問されちゃった人、ごめんね。でもみーんな瞳をキラキラさせながら聞いてくれてましたね。
「歌手の絢香」とか「F1の佐藤琢磨君」とか、みんなが知っていそうな人たちの「10代」の話をしながら、
「10代の時の体験の大切さ」を語ってきました。
でも実際に今10代を生きている少年少女たちに「10代が大切だ」なんていっても通じませんよね。
ま、そこであれこれ工夫してたわけです。
途中は僕自身が14歳の夏に書いた作文も紹介したしね。なはは。
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この作文はボクの宝物ですね。ほんとうに。よく残っていたもんだなぁ。
「ボクは向こうで恥ずかしくなりました」という一文があって、そこが肝なんすよ。
いつか機会があったらここにもアップしますね。
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会場の後ろには保護者席もあって、7、8名の保護者も来てくれていました。
その中に旧友夫妻がいて、それも嬉しかったな。
ボクにとっての10代の宝物。その一つに、彼らとの友情があることを最後に語ることができました。
今も入間市には、たくさんの心を通わせた友がいます。
中学校世代の友情は不変ですよね。
そのことを、ボクらの子供たちの世代に語れたことが、とても嬉しい。
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最後はこんな花束もいただきました。
どうもありがとうございました。

感想文にはいろいろな声が刻まれています。
じっくりと読ませていただこうと思います。

豊中の後輩たち、どーもありがと。毎日、充実した生活が送れますようにね~。


2008 11 15 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 05, 2008

あぁ、テレビよテレビ、アゲイン

昨日はまたまた、はからずもテレビ君たちと付き合うはめに。
ま、日頃人様に話を聞かせていただいて文章を紡いでいるものですから、こちらから取材を拒否するのも卑怯だなと思って、パンチドランカー状態でした。とほほ。
そういえば、前にもこんなことがあって、こんな文章を書いたのでした。
ま、みてやってください。

「あぁテレビよ、テレビ」

「突然なんですが、モーニングショーにコメンテーターとしてご出演いただけませんでしょうか」
 本当に突然のこと、ある日事務所にこんな電話がかかってきました。
「はぁ?ぼくがですかぁ?何でぇ?よほど人材がいないんですね」
 答えようがなくてそう言うと、相手はきっぱりといいました。
「はい。そうなんです」
 あぁ、テレビよ、テレビ。
 つまりこういうことなのです。
 巷で話題の和泉元弥の宗家継承問題をワイドショーの中で生討論したい。過去の資料を当たっているうちに、神山の書いた記事も出て来た。出席者は6名。もし神山が出てくれないと、誰も元弥にあったことがないまま議論が進むことになる。
 あぁ、テレビよ、テレビ。

「つまりそれは、松山千春になれってことね」
 僕が訊ねると、人のよさそうな若いディレクター君がこう言います。
「いやぁー、そういうことじゃないとは思うんですが。議論が盛り上がらないと視聴率が取れないので、、、」
 あぁ、テレビよ、テレビ。

 その夜、いつもの「明星」で呑んでいたら、偶然その番組を観ていたという人がいました。
「あれってあなただったの。皆批判的だったけど、あなたは客観的な発言でよかったわよ。元弥さんて、生れながらにして苛められ続けてきたのね」
 と、ここまではいいのですが。続けて、
「でも、元弥には反抗期がなかったとか、お姉さんが生まれた時に誰も喜ばなかったとか、そんなプライバシーまで言ってる人もいたわよね。あれは酷いんじゃない」
 ふー。
 それって僕の発言なんす。
 あぁ、テレビよ、テレビ。

 一カ月ほど前、富良野で語られた倉本聡の言葉を思い出します。
「テレビ局は知ってるんですかね。気象情報で台風は北に逃げましたって平気で言うでしょ。北海道はこれから来るっていうタイミングでね。自分達か中央で、自分達が中心だということを無自覚に肯定しちゃってるんだよね。あれが板橋区とか多摩の奥とかにあったらずいぶん姿勢も変わるんだろうけどね」
 そういえば昔、富山県に住む友人が怒っていたことがありました。
「テポドンが日本列島を通過して太平洋上に落ちましたって騒いでいるけれど、あれは二発目で、一発目は日本海に落ちたのよ。富山県の目の前よ。その時は何にも騒がなかったくせに、、、、」
 あぁ、テレビよ、テレビ。

 午前八時十五分からの打ち合わせに参加してみると、そこにはもうそれぞれの大まかな発言内容が書き込まれた台本と、「宗家、宗家」と連呼する元弥親子をおちょくったVTR素材ができていました。そのVTR明けには必ず僕の発言が、、、、。「これって、ずいぶんな割り振りですよね」
 ひきつった笑顔で言うと、ベテラン・ディレクター氏が言いました。
「ははは、他に実像を知っている人がいないんで、、、」
 ふー、テレビよ、テレビ。

 たった二十分の打ち合わせ。何十人ものスタッフが詰め込まれた狭いスタジオ。黒塗りのハイヤーでやってきたコメンテイターたち。出番直前、プロデューサー氏が冗談まじりにいいました。
「もし途中で宗男逮捕の報が流れたら、このメンバーでそっちの討論にしてもらいますから。ははは」 わけのわからない環境の中で、一つの世論が捏造されていきます。
 本番になって気付いたのは、インパクトのある言葉をいかに印象的な部分で語れるか。それが電波芸人の腕の見せ所ということでした。さすがは梨本。CM前の十秒でとっさに言葉を詰め込みます。
「ドタキャン騒動の時も、節子さんは「元弥は時空を越えています」っていうんですよ。そりゃなんなんでしょうか」
 一堂笑って無事CMへ。お見事。でもそれって、自分のインタビューで採った言葉なのかしらん。誰かのインタビューの引用なんじゃないのかなぁ。他人の言葉も一度メディアにのったものは平気で自分の言葉にしてしまう。それもまた芸人のなせるわざ。
 いやはや、テレビよ、テレビ。

 ところがこれを書いているたった今、ディレクター氏から電話がかかってきました。「一昨日はお疲れさまでした」という彼に、思わずこんな言葉が口をついて出ていました。
「で、視聴率どうだった?」
 はははテレビよ、テレビ。こんな僕にもしっかりとその毒は巣くっているのです。
 あぁ今日もまた、誰かがどこかでこんな電話に驚いているのでしょう。
「突然なんですがご出演を、、、、。他に人がいなくて、、、」

 いやはや、テレビよ、テレビ。
 あなたは一体、何様なの?

この文章は以前親しい人に送っていたバザール・エクスプレス。
このページ内にありますので、お暇なときに見てやってください。よろしくどーぞ。

2008 11 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 02, 2008

黄金の10代の記憶に生きる~尾張瀬戸の船橋Pに行ってきました~

昨日は名古屋に出かけて、尾張瀬戸の船橋先生主催の講演会がありました。
テーマは『黄金の10代の記憶を生きる』
去年暮れからずーっと考えたり取材したりしてきた、「10代論」を語ってきました。
13時から保護者のみなさんへ約2時間。
16時から小学生から大学生までの子供たちに約2時間。
テーマは一緒ですが、大人と子供では視点も違うし興味の持ち方も違うし語り口も変えないといけないし、
あ~しんど。たはは。
でもいづれも楽しい一時となりました。
出席下さった皆さん、べりべりさんきゅ~でした~。
子供たちはこんな表情です。
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ふみかちゃんななせちゃんかんすけくんしゅんくんじゅんぺいくんゆりちゃんえりちゃんひらのくん(何故名字なんだ?)まりちゃんあかりちゃんかおりちゃんりゅうとくんひよりちゃんただゆきくん
そして船橋由佳利先生とお母さんたち。
ありがとうございます。
子供たちは本当に素直で、1時間半にもなっちゃったんだけど、しーっかり聞いていてくれました。
そして感想文もしっかり書いてくれて---
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お礼にサインなんてしちゃったり---
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なはは、楽しい一日でした。
そのあとすこーしお酒もいただいて、帰りの新幹線ではぐっすり。
あ~心地よい疲れでした~。
またどこかでお会いしましょうね~。

2008 11 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

September 27, 2008

「黄金の10代の宝物」を語る機会をいただきました~愛知県瀬戸市の皆さん、お会いできるのが楽しみですね

今年の夏、35年ぶりに長野県・黒姫にあるラボランドでのサマー・キャンプを体験してきました。
そこはかつて10代のボクらの聖地であり、のちのアメリカ・ネブラスカ州でのホームステイ体験の出発点
となった地でもありました。
現役の10代の少年少女たちのパワーに圧倒され、脳裏に次々と甦る10代の記憶につき動かされながら、
ボクはそこで同じ時を過ごしていたラボの先生たちに「黄金の10代の宝物を生きる幸せ」とうテーマで約40分の話をさせていただきました。
~最近取材した30代の若者たちの中に生きる10代の記憶
自分自身の原体験となったアメリカ・ネブラスカ州のホームステイ体験
信州大学の学生たちに語った「黄金の10代の宝物を職業にする幸せ」、等々~

その時に生まれた言葉がご縁で、この時その場にいらしていただいた愛知県瀬戸市の船橋先生が
以下のような催しを企画してくださいました。
今度は同じ10代の子供たちを持つ保護者の皆さんに、そしていままさに10代を生きている子供たちに、
語りかけてこようと思っています。

さてさてどうなりますか。
中部地方にお住まいの皆さん、お時間ありましたらお顔を見せてくださいませ。
よろしくどーぞ。

「ラボ・舩橋由佳利パーティ 秋の拡大父母会
黄金の10代の記憶を生きる
~ 10代の異文化体験、出会いが、人を成長させる! ~
主催:ラボ・舩橋由佳利パーティ
        後援:ラボ教育センター 中部総局

「人間にとって10代の記憶は、欠くことの出来ないとても大きなものなのです。
10代に何を体験するか。    誰と、どんな言葉と出会うか。
その記憶は、時がたてばたつほど心の中で存在感を増してくるようです。」

神山典士さんが、ご自身のホームページの中で、おっしゃっていることばです。“10代の記憶”、あるいは、“10代の体験”が、若者の職業観に色濃く影響していること、それは地に足がついた職業を選びがちな現代の若者もしかり。
神山さんの視線は、大人になった“その人”が、生きていく上で核となっている体験へと遡ります。そこから見える、10代の子ども時代への思いとは?
神山さんは、現在、小学4年生の女の子のラボパパでいらっしゃいます。また、ご自身の10代の体験として、ラボっ子時代ネブラスカ州への国際交流を体験されました。今夏は35年ぶりにラボ黒姫サマーキャンプに父母参加、10代のラボっ子の生の姿を間近で見つめていらっしゃいます。ラボランドで呼び覚まされた、神山さんの記憶、今の子どもたち、親への思いとは?
ラボ活動をよく理解してくださっている神山さんからのお話をじっくりおうかがいする絶好の機会です。ぜひ、ふるってご参加ください。heart04

11月1日土曜日13時~、
瀬戸市瀬戸蔵会議室
名鉄瀬戸線「尾張瀬戸駅」下車歩3分」


2008 09 27 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 25, 2008

この夏の宝物~黄金の10代の記憶

先週でしたか、一通の封筒を手にしました。
そこには、この夏最高の宝物が入っていました。
それは、今年の春信州大学に残してきた言葉達が確かに大学生たちに届いたという証拠であり、
この夏自分自身が実感した「黄金の10代の力」を再確認させてくれるものでもありました。

信州大学での二回の講座の中で、ボクはこんな話をしたのです。
「黄金の10代の宝物を職業にする幸せ」
「株式会社を遠く離れて」
それに対する学生たちのレポートには、こんな言葉が刻まれていました。
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「未来の自分の姿を想像しようとすると何か希望があるわけではないために漠然として辛くなってしまうというのが現状でした。自分の将来を考える上で過去に目を向けるという考え方は新鮮で少し心が救われたような感覚がありました」

「神山さんたちは人生を謳歌しているというか、ただ惰性で生きているような無気力な雰囲気はまったく感じられない。私が想像するような社会人の雰囲気とはかけ離れていて、正直驚いた。私が以前から抱いていた仕事をすることに対する否定的なイメージが少し薄らいだ気がする」

「異文化に接することで多様な価値観を養い、さらに自国の文化を見直すきっかけになるのだと思う」
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「私たちにとって青春時代が意味するものとは何かということを大きく考えさせられた講義だった」

「私は授業の後友だちと皆で一緒にご飯を食べに付いて行った。そこには神山さんの他に世界で活躍する人形劇作家の人や出版社に務めていた女の方、テレビ局の方など何かを表現するような仕事についている人が沢山お見えになった。何かそこには生まれそうな活気が満ちていて、とても居心地がよかった。できることなら自分もこういう夢が持てる仕事につきたいと感じた」

「大学に何年かいたらいつのまにか将来はどこかの会社に就職するのが当たり前であるかのような感覚を多少なりとも持つようになりました。いつのまにか将来像が狭くなっている気がします。そんな中、神山さんの生き方や考え方を知ることで自分の将来が大きく開けた気がします。将来は無数に広がっていると感じさせてくれました」

「人を惹きつける言葉の使い方がとてもうまいなぁというのが講義を受けた印象です。なぜか神山さんをみた瞬間、講義を聞く前から「将来こんな大人になれたらいいな」と漠然と思っていました」

「私も自分の中に眠っているきらきらしたものを少しずつ掘り起こしていこうと思います」

「人生をデザインするために必要なのは「出会い」である。その影響を享受し、選択するのは自分である。自分の人生というキャンバスに描く色を選択するのは結局は自分なのである。その色を多彩にしていくためにも、「出会い」はとても重要なのである」

「10代の宝物を職業にすることを考えてみました。すると、やはりその先生と同じ教師という職業や、塾講師、人を育てる職業を思い浮かべました。これまでは教師は向いていないのではなくかと思っていましたが、先生が私にしてくださったように、私も中学時代のまだ人間形成の途中である子供たちの豊かな人間性を養うためのお手伝いをする職業はとてもすばらしい職業で、意外と私に向いているかもしれないと思い始めました」

この講義は4月に始まり夏前まで、全13回延べ11人の信大OBの講師を迎えて行われたのだそうです。
その中で、12人の学生がボクの講義を対象にレポートを書いてくれました。
一生懸命話したことは確かなのですが、こんな手応えある反応は嬉しいですねぇ。

折しもボクも、35年ぶりにかつて10代の時に体験した黒姫キャンプに参加して、いろいろ思うところがありました。
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黒姫の森のあちこちに、少年時代のボクが隠れているような錯覚を覚えたのです。

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今年の初めに取材した「ロストジェネレーションにあって、地に足がついた職業を選んで生きる若者たち」。
彼らもまた10代の記憶を職業に色濃く生かしている若者たちでした。
自分がいまこうしてあるのは、確かにあの10代の記憶と繋がっているからだ。その確信があるからこそ、たとえ迷っても自分を見失うことなく生きて行ける---

人間にとって10代の記憶は、欠くことの出来ないとても大きなものなのです。
10代に何を体験するか。誰と、どんな言葉と出会うか。
その記憶は、時がたてばたつほど心の中で存在感を増してくるようです。

あちこち駆け回った48歳の夏は、改めてそんなことを気づかせてくれました。
一本このテーマで書いてみようかな。
今はそんなことを思っています。

もしその作品が生まれてきたら、学生たちにも感謝しないといけませんね。
どうもありがとう! またあおう、どこかで!!


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May 23, 2008

成田からの便り~開港30周年によせて

昨日事務所にこんなファックスをいただきました。

「ご丁寧なるお手紙を頂戴しまして恐縮いたしております。
『軌跡』の温もりを感じさせる文章、ありがとうございました」

成田空港の最前線で「成田問題」に対峙しているある高官、今は特別顧問という肩書をお持ちの方からの言葉です。こちらこそ、まさかお返事をいただけるとは思っていませんでしたから、嬉しく拝読させていただきました。

今回、成田空港開港30周年記念誌『軌跡』に寄稿させていただきました。
成田空港会社で長い間「用地部」という農民と直接対峙する要職にいた友人がその担当になり、ボクを指名してくれたのです。彼とは、かれこれ10年前にある農民の秋の収穫祭で出会いました。それからいろいろな出会いといろいろな取材活動があり、彼とボクとの間にもう一つの「ナリタトウソウ」が醸成されてきたわけです。
今回の拙文は、その集大成という意味もありました。

ボクはこう書きました。
「(前略)周知のように成田空港は、その誕生のプロセスで幾多の試練をかいくぐってきた。開港から30年、建設計画から数えれば約40年、今もまだその傷跡は深く重く地域と人々の中に沈澱している。
その歴史を俯瞰すれば複雑に捩じれた成田の状況を繙(ひもと)くことができる。60年代半ば、高度成長に湧く日本経済は、世界との潤滑なアクセスを可能とする巨大な空港を必要とした。だが予定地となった大地には、ひと鍬ひと鍬荒れ地を開墾し、地域を愛してやまない農民たちがいた。方や国益を考え、一方は理想の地域づくりを夢想する。どちらも当たり前のことなのに、不幸だったのは、官僚と農民、経済と農業、そして国家と一地域では同じ日本語に聞えても実は言語が違ったことだ。最初からその差異に気づき、互いの存在を慮っていたら――――。
だから空港は、30年の歩みの全てをかけて、かけちがえたボタンを正しい位置に戻そうとしている。その歩みは、戦後の日本人が真の民主主義を学びとろうとした試練の過程と言って過言ではない。(中略)空港会社の職員の多くは、地元の農民たちの農作物を定期的に買っている。休日には農地に出向き、農作業を手伝う者もいる。地元の小学生たちを空港に招き、エコ・ツアーも実施する。航空会社の客室乗務員たちも、地域の人を招いてバザーを企画する。農民たちの笑顔が弾ける秋の収穫祭にも、共に豊作を喜ぶ空港職員の姿がある。
 世界に対する日本の顔である空港は、同時に地域と共生し、その誇りでもなければならない」
(中略)
「実は成田国際空港は、約400㌶の農地を持っている。それは、移転した農民たちが手塩にかけて耕してきた、この国の貴重な農資源だ。平成17年、その財産を生かすために、空港会社は農業研修制度をスタートさせた。(中略)成田空港周辺の農地では、約30年前から数々の試行錯誤の末に有機無農薬農法が実践されてきた。季節ごとに採れたての旬の野菜は箱詰めされ、それを待ち受ける消費者にダイレクトに届けられる。産地直送方式も、全国に先駆けて行われた「農の王国」だったのだ。
その証拠に空港周辺には、今も「大地の芸術」と呼びたくなるような見事な畑が広がっている。3代に渡って耕されてきた畑には下草一本なく、畝は美しい直線を描き、季節ごとに可憐な花が咲き見事な収穫がある。中には一週間でほうれん草500束、ニンジンは二日間で400キロを一人で出荷する農民もいる。(中略)
研修生たちは、ピーク時には約3分毎に飛行機が離着陸する航路の真下で、空港会社から借りた0.5ヘクタールの農地を耕している。その農地は、空港建設に協力して移転した農民たちの「遺産」でもある。今、二人は黙々とその大地を耕し続ける。まだささやかではあるけれど、豊かな実りを人々にも届けられるようになった。
時代が変われば世代も変わる。戦前戦後、多くの開拓民たちが額に汗し掌をマメだらけにしながら切り開いた農地は、今、新しい主人公たちの手に委ねられた。
かつてこの地に生きた若者たちは、古い文献を調べ尽くし、古き日本人と土地との関係をこう書いた。
「(田畑は)たとえその土地の所有が他に移転しても、そこには(開発者の)魂の残る潜在的所有権がある」と。
だから空港は、今日も繰り返し繰り返し「農」との共生を模索する。農民たちの魂を蔑(ないがし)ろにはできない。大地の恵あってこその文明であることを忘れてはいけない。それは成田に生まれた空港の、一つの使命だ」

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ホテル・オークラで行われたパーティーでは、元外務省キャリア官僚、今は外交・国防問題を専門とするコンサルタントが講演にたち、こう言っていました。
「アメリカのアジア専門家の日本離れが激しい。日本での国際会議の数が激減し、日本を訪ねたことのない研究者もいる。皆中国に目を向けている」と。だから日本は存在感が薄くなっている。成田を早く完成させて、離着陸の回数を増やして人の交流を促進しなければという論旨のようでした。
64年一橋大学入学、68年外務省入省。この経歴で、成田闘争に関わらなかったわけがありません。闘争時代、彼が何をどう考えていたのかはわかりませんが、かつてあの時代に成田がどんな意味をもっていたのかを知るならば、どうしてこんな「言いがかり」に近い言葉が吐けるのでしょうか。

アメリカは、常に世界に危機感を煽っていなければ存在理由が立たない国だということは周知のはず。ニューフロンティアがなければ生きていけないのですから、今は中国に視線が向くのは当然です。それが日本の存在危機に結びつく理由は何なのか。これ以上アメリカに内政干渉される必要がどこにあるのか。
ボクには理解不能なのです。

あるいはかつてはジャーナリズム界の先輩であったはずの東京都副知事も、テレビにでるたびにこう言います。「たったいま羽田に降りてここにやってきました。近くて便利です」と。
なにをかいわん。彼もまた、かつての闘士のはず。立場が変われば掌を返して「便利」という薄っぺらいキーワードで世の中を動かそうとする。成田から何を学んだつもりなのか。ボクには哀しい言葉に聞えてなりません。

ボクは成田の高官への手紙の中でこう書きました。

「私はジャーナリズムに籍を置くものですから、成田問題について賛成、反対のどちらに与するものでもありません。けれど一貫して思うのは、成田の人々ほどこの土地を愛し、地域を創造してきた人々はいないなという感慨です。それを今も負の遺産として引きずってしまっている一部の人たちの存在は哀しい限りですが、なんとかこれを将来的には+の資産として、国民共有の「記憶」にしていけたらと思っています。
 パーティーでのO氏の講演でも、また昨今聞えてくるボクらの先輩であるはずの東京都副知事の発言にも、全くそのような角度は感じられませんでした。小冊子で書きました「成田空港の裏側」からの視点、あるいは「近代文明と農」という視点、「国際空港でありながら地域の空港として生きていこう」とする視点は、まだまだ認識不足なのだと思います。残念でなりません」

それに対して、高官からはこんな言葉がありました。

「30年は一つの区切りですが、成田の空気と、日本全体、あるいは世界的規模で吹いている風との乖離の大きさをますます実感している毎日です。「成田」を理解しながらも、「成田」だけにとどまることが許されない。この矛盾というか隔たりというか、ここをどのようにして橋を架けるのか、悩ましい問題です」

悩ましい。まさに成田は悩ましい過去の遺産です。けれど、その歩みの中で私たちは、戦後民主主義の中に「地域」という軸を得たのです。国と地域が対立して、地域の若者たちが勝利する。そんな痛快な事実が他にあったでしょうか。90年代前半に行われた国と地域が対峙する「シンポ・円卓会議」において、成田の若者たちは資料を読み漁り情報戦をはり、二つの秀逸な論文を紡ぎ挙げて国から「強制収容破棄」の確約を勝ち取ります。そんな、60年代から80年代にかけて吹き荒れた闘争の嵐の跡がしっかりと残っているという意味でも、成田は貴重な「遺産」であるはず。
ならば浜松町-羽田間が20分で上野-成田間が1時間であることくらい誤差の範囲でしょう。
羽田に国際線を降ろしたっていい。けれどそのことで成田の存在感が薄くなることなんてありえない。
成田は量ではなく質の空港になればいい。そして成田という地域は、「国民の記憶の大地」となればいい。

ボクは高官への手紙をこう結びました。
「まだまだ空港問題におきましてはご苦労が続くと思います。またそのご活躍なくしては、もはや農民たちと同じ視点で話し合うことができる人もいなくなっているのではないでしょうか。世代の継承という天の決断がおりる前に、なんとしてでも我々同時代人の叡智を結集して、この問題を前進させることができたらと願わずにはいられません。どうぞよろしくお願いいたします」

闘争第一世代の逝去でこの問題が結末を迎えるのではなく、彼らが生きているうちに日本人の叡智を結集してしっかりと決着できるように。そのために、ボクら自身がもう一度成田の意味を咀嚼しないといけないと感じています。
成田30年。ボクにはそのための新しいスタートと感じるのです。

2008 05 23 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 17, 2008

これってどーよ、とほほ。

6月に上梓する拙書『情熱のシェフ~南仏・松嶋啓介の挑戦』
に使う著者近影をカメラマンの岡本夏林クンに撮ってもらいました。

そもそもは「極上のフランス料理のレストランで食事とワインを楽しんでいるシーン」、というコンセプトだったんですが、知人と一緒に京橋シェ・イノに行ったら、案の定シャベリエの伊藤さんの話術と抜群の選択に負けてしまって、
撮影前に飲み始めちゃったんです。とほほ。
気づいたら『シャトー・ヌフ・ド・パフ』と『ニュイ・サンジョルジュ、ヴィエイユヴィーニュ』の2本を開けてしまっていて、
「もう撮影なんかいーか」モードに。とほほ。
それでも夏林くんが飲まないで我慢しててくれて、外で撮影を敢行しました。

んで、これだ。
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うーん、なんとも固い笑顔ですねぇ。
んじゃこれはどーよ。

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とほほ。んで、室内に戻ってこれです。

1

これが一番いいかな。ま、それなりにですからね。たはは。

上から1、2、3ということにして、投票制にしようかな。ご興味ある方、どれがいいかメールくださいまし。
ご希望があれば焼いてさしあげますよん。なはは。いらねーよな。

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May 14, 2008

10代の宝物~信州からのレポート

懐かしの母校・信州大学で「職業論」の講義を2回してきました。
一回目は『黄金の10代の宝物を職業にする幸せ』
二度目は『株式会社を遠く離れて』

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それぞれに思いの丈を語ってきたのですが、この前紹介した女子学生以外に、
こんなレポートも届きました。
まだ二十歳そこそこの若者たちに「10代に得た宝物」を聞くなんて、
台風のど真ん中にいる人にその進路を聞くようなものだから、
難しいレポートだったはずです。
でもこのことに意識を持ったということが大切。
宝物は外の世界にあるんじゃなくて、必ず自分自身の中ににあるんだから、
それを意識して生きていってほしいと思います。
それを「引き出すこと」ですよね、佐藤先生。むふふ。

まず一本目、です。

「10代の宝物

神山さんの1度目の講義から約3週間、自分の10代の宝物と呼べるものを考えていました。でも、思い出されるのは楽しかった記憶のある小学校の頃のことばかり。中学校、高校は楽しかったことも悲しかったこともほとんど思い出すことができませんでした。悲しいことを見ないために、自分の感情を押し殺しているうちに、楽しいことも感じなくなっていたように思います。それでも、今の大学生活は今までの自分の人生の中で一番充実した時間だと思っています。だけど、「なんとなく楽しい」「自分は楽しいと感じているのだろう」「自分が楽しいと感じていると考えている」…そんなことを考えているうちにいつも、思考と感情、ありのままの現実の区別がつかなくなり、いつのまにかわずかに感じていた喜びはどこかに消えてしまう。
 10代の宝物の話からそんなことを考えながら、いつものように飲み会に参加すると、素直に楽しむことができずに、いつのまにか人のことに気遣うことに専念している自分がたまらなくつらくなりました。いつも楽しい時間は自分の前を過ぎ去っていくように感じられます。飲み会なのに、どうして人を気遣ってばかりで疲れてしまうのだろう。でもなぜだかそうせずにはいられない。いつのまにか、悩みは人を気遣うことになっていました。
 ですが、そうやって悩んでいるうちに、高校の頃、心理学の参考書の中で、「女性が襲われているのに誰かが助けるだろうと思い、誰も助けなかった」という集団圧力の例が深く記憶に残っていることに気づきました。あの頃どこまで考えていたのかはわかりませんが、今考えると、「集団圧力になんかに負けたくない、どうせお人好しならそれを突き詰めてしまえ」という気持ちになるし、もしかしたらあの頃もそう感じていたのかもしれません。「人に気を遣ってばかりなこと」、「そうすることで自分を保っていること」、「そうしている自分に悩んでいること」、矛盾する全てを含んで全体として、それが「自分」なのだと意識すると突然、不思議と楽な気持ちになりました。そして気がつくと、素直に大学生活を楽しむことができるようになりました。この文章を読み直しても、結局何が自分にとって10代の宝物なのかいまいち分かりませんが、10代の頃からこんな文脈で、今の自分や、楽しい大学生活があるんだと思います。
 最後に、神山さんも含め、こんなことを考えるきっかけを与えてくれた人、相談に乗ってくれた人、そんな人になれたらいいなって思います。なんだかんだで、今、臨床心理士を目指していることを考えると、10代の頃、逃げるように読み始めた心理学の本、タイトルも分かりませんが、それが全てのきっかけだったのかもしれません」

もう一本。こちらも苦労してるな。ははは、すまぬ。でも掲示しちゃうね。許せ友よ。
Photo_2

「神山さん、こんばんは。

先日、信州大での講義を受講させていただいた信州大学人文学部2年のRKと申します。

この度は貴重なお話をして頂いてありがとうございました。大学では本来学べないことを学ぶことができた気がして、とても刺激的でした。

今回神山さんのお話を受けて、今後の私の人生の柱となるものについて考えてみました。

しかし、その答えが出てきませんでした。というのも多分、今夢がなく、数年後の自分の未来が想像できないからだと思います。自分のやりたいことは何だろうか、としばらく考えたのですがやはり答えが出ませんでした。

実は私は高校時代は、大学で社会学を学んで地方公務員の行政職に就きたいと思っていました。当時、私は地域社会について多少興味がありました。

そのために毎日大学進学のための勉学に励んだのを覚えております。

しかし、大学に入学した現在、本当にこのまま公務員を目指していいのだろうかとの思いが強くなってしまいました。他にやりたいことがあるわけでもないのですが。

それでも今回、神山さんの全国町おこしについての単行本企画のお話を聴いて、多少なりとも面白そうだと思ったのも事実です。

このような駄文で終わってしまい申し訳ありませんが、自分の将来について深く考える機会を与えて頂いて本当にありがとうございました」

 

2008 05 14 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 05, 2008

職業論2から、こんな素敵な作品が、、、

先週金曜日、またまた信州大学で「職業論2」の講義をしてきました。
講義っていうよりも、講和かな。なはは。

んで、講座終了後またまた学生や若手先生たちが集まってくれて、飲みましたん。
授業の中でも一人「黄金の10代の宝物」を書いてきてくれた子がいたんだけど、
帰京後、また一人こんなメールをくれました。
イラスト付きで。
なかなか素敵でしょう。
こんな10代の記憶を職業にできたら素敵ですよね。

「あの時は、普段なかなか接する機会の持てないような、
社会で活躍されている方々と接することができて
とても嬉しかったです。
そして、皆さんが表現者でいらっしゃるせいか、
話をされているときもパワーや、何かを生み出してやろうって気持ちに溢れている気がしました。
その空気を感じていられるだけで、どきどきしました。
私もこういう空気を感じられる職場で将来働かせてもらいたいです。

授業では「小さい頃に感じた大切な気持ち」を思い出して、
それを仕事にも生かせればいいということをお話されていましたが、
私にもそういう強い気持ちがあります。
しかし、私にとっての「大切な気持ち」は
長年悩み続けてきた「コンプレックス」でもあるのです。

私は言葉を覚えるより先に、黙々とお絵かきをしていた子供でした。
長野の豊かな自然の中で、緑や太陽の光や鳥のさえずりを聞いて、
真っ白な一枚の紙と向き合っている時間が一番幸せでした。
おばあちゃんちの縁側で、五感で大地の贈り物を受け取りながら、
無限のものを生み出す可能性を持つ紙を見つめて、幸福感に浸っていました。
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なので、ひとりっこであっても寂しいと思うことはありませんでした。

そんなことに夢中にはなれたものの、小さい頃から
人と会ってしゃべることは不得意でした。
小学校の頃は、ごっこ遊びや歌、漫画を見せたり、新しい遊びを提案して
遊ぶことが多いので良かったものの、
中学校以降の女子で固まっておしゃべりという習慣には
どうしても慣れませんでした。

これは最近気づいたのですが、
私には「誰かと会って話したい」という気持ちがほとんどないのです。
それに誰かとどこかへ行きたいという気持ちもあまりない。

でも、自分ではそんなことはわからなかったし、
「1人=寂しい」という目で見られることが嫌だったので、
ずっと無理やりどこかのグループへ入って、話したいことがないのに無理やり話そうとして、
そうしている間に記憶力や判断力がにぶくなって、笑顔が消えて
周りの人から機嫌悪いと思われて、それを否定するのにもエネルギーが必要で。
そんなどうしようもない状況になっていて、しばらくの間、
向上心や好奇心を持てなくなっていました。

けれど、なぜか私は周りの人があまり持っていない気持ちがあるということに気づきました。
たとえば「嫌いな人がいない」という気持ち。
たとえば、なぜか小さい頃から絵が描けたということです。

私は心のすごく内側で自分の気持ちを処理しているせいか、
表に感情が出ません。
そして、まわりの雰囲気や空気を受け取る力が
人より少しだけあるのかなとたまに思うことがあります。

人のエネルギーや、素晴らしい姿、喜びや悲しみ、
そういうものを絶えず受け取って、新しい生としてまとめあげること。

そんなことができれば幸せなんですが、
なんせ話すことが苦手となっちゃどの職場でも苦労するなと
将来を悩んでいる今日この頃です。

神山さんの著作、読ませてもらいます。
また、感想をメールするかもしれません。
ご多忙な中、読んでいただいてありがとうございました」

いいぞいいぞって感じですよね。
絵と正面から向き合って、ぜひその才能を伸ばしてほしいですね。

2008 05 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 24, 2008

母校・信州大学で講義していましたぁ

いや~驚いた。
新宿から「あずさ」に乗り込んだら、大月を過ぎるあたりからまだ桜が満開なんですね~。
雪化粧を残す八ヶ岳や北アルプスをバックに、花見客なんてもちろんいなくて、とてもいい感じの桜が続きます。

こちらは松本浅間温泉の桜。ちと葉桜気味ですね。たはは。
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そんな中、母校信州大学で一こま、講義をしてきました。
テーマは「現代職業論」。同窓会が主宰する講義で、OBたちが入れ代わり立ち代わりそれぞれの経験談を述べていくという講座です。こんな素敵なポスターもできていました。
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ボクは今年度のトップバッターだったようで、この日と5月2日の2回講義を担当します。
当初は「去年は受講生が10数名だったんです」という先輩の説明でしたが、だんだんと受講希望者が増えて、「27名になりました」という嬉しい報告を受けていました。
ところがところが、行ってみたらその数よりもはるかに多い約40名の受講生が集まってくれました。
こんな感じです。
Photo_2

どひゃ~、すごいでしょう。皆真面目なんだな。なはは。
この教室はボクらが入学直後のクラス分けの時に確か使った教室です。
卒業して四半世紀たつはずなんですが、校舎等はあんまり変わっていなくて、強いて言えば学生が着ている洋服がカラフルになったことくらいかな。皆居眠りもせずに真面目に聞いてくれました。べりべりさんきゅ。
教壇のボクです。
Photo_3
ついでに歩き回るボク。

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この日の講義のタイトルは『黄金の10代の宝物を職業にする幸せ』
ボク自身が大学生の頃に何を考えていたか。それはどこから来ているのか。
自分の鉱脈をどうみつけるか。
そしてボクのケースだけでなく、取材を通して知った絢香のこと、佐藤琢磨君のこと、松嶋啓介君のこと、いろいろ話してきました。
そして後半は、同級生の人形劇士、くすのき燕君に登場いただいて、世界で活躍する様を話していただきました。
(ごめん写真がなかった)

んで、終わってから温泉に入って、再び生協食堂に集まって「今日の話は若者たちに伝わったのかね」なんてくすのきと話していたら、なんと二人の学生がやってきて「一緒に飲ませていただいていいですか」なんて嬉しい言葉。宴席には心理学科の長谷川先生やもう一人の先生もやってきてくざたり、さらに女子学生二人も加わり、大学近くの店から裏町に繰り出して昔懐かしい『松葉』で飲み明かしたというわけです。
ここでも驚いたのは、「裏町」という言葉がもう通用しなくなっていたこと。ボクらは毎日繰り出していたのに、学生たちはこの名前を知らないんですからね。行ったこともという反応でした。とほほ。
『松葉』はいいっすよ。また2日にも行きましょうね。

というわけで、次回のテーマは「株式会社を遠く離れて」
社会人になるに当たってなるべく「株式会社」というものから離れ、「地方」に活路を見いだして、「消費されない存在」でいられるように。
そんなことを話して来ようと思っています。

2日14時40分から、人文学部二階です。
その後18時頃から、今度は韓国居酒屋「やんちゃ坊主」に繰り出す予定。
学生たちも2000円握りしめて集まってね~。

お時間ある方は覗いてみてください。楽しみだな。

2008 04 24 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 15, 2008

もう一つの成田へ

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なんかうさんくさーい感じの男達が並んでいるでしょう。
ふふふ、ここどこだかわかりますか?
成田空港の裏側に広がる、日本でも有数の豊かな農場なんです。
そこを、デザイナーやカメラマン、代理店の担当者さん、そして盟友成田マフィアの一人H氏と共に訪ねてきました。

いよいよ始まりました。「成田空港30年誌」。
ボクにとっては、00年に書いたサンデー毎日の連載記事以来のこととなります。
成田空港って、400ヘクタールもの農地を持っているって知ってました?
知らないっすよね普通。ふふふ。
移転した農民の土地を買い上げた結果、そういうことになってしまったわけです。
で、今は、その農地を使って農業研修制度ができています。
若者4人が黙々と有機無農薬農法に取り組んでいました。
畑の一角にはそら豆もあったな。こりゃ美味しいだろうな。

それから、空港周辺の里山を取り戻そうとしている人たちもいます。
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空港周辺のホテルに泊まる海外のキャリアのパイロットたちは、成田に到着するとブレザーをスポーツシャツに着替えて、そのまま走り出す人が少なくないそうです。時差ぼけ解消と体調維持のためなんでしょうね。
そんな時、アスファルトの道を排気ガスにまみれて走るより、こんな里山を走ってもらったほうがいいだろうということで、地元の人たちがボランティアで立ち上がったのです。
裏側に見える山の中には、上に草が覆っていて見えなかったけれど、掘ってみたら30年前の生活道路が現れたそうです。里山って、常に人間が関わっていないと変質してしまうものなのですね。

そんなこんなを取材しながら、成田空港の30年を書こうと思います。
人間が現代文明を維持するために作らざるを得なかった巨大な施設・空港。
でもそれを作りっぱなしにするのではなく、作るプロセスで何を学んだか。作った結果なくしたものをどう蘇生させるか。まさに空港という名の巨大な「都市」をどう成長させるのかは、人間の叡智にかかっています。

そんなこんなのボクなりのメッセージと愛を随所に散りばめながら---、いい文章が出てくるはずです。
ふふふ、楽しみ楽しみ。
ちとお待ちくださいませ。

2008 03 15 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 11, 2008

祝! 20周年のボク、たはは。

昨夜、銀座の一角に、こんな素敵なメンバーが集まってくれました。

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ふふふ、肖像権なんてまーるで無視してますが、ゆるせ友よ。
それぞれ、編集者ライターカメラマンといった方たちです。
といっても、初対面が二人いるし、幹事をやってくれた佐藤さんはシャッター押してて映ってないし。
ふふふ、それまた許してね。佐藤さん。

居酒屋で飲み、そして二次会は超豪華。
歩いてすぐのこの店でシャトー・ヌフ・ド・パフ03年をいただきました。
飲む前はこれですよ。
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シェフの古賀さんがでてきてくれました。
あ、そうそう、お店は鍛冶橋の「シェ・イノ」です。もちろんメインダイニングには入れずに、カウンターでワインにチーズ なぞ。
いや~、極楽極楽。

ところが酒が進むうちに、なぜかこうなってしまうのですよ。
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この辺の写真はカメラマンの夏林ちゃんが撮ってくれました。
彼女も相当酔っていたはずだけど、いい写真が続きます。
古賀さんのこれなんて、著者近影って感じですよね。

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そして最後はいつものこれです。
もはやワインもボトルがあいちゃって、いつものバーボンソーダになっちゃってます。
とほほ。
お許しを、みなさん。
そういう奴なんです。しょせん。
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でもって、とどめはこれだ。
なんか文句あっか。とほほのほ。

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2008 03 11 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 09, 2008

佐藤琢磨 No attack No chance

じゃじゃーん。ついにでました。
佐藤琢磨責任編集『フォーミュラ琢磨』
これですよ。

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かっちょいいでしょ。
フォトジェニックですよね。琢磨さん。

んで、昨日は渋谷で握手会と、その後打ち上げが行われました。
すでにこの「熱血」でも書きましたが、この企画、山海堂という出版社で立てられたものだったのに、編集途中で会社が倒産してしまって、編集者が会社からロックアウトされた状態で編まれたものなんです。
しかも琢磨さんはモナコ在住で、シーズンの準備のために世界中を動き回っていたし。
「ほんとに出るのかよ」と、関係者一堂すんごく心配していたらしいんです。
ボクは長渕剛さんと琢磨さんの対談を仕切らせていただいただけだったから、ま、いい企画が生まれるときは波乱があるのよ、なーんてのんびりしていましたが。たはは。

そんなこともあったせいか、昨夜の打ち上げは、近年こんないい会はなかったなと思うほど、素晴らしいアットホームなものになりました。
琢磨さんも嬉しそう。ドライビングよりも編集の方が大変です、なーんてリップサービスも。

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琢磨さんの後ろにいるのが現場編集の左近さんと関根さん。
本当にお疲れさまでした。
いい本になってよかったね。売れますぜ、これは。

んでボクは、こりゃいいチャンスとばかり、琢磨さんにこんな言葉を書いてもらいました。

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この言葉はね、ニースの松嶋さんのレストランにある「リーブル・ドール」(ま、サイン帳ですね)に書かれていた琢磨さんの言葉なんです。松嶋さんもとても気に入っていて、今書いている彼のことをテーマにした本の第一章のタイトルにさせていただこうと思っています。
そんなことも話して、かつ、「今度小学校の卒業式で皆に贈りたいんです」といったら、気持ちよくサインしてくれました。
「ノーアタック・ノーチャンス」
これから大人の世界に船出しようとする少年少女たちには、素晴らしい言葉でしょ。
これで僕のPTA会長の仕事もとう尾を飾れたというものです。なはは。琢磨さん、べりーさんきゅです。
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右側は、料理を作ってくださった代沢タケハーナのオーナーです。

この夜は残念ながら長渕さんは来ませんでしたが、いい対談になっています。
琢磨さんの生い立ちやドライビングテクニックの秘密なんかもぎっしり詰まっていて、読みごたえもあります。
ぜひ手にとってみてください。
講談社からの発行です。

よろしくおねがいしま~す。
増刷になったら、二度目の打ち上げはモナコ。そしてニースのケイスケ・マツシマでやりたいとおもっていまーす。

2008 03 09 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

February 24, 2008

とちおとめの謎

今日書いた記事の中に「僕のとちおとめ」というフレーズがありますが、
それはこんな手紙をもらったことに由来しています。
順番が前後しますが、『フォーミュラ・タクマ』の編集長・左近さんからの手紙をご紹介しますね。
僕が書いたのは、この手紙に対する返信なのです。

「関係者各位(CC:関根)

左近です。
フォーミュラ・タクマの編集作業ですが、昨日22日、校了しました。
発売は3月7日。8日午後3時からはHMV渋谷で『フォーミュラ・タクマ出版記念トークショー&握手会』を行います。

山海堂がすっ飛んじゃってしまった際には、皆様にご心配をおかけしましたが、このプロジェクトが継続されると信じ、御支援を賜りましてありがとうございました。

ロックアウトされ、門にチェーンが巻かれた山海堂の前に立った時には脳天をかち割られた感じでしたが、チェーンを足場に会社へ忍び込んだのも、いまや笑い話です。というより、財産を保全する弁護士は、こんなチェーン、どこで買ってきたんだろうと、冷静に考えている自分もいました。

講談社様での出版が決まったあとは、それまでの遅れを取り戻すため非常にタイトなスケジュールでの執筆や追加撮影などをお願いすることになりました。それにもかかわらず、快く対応くださった皆様、本当にありがとうございました。

またこのプロジェクトが頓挫してしまわないよう陰に日向に支えて下さった方にも感謝致します。講談社様からの出版にはある方のお力が非常に大きかったのです。

「地獄のようだった」とファンクラブ通信で告白された佐藤琢磨さんには、このプロジェクトで「こだわり」を見せてもらいました。目次から奥付に至るまですべてのページをチェックし、編集長としての責務を果たして下さいました。
佐藤琢磨のこだわりとは、理不尽なやり直しを命じるというような勝手なこだわりではなく、この仕事をやり遂げるという自分へのこだわり、執念だと気づかされました。最後は「職業、編集者。趣味、F1ドライブ」みたないことになってしまっていました。おかげでこちらの仕事がかなり楽になることもしばしばでした。

最後に関根っちです。
企画会議をしても、いま一歩の企画が多かったため、できそうだとかそれは無理そうだとか考えないで、やりたい企画を出してこいって言って指示して出してきた企画が「佐藤琢磨責任編集のF1誌」でした。

本人のやる気満々に較べて、最後の実務面では空回りも多く、「おい、いいかげんにしてくれよ」と思うこともありましたが、終わってみれば、よく頑張ったなと思います。
校正受け渡しの場所に、青白い顔で現れたこともありましたし、「身体の震えが止まりません。今日は帰っていいですか」なんてメールを寄越してきたこともありますが、普通の人なら逃げ出したいような過酷な現場でした。

フォーミュラ・タクマはF1誌ですが、「佐藤琢磨」の生き様が凝縮されてもいます。F1ファンだけではなく、これから未来に向かって突き進もうという人にこそ読んでもらいたい本でもあります。
是非、みなさんのお力でより多くの人へフォーミュラ・タクマを伝えて頂けますようお願い致します。

まだイベントもありますので、フォーミュラ・タクマのプロジェクトがこれで終わったわけではありませんが、ひとまず、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

追伸
自分へのご褒美として、昨夜は500円の「とちおとめ」を一パック、ひとりで食べてやりました。
さあ、次はF1モデリングの復刊です。またよろしくお願いします」


2008 02 24 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

僕の王様~フォーミュラ・タクマ

今年の正月最初の仕事の一つに、昨年暮れに収録した「佐藤琢磨×長渕剛対談の纏め」
というものがありました。
山海堂という出版社の方からある日突然電話があって(メールだったかな?)お誘いいただいたのです。
その本、というかムック『フォーミュラ・タクマ』が、いよいよ3月7日に発売になります。
版元は講談社。
ふふふ、いろいろあったんですよ。
その編集長である左近さんから「ついに校了しました」というお礼のメールをいただいたので、
ボクはこんな返信を書きました。

「左近さん、関根さん、そして琢磨さん(にも届いてますか?)

編集作業お疲れさまでした。
ボクもこのプロジェクトの一員の末席に加えていただいて、とても光栄に思っています。

剛さんのコンサートも対談当日もその纏め作業も、とても楽しい時でした。テープ起しをしてくれた関根さん(かな?)は大変だったと思いますが、なーんの苦労もなくしかるべき所にしかるべき言葉が収まって、しかるべきテーマがしかるべき順番で流れてくれました。

誰の少年少女時代にも、「僕の/私の王様/王女様」がいるのだと思います。その人の吐いた一言、その人のとった行動、その人の表現した何かに憧れて、影響されて、自分の歩みがほんの少し変わっていく。勇気を得る。そんな「王様」がいたのです。
でも時の流れは残酷です。いつしかそれも色あせてしまうことが多いのかと思います。

けれど琢磨さんは幸せですね。16年前、横浜アリーナの客席で見つめた「王様」がいまも「王様」として健在で、そしてその王様が実は自分の姿を遠くから眩しい瞳で見つめていてくれたのですから。出会うべくして出会った。お二人はそういう邂逅だったのだと思います。

ボクにとってもこの仕事はある種の必然でした。琢磨さんの友人にはまさに今書こうとしている松嶋シェフがいて、剛さんのスタッフには横田君という長年の友人がいました。赤か青かは知りませんが(ふふふ)、太い糸で結ばれていることを感じないわけにはいきません。ありがとうございました。

そして忘れませんよ。初対面の打ち合わせで僕の事務所にやってきた左近さんの第一声「実は昨夜会社が潰れまして---」。ふふふ、波乱の時にこそいいものが生まれるという格言は、ここでも生きていましたね。だから素晴らしいこの本の誕生も、実は必然だったということですね。

また何か素敵なプロジェクトがあったら誘ってくださいませ。さぁボクは、自分自身の「とちおとめ」をいただける日まで、もう一踏ん張りです。
本当にありがとうございました。お疲れさまでした」

書店で見かけたらぜひ手にしてみてください。スタッフや編集長を務めた佐藤琢磨さん、そしてその姿を本当に眩しい瞳で見つめていた長渕さんの「鼓動」が確実に伝わるはずです。

そして僕の王様は、どうやら今日の午後3時、声だけ僕ら下々の前に現してくださるのだとか。
ふふふ、そんなことだろうと思って、僕らは昨日、下見に行ってきましたよ。
Photo
Photo_2


こちらは平山さんというグラフィックデザイナーの個人コレクション展でした。
今月29日まで、西東京市の芝久保公民館という、とてもレアなところでやっています。
拓郎さんも見に来ればいいのにな。
こういうの好きなはずだけど。ふふふ。

2008 02 24 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 04, 2008

「30代の肖像~ロスジェネ世代の旗手達」

このブログ、最近は美食関連ばかりですねぇ。とほほ。
普段はんなことないんですよ。醤油飯つーか、吉野屋にお世話になってます。たはは。
他の仕事もしてるんだということで、来週月曜日のアエラに載る原稿のさわりだけ。
あ、これもニースの松嶋君のことがでてるか。たはは。ま、お許しを。
すがすがしい若者たちの取材をしました。


 約2年かけて世界を周航する超豪華客船TheWorld号は、世界で唯一客室分譲型、海の超豪華マンションと呼ばれる。船の運航を自主運営するオーナーたちが作る6つの委員会の一つ、ライフスタイル委員会は、07年11月の地中海航路の招待シェフとして、ニース在住の松嶋啓介(30)を選出した。その腕が世界の美食家たちに認められた証だ。出航前、松嶋はこう言った。
「船の名前がいいですね。僕の夢は世界中にレストランを持つことだから。今日の料理ですか? 牛肉のミルフィーユ、ワサビ添えで行きますよ」
        ※
 同じ頃冬枯れた農村地帯の畑で、耕運機を押す花職人・東信(31)の姿があった。この日午前7時、銀座にある自分の店で東は顧客のオーダーに沿った作品を作り上げた。東の仕事はまずインタビューから始まる。花の用途、贈り先の好み、送り主の人柄等々。あらゆる要素を織り込んでこの世で唯一の作品を創りあげる。その後愛車を飛ばして首都高で約45分、畑に到着しスニーカーを地下足袋に履き替えると一瞬にして農夫に変わる。
東が言う。
「ここには800球の群集咲きのチューリップの球根が植わっています。3月になると真っ赤な花が一斉に咲いて綺麗ですよ」
        ※
中沢が所長を務める多摩美術大学芸術人類学研究所では、芸術の発生の源が探られている。ダウン症の人の作品には、ラスコーの洞窟の壁画に繋がる芸術性があると中沢は語る。よし子(28)は、06年からこの研究所の特別研究員だ。ダウン症との関わりをこう語る。
「子どもの頃から両親がダウン症児の絵画教室を開いていたので、生活の中にダウン症の人がいることは普通でした。花や犬や小鳥と会話ができるダウン症の人が羨ましかったです」
アトリエ・エレマン・プレザン(現代の要素)の誕生は91年。画家の肇、敬子夫妻が、79年に生まれ小児喘息に苦しむ長女・よし子の健康を思って東京から移り住んだ志摩で産声をあげた。東京でも児童絵画教室を開いていた肇は、数年間ダウン症の児童を受け入れたことがあった。だがその時は、自然と調和し色彩豊かなその作風はその子固有の特徴だと思っていた。ところが志摩でもダウン症児を受け入れてみると、作品には同じ性質があった。二人はそこからダウン症児の絵画活動にのめり込む。志摩だけでなく東京代々木にもアトリエを開き、02年からはよし子とそのパートナー・佐久間寛厚が中心となって活動している。
中沢とよし子たちは今、ダウンズタウンプロジェクトを企画中だ。自然豊かな敷地内にダウン症の人たちのアトリエや生活空間をつくり、老若男女、健常者たちが集ってその感性に学ぶイメージだ。


てな感じです。
独自の舞台を自ら獲得した3人の物語。
料理、花、芸術。アート関連が多いのは、仕方ないかな。ここに麻雀を入れてもよかったかな。たはは。
それはそれでまた、桜井会長の物語と共に書きたいと思っています。

というわけで、来週のアエラをよろしくね~。

2008 02 04 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 16, 2008

映画を愛する街~長野県上田市ルポ

 この地には、昭和24年に書かれた一枚のメモが残っている。
「北塩尻駅前、朝○時、大八車2台、エキストラ男5人、女○人」
 一部判読できなくなっている部分もあるが、大船撮影所に向かって送られたメモだという。
 現在、信州上田フィルムコミッション(以下FC)のメンバーとして活躍し、このメモの発見者でもある小林純行がいう。
「つまりこの時代から、いやもっと前の戦前から、上田には映画のロケを手助けするFC的な活動をしていた人がいたのです」
 東京から長野新幹線で約1時間半、車でも関越自動車道を使って約2時間。奈良時代には信濃国分寺が建立され、戦国時代には真田氏の手によって上田城が築かれた古都・上田を目指して、今では年間100本近く撮影隊がやってくる。映画、テレビドラマ、音楽プロモーション・ビデオ(PV)、コマーシャル・フィルム、雑誌やポスター撮影等々。そうした撮影隊からの依頼を受け、ロケ地探しや撮影許可申請、所有者との交渉、ロケ立ち会い、宿泊、食事施設紹介等「地域と撮影隊の通訳を務める」のがFCの役割だ。

                          ※

こんな書き出しで始まる文章を一本書きました。
財団法人地域創造の出す季刊誌用の文章です。
昨年末、長野県上田市で取材させていただいたものです。
この街、ちょっとみにはなんてことない地方の街なんですが、どうしてどうして、一歩入るとこんな歴史と活動があるのですね。
映画だけじゃなくて、最近では音楽pV(プロモーション・ビデオ)の撮影も盛んとか。
昨年11月にはこんなイヴェントも行われていました。

                          ※

「上田のどこにこんなに若者がいたんでしょうねぇ。僕もびっくりですよ」
木枯らしが吹き始めた昨年11月。市内最古の映画館「映劇」場内は、二階席まで溢れた若者たちの熱気で一杯だった。「第二回FUMFAM」(フロム・ウエダ・ムーヴィ、フォア・アコースティック・ミュージック)。このイヴェントの企画者の原悟自身が、この熱気に驚いている。この日スクリーンで上映されたのは、この地で撮影された音楽プロモーション・ビデオ(以下PV)。通常ならば音楽番組でしか見ることのできない作品たちだった。原が言う。
「最近ではPV業界でも上田は有名なんです。東京から日帰りで撮影できるしロケ地も豊富にある。僕がFCの担当者になってから、リピーターもずいぶん増えました」

                          ※

ね、なかなか素敵でしょう。
ま、全文載せるわけにはいかないので、あとは発刊をお待ちください。

あ、でもね。この街もそうなんだけど、地域の活動も素敵なんだけど、やっぱり僕の視点はそこに生きてる「傾いた」人間にフォーカスしてしまうんですよね。ここにはこんな映画馬鹿がいましたぜ。

                          ※
もう一つ、小林はFC活動における個人的な不文律も持っている。
テレビドラマの場合は視聴率をチェックすること。使わせていただいた民家等に放送後に挨拶に出向き「視聴率○%でしたからお蔭様で○百万人の方が見てくれました」と挨拶する。具体的な数字を出せば、次のロケの時も気持ちよく使わせてくれるのだという。
映画なら映画館で3回観ること。たとえ招待券を貰っても、原則自腹。単館ロードショーの時には上京して観ることもある。
「この前ロケした『たとえ世界が終わっても』は渋谷の映画館が若者で一杯でした。出口付近の居酒屋に陣取って、出てくる人の様子を観察したら感動している様子が分かって、僕もうれしかったな」
さらに、作品がテレビで放映されたら観る。DVDになったらまた買って観る。そうやって初めてFCで世話した作品とのかかわりが完結するという。
そしてもう一つ。信州上田FCの最大原則であり矜恃は、「ロケは歓迎する、けれど誘致はしない」こと。現在映像関係者の間では、この毅然とした姿勢を含めて「上田は屋根のない撮影スタジオ」と呼ばれている。それは、映画を愛した先達と現役のFC活動に向けた、最大の敬意であることは間違いない。

                       ※

これまで10年間、こんなふうに全国を歩いて街づくり、地域起こしをルポしてきたのですよ。
その数だけ、傾いた人もいるということですね。たはは。
今年はなんとかそれを一冊の本にまとめたいと思っています。
どなたか編集の方、企画を考えていただけませんか。
むふふ。よろしくどーぞ。

2008 01 16 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

January 12, 2008

長渕剛×佐藤琢磨「夢がおりなす力」

琢磨「12月9日のコンサートはほんとにすごかったですね。もう大感激。コンサート会場から出ても現実に戻らないんです。2日たちましたけれどまだ体内に震えるような感動が残ってる。剛さんと一心同体になって、全身で聴いてましたよ。ほんとに」

剛「うれしいねえ。コンサート中に琢磨がずっと立ってるのが見えたんだよ。ずっと拳を振り上げてくれてて」

琢磨「そりゃそうですよ! 剛さんが立って歌ってるのに俺が立たないわけないでしょ!!(爆笑)」

             ※

こんなやりとりで始まる対談の原稿を一本纏めました。
ロック・アスリート・長渕剛とF1アスリート佐藤琢磨。
ちと意外な組み合わせかと思われるかもしれませんが、琢磨って少年時代から剛さんの大ファンだったんですって。
その思いがかなって2004年の鈴鹿に剛さんがヘリでかけつて、いきなりガシッと抱き合ったのだそうです。

今回は講談社からこの3月に出る佐藤琢磨責任編集のムックの中の企画として、二人の対談を纏めました。
去年12月の剛さんの代々木アリーナコンサートを琢磨と一緒に見て、二日後に対談。
そりゃ盛り上がりましたよ。
ぜひ発行されたら買ってくださいね。

その宣伝の意味で、ちょっとだけ中身を紹介しますね。編集の皆さん、許してね。むふふ。

              ※

琢磨「そうそう(笑)! ほんっとにビックリしたんですよ。まさかあの場所に剛さんがいるとは思わなかったから。だって僕にとっては小学校の頃からの憧れですよ。従兄弟のお兄ちゃんに歌を教えてもらって、わけもわからず歌っていたんですから。“ろくなもんじゃねぇ”の“ピーピーピー”というフレーズとかが印象的でね。中学高校時代はアルバムを全部揃えたんです。“JEEP””昭和”“ライセンス”。コンサートで歌ってくれた“STAY DREAM”は常に僕の原点でした。高校時代なんて、友人同士でよくカラオケに行くじゃないですか。でもあそこでは剛さんの歌は歌えないんです。違う存在だったから。剛さんの歌は一人でギターで歌うものでした、当時の僕には。その剛さんが鈴鹿に来るっていう話は聞いていたんだけれども、どこで会えるかは全くわからなかった。だからあった瞬間はもうガシーッと抱き合いましたよね」

剛「そうそう、いきなり抱き合った。あの時僕にとってはね、まず琢磨と会うっていうことが第一目的だったんだ。でも、まず鈴鹿で脳天をぶち抜かれたのはマシンのセクシーな爆音だったね。エンジン音がウゥーンって一斉に鳴らされた瞬間に鳥肌立ったもん。『あーこれか、これがグランプリの魅力なのか』と思った。街で暴走族かなんかがブゥーンと走ってるのは『うるせーな』と思うんだけど、F1の爆音の周波数は違ったね。せり上がってくるわけ。ウワァーン、ウワァン、ウワァン、ウワァン、ウワァーン、ウワァンウワァンウワァンウワァンウワァーンって。それは人間のDNAに潜んでいるアッパーにグワーッと拳を上げる時の衝動にそっくりなのよ。それで脳天ぶち抜かれて、『あ、これだ』と。『琢磨はこれに乗るわけ? お前かっこよすぎるよ!!』って思ったな」

琢磨「(爆笑)さすが剛さんはまず耳でF1の魅力を感じてくれたんですね」

                   ※

剛「歌はその時の風景が甦ってくるからね。俺もそうだなあ。昔の歌なんか歌い始めると、作った時の風景とかその時の恋人や友達、いろんな風景が出てくるね。匂いまでね」

琢磨「イギリスに渡った時も新しいアルバムが出て、友達に送ってもらって、その時の曲を聴くと今でもジャージを二重に着て、家の中でも息が白い、あの底冷えするイギリスがイメージできる……(笑)。あの時の曲は“SAMURAI”(1998年10月リリース)なんだよね、ちょうホームステイの時ですね」

剛「言葉を勉強するためにホームステイしたの?」

琢磨「そう、F1にどうやっていくかを考えた時に、いろいろなルートがあるんですが当時はイギリスのF3にすごく憧れたんです。当時の歴代のF1ドライバーは、ほとんどイギリスF3を経由してたんですよ。世界中から若者が集まる世界選手権みたいなカテゴリーだったんです。でもイギリスF3に行くためには何が必要かと考えたら、言葉が足りない。やっぱりイギリスに行って、レースをやりながらイギリス人の飯を食ってイギリスの空気を吸ってイギリスの文化に溶け込んで、欧米人に認められる形でステップアップしなきゃいかんと。それをイメージした時に自分には語学力がなかったので、最初に渡英した時(1998年7月)普通の語学留学生と一緒の生活をしました。レースのことだけを考えればアパートを借りて、一人で集中してやった方がよかったかもしれないけど、それじゃ絶対にイギリスには馴染めないと思ったんですね。語学学校が地元のホストファミリーを紹介してくれて、ある老夫婦の家に下宿させてもらって、そこから毎日学校に通って週末だけはレースをしてっていう生活だったんですね」

剛「それにしても日本を離れて、まったく言葉が通じなくて、それがわかるようになるまでってものすごいストレスかからない?」

琢磨「かかりますね」

剛「寂しいだろ」

琢磨「寂しいっす」

剛「その時何が一番励みになったの?」

琢磨「そりゃ剛さんの歌ですよ!!」

剛「あ、そうかそうか(爆笑)」

琢磨「この会話の流れだったら当然じゃないですか(爆笑)!!」

剛「俺、今そういう風に言わせたかったわけじゃないよ(爆笑)!」

琢磨「ダメですよ、剛さん! そう言わざるを得ないじゃないですか(爆笑)!!」

剛「わっははははっ(爆笑)!!」

琢磨「でもね、正直言って信念だと思うんですよ。僕は当時21歳だったんだけど、日本でぬるい暮らしをしていたわけじゃないですか。基本的には何不自由なく生活してきた。でも日本を飛び出してイギリスに行ったら、なんっにもないんですよね。リビングにテレビもない、暖房もない」

剛「ジャージ二枚着て、白い息っていうのがいいな(笑)」

琢磨「家には暖炉が1個あるだけですよ。蛇口を捻ってもずっとお湯が出るってわけじゃない。1日決められた量のお湯しか使えない。朝シャンなんて有り得ないわけですよね(笑)! だからおじいちゃんおばあちゃんは目ん玉真ん丸にしてビックリしてた。クソ寒い中、朝シャンしてたから(笑)」

剛「わはははは(笑)!」

琢磨「でも逆にそういう生活が僕は楽しかったのね。自分はレースのためにイギリスに来て、本気でやってるわけじゃないですか。だからそこのことがひとつあったら、あとのことははっきり言ってどうでもいい。逆にそういう環境だからこそ、命も賭かってきてサバイバルになって、絶対ここで生き延びてやるっていう力が沸いてくるんですよね。その時に一番寂しいのは、日本の友達であり家族であり日本食であり。そういうところは寂しいけど、これを我慢してもまだいけるだけのエネルギーが逆にメラメラと沸いてきて。それで夜に本当に剛さんの曲を聴いたりして、『頑張ろう!』って思うわけですよ。周りからは大変な努力に見えるんだろうけれど、本人にとってはもうやるしかないんだよね。もちろん苦しいこともあるけども、そこを途中で投げ出すようなことは僕はできない。とことんやる。あの当時20歳そこそこでこんな暮らしができるのは、貴重だと思ったのね。今はもう絶対できないですけれど(笑)」


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January 09, 2008

今年は農業から始動だぁ。たはは。

2

どうですか。この雄姿。ふふふ、けっこう様になってるかな。
新年の取材は、農業体験から始まりました。
ここは茨城県守谷、首都高で飛ばせば都心から45分ていどです。
フラワーアーティスト東信さんの所有する畑で、トラクターをおしてみました。
東さんはここで花を自家栽培して、将来的にはこれを使って作品をつくったり商品としたりしたいそうです。
今はチューリップが800株植わっているとか。
3月頃には群生の花が見られそうです。

東さんとは昨年末、取材であって、これから一本書かせていただくのですが、この間博多のご実家にもいったし、月心居のサヨナラパーティーにも来ていただいたし、昨日は畑作業のあとで京橋シェ・イノで新年会もやったし、むふふ、なかなかこゆいお付き合いになっています。
すがすがしい30代なんすよね。
ま、そのへんの核心はアエラ「30代の肖像」に書こうと思っています。
しばしお待ちを。

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2008 01 09 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 09, 2007

読者の方から嬉しいメールをいただきました

1


昨日メールにこんなんが飛び込んできました。
いや~嬉しいな。
あんまり嬉しいからお名前だけ伏せてアップさせていただきますね。
Sさん、お許しを~。

「前略、始めまして、××××と申します。
 今日お便りしたのは、神山様のお書きになった「日本の職人」を読ませていただき、心地よくなったためです。この本を読ませて頂きますと、所々に表れる登場人物の所作の様子が活き活きとしており、インタビューを愛情を持ち着実に行われたことが分かります。文章を読んでいて、神山さんこそ文章道での「日本の職人」に相応しい、と感じました。文章が活きています。必要な場所に過不足なく当てはめられた語句に表れているように、味わい深い職人の生き方について掘り起こしている神山さんの姿にある種の感銘を受けました。
 神山さんは私より20歳若いのですが、比類のない老練さをもっておられます。神山さんはご存知かどうか分かりませんが、昔、本多勝一というノンフィクションライターが朝日新聞社に居られました。私にとって本多さんの文章や視点も気に入っているのですが、神山さんにも同じ感じを抱きました。
 どうぞこれからも活発に活躍されることを期待します。 草々」
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本多勝一さんと比べられたら汗顔の至りですが、僕が取材中に職人さんから感じた素朴な人柄、仕事に対する真摯さ、そして日々の仕事は繰り返しでありながら創造の連続でもあるというある種の逞しさ、そんなものが読者に伝わったとするならとても嬉しいです。

全国にこんな読者の方が少しでもいてくださるのだから、これからも精進しないといけませんよね。
本当にありがとうございます。
これからもよろしくどーぞ。

2007 11 09 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 05, 2007

フリーランス生活20周年企画

Nekketsu_world

ちょっとこれ、見えますかね?
なんじゃっていう感じでしょ。ふふふ。
文字は読み取れませんね。ま、おゆるしを。
実はこれ、ぺんだこの日賀君と小宮山さんにつくってもらった、僕の20年間の仕事の「俯瞰図」なんです。
どーですか。よくやってきたなつーか、まぁ、手当たり次第に書いてきたなというか。
でも、こうやって仕事を振り返ってみると、なんとなくそのテーマは「アウトロー」「異文化」そして「表現者」に収斂してきたなとわかっていただけると思います。
つーか、そうわかっていただきたくて作ったんですが。
もうじき刷り上がってきますから、お世話になったかたたちには送らせていただきますね。
そしてそこにはもう一つサプライズもあるんですよん。ふふふ、お楽しみに。

あ、この裏面もご紹介しますね。
Calendar

こちらは10年カレンダーです。
写真がいいでしょう。これを見ながら、皆さん次の10年に思いを馳せてくださいませませ。

2007 11 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 30, 2007

テレビコラム、最終回

小学館ダイム誌で書いていたテレビコラムが、この秋で連載終了となりました。
足掛け3、4年続いたでしょうか。
お世話になった皆さん、ありがとうございました。
最終回は、Yさんちの智子さんとの出会いのきっかけにもなった「職人技」をテーマにした作品でした。
総じていえるのは、まともなドキュメンタリーとかテレビならではの作品を選ぶとなるとやはり渋谷系が多いということですよね。
赤坂とかお台場とか汐留とか六本木とか神谷町とか(ふー)は、なんかブラウン管の中の方が楽しそうで、こっちはしらけちゃうものが多かったものね。差異のわからないタレントさんの名前を覚える気もなかったので、バラエティ系はほとんど無視させていただきました。
あとはドラマか。これはwowowとかも頑張っていましたね。映画に行ってまたまたテレビ界に戻ってきた「監督」鶴橋康夫さんの作品を二回書けたのも嬉しかったな。
アメリカのファッションとかをテーマにしたセプニングバラエティもよかったですね。素人の狂気がよくでていたし。
智子さんの作品は神谷町でしたね。時折そういうこともする神谷町にも感謝しています。
と、いうわけで。最後のテレビコラム。何連発かいきますね。

○天国と地獄(テレビ朝日)

 深夜、とある密室で、現代の名工が歴史的大家の織った反物の糸を一本一本解いている。解きながら名工は、大家の企み、構成、細部に散りばめられた思いを読み取っていく。
 テレビドラマ界の奇才・鶴橋康夫が黒沢明の名作『天国と地獄』をリメイクする。その現場は、そんな妖気に満ち満ちている。鶴橋は言う。
「黒沢監督の研究本は18冊読みました。でも読めば読むほどその実像がわからなくなる。原作のエド・マクベインの作品にあたって、やっと秘密の鍵が見えてきた。物語の並べ方は天才的、時には剽窃と思えるような部分すらある。そんな魅力を再発見しながら、多少の勇気と敬愛を込めて撮りました」
 黒沢の物語は昭和30年代半ばの東京が舞台。靴メーカーの重役・権藤は、私財を投げうって株を取得し自社の実権を握ることを画策する。その最中「息子を誘拐した、3億円支払え」という脅迫電話が入る。犯人は権藤の息子ではなく間違えて運転手の息子をさらっていたのだが、犯人の要求は覆らない。妻の説得を振り切り自らの夢に賭けようとする権藤。その意志は完結するのか――。
 鶴橋はこの脚本に忠実に、昭和感が残る小樽にロケセットを建ち立ち上げた。かつて三船敏郎が演じた権藤に佐藤浩市、香川京子演じた妻に鈴木京香、その他阿部寛、妻夫木聡、平田満、伊武雅刀等、実力派俳優が揃い、万全の体制ができた。
 少年の日、鶴橋には思い出がある。故郷新潟で『7人の侍』の上映会があった。試験前日なのに出かけていくと、フィルムの到着が豪雪で遅れ終演は深夜3時になった。会場には試験管の先生も来ていた。帰路、そっと問題を教えてくれたという。
「時代劇というから活劇かと思って期待していたら、なんとも実存的な人の哀しみを描いた作品にびっくりしました。忘れられません」
 その黒沢作品に挑む鶴橋が、今握りしめている武器は、初監督を務めた映画『愛の流刑地』での経験だ。鶴橋が言う。
「舞台挨拶のために、全国の上映会場を廻りました。テレビとは違って、観客と一緒に自分の作品を観ることができた。皆泣きながら客席から出てくるんです。涙腺が乾いている。そのことにテレビ界の俺は配慮が少し足りなかったと実感しました」
 リメイクにあたり鶴橋は脚本を二冊用意した。一冊は妻夫木演じる誘拐犯が主人公。その方がドラマとしての豊穣さはあるという。けれどそれでは黒沢へのオマージュは成立しない。鶴橋はあえて時代がかった台詞もそのままに、黒沢作品に殉じることにした。その代わり、解いた糸を再び編み上げる作業にぬかりはない。そこには、より深い人間の情念が、丁寧に折り込まれている。

○ミヨリの森(CX)

 夏休みの終わりに、ぜひ家族全員で観たいアニメ作品が登場する。フジテレビ創立以来初めて企画されたゴールデン・タイム放送のオリジナル作品。総制作費2億1000万円というビック・プロジェクトだ。
「この作品は、10年後のフジテレビのファンを育てたいという思いから作られたものです」
 編成担当の松崎容子が言う。フジテレビのアニメといえば「さざえさん」や「ちびまるこ」という強烈なコンテンツはあるが、それらは日曜夕方枠。ゴールデン・タイムというと、確かに「こち亀」等が撤退して皆無となっていた。アニメの灯を消すな。それが局の上層部の意向なのだという。松崎も強調する。
「夕方や深夜のコアなファンに向けたものではなくて、ゴールデン放送というところに意味があるんです。家族全員で観て頂ける時間帯ですから。ぜひ、夏休みの思い出にしてほしいんです」
 折しもフジテレビはお台場を会場に、40日で約40万人を動員する「冒険王」というイヴェントも行っている。けっして採算が取れるものではないはずだが、10年後のファンを確保するためには、それも必要不可欠な投資なのだ。
 今回の作品にも力が入っている。監督には「火垂るの墓」「もののけ姫」等の美術監督を務め各賞を総なめにした山本二三。制作はかつて「世界名作劇場シリーズ」をつくった日本アニメーション。両親に捨てられ、心を閉ざした少女ミヨリの声優には若手女優で最も輝いている蒼井優。彼女を育てる祖母に市原悦子。ミヨリの心が徐々に癒される森の精霊に元ちとせ。人間と自然の交歓を通して、ミヨリの心の成長と森の生命力が活き活きと描かれている。
「私も子ども時代に世界名作劇場シリーズを毎週観るのを楽しみにしていたんです」
 取材中、松崎は懐かしそうに言った。「作品全てを覚えていなくても、主人公が川べりを走るシーンとか美しいアルプスの1シーンとかが今でも心に残っているじゃないですか。そんなふうに、今回の作品も観てくださった方の記憶に残るものであってほしいと思っています」
 そうだよな、と思う。テレビというメディアで一番大切なのは、その場限りの視聴率や数字あわせの営業売上ではなくて、人々の心に刻まれる「記憶」なんだな。もちろん今回の企画も、視聴率がよければ劇場でも上映したいとか主人公の髪の毛の色を変えれば世界に販売できるとか、大人の下心はあるはずだ。けれどそんなものよりも、家族と共有のする時間と思い出という宝物の方が大切だ。夏休み最後の土曜日。できたら家族3世代で、10年後にも残るひと夏の思い出がつくれたら素敵だな。

○サラリーマンneo(NHK)

 ついにあの番組が戻ってきた。「NHKのギリギリ」「業界視聴率ナンバー1」の異名を取ったNHKの深夜番組「サラリーマンneo」だ。パフォーマンス集団「コンドルズ」が踊る「テレビサラリーマン体操」、イケメン俳優・沢村一樹が主人公を演じる「連続サラリーマン小説、がんばれ川上君」、テレ朝の「世界の車窓から」をパロッた「世界の社食から」等々、自局他局ネタ満載の弾けた番組だ。その誕生は04年のこと。05年までは単発企画で3回放送され、06年にレギュラーになった。その原動力は番組のホームページだったとディレクターの吉田照幸が言う。
「特番でホームページをつくったのは初めてでした。最初からNHKを好む視聴者には受け入れられ難いだろうと思っていたので、ホームページで反響を知ろうと思ったのです」
 放送当初視聴率は3%程度。ところがホームページには連日膨大な反響が寄せられた。吉田はそれをそのままプリントアウトして、NHK局内の編成部や幹部に配って歩いた。06年にレギュラー化できたのは、その反響の力だったという。
 そもそも当時吉田が籍を置いていたのは、03年頃局の片隅にできた「番組開発プロジェクト」だった。コア視聴者が60~70歳代ではまずい。もっと若い視聴者を獲得せよという社命を帯びたディレクターの集まりだ。当時を吉田が振り返る。
「その時僕がイメージしたのは小学生の時に観たCXの『ひょうきん族』や深夜番組でした。ああいう作り込むコントはNHKにはなかったので、ぜひやりたかったのです」
 それ以前にも吉田は、演芸番組等を担当していた。けれどNHKの「お笑い」の伝統は、予め完成された演者の舞台をただ映すだけだった。それではつまらない。冒険かもしれないけれどNHKでも笑いを「創ろう」。吉田の思いにドラマ専門のカメラマンや照明家が呼応し、生瀬勝久、入江雅人等の小劇場出身の舞台俳優たちが集められた。吉田が言う。
「当初はドラマ的な作り方をしていましたが、それではコントに勢いがでないことがわかりました。今はneo的な手法で撮影しています」
 その結果、最近ではCXの村上光一社長ですら「あの番組はいいね」と漏らすほどだという。まさに出藍の誉れ。この言葉に吉田たちが小躍りしたのは想像に難くない。
 その人気は、メディアミックスでも証明されている。3月には最新DVDが、6月には「NEO的ビジネス書、サラリーマン生活を円滑にするネタ集」等の単行本が3冊も発行される。ただ少し心配なのは、今回から番組も吉田もエンタテインメント部に移ったこと。それは「栄転」ではあるけれど、NHKらしからぬシュールさは忘れてほしくない。

○オジサンズ11(日テレ) 

 深夜、特番を含めて5本もの企画を抱えたテレビマンが、リビングで一人、HDDに撮り貯めた膨大な量の画像を観ている。全て地上波のテレビ番組。他局のものも欠かさない。当然早廻しだが、それでも長年のカンで番組の構成や見どころ、人気の秘密を見逃すことはない。「そうやって見続けた最近のテレビ番組にはない画を見たいと思って、この番組を企画しました」。今回、総合演出を担当する福士睦が言う。だが皮肉なことに、そんな思いの末に生まれてきた番組は、ある意味でも~っともテレビらし~い番組だった。
「テレビ界を背負ってきた男たち11人がいま立ち上がる~徳光和夫、小倉智明、露木茂、鈴木史郎、薬丸裕英等々」
 今や自分の番組を持ち各局の顔となったテレビ界の重鎮たちが、この番組ではレポーターとなって現場に出かけ、自分の声でレポートし、スタジオでトークを繰り広げる。福士が解説する。
「たとえば徳光さんは、自ら現場でヘルメットを被って叩かれ役をやろうかと言い出しました。かつてウルトラクイズの司会をやっていた時、負けた出場者の腹いせで叩かれていた。あの当時の情熱をもう一度画面に甦らせたいという思いから出たアイディアだと思います」
 あるいは民放の朝の顔である薬丸、小倉、テリー伊藤の三人がスタジオでトークバトルを展開する。徳光、福留、羽鳥慎一の「ズームイン」の3代司会者が初めて同じ画面に登場する。日本一混雑する朝の通勤電車の中の様子をレポートする。午前5時から始まるホストクラブに潜入する。表参道あたりで流行っているフリーハグ(誰でもハグする平和運動?)のレポートをする、等々、福士は次々と番組の見どころと目玉企画をあげてくれた。
でもそれってテレビ村だけで通用する魅力なんじゃないの? そう突っ込むと、福士は苦笑しつつ言った。
「そうなんです。いろいろ考えていくと、やっぱりテレビにしかできない企画に落ち着くんですよね」
 そう、テレビにしかできないこと。それは全国何百万人の人間が、同時に同じ画像を見て笑ったり泣いたりすることだ。いかに多くの人に見てもらえるか。そのことを突き詰めた一つの答えがこの番組となった。しかも福士は、かつて視聴率の神様と言われた五味一男(現・日本テレビ執行役員)の後輩。五味が生み出した「毎分視聴率」データも吟味しながら、視聴率を取りにいく。「僕にはまだ確信はありませんが、走りながら多くの人を魅了する番組作りの方法論を見つけたいと思っています」
 あるいはこの疾走感こそがテレビの魅力なのか。テレビを愛する多くの若者の汗と涙が豊穣な番組に結実することを、祈ってやまない。

○手わざの細道

「明日、職人さんのいい仕事のシーンがあるんだけど、撮影に来ませんか」―――。東京赤坂にあるスタッフルームに、突然、女優・山口智子から電話がかかってくる。すでに彼女は職人の里に飛んでいる。そこで、「これは記録しておかないといけない」と思うシーンがあると、東京からスタッフを呼び寄せる。この番組は、そんなことの連続でつくられた。プロデューサーの鈴木淳が言う。
「取材に行っても、山口さんは職人さんに「また来ましたぁ」と親しげに挨拶されます。僕らの挨拶は「初めまして」。つまり山口さんが個人的に築いてきた人脈や情報網、そして好奇心ありきの番組なんです」
 かつて視聴率の女王、連ドラクイーンと呼ばれた山口だが、ここ数年間はドラマにかわって「旅シリーズ」としてゴッホやドガを訪ねる旅番組に登場している。その中で山口は、かつて印象派の画家たちに影響を与えたジャポニズム(浮世絵等)の存在を知る。
―――日本にも世界が認めた美があったんだ。
 そこから日本の職人たちの「手わざ」に興味が向いたという。鈴木が続ける。
「山口さんの行動はピュアです。職人の作品に触れて、いいなと思うとすぐに「会いたいです」と電話を入れる。そして一人で工房に出かけていくんです。職人さんも驚きますよ。普通の山口さんが来るのかと思ったら、女優の山口さんが現れるんですから。でもその好奇心のピュアさから、職人さんたちも胸襟を開いてくれるのだと思います」
前回第1回放送(4月1日)は京都の染め師やガラスペンの職人の姿が描かれた。今回は、3月に被災した能登・輪島に漆職人を訪ねる旅が中心になる。木地職人、下地職人、上塗り職人、漆掻き職人等分業システムでつくられる漆。その技だけでなく、彼らのチームワークも魅力だ。互いに一生をかけて、困った者は皆で助け合うシステムをもっている。
 山口は、ただ彼らの技だけでなく、その言葉や動作、日常の生活ぶりをも丸ごとテープに残そうとする。自ら膨大なメモを取り、下調べも充分にこなして現場にやってくる。撮影後の編集作業にも顔を出し、自らナレーション原稿を書き、吹き込み、時には徹夜でスタッフの作業を見守っていくという。
 その姿勢は、すでに女優の趣味の域をはるかに越えている。自らの存在を賭けて、消えゆこうとする職人の姿と技を後世に残そうとする魂の静かなる叫びを感じる。
「本当は番組って、こういう情熱から生まれるべきものですよね」
 鈴木がしみじみと言う。それはテレビで育った女優の、ある意味でテレビへの恩返しなのだろうか。


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October 12, 2007

秋のほとばしり第一弾~職人列伝が発売になりま~す

1
じじじじじゃ~ん。
ついに出ました『図説・日本の職人』
河出書房からです。来週には書店に並びます。ぜしぜし見てやってください。
中には、こんな素敵な写真も満載です。写真は杉全泰さん。ベテランの味をご堪能くださいませませ。
2
これは輪島の奇才、故・角偉三郎さんの作品。
あんまり素敵なんで、僕も買っちゃいましたよ。小さなお碗と片口。お正月にこれでお酒を飲むとしみじみ美味しいっす。
Photo_5
こちらは江戸深川の桶栄さんの品。ここにはお風呂桶しか写っていませんが、本当はテーブルにも乗る食べ物を盛る桶が最高なんす。ワインクーラーもいいな。ヨーロッパのリモージュとかと並べても、その品格はけっしてひけをとりません。
Photo_6
陶磁器は、この萩と長崎の波佐見焼きを取材しました。
この紅萩もいいけれど、かつて有田の影武者と言われた波佐見焼きのゴットハンド、中村平三さんの手業も圧巻でしたよ。

Photo_7
もう一丁、これは松江の和菓子ですね。松江では、朝茶とか午後茶の習慣があって、和菓子の消費量も日本一なんですね。職人のてのひらの中でアンコがくるくるっと回転すると、あっと言う間にこんな素敵な形が生まれてくるんです。しかも一個150円程度。安いっすよね。

なんて、全国の職人技がぎゅっと詰まっています。
そうそう、せっかくだから、ここでは没になっちゃった「前書き」をご紹介しましょうね。
採用になった文章よりも、僕はこっちのほうが気に入っているんすよ。ふふふ。
「ちょいと手作りの雪平鍋を買いに大阪へ。途中京都で下車して錦小路の刃物の名店「有次」と祇園の染司・よしおかへ。烏丸四条の京唐紙「KIRA KARACHO」では世界でたった一枚の唐紙から生まれたポチ袋が美しい。大原野では京鹿の子の疋田絞に職人技の粋を見る。夏には国産竹を丸ごと使った讃岐丸亀の団扇で涼をとる。ガラス風鈴なら小樽・浅原ガラスの特注品。ワインを冷やすなら木曽の天然椹を贅沢に使った江戸桶栄の桶。涼しげに羽織りたいのは南国の色彩鮮やかな宮古上布。ビートルズが流れる「磯貝」で江戸鼈甲の簪を買って夏の着物のアクセントに。帯締めなら一世紀の歴史を持つ伊賀上野の組紐。あわせる巾着には勝ち虫トンボ柄の甲州印伝が相応しい。着流しできりりと歩くなら絹ずれの音も凛々しい博多の献上帯。夏祭には江戸浜町「高虎」の祭半纏を粋に着る。背中には大きく「羊」と書いて「美人」ときた。漆の一点ものなら輪島の奇才・角偉三郎の合鹿碗。毎日使う茶碗は「神の手」中村平三の波佐見焼。ダイナミックな赤萩なら萩の陶芸家・玉村登陽。彦根では井伊直弼が愛した湖東焼。尾張にはかつて日本人の手作業の精度を世界に誇示した七宝焼。江戸では極小の世界で「大嘘をつく」服部一郎の小物が光る。鉄なら北国・盛岡に京風の茶室文化を導いた南部鉄器。銅の茶器なら高岡銅器。桐は新潟加茂の桐箪笥。典雅な箏の音なら瀬戸内にこの人あり、藤田房彦。秋田では柳宗悦の教えを今に伝える樺細工師、小柳金太郎。箱根の細工職人・本間昇の工房には国宝級の逸品が並ぶ。和菓子をいただくなら出雲の職人・伊丹二夫。雨の日も、浅草・前原商店の傘ならランランラン。靴は世界のビスポーク、宮城の佐々木靴店へ。神戸・マキシンの帽子を被れば、違った自分が鏡の中に現れる。
この国に生まれた幸せを職人技にかみしめる、しみじみと贅沢なこのひととき」

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芸術の秋~最近の取材源場から

3
だんだん秋も深まってきていますね~。
ここんとこ、結構芸術系の取材が多くなっています。
先週は、のぞみで姫路にいって、そこから在来線に乗り換えて約40分、瀬戸内沿岸の街、赤穂に行ってきました。
あの赤穂義士(地元では絶対に浪士とはいわないそうです)で有名な小さな城下町ですが、今年からそこで「国際音楽祭」が開かれることになりました。
こんな感じです。
Photo
そのきっかけになったのは、上の写真の小さな子どもが弾いているヴァイオリン。これは6年前に、この地でコンサートを行ったヴァイオリニストの樫本大進さんが市を通して子どもたちに20挺寄贈したもの。当時、この街にはヴァイオリン教室はなかったそうなのですが、この寄贈を受けて、ボランティアで先生方が立ち上がり、以降毎年20人の生徒がこの楽器を使って練習を続けてて来たのだそうです。
そして今年、大進さんの念願かなって、このコンサートになりました。
子どもの頃、ニューヨークやドイツで育った大進さんは、帰国するたびに母の故郷であるこの街に滞在し、おじいちゃんと二人で夏の一カ月を送ったのだそうです。その間、小学校にも通い、牛乳のハヤのみ大会で勝ったり、山を駆けめぐったり、とても楽しい思い出を残したのだとか。その街でヨーロッパにあるような手づくりの音楽祭を開きたいというのが長年の夢だったといいます。
そのおじいちゃんの家が、山の中にひっそりと佇んでいました。
Photo_2
ここまで来るのに、歩きだったら山道をゆうに1時間はかかるな。タクシーでもやっと一台通れるような細い道を15分くらいかかりましたから。5歳で姫路交響楽団と共演したという神童の音が、この森に吸い込まれて行ったのですね。いやはや、素敵な音楽祭、素敵な響きでした。

おじいちゃんといえばもう一人、この人も圧巻でした。
Photo_3
柳沢弘道さん90歳。背景にある大きな屏風絵を描いた人です。
もう一枚いきましょうか。
Photo_4

その多くは模写なんですが、なんでも柳沢さんは、素敵な絵を見ると感動して、つい描きたくなっちゃうそうなんです。以前はスケッチブックに描いていましたが、40歳くらいだったかな、あここに大きなキャンバスがあるじゃんと気付いて襖に描くようになったのだとか。たはは、ちょっとアウトサイダー入ってますよね。
でも芸術の本質って、そういうほとばしりですよね。ほとばしりが音楽に昇華するもよし、絵画でもよし、そして文学もまた然り。そういう存在でありたいですよね。
隣に居るのはお孫さん、じゃなくて、この展覧会を企画したキューレターの楊さんです。
この展覧会は14日まで深川の森下文化センターでやっていますよん。ぜしに。

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September 15, 2007

設計図の思想、こめた思い

先日、アトリエ・エレマン・プレザンの佐藤ご夫妻にこんな手紙を書きました。
きっかけは、最後のゲラの読み合わせの時に、佐藤先生からこんな言葉をかけていただいたことでした。
「できたら神山さんの設計図をいただけませんか」
それはとても意外な言葉だったので、一瞬詰まってしまいました。
「えっ、人様にお見せするようなものではありませんが」
でも佐藤先生は、それでもいいから一冊の本が生まれてくる過程を知りたいのだと仰ってくださったのです。
いつも文章を書くときに、必ず設計図をつくります。
500枚から700枚の作品を生み出すためには、それなりの設計図が必要になります。
確かにそこには取材で得た全てのエッセンスと、僕の思い、そして作品の原型が詰まっています。
完成した文章からは漏れてしまったコンテンツ、途中で変容した構成、そして、時の流れの中で変態を繰り返した作品の「過程」、等々。
BAZAARに戻ってから、僕は本棚から「エレマン・プレザン」と書かれた封筒を取り出し、その中に入っていた設計図をコピーしました。そしてこの手紙を添えたのです。
佐藤先生に言っていただいて改めて気付いた設計図の思想。そしてそこに込められた僕の思い。
ちと見てやってください。

「急に凌ぎやすくなりました。思い出深い夏がいとおしく感じられますね。
先日はいろいろとありがとうございました。

さて、あの日お話しいただいた「設計図」を送らせていただきます。
見ていただいただけではわかりにくいと思いますので、一応解説を。
人様にみていただけるものではないのですが、こんなふうに関心を寄せていただいて、設計図も喜んでいると思います。これもまた「引き出す力」ですね。
ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

①インタビュー、テープ起こし~全てのインタビューテープをこんなふうに起こします。そして、拾うべき「要素」に1から番号をつけて「解体」します。つまり発言要素は「1-1」「1-2」というふうに記号化されます。今回は20名以上の方にインタビューさせていただきましたね。
②資料も同様です。この資料はaですので、「要素」は「a-1」「a-2」というふうに記号化され「解体」されます。こちらも大小あわせて30近くありました。
③解体した「要素」をグルーピングします。「アトリエ」「敬子」「父・世田谷版画工房」「ダウン症児の性格」といったグループが形成されます。「1-19」の要素の左に書かれた「1」という数字は、「1章に入る」を意味します。「1-21」の左の「4」は「4章に入る」。一つのグループの中でも、異なる章のコンテンツになるケースです。
④章の「大箱」をつくります。全ての要素を解体しグルーピングしながら、力のある言葉、語られるべき大きな要素、頭の中に色濃く残ったフレーズ等を抽出して「章」のキーワードにします。「環境」「ダウン症児の感性」「アール・ヴリュット」「家庭環境」「歴史」等が言葉として残りました。
⑤「大箱」を一つの章に昇華させるために、章の中に入る「中箱」をつくります。すでにこの段階で、前の設計図では「2章」と書かれていた「歴史」が何故か「3章」になっています。プロローグを書き出して変更したのか、この後の設計図づくり段階で変更されたのか、明確な記憶はありませんが、設計図はあっても「書きながら考える」「書きながら直感的に直す」ということを続けていきます。頭よりも指先に浮かんだアイディアや事情が優先されます。
⑤-2
 「中箱」の中に要素を入れ込みます。「ターンテーブル」の中箱には「1-19、20」「g-11」「a-2」等の要素が入ることになります。
⑥一つの章の全体像を示す図です。左側の大きな文字は「中箱」です。「感性と継承」「中沢新一との出会い」等は、一度この章の要素として考えられましたが、何らかの理由で「エピローグへ」と廻されています。そしてご存じのように、完成稿ではエピローグからも外されました。何故なら、この設計図を書いた後によし子ちゃんの結婚式があり、そこで「夢のリレー」というもっと力のある言葉が生まれてきたからです。躊躇なく常に変容を繰り返すことで、設計図は成長していきます。
中程にある箱は「時系列」です。この章は「アール・イマキュレへの道」というロードムービーのようなつくりにしましたので、読者に分かりやすいように、時系列で事実を並べることにしました。つまり左側に書いた「中箱」を再度解体して、中程の「時系列箱」に再構築したというわけです。右側には、箱に入るべき「要素」が書き出されています。

ここまでできたら、書き出すだけです。設計図づくりの段階で繰り返し繰り返し「要素」を見直しますから、だいぶ頭に入っています。それらが頭の中で自然に繋がって、フレーズとなります。そうなったら、あとはひたすら「生まれるべき文章」を打ち出すだけです。場合によっては、設計図づくりの途中で言葉が溢れてしまうこともあります。そういうときは設計図から離れて、生まれてくるフレーズを素直に打ち出してやります。
そんなことを繰り返しながら、この一年を生きてきたことになります。
今回は、生まれるべき完成形が見えていましたので、僕には幸せな時でした。
ありがとうございました。
ほんの少し、時代に爪痕を残せた気分です」

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August 30, 2007

夏の記憶の写真館4~一年がかりの作品がまもなく完成

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今年の夏は遊んでいたばかりじゃありませんよぉ。
1年がかりでまとめたアトリエ・エレマン・プレザンの作品もようやく完成が見えてきました。
今週は志摩のアトリエに出かけて、編集者とアトリエの佐藤先生ご夫妻とともに最終ゲラの読み合わせ。
原稿が少し多すぎたので、削ったり貼り合わせたり付け足したりと、楽しい作業をしてきました。
アトリエの作品は、こんな感じです。
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これは、志摩に住む上田幸絵ちゃんの作品かな。昔NHKの障害者アート展に入選して全国放送で紹介された作品です。素敵でしょう。アトリエにはギャラリーもあって、彼らの作品がグループ展示されています。

と、根詰めた作業のあとは、やぱり志摩の自然を満喫しなきゃ。ふふふ。どこでも遊んでいることは間違いありません。アトリエの脇の坂道を降りていくと、そこは静かなブルーの世界・英虞湾。
そこにシーカヤックを浮かべて、しばし海洋冒険家気取りです。
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この前来たときは一人で初めてカヌーに乗ったのでちとおそるおそるだったのですが、今回は先生のお嬢さん文香さんが留学先のフランスから戻っていて、心強いパートナーになってくれました。
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さらにさらに、最近この海岸線の真珠小屋に引っ越してきたお隣さんがもっているボートに乗って、佐藤夫妻とともに湾をお散歩。敬子さんなんてはしゃいじゃって、すっかりモネのモデル気取りです。
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どうです。この写真、いいでしょう。本の表紙はこれでいこうかな。
大空の部分にタイトルが入ります。
『いいんだよ、そのままで~奔放な人生を完遂するための大人たちのブルース』ってか。むふふ。
そういう内容じゃないんですが。たはは。
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アスコムの高橋編集長、斎藤わかちゃん、そして佐藤先生ご夫妻。
何より志摩の大自然に魅了されてしまって、将来ここにアーティスト・レジデンスをつくろうかなんて話で盛り上がっています。皆さんも一度、ご一緒にいかがですか。
そうそう、夕御飯にいただいたアワビやサザエまでも、ここでは素敵なオブジェになってしまうのですよ。
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小振りなアワビが美味しかったぁ。翌日のお昼は、アワビスパゲティですからね。たまりましぇん。

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August 23, 2007

久しぶり、テレビ・コラム・シリーズ

昨日テレビドラマ監督の鶴橋さんに会って『天国と地獄』について一本書きました。
これは小学館ダイム誌にもう足掛け3年くらい連載しているテレビコラムです。
これが新編集長になったことで、9月で一区切りとなりました。
長い間ありがとうございました。
この仕事ができたのは、ひとえにISプレスの鵜沢君という、僕の後輩(僕の社会人スタートはこの編集プロダクションだったのですよ、ほほほ)の活躍によるものです。だって僕、携帯もってないでしょ。なのに隔週の雑誌に書くには、結構連絡が大変なんですよ。時にはヨーロッパとかパラオとかハワイとかいっちゃう風来坊だしね。ふふふ、取材のアポとりから資料揃えまで、ぜーんぶ鵜沢君がやってくれました。
べりーべりーさんきゅでした。何かお礼しないといけませんな。

というわけで、久しぶりですが最近書いたコラムをアップしますね。さすがに昨日書いた鶴橋さんの一本はまだ載せられませんが。よろしくどーぞ。

○NHK「ボキューズ・ドール」
 サッカーのワールドカップが戦争に譬えられるのは知っていたけれど、フランス料理界にもまた「戦争」があるとは知らなかった。2年に一度、食の都リヨンで開かれる「ボキューズ・ドール」。現存するグラン・シェフの中でも1965年以降40年以上連続してミシュランの三つ星を獲得し続けているボキューズは、その存在感で群を抜いている。彼の名前を冠した「料理界のワールドカップ」は、世界24カ国の代表が一同に集い、巨大なキッチンスタジアムで2日間、持ち時間5時間半で展開される。
 11回目の今年、初めてNHKのカメラが日本代表の長谷川幸太郎氏に密着取材した。プロデューサーの杉浦俊太郎が語る。
「会場は各国の旗がたなびき、笛や太鼓、日本からはシャモジの応援もあって本当にサッカーのスタジアムのような喧騒です。今回のテーマは肉はブレスの鳥、魚はノルウェー産のヒラメの一種、オヒョウでした。各国の特色を生かした料理が競われる、世界でもっともレベルの高い大会の一つと言われています」
 各国の予選を勝ち抜いた代表チームは、約10カ月かけて準備を行い、予めメニューを提出する。つまり、「料理の鉄人」のように即興性が試されるのではなく、オリンピックのように研ぎ澄まされた技術と考え抜かれたメニュー、そして祖国のオリジナリティが問われるのだ。大会当日、12チームづつに別れた各国代表チームは10分起きに料理をスタートさせる。もっとも良い状態で料理をサービスするためだ。驚いたのは、会場に「敵国」の状況を視察する偵察隊員の姿もあることだ。フランスだけでなく、ヨーロッパ各国はまさに国のメンツをかけて代表団を送り込む。日本も今回から本格的なスポンサーが付き、過去最高の8位より上、上位入賞を目指した。はたしてその結果は――、番組を見ていただくことにしよう。
 それにしても、自国の食文化を世界に広めようとするフランスの自意識には恐れ入る。日本も世界で比類なき食材大国だとは思うけれど、日本料理の世界大会という発想はない。2年連続でミシュランの一つ星を獲得した松嶋啓介氏が、いみじくもこう言っていた。「ボキューズさんはアンバサダー(料理大使)だ」と。
 つまり約100年前のエスコフィエの時代から、フランスは料理を武器に世界にその存在を轟かし、逆に世界の素材や料理法をフランス料理に持ち込むことによって世界を取り込んできた。そんな国家戦略の縮図が、このボキューズ・ドールだということもできる。
 日本のフランス料理の歴史は約150年。いつかセンターポールに日の丸が上がるシーンを見てみたいと念じるのは、私だけではないはずだ。

○NHK「マチベン」
 この番組、企画段階でのスタッフ間コードネームは「ジジベン」だった。それじゃあんまりですから、と脚本の井上由美子が笑っていう。
「この年代ではこれ以上のキャスティングはありえないという方々が揃いました。私は熟年三銃士と呼んでいます。サブタイトルに『大人の出番』という言葉を入れましたが、分別臭くなく可愛く無邪気で、もう女性を気にしてかっこつけなくていい大人の魅力を描きたいと思います」
 大手新聞社の社会部記者を53歳の時に辞めた徳永(渡哲也)、二代目画廊経営者だった堺田(石坂浩二)、音響機器メーカーをリストラされた岡村(地井武雄)。還暦を迎えた3人が、それぞれの理由で第二の人生に「弁護士」を選び、幾多の苦闘を経て司法試験に受かってどこにでもあるマチベン事務所を開いた。
 同じようにこの企画もまた、実現するまでにそれなりの難関があった。井上が振り返る。
「企画の着想は10年前、『ひまわり』という朝のテレビ小説を書いていた時に取材で出会った70歳の司法修習生の方でした。60歳から勉強して司法試験に合格して、まだまだ何かをやっていたい、元気でいたいという姿がとても魅力的だったんです。
その時から、このテーマを番組化したいと思っていました」
 井上はことあるごとに、各局のプロデューサーやディレクターにこの企画を相談していたという。ところがいずれも答えはNo。この年齢の主人公はありえないという返事だった。ところがここに来て風向きが変わった。世の中ではそれだけ、団塊の世代の引退、第二の人生のスタートが旬な話題になっている証拠だ。
 もちろん、数々の名作ドラマを紡いできた井上のこと。ただ熟年の魅力に寄り掛かるのではなく、物語は「報道被害」「企業汚職」「児童虐待」「過労死」等、今日の社会が抱える様雑な病理が描かれている。それだけではない。番組発表の記者会見で三人ともに「好きな台詞がある」と語ったのも印象的だった。「人生の最後くらい人の役にたつことがしたい」「悔いのない仕事なんてありえない」「この歳だから死ぬまでにそんなにたくさんの仕事はできないだろう。だから一つ一つの仕事を大切にしていきたい」等々。
 これらの珠玉の言葉は井上の創作ではあるけれど、生身の渡、石坂、地井の呟きでもある。同時にブラウン管の前の同世代の視聴者もまた、ある種の痛みと共にこの言葉を呟くことになるはずだ。もっとも40代の僕には、実は井上が最後に冷笑しつつ語ったこの言葉の方が痛かったのだけれど―――。「最近の60歳は本当に元気ですよ。最近では40代の方が元気ないでしょ。精子が薄いなんて報道されていますしね」
 
○WOWOW「ランウェイ」
 この二本の番組を見ると、料理界や美容界と並び、日本でもファッション界が青春の舞台として脚光を浴びる日も近いなと思う。全米から選び抜かれた16人の若手デザイナーが、毎回様々な課題をクリアしながら唯一の王冠を目指して競い合う『ランウェイ』。昨年放送された第一シーズンに次ぐ作品だが、いや~文句なく面白い。毎回一人が脱落していく過酷なレースの先に待っているのは全米デビューの約束手形であり、ファッション誌のカバーページ。実際に第一シーズンの優勝者は、06年秋にレディスとメンズの2ラインで全米デビューを果たしている。製作担当の宮崎純子が言う。
「応募者は約3000人。すでに自分のブティックを持ちファンもいるようなレベルの人も出てきます。日本のファッション誌の編集の皆さんも熱く注目して下さっています」
 宮崎のもとには、「前回放送の第3話の主人公が履いていた靴の写真がありますか」といった問い合わせが続々と届いているという。
とはいえ、なんといっても番組を盛り上げているのは登場するデザイナーのキャラクターの多彩さだ。ゲイ、ベトナムからのボートピープル、弁護士、コンピュータおたく、ナルシスト等々。近年ブームの「リアリティ・ショー」の人気はここにある。しかも全員「本気」だから、台詞劇としても秀逸だ。「合格に必要なもの?ファッションへの愛情だけでしょ」「俺の才能を世界に見せてやりたいんだ」「不安?審査員に見る目がないことだけかな」等々、自信過剰と膝の震えを隠すやせ我慢の間で現実は進行していく。
 そしてもう一つ、番組の魅力は審査員を務めるスーパー・モデル、ハイジ・クラムやデザイン学校校長ティム・ガンたちの冷たい情熱にもある。「これは人生を賭けた挑戦なの。何で8時間で完成したなんて思うの?あなたはここまでね。サヨナラ」「この作品には何もない。退屈だ。可愛さは時としてつまらないものになる」等々、その切り捨て方の鮮やかさは一つの芸域に達している。
 もう一本の『カバー・ストーリー』は、カナダで15万部売り上げる高級ファッション誌『FQ』の制作舞台裏に密着したドキュメンタリー。お高く取り澄ましたモデルたちのエゴや彼女たちが纏うドレスに隠されたドラマが赤裸々に語られていく。
 それにしても、この手の番組を支えているのは狩猟民族の自己主張の強さだと改めて思う。以前、全米で人気の素人勝ち抜き番組が日本の民放地上波で放送されたけれど、あえなくこけてしまった。やはり農耕民族は「押し」が弱い。これからの青春の舞台は世界にダイレクトに繋がっているのだから、番組から学ぶべきはそこかもしれないな。

○NHKスペシャル「家族」
 家族。普遍でありながら極めて個別的、個性的なこのテーマを掲げたとき、テレビマンはどんな方法でどんな切り口を見いだしたのか。約2年間に渡ってこのテーマと格闘することになったNHKスペシャル、プロデューサーの藤木達弘は言う。
「日本だけに限らず、世界的に見ても共同体の崩壊は共通現象であるようです。世界の映画祭でグランプリを取るのも家族をテーマにしている作品が多かったりします。私たちは絆をテーマに、人間にとって最も大切な家族を描きたいと思いました」
 だがテーマが巨大かつ深淵であるだけに、取材も一筋縄ではいかなかった。第一作目の担当ディレクターは、日本にやってきた日系ブラジル人家族と日本社会との軋轢を描きたいと取材を開始した。ところがその中で、ブラジル国内に4世代に渡って27家族86人が共同生活をしている大農場があることを知る。多くの日系人の口から「古き良き日本の家族の姿がそこにある」と聞いたディレクターは取るものもとりあえず現地に飛んで取材を開始する。農場内の一人の娘がブラジル人男性と結婚したいと言い出した。そのことで共同体が大きく揺れる。「日本人の血を守らないでいいのか」「過疎化しているのだからこの結婚を受け入れなければ」等々。一つの結婚を機に家族とは何かが問われた時、主人公はこの農場の大家族に変わっていた。
 二話目の鹿児島のハンセン病療養所で暮らす元患者3家族を描いたディレクターは、元鹿児島放送局の局員だった。ハンセン病患者が強制堕胎させられた胎児の標本の存在が明るみになったとき、彼は番組化など考えずに療養所に通いだした。出産直後、目の前で我が子の命を斷たれた女性。結婚直後に夫が断種手術をされた女性。強制隔離で両親と引き離され、妊娠7カ月の子どもを強制堕胎させられた女性。彼女たちにとって「家族」とは幻であり夢でもあった。約半年間、ディレクターは彼女たちの言葉に耳を傾けた。すると彼女たちのほうから「ぜひ私たちの姿を記録して」と哀願されるようになる。このNスペの企画を知ったのはそのあとのこと。つまり作為ではなくジャーナリストの本能から生まれた作品と言っていい。藤木が言う。
「全7回のどの企画も最低でも取材に1年以上かけました。プライバシーの問題もありますから、取材者と被取材者の関係性が大切です。膨大な取材テープをみていると、あぁこの時スタッフは皆泣きながら撮影しているなというのがわかります」
藤木もスタッフたちも、取材が終わると無性に母親や家族に電話をしたくなるという。取材者もまた目の前の家族のあり様に感動し、涙し、そして変化している。番組は、その貴重な記録でもある。

 

2007 08 23 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 26, 2007

でましたぁ。『借りたカネ、やっぱり』

Photo_101
ででででましたぁ。
02年に大ブームを巻き起こした『借りたカネは返すな』の07年バージョン、『やっぱり』です。
この間、日本の金融界では、「市民革命」が静かに進行していたのを皆さんはご存じでしたか。
一昔前なら、消費者金融に対して過払い利息の返還交渉などできるはずはありませんでした。
それが今では、裁判に訴えなくてもきちんと計算して返還を申し込めば、相手は黙ってそれを認めてくれます。
銀行にしても、返済のリ・スケジュールは当然のこと。債務超過になった不動産の任意売却も、
黙って認めてくれるようになりました。例えば5000万円のローンが残っている物件でも、2500万円の時価で売却が可能になったのです。残った2500万円の債務は、他に返済原資となる資産がなければ、通常はサービサーに償却され、債務者はサービサーに額面の数%を払い込むだけで債務は消滅します。
つまり「インフレ期の債務をデフレ期の収入で返済する」という庶民が背負わされた矛盾を、綺麗に解消する仕組みが出来たのです。
考えてもみてください。この物件が5000万円の価値があるということは、購入者である債務者だけでなく、それを融資した債権者も認めていたことなのです。それがバブルの崩壊という、国家が市民の財産を減少させる失策によって価値が半減したのです。なのにその責任を背負わされるのが債務者だけなんておかしいでしょう。融資した債権者だって、価値の消滅分に関しては責任の一端があるはずなのです。
こんな理不尽な仕組みがまかり通っているのは日本だけです。そういう状況に、風穴を開けたのが「任意売却→サービサー償却」というシステムでした。
これらは全て、「債権者は王様、債務者は奴隷」という過酷な状況下にありながら金融機関と粘り強く交渉し、一つ一つ課題をクリアして債務地獄から生還した人々の汗の結晶です。
まさに「市民革命」なのです。
本書は、そうした革命下闘いの詳細を克明に描いた一冊です。
中小企業の事業再生という、10年前には誰もビジネスになるとは思えなかった分野に敢然と踏み込み、傲慢な金融機関に対して時には「トリック」も使いながら交渉を展開してきた民間ターンアラウンド・スペシャリストの第一人者、八木宏之。そして彼が率いるセントラル総合研究所のコンサルタントたちの活躍を通して、市民側の勝利の模様を描いています。
僕はやはり02年から、このセントラル総研を定点観察しています。
いずれは彼らの姿を小説という僕にとっては新しいスタイルで描きたいと思っています。
同時代を生きていると気づきにくいものですが、後の世の人たちから見たら、まさに彼らは革命家に映るはずです。大蔵省を頂点として都市銀行、地方銀行、信組、消費者金融、リース会社等々に巨大なすそ野を広げる日本の金融界を相手に、蟷螂の斧とも思える闘いを展開し、見事に日本社会をここまで「改心」させた彼らの孤独な闘いを、本書を通してぜひ読み取っていただきたいと思います。

あ、ここまで書いてきて思いつきました。
ちょうどこのHPのナンバーが69000台になっているでしょう。70000番をゲットされた方、ご一報いただければ本書をプレゼントいたします。
ナンバーをチェックするのを忘れないでくださいね。
どなたに踏んでいただけるか。楽しみにしていますね。

2007 05 26 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 11, 2007

新生バザール!

この写真みてください。
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サンダーバード二号のコクピットみたいでしょう。って、違うか。たはは。
この前武蔵野大学の二人の学生が来てくれて、事務所の模様替えをしました。
この黒い大テーブルのある12畳はちょっとまえまでは打ち合わせ用の部屋、、、とは名ばかりの物置状態だったんですが、ぜーんぶ整理して、今度はこの部屋で書くことにしました。
いままで執筆に使っていた6畳は、本棚とカラーボックスを入れて資料室になる予定です。
さぁ、今年はこの部屋から、予定通りいったら6冊くらいの本とたくさんの雑誌記事が誕生する予定です。
書き切れますかな。むふふ。それはお楽しみお楽しみ。
雀鬼流のHPを見ていたら「会長が6月にパラオへ」と記事が出ていました。
すかさず竹書房の宇佐美さんに電話して「僕も連れてってください」。
桜井会長のルポルタージュ「その男、孤高にして」(仮題)も、今年の課題の一つです。
芸術は環境だ、というのは、アトリエ・エレマン・プレザン主宰の佐藤先生のお父様の言葉。
この環境の中から、いくつかの「生命」を生みたいと思います。

というわけで、13日から23日まで、神山はローマ→ニース→ローザンヌ→そしてベルンのワイルさんのお墓参りに出ています。留守電は聞けるはずですので、何かあったらBAZに電話してください。メールは、ネットカフェがあったら見られると思いますが、ちとわかりません。
 

2007 05 11 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 12, 2007

ありえね~

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ありえね~。ほんとにありえね~。
雀鬼会といえば、麻雀界のワールドカップみたいなところですよ。
その史上最強軍団が毎期ごとにつくっている会報の、なんと表紙に僕の写真が使われているじゃないですか。
ありえね~。僕麻雀打ったことないのに。基本動作はおろか、牌の持ち方もできないのに。「インタビューしといてなんで俺のコメントを載せないんだ」とちゃっぺ君にも志村さんにも頭叩かれている存在なのに。とほほ。
いや~。ほんと恐縮です。こういうときに「恐縮」という言葉があるんでしょうね。
でも、書かせてもらったんですよ。「無敗伝説の伝承」という一文を。これは自分でも密度の濃い文章になったと思います。コンデ・コマからヒクソンへ、そして桜井会長から弟子たちへという、これまでの10数年間の僕の取材活動の結晶のような文章が生まれてきたから、それを掲載していただいたことはとても嬉しいのですが。
にしてもねぇ。いやはや。でもね、撮ってくださったカメラマンの北村さんにも感謝感謝ですね。
その文章は、雀鬼会のホームページにも載せてもらえるかな?ま、そのへんを確認して、いずれ「熱血」でもご紹介しますね。
いや~それにしても恥ずかしい。顔出して平気なグラビアアイドルの気が知れませんね。とほほ。

2007 04 12 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 30, 2007

プライベートジェットに乗って---りそこないましたぁ。とほほ

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じゃ~ん。
どうです。かっこいいでしょう。最近手に入れたプライベート・ジェットで-----あるわけないか。たはは。
取材で乗る予定だったジェット機です。
セスナ社製、CitationIです。
普段は岡山の飛行場にあって、オーナーが乗るときに羽田にやってきて、そこから全国各地に飛び立つのだそうです。いやはや、最近この手のジェットが大はやりで、注文しても2年待ちだとか。
日本のニューリッチ層もお金の使い方が変わってきたのですね。
ところがこの日、羽田から全日空で大島に行って、そこからこの飛行機に乗せてもらって羽田に戻ってくる予定だったのに、肝心の全日空がプロペラ機で大島上空までいったら「強風のため着陸不可能。羽田に引き返します」だって。とほほ。このジェット機は着陸できていたのにね。
仕方ないから羽田で待って、撮影、オーナーインタビューとなったのでしたん。残念。
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そして羽田では、こーんなでっかいリムジンが待っていました。それに乗り込んで車内でインタビュー。
なんでもジェット機は1時間あたりのガソリン代が9万円。パイロットは一日8万円。この前、車輪を換えたら800万円かかったとか。たはは。今日本にはこの手のジェットが5機あるのだそうです。

今回の取材はこんな浮世離れしたネタが面白くて、けっこう楽しめました。
印象的なのはクルージングかな。世界で一隻だけ、部屋を分譲しているタイプの豪華客船があるそうです。最高は一室8億円かな。でも5、6000万円クラスのワンルームもあって、それはいいなと思ったんだけど、通常はベビーシッターとか料理人とかのために買う部屋だとか。とほほ。
この船はオーナーが協同組合をつくって運営していて、行き先も投票で決めます。んで、だいたい2年間で世界一周かな。デッキにはゴルフのドライビングレンジもあって、海に向かって溶けるボールを打つんだって。時には人工島を浮かべて、そこに向けてニアピン競争なんかもするそうです。
なんだかな~。

ま、そういう世界があってもいいですよね。日本は、圧倒的に富裕層サービスが遅れているという話しもききました。格差社会なんていっているけれど、欧米の階級社会が日本には育たなかったですからね。
もちろん、ノーブレス・オブリージュという概念なんか皆無に等しいけれど。
さて、どんな文章が出てきますか。楽しみ楽しみ。

2007 03 30 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 14, 2007

大大阪堪能してきました、現代美術、26年ぶりの同窓会、じゃんじゃん横丁、セントラル10周年、69年もののエシェゾー!!

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先週末、大阪に4日間に滞在して、かつて大正末期から昭和初期にかけて東京よりも勢いがあり「大大阪、ぐれーとおおさか」と言われたこの街の底力を堪能してきました。
まずは府庁や町中を舞台に行われている「大大阪カレイドスコープ展」。去年新潟の越後妻有を舞台に世界的な現代美術展を開いたプロデューサーの北川フラムさんの企画で、素敵な展示がたくさんありました。
これはスイスのアーティスト、フェリチェ・バリーニの作品です。
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大正末期建立の立派な府庁の内部を舞台に、ヴァリーニは不可思議な螺旋形を出現させました。
ある一点からみると、見事に輪が完成するんです。その一点を探すのが楽しいな。
フラムさんの企画の秀逸なのは、美術を媒介にして人と社会、人と街を見事に融合させてしまうこと。
越後の里山では、美術を見るために人々は里山の美しさの中に溶け込みました。
今度は大阪という街に人と美術が溶け込んで、結果的に人々はこの街が持つ底力を実感することになります。
商人の街・大阪は、本当に多くの民間の人々の力でこれまで力強く生きてきたんだということがわかります。
臨海部の埋め立てなんていう作業を民間がやっちゃったり、梅田駅前の大歩道橋を松下幸之助がかけちゃったり、中央公会堂も民間の寄付でできたとききました。東京とは違うパワーをもっているんですね。
がんばれ大阪。眠っている場合じゃないぞって、心底思えますよね。

その大阪の超高級ベットタウン芦屋にも足を伸ばしました。ここには26年前、フランスのディジョン大学時代に一緒の寮にいた達谷さんがレストラン「千暮里」を開いています。
「大学時代」なんていうと留学していたみたいですが、ふふふ、遊学なんです。実は。二カ月いただけだから。
でも達谷さんが出してくれた写真を見ると、顔が三角形の僕がいてびっくり。丸とか四角とかホームベース型ではなくて、ほんとうに三角なんす。とほほ。
で、これが達谷さんが最近建てた、6000坪の敷地の中にある一軒家レストラン。すごいでしょう。
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庭に出ると、広い芝のグラウンドと、その下にはジャグジー小屋があって、中には10人以上入れそうな巨大なお風呂があります。
眼下には、大阪南港。近所にはコシノジュンコさんの邸宅もあるそうですが、うーん、さすが大阪。六本木ヒルズなんて偽物をちやほやしている東京に比べて、しっかりと自然の中に人間の贅を究めた居住空間をつくっているわけです。もちろん近くには六麓荘という超超高級住宅地もあります。
商業スペース、居住スペース、そして自然。もちろんちょっと足を伸ばせば京都とか神戸という歴史的スペースもあるわけで、それらが見事に融合しているわけですね。
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そして、それだけじゃないのが大阪のいいところ。
ミナミに下ると、そこには毎日通いたくなるじゃんじゃん横丁があります。
二度づけ禁止の串カツですよ。土手焼きですよ。将棋道場ですよ。
そこの寿司屋で飲み始めたら、常連の舞さんというおじさんと親しくなり、思わずカラオケにくりだしてしまいました。Photo_59

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そしたらねぇ。なんとも奇縁なんですが、ゲイはゲイを呼ぶというか、本質的に二丁目体質というか、ここでもゲイの律子ちゃんに出会ってしまったんです。ま、おつきあいは勘弁、という感じでしたが。
とほほ。
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そして大阪の最後のプログラムはセントラル総研の10周年パーティー・イン・大阪。
ここは八木さんがサラリーマン時代に過ごした街、過酷な取り立てを行っていた街だんたので、八木さんも感激もひとしおという感じでした。
大阪支社の社員のヨーコちゃんとアイリちゃんと記念写真。
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ちなみにこのパーティーのイン・東京は先週行われたのですが、その3次会で神楽坂ラリアンスにいきました。ここのソムリエ・勝山さんにお世話になって、最後に飲んだのがこのワインでした。
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えーっ、エシェゾーの69年を飲んだの~なんて、翌朝になって気付くありさま。
なんとも、とほほほほほほほほほ。
美味しかったことだけは鮮明に覚えているのですが、不覚にも記憶が。
ご一緒していただいた国土交通省の水嶋さん、経済産業省の朝比奈さん、物産の平尾さん、ありがとうございました。八木さん、ごちそうさまです。またいきましょうね。ぐれーと大阪に。

2007 03 14 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 02, 2007

テレビコラム書いてます

ダイムのメディア・コーナー連載が続いています。
最近は「サラリーマンneo」とか「華麗なる一族」とか「ハゲタカ」「モンゴルの小学校」とか、面白いネタが続いています。バラエティみたいに画面の中の人たちだけが楽しそうで僕らにはなんにも伝わってこない番組よりも、いい番組はひっそりとあるんですよね。
そういう番組を応援したいですね。何本かアップしますね。よろしくどーぞ。

・「学校に行きたい、モンゴルの移動教室」(西日本テレビ)
学校に行きたい。読み書きができるようになりたい」---。
 今日本で、いったい何人の子が心からこう語るだろうか。自分自身を振り返ってもそうだけれど、学校教育は当たり前のこととなってしまって、その本質を忘れてしまっているケースが少なくない。
 ところが大草原が広がるモンゴルの遊牧民の子どもたちにとって、学校は夢の場所だ。草原のかなたからトラックに乗って学校が「やって来る」と、子どもたちはその横を一緒に走りながら身体一杯喜びを現す。
「遊牧民の子どもたちは、普段生活のための仕事に手一杯で村にある学校に通えない子が多いのです」
 番組のプロデューサー、倉岡○○が言う。今回の主人公、ナラちゃん(8歳)の家は6人家族。約200頭の羊を中心に、牛や馬を飼って生計を立てている。馬に乗って群れを導くこと、乳しぼり、燃料となる糞集め、料理等々、生きるための仕事の多くは女性の役割だ。もうすぐお姉さんが嫁いでしまうから、ナラちゃんはますます忙しい。約50キロも離れた村の学校にはとても通えずに、夏と冬に二週間ずつやってくる移動教室を心待ちにしている。
「一生懸命仕事をしたら学校が来てくれるって教わりました」
 ナラちゃんは、かつて病院で見たお医者さんの姿に憧れて、将来は医者になりたいという湯祖を持っている。けれど社会主義から資本主義経済へと転換し貧富の格差が激しくなったこの国で、その道がどこにあるのかは未知数だ。
 ロケの初日。レポーターの永作博美がナラちゃんにしゃぼん玉をプレゼントすると、彼女はお返しに自分の宝物を持ってきた。それはボロボロになった教科書だった。毎日仕事の合間にこれを読み、学校が来る日のことを心待ちにしているのだ。
 なんとけなげな姿だろう。学校がやってくると、子どもたちは皆で力をあわせけて教室となるゲルを組み立てる。その学校には優しい先生がいる。倉岡によると、移動教室は先生への負担も大きいのに給料はあまり良くないらしい。それでも子どもたちにモンゴル語や羊の数え方を教えたい。力強く生きていく知恵を授けたい。言葉を教えることは、その国固有の文化を伝えることだ---。
 そんな情熱をもって、先生たちも家族と離れて何千キロも旅しながら、遊牧民の子どもたちに「教室」と「授業」をプレゼントしている。
「学校って凄い---」
 そんな子どもたちや先生の姿を見て、永作は涙を零して呟く。
「勉強って本当は楽しいんですね。学校って本当は素晴らしいところなんですね」
 永作の呟きは、そのまま私たち一人一人の呟きでもあるはずだ。

・「ハゲタカ」(NHK) 
 俗に「失われた10年」という。90年にバブル経済が崩壊して以降、国中が借金まみれになり、戦後初めて経験するデフレによって日本社会は未曽有の長い不況を経験することとなった。大企業ばかりを見ている政府は必死に「不況は脱した」と言っているが、この10年、いや15年を越える不況の中で格差社会は確実に進行している。
 ところが経済は恐ろしい。そんな日本中に溢れた負の資産である「不良債権」を買い漁り、巨万の富を得た者たちがいた。
「90年代後半、欧米の投資ファンドが日本の不良債権を買い漁り始めた時、この国にはそのビジネスの発想すらなかったんです」
 番組のプロデューサー、訓覇圭は言う。バブル経済のツケが国中に溢れていた頃、欧米からやってきた彼らは不動産担保付きの債権をただ同然で買い漁り、それを高値で売り抜けて莫大な利益を得た。あるいは長銀を買ったファンドのように、債務を圧縮して安く買い、それを高値で売り戻すケースもあった。欧米ではすでに当たり前のビジネススキームだったが、不動産も企業も手玉にとる彼らの鮮やかな手法を初めて目の当たりにした日本人は、嫉妬まじりに「ハゲタカ」と呼んで溜飲を下げる以外になかったのだ。
 だがそんな彼らも人間だ。そこには冷たいかもしれないけれど血が通っているはずだ。訓覇たちはそう信じて、今回の作品を創った。
「ニューヨークでファンドの知識を得た主人公が日本に戻って、一番過激なやり方で経済を再生させようとします。そこで古巣の銀行の先輩と激突する。その二人が、火花を散らしながらも人間的に変わっていく。その変化の様を、リアリズムを持って描きたかったんです」
 この企画が通った時、民放の制作者からは「これはNHKでしかできない作品だね」と言われたという。折しも訓覇たちがこの企画を考えていた頃、CXはライブドアと村上ファンドに狙われ、TBSは楽天にTOB(敵対的買収)をかけられていた。放送局も株式上場していれば単なる投資対象だ。それを客観視して作品化できるのは、確かにNHKしかない。だから他局の制作者からの声は、「カネで物づくりの心が買えるとでも思っているのか」という、拝金主義者に対する放送人のプライドの声だったという見方もできる。
「だからこそ、思い切りとんがったドラマを作りました」
 訓覇が言う。物語冒頭で企業を金で買いたいた主人公は、最後には労働者と一緒に新しい形の企業をつくろうと模索する。主人公同様、日本人が「失った10年」と主体的に語れるようになる日まで、これからも繰り返し描かれるべきテーマだ。

2007 03 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 17, 2007

セントラル総合研究所満十歳おめでとうございまーす

ここ数年ずーっと定点観測を続けている事業再生コンサルタント会社「セントラル総合研究所」が今月満10歳の誕生日を迎えます。おめでとうございまーす。あの『借りたカネは返すな!』の著者の八木宏之さんが代表をつとめる、すんごい男たちが集まった会社です。
んで、その記念パーティーで配られる「10年史」を書かせていただきいました。
その触り部分をここでご披露しちゃいますね。

1、夜明け前
 始まりはダンボール箱の上に置かれた一本のプッシュホン電話だった。赤羽の丸久第五ビル二階。約13坪のオフィスに八木宏之と森田耕一朗が事務所を開いた。かたや数年前まで大手銀行系リース会社の関西支社で回収担当をつとめ、「蛇」とも「鬼」とも言われた男。もう一方は、大手衣料メーカーのトップセールスマンから脱サラし、いくつもの業界を渡り歩き3度の倒産を経験した男。だが男は、苦く痛い経験の中で、債権債務に関する実体験は誰よりも豊富だった。「さて、これから何をやって儲けようか」。この時二人の目の前にはしっかりとした道があったわけではない。けれど自信はあった。二人で組めば何をやっても稼いでいける---。すでに八木はサラリーマン時代の末期から、知り合った中小企業の経営者の資金繰り相談に乗っていた。自宅のファックスには毎晩のように財務諸表や資金繰り表が送られてきた。それらを手にすると、八木は一目でその欠陥や矛盾点を指摘できた。
---どうやら俺には普通の経営者にはない金に関する感覚がありそうだ。
 一方森田は、脱サラしてからもいくつかの業界でそれなりの業績を出していた。それでも倒産の憂き目を見たのは、当時組んだビジネス・パートナーの力量にあった。森田の実力の前に、相手が嫉妬してしまうのだ。
---でも八木社長は違う。私とは金に関する感覚が大きく違う。天才だ。
 時あたかも新設された金融監督庁の指導の下、本格的に不良債権処理が始まろうとしていた。10月には長銀が、12月には日債銀が経営破綻。だがまだ世間には「事業再生」という言葉はない。夜明け前の状況だった。

3、コンサルタントの千本ノック時代
「とにかくあの時代のことで覚えているのは、連日コンサルタントとしての千本ノックを受けていたなぁということだけです」。2003年正月に起こった「事件」のことを知るコンサルタント川原○○が振り返る。この頃、赤羽のキャリア・ホーメストビルの5階ワンフロアに越していたセントラル社の朝は、数十センチも積もった大量のファックス用紙をまとめることから始まった。「助けてください。今週中に返済資金ができないと自殺です」「今家族で車の中で暮らしています、今月が返済期限です」等々、打ち出された紙には、悲痛なまでの債務者の「叫び」が刻まれていた。
 これらは全て、前年12月15日に店頭に並んだ八木の著書『借りたカネは返すな!』を読み、巻末に書かれたセントラル社のファックス番号にすがった読者からの反響だった。「企業再生屋が書いた」とサブタイトルが打たれたこの本は、八木や森田がこれまで「現場」で学んできた債権債務に対する考え方、債務者を救う実務、そしてお金に対する意識改革等を細大漏らさずに書いたものだった。世間にとってそれはまさに「事件」だった。だからこそ、その画期的な内容に全国の債務者が飛びついた。
 発売日以降、セントラル社は嵐に飲まれた。相談者が来るのは嬉しいが、来過ぎると悲惨だ。メンバーには「天国と地獄の日々」だった。
「あの頃は毎週土曜日は徹夜して働き、日曜日の朝は会社の応接室で迎えていました」。川原と同じ時期に入社した石坪直樹が言う。~

てな感じなんです。あんまり長いですから、この辺で。
ご希望の方にはさしあげますよん。メール下さいましまし。

2007 02 17 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 02, 2007

2007年賀春です。仕事はじめは、こんな美味しい新年会取材でした

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賀春です。
どうです。雀鬼、鯛を裁くの図です。
昨日の元旦、雀鬼会の皆さんの新年会にお邪魔してきました。
桜井会長宅に約20名の若者たちが集まって、そりゃもうご馳走攻めでした。
オープニングの巴丼(ウニ、イクラ、マグロ中落ち3種盛りですぜ)に始まって、
エビ、鯛、刺身、から揚げ等々なんでもござれ。
最後はすき焼きだったんですが、これまた和牛のすんごい霜降りのお肉が一枚一枚
きちんとビニールでくるまれているんですね。本当にとろけるようなお味でした。
一流の料亭の味で鍛えられた食通が、板前や職人との交流を通してこっそり極上の食材を手に入れる
ってことあるじゃないですか。いくらお金をだしても買えない、その道のプロしか手に入らない食材。
それらをふんだんにいただいた感じです。
でも雀鬼会の皆さんに、いく路すがら「お年始はなにかお持ちしないんですか?」と聞いたら、
「ありゃ、んなもん誰も考えてもいませんでした。毎年なーんももってかないよな」だって。たはは。
元旦だけは会長のもとで、たらふく御馳走になるのがしきたりなんですね。
いやはや、至福の会のご相伴に預かってしまいました。 
今やモモヒキルックですっかり有名になった町田支部長・志村さんも、無心に食べています。むふふ。
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そして雀鬼のこんなシーンにも遭遇しました。
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いや~、楽しかったけれど、気がついたらもう12時近く。後片付けもしないままに慌てて終電目指して駅に走ってしまいました。
ご家族の皆様、奥様、本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

2007 01 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 29, 2006

テレビコラム、第五弾

師走の声がきこえてくると、テレビ業界は大変なんですが、テレビ関連の雑誌はもっと大変なんです。なんせ早め早めの進行で、今週には年末年始の番組を入れないといけないわけですから。ただでさえ忙しいテレビマンが取材の時間をくれるかどうか。いま、僕の古巣ISプレスの鵜沢君がそのアポ取りに奔走してくれています。
さて、第五弾。もう放送が終わっている番組もありますが、ま、文章だけでもお楽しみください。

ドキュメンタリー「72時間」(NHK)

「NHKのドキュメンタリーはあまりに予定調和過ぎないか」「内容も説教臭いのではないか」--巷にそんな声が渦巻いているのは周知のこと。けれど今回面白いのは、その声がNHKの内部から上がり、それが「72時間一つの場所を撮り続ける」新しいドキュメンタリー企画につながった点だ。プロデューサーの田波宏視が言う。
「僕は『プロジェクトX』の立ち上がりからスタッフとして参加していたのですが、スタジオ収録を入れイメージカットを集めたあの作り方がいいのか。あの番組の作り方しか知らない後輩が増えてしまっていいのか。5年も続く中で、その恐怖感が強くありました」
 振り返れば『プロジェクトX』もまた、当初は半年の予定で実験的に始まった番組だった。ところが視聴率30%を超えるお化け番組になってしまったことで、NHKのドキュメンタリーの王道のように見られがちとなった。その中でスタッフたちは、視聴率は取れていてもこれでいいのかと悶々としていたわけだ。
 その反動から生まれた今回の企画は、だから徹底的にリアルを追求している。72時間一つのチームが一つの現場でカメラを回し続け、スタジオ収録なし。現場でのスタッフの反射神経と感性、運、そして粘りと体力が問われる。
 さらに田波は言う。「構成も時間を前後させることはありません。撮ってきたVTRを撮ってきた順に繋いでいく。その中で生きる人間の本質を表現していきたいと思っています」
 第一回目の現場は真夏の都心の花火大会。大手商社のオフィスでは、この日だけは夕方から家族を招くことができ、男たちは束の間父親の顔を取り戻す。地上では、戦時中の防空壕あとに建てられた都営アパートの小さなテラスから花火を見上げる94歳の独居老人がいる。「花火の日は人が大勢やってくるから楽しい」。そう言いながら小さな背中は雑踏に飲み込まれていく。彼女の楽しみは、毎日必ずポストに届く地方に住む息子からの便り。4階の部屋から1階のポストまでのおぼつかない足どりをカメラは確かに捉える。
 その企画書にはこうある。「ニュースからこぼれおちてしまうささやかな喜びや悲しみ、そうした日常の断面を3日間見つめていくうちに(中略)自分ととても近しく、大切なものに見えてくる」。
 おそらく大きな成功や達成感はこの番組には無縁だ。けれど生きる人間の鼓動は画面から伝わるはず。ドキュメンタリーが更なる脱皮を遂げるために、生まれなければならなかった番組と言っていい。

「氷点」(テレビ朝日) 
「白い巨塔」「赤い疑惑シリーズ」「黒革の手帳」等々、リバイバルブームにあるテレビドラマ界において、その決定打となるのが「氷点」だ。テレビドラマ化だけで実に5回目。映画もいれると9回目。担当の内山聖子プロデューサーはその「人気」の理由をこう語る。
「やっぱりよくできた原作には普遍性があるということです。この作品には人間の根っこの部分、生きていて避けられない許し許されたいという業が描かれていると思います」
 物語は確かにエグい。妻が若い男と密通している間に娘が殺される。娘を失った悲しみの中で、夫はその殺人犯の娘を養女に迎える。事情を知らない妻への復讐のために。やがて娘が成長した頃、妻がその秘密を知る。今度は妻による壮絶な娘いじめが始まる。そのいじめから妹をかばう中で、兄には妹への恋心がめばえる。家族でありながら、いや家族だからこそ、この一家はむき身で互いの感情をぶつけあってしまう。感情の総合格闘技を見るようだ。
 もう一つ感じるのは「あぁ昭和だなぁ」という実感だ。設定は昭和20年代から40年代。もし設定が現代ならこんな夫婦さっさと離婚だ。冷たい夫より若いイケメンを選ぶに決まっている。浮気が発覚するのが間違い電話というのもこの時代ならではだ。家庭に一台しかない電話を夫がとると、相手は妻だと思って一方的に恋心を語りだす。そんなの携帯電話社会じゃありえない。なにより、給食費を渡さないというミエミエの母のいじめに対して「私、アルバイトします」と健気に宣言して真冬の旭川で牛乳配達する小学生なんて現在では希有だ。グレるに決まってる。
 とにかくどのシーンにも、誰もが素朴で我慢が美徳だった「昭和」という時代がぎゅっと詰まっている。映画も含めて昭和ドラマがブームなのは、その生き方の中にドラマツルギーが溢れているからだ。
 特筆すべきは、その時代を描くための内山たちの執念だ。オープンセットを北海道と横浜に計5箇所つくり、嬬恋からトラック数十台分の雪を運んで当時の旭川の街を再現した。電話機一つとっても、初期の頃は壁掛け式、途中から懐かしい黒電話に変わる。妻(飯島直子)の衣装も着物。夫(仲村トオル)もパナマ帽を欠かさない。細部にまで、当時の美学が忠実に再現されている。
 主人公となる陽子には森迫永依(少女時代)と石原さとみ。今回は陽子の視点で60歳までの「女の一生」が描かれている。
「とにかく原作に忠実に、本物を創りたいと思いました」
 内山は言う。昭和41年の第一作の視聴率42・7%越えは難しいにしても、人間の情念の深さと屈折した感情を、豊かに見せつけてほしい。

「グレート・ジャーニー」(CX)
「ごめんなさい。それでも行かないと旅は終わらないんです」---。
 二〇〇二年二月、足掛け一〇年かけて南米最南端からアフリカ・タンザニアまで、五万三〇〇〇キロの旅(グレート・ジャーニー)を完遂した探検家・関野吉晴は、帰国するとすぐに家族にそう言って頭を下げた。
「ベーリング海峡を渡ってユーラシア大陸に入った所に標識がありました。モスクワ八〇〇〇キロ、東京三〇〇〇キロ。なんだ日本の方が近いんだと分かった瞬間に次の旅がイメージできたんです。シベリアからトナカイを追って日本に向かった我々の祖先の足跡を辿る旅をしたいと。だから、家族の渡航禁止令を振り切って新しい旅を企画しました」
 探検家の次なるターゲットは「日本人はどこからきたのか?」。一つはシベリアを通る北方ルート。もう一つはインドから中国、朝鮮半島を辿る南方ルート。三つ目はインド洋から太平洋を北上する海上ルート。今回はモンゴルを始点に、ロシア国内のアムール街道、間宮海峡、サハリン、そして宗谷海峡をシーカヤックで渡って北海道まで。二〇〇四年七月から〇五年八月まで断続的に続いた「北方ルート」の旅が描かれる。
「テレビはあくまで関野さんの旅のお手伝いに過ぎません」
 高橋和男プロデューサーは言う。「ただ、これだけの過酷な旅を記録するために、現在のテレビ界で最も僻地度の高いスタッフが撮影に当たっています」
 マイナス四〇度の地上で最も寒い村、氷結した間宮海峡の徒歩横断、八万頭のオットセイに占領された孤島の撮影、等々。関野の旅をカメラがフォローするには、スタッフも同じ試練を経なければならない。
「それでも若いADと関野さんが自転車で一緒に走ると、ADの方が先にバテてしまうのです」
 高橋が言う。それほど強靱な体力と意志がなければ、この旅は達成出来ないということだ。
 今回面白いのは、旅の中で関野が最も感動した点が、これまでの旅と異なることだ。関野が言う。
「サハリンには、大戦中に日本人によって連れて来られた朝鮮人の末裔が残っていました。日本人によって虐殺された朝鮮人の碑も残っています。それでも彼らは私を歓迎してくれる。その優しさの源は、極寒の地においても自立して生きている誇りだと感じました」
 前の旅は太古の人類の足跡を辿る旅だった。対して今回は、現代史を辿る旅となった。「彼らと出会うことで、自分や日本人がクリアに見えるようになった」と探検家は言う。
 地球を巡る旅は、図らずも自分とその歴史を巡る旅となる。だからこの旅は止められない。探検家の澄んだ瞳が、そう語っている。

2006 11 29 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 13, 2006

一瞬の夏から永遠の夏へ

Photo_12

この写真、誰だかわかりますか?サンドバックのとなりにいる人です。
カシアス内藤と言ってわかる人は、すぐに「一瞬の夏」という作品も思い浮かべるんじゃないでしょうか。
場所は去年彼が開いたジムです。横浜の中華街のすぐ近くにあります。
そこでインタビューをしてきました。
ずーっと不思議だったのは、沢木さんがなんであんなにカシアスという男にのめり込んだのかなということでした。
寡黙な人という印象があったから。だってそうでしょ。ボクサーで混血の男でチャンピオンになれなくてその後も苦労の連続で、そして今は末期癌に冒されていて---。そういう人生に寡黙にたえている男という印象があるじゃないですか。(僕だけかな?)
ところがあってみると、これが拍子抜けするくらい明るいべらんめぇ口調の人なんです。
この日もジムをでるときに、扉の前で友人を待っている少年がいました。でも本当はボクシングに興味があって、この扉を入ろうかどうしようか迷っていたんですね。その思いを一瞬で見抜いたカシアスさんは「なんだよはいってけよ。ボクシングに興味があるんだろ。うちは見学も体験も大歓迎だから。一度できめらんなかったら、何度見に来てもいいんだよ。寄ってけよ。友達もいるんだろ」なんて、横丁のおじさんみたいな風情なんです。
その少年もにっこり笑って扉を開けていきました。
癌に対しても明るくて「もう2年もいっしょに生きてるんだから、共生だよ共生」なんて笑い飛ばしています。
今も毎日規定の半分の抗ガン剤を飲むのだとか。
「その時だけは死神と背中合わせに生きてるなと感じる」
と言っていました。
でもインタビュー自体は終始明るい口調で応対してくれました。ただ「死神」の発言の時と最後に「息子がチャンピオンになるまでは死ねないな。生きたいよ」と呟いていた時以外は。
いやはや、すごい人だ。若いときはすばらしい肉体ももっていたんだろうけれど、それだけじゃなくて、語るべき「言葉」ももっている人だったんですね。それがあの作品のもう一つのエンジンだったのかなと、そんなことも感じたインタビューでした。

2006 11 13 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 07, 2006

テレビコラム第四弾

最近書いたコラムから、もう放送も出版も終わったものを載せますね。

吉田拓郎&かぐや姫、コンサート・インつま恋2006~今日までそして明日から(NHK)

「NHKがこんなに大量の人と金と時間を費やすことになったのは、このコンサートが一アーティストのものではないという認識があるからだと思います」
 この番組のディレクター・黒岩義人が言う。
9月23日に行われた「吉田拓郎&かぐや姫、コンサート・インつま恋2006」。平均年齢約49歳の観客が3万5000人も集まったのも凄いが、その模様をNHKがハイビジョンで8時間生中継し、全国ニュースでも流れ、翌朝の新聞各紙の一面を飾り、さらにこのドキュメンタリーに加えて「総集編」の放送も決まったというから驚く。団塊の世代の総決起集会といった勢いだ。
 この春、還暦を迎えた拓郎にインタビューすることから取材を始めた黒岩は、この世代のある不思議な傾向に気づいたという。
「これまでにも団塊の世代を狙ったビジネスや商品はたくさんありました。でも決定的なヒットはなかった。ところが音楽だけは50歳からの音楽教室も高級楽器もフォーク居酒屋も全てヒットしている。この世代は金じゃない、大人の文化を求めているんだと思います」
 これまで団塊の男たちは、仕事場でも家庭でも数字や成績に追われ、区別・差別・格差の社会を生きてきた。ところが音楽だけは誰もが平等だ。肩書や地位に関係なく楽しめる。来年にはその多くが定年を迎えるというこの時期になって、この世代の人たちはそれに気づいたということなのだろうか。
 もっともそのシンボルがこのコンサートだったと言ったら、拓郎は「なーに言ってんだか」と一笑に付すに違いない。その証拠に、当日誰よりもリラックスしてコンサートを楽しんでいたのはステージ上の拓郎だった。「まるで自宅にいるようだ」と言いながら、普段着のようなTシャツを着て客席に向かってデジカメのシャッターを切り、それをホームページに載せたりもっしていた。
 客席も、ニュースで流れたような熱狂はほんの一部のことだった。大多数の人はビールを飲み芝生に寝そべり昼寝を楽しみ、この時を共有することができた友や夫婦との会話を楽しんでいた。
「本当にゆるーい感じのコンサートでした。でもその中で個々が楽しみ妙な一体感がありましたね」
 黒岩も言う。それこそが大人の楽しみ方であり、次の世代にも伝えたい「かっこよさ」でもあったはずだ。拓郎が最後に歌った「今日までそして明日から」は彼が20代の時につくった歌だ。ところがその歌詞が、まるでこの日のためにつくられた歌のように新鮮に響く。
「そして今、私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと~」  

鳥人間コンテスト(読売テレビ) 

 30年間も続く民放界を代表する長寿番組。けれどその名声とは裏腹に、長寿番組ゆえの嘆きもある。
 プロデューサーの竹内伸治が言う。
「例えば出演交渉をしても、皆さん『あぁあの羽根をバタバタさせてびわ湖に落ちる番組ね』という先入観をお持ちなんです。かつて観た印象が強すぎて、今もその記憶を引きずってしまっている方が少なくないと思います」
 つまり竹内はこう言いたいのだ。---鳥人間コンテストは毎年逞しく進化している。今ではエラい事になっている。ぜひその目で確かめて下さい、と。
 実際、その記録を見れば驚きのひと言だ。30年前、50メートル飛べば御の字として始まった番組から、何と34キロ654・1メートルという記録も生れている。滞空時間1時間以上、びわ湖を横断してしまい、これ以上飛んだら危険だとして着水命令が出た上での数字だ。つまり番組としては、行き着くところまで行ってしまった感すらあるわけだ。
 皮肉な事に、竹内がこの番組を任されたのは記録的にはほぼ極限に達していた2000年のことだった。
「上司からの使命は、21世紀型の番組に作り替えろというものでした。そこでいろいろ考えたのです」
 まず竹内は、会場に観客席を造り大型モニターを設置。飛行するパイロットの画像とアナウンサーの実況音声を会場に流した。番組も、ドキュメンタリータッチから実況中継風のものに作り替えた。さらに30周年の今年は、専門家でも難しいという人力飛行機でターンしながらのタイムトライアル競技を新設した。
 その競技に、3度の優勝を誇る46歳の中山浩典がチャレンジしてきた。かつて初めてびわ湖の対岸に到着した大御所が「鳥人間の初モノは俺が仕切る」と、7年間のブランクをものともせずに挑んできたのだ。
 それだけではない。感激の口ぶりで竹内が言う。
「中山さんだけではなく、今回はかつての出場者の中から審判長になった方もいるしテクニカルアドバイザーになった方もいる。皆さん、番組への恩返しだと言って、ボラティアで参加してくださっています」
 参加者と番組のこんな幸運の連鎖は、まさに長寿番組ならではのもの。自ら高校1年時に第一回の放送を見て、父親と仲良く会話をしたことを記憶している竹内にとっても、それはかけがえのない財産となった。
 さて今年、大会当日のびわ湖は快晴無風の絶好のコンディション。折り返し飛行が可能になったディスタンス部門でも飛距離は伸び、注目のタイムトライアルでは中山たち有力チーム同志の火花が散った。そして竹内も、民放特番の「最長飛行」を目指して、テイク・オフ!  

役者魂(CX)

 たいてい新番組の発表記者会見には美辞麗句が並ぶものだ。製作陣は出演者を褒め、役者は脚本家や演出家をたてる。まだ視聴率というテレビ界の王様のお言葉をいただいていないから、何を言っても許される時だからだ。
 けれどこの作品の発表会は異色で面白かった。松たか子や森山未来といった人気俳優を脇にして、藤田まことが飄々とした表情でこう言い放った。
「監督やプロデューサーはいい役者が揃いました、芸達者揃いですと言っていますが、それは役者魂とはなんの関係もありません。ただの役者ダマシです」
 さすがは喜劇役者。最近では温和で人情に厚い老刑事役が板についているけれど、かつて藤田はお笑いの人だった。古い話だけれど73年から始まった藤田の代表作『必殺仕置人』の初期の頃には、タイトルロールの名前の下に「コメディアン」と書かれていたという。今回のドラマも、タイトルの仰々しさとは別に、味わいはコメディだ。
 藤田演じるベテラン俳優本能寺海造は、シェイクスピアの芝居にしか出演しない頑固で古風な男。一方松が演じるマネージャーの烏山瞳美は、幼い時に両親を亡くした天涯孤独の身。共に心の奥深くに孤独を宿した二人は、いつしか父娘のような絶妙なコンビになっていく。脚本の君塚良一によれば、「人生悩んでもしょうがない。明るく生きよう」というメッセージが込められた作品だという。
 笑いを巻き起こすには、ギャップが必要だ。この作品では本能寺の浮世離れした頑固な「役者魂」にリアリティがないと、若い世代とのズレが笑いに繋がらない。
 役者魂といえば、好きなエピソードがある。かつて勝新太郎は、映画「座頭市」と「兵隊やくざ」の撮影が連続したとき、坊主頭からすぐに五分刈りの頭になれるのかと聞かれたときにこう答えた。
「頑張れば伸びる」。
 大竹しのぶは最初の夫が死んだ直後の舞台で「さすがにショックで台詞がぶれていた」という指摘に対して、毅然としてこう言い放った。「私、夫が死んだくらいでは台詞はぶれません。だって、舞台の私がいいねって彼はずっと言い続けてくれたから」。
 さてこの作品で本能寺はどんて役者魂を見せてくれるのだろう。劇中劇の「リチャード三世」の舞台シーンは、演出家・蜷川幸雄のシェイクスピア劇のホームグラウンド、埼玉芸術劇場で撮影された。
 そこに本物のリチャードが現れるか否か。役者ダマシならぬ視聴者ダマシにならぬよう、しばし藤田の演技に注目していたい。

2006 11 07 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 02, 2006

自分をデザインする、地域をデザインする

行ってきましたよ。武蔵野大学。
いや~、三鷹からバスで15分くらいのところなんだけど、森の中のキャンパスっていう感じで、
とてもいいところでした。
昔は女子大だったんだけど、最近では男子も入学する総合大学になったんですね。
ここの人間関係学部環境学科水谷先生に声をかけていただいて、水谷ゼミの授業で1コマ話をさせていただいたわけです。
「自分をデザインすること、地域をデザインするから~鉱脈探しの途上にて」
というタイトルにしました。たはは。ま、自分の体験談しか話せないから、取材で出会った人や自分の10代の体験談なんですけれど。
こんな感じの講義風景です。
Photo_10

にしても90分をオーバーして約100分、40人くらいの学生が集まってくれて、けっこうホットな時間になったかなと思っています。僕の思いの丈は伝わったのでしょうか。
間違いなく伝わったのは、歌心の方だったと思うのですが---とほほ。
実は居酒屋明星の啓子さんや常連の米ちゃん、それにTBS-Vのディレクター天野ちゃんたちが心配のあまり教室にかけつけてくれて、一緒に講義を聞いてくれたんです。
そして研究室で行われた二次会で盛り上がって、ギターなんか引っ張りだしてきて天野ちゃんのミニリサイタルが行われたというわけです。そこに僕も加わり、うさぎサンチームからは水谷先生も出場して、そりゃそりゃ楽しいひとときになりました。その歌心っつーわけですよ。むふ。
学生たちもこの表情だもんね。アイドルコンサートかいな。
Photo_11

二次会では、学生たちが鍋をつくってくれて、これまた美味しかったな。啓子さんも大喜び。わたしゃこの歳で大学なんてこれるとは思わなかったよ、なんていいながら、気分は女子大生でしたね。完全に。
米ちゃんなんか「寿命が延びた」なんてまじで言ってるしね。ははは。
その風景はこんな感じです。
Mg1
Mg2

学生たちは皆素直ないい子たちでしたね。今度は自分たちが板橋に行って、ゼミのフィールドワークをやろうなんて盛り上がっていました。PTA活動や地域活動を題材にした調査活動やワークショップも面白いでしょうね。

ということで、あとから振り返ると僕の講義は前座っつーか第一部で、第二部が歌謡ショー、そして第三部が新宿に流れてペイトンプレイスで若林さんの絶品のシャンソンを堪能するという、五木か杉良かというこゆーい一日になりました。
皆さん、ありがとうございました~。

2006 11 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

October 31, 2006

佐渡裕さんとコラボした新刊がでましたぁ

Photo_9
去年の夏だったかな。指揮者の佐渡裕さんとスポーツドクターの辻秀一さんの対談のまとめを頼まれて、
膨大なデータ原稿を一冊の本にまとめる仕事を続けてきました。
原稿はずいぶん前に上がっていたんだけど、佐渡さんの事務所との打ち合わせや、佐渡さん本人との確認作業がなかなか日程があわずに、やっと今日、見本があがってきました。
「感じて動く」。指揮棒一つで100人からのオーケストラや1万人の合唱団を操る佐渡さんの「人との距離感の掴み方」「心を共鳴させるツボ」「感動の本質」といったものが語られています。
いい本になったと思います。ポプラ社からです。1400円かな。

佐渡さんとはこの仕事とは別に、この前も西宮で中学生対象のクラシックコンサートを取材したり、ご縁があるんですねぇ。こういうつながりも不思議ですね。同時代に生きている、すごくエネルギッシュな人間ですよね。

それにしてもちと写真が拙くてすんません。とほほ。

2006 10 31 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 18, 2006

ダイニングテーブルの上にも乗る美しい桶を~江戸深川・桶栄、

一昨日の夜、「職人列伝」の打ち上げをしてきました。
せっかくなので、その最後の方に書いた桶栄さんという、若い職人さんがつくるとっても美しい木桶の物語を載せますね。

「そうか、桶栄さんの桶はそんなに繊細なんだ---」
 今年二月。東京ドームを会場とするテーブルウエア・フェスティバルを取り仕切る代理店の担当者、佐藤雄太は改めてそう驚いた記憶がある。
「ドーム内の湿度は何%ですか」
 開幕を前に商品のセッティングを終えた桶栄四代目、川又勝美がそう訊ねてきたからだ。
 無理もない。今年で十四回目となるこのイヴェントは、主にテーブルの上を飾る世界の陶磁器を中心に展開されてきた。
 そこに今回、川又が造る江戸の木桶が陳列されることになった。審査を経ないと参加は認められないから、桶栄の商品群は、陶磁器や漆器と並ぶ美しさが認められた事になる。「それにしてもドーム内の湿度があまり低いと、木によくないですからね」
 広いドームを見回して川又が言う。
 その手もとには、洋銀製の箍を使ったワインクーラーやアイスペール、ウッドコンテナ等が並べられている。洋食器と並んでも遜色のないその存在感こそが、一二〇年の歴史を誇る桶栄と銘を打たれた木桶の真髄だ。
        ※
「うちでは素材となる木は、それなりの素性があるものでないと使えません」
 深川にある工房を訪ねた時、川又はそう言った。目の前の庭には、柾目に割られた木がキャンプファイヤーのように一〇数段に組み上げられている。素人がそれを見ただけではわからないが、木曽の山奥の国有林から切り出される天然物の椹で、樹齢が二〇〇年以上のものでないと使えないという。
「そうでないと木目が美しくないし木質が荒くて鉈で割れません。全て手作りのうちの工法に耐えられないんです。もちろん仕上がりも香りも、この材が最高です。長年使っても黒ずんでこないんです」
 今日では林野庁の方針で、この条件にあてはまる木材は一年間に山で育った分だけしか伐採が許されない。だからいくら大金を積んでも買えるものではないという。
「うちがこれを買えるのは、先々代から取り引きがある木場の材木屋さんとの信頼関係です。この前木曽に木を見に行きましたが、野球場四面ほどもある材木置き場中を見ても、これだけの材はありませんでしたから」
 しかも桶栄では、その材を海水と淡水が混じる木場の堀に浮かべてヤニを取り、風雨に晒してアクを抜いて天日で乾燥させる。作業前に材木をたっぷり暴れさせるた方が品物になった時に狂わないからだという。
 こうした材料の吟味や工法が確立したのは、二代め栄吉の頃からだった。少年の日、川又は作業場の木屑で遊びながら父と祖父の仕事を見るとはなしに見ていた。
「祖父の頃まではうちはお櫃専門でした。蓋があるお櫃をつくれる職人は、他の桶職人よりも一段上に見られていたんです。紺足袋ではなく白足袋を履いていたし、仕事のあとに立ち寄る飲み屋も少し高級のところに行くような習慣があったそうです」
 栄吉は三兄弟で、深川の川又兄弟といえば、近隣では聞こえた腕自慢だった。その商品は台所や土間といった「裏」で使われるだけでなく、辰巳芸者が上がるような座敷、つまり「表」でも使われ、刺身などが盛られていた。
 だから桶栄の桶のには足がついているし、木肌の美しさやデザインにも江戸の粋を極めなければならない。材木を吟味するのは、そんな歴史があるからだ。
 それだけではない。今日の桶栄があるのは、やはり二代めが始めた「店」の存在にも理由がある。清澄通りに面し工房の隣にあるその店は、看板もないような質素な佇まいだけれど、金魚鉢桶が飾られ、いくつかの商品が並べられている。川又も言う
「祖父の時代に職人が店を持つなんてありえないことだったと思います。普通の職人は路地裏の長屋のような場所で作業して、問屋や親方について仕事をしていたはずですから。でも祖父も父も店をやめなかった。問屋との取り引きもしていましたが、特注のものも造っていました。だから贔屓のお客さんもついたし、手作りを貫くこのやり方が通せたんだと思います」
 清澄通りは交通量こそ多いが、南側が道路だから日当たりは申し分ない。けっして広い庭ではないが、木片の山を天日干しにするには十分だ。
 桶栄の材を仕込むには、手間だけではなく場所と太陽も不可欠。ここを工房と店の場所に選んだ事も、先代の慧眼といえそうだ。
        ※
 とはいえ、一二〇年もの歴史の中には何度も逆風が吹き荒れる時代もあった。川又が生れた昭和三〇年代後半から四〇年代にかけては大量生産大量消費の大波がやってきて、職人は飲み込まれそうになった。保温ジャーが登場した時はあっと言う間にお櫃の存在感は薄れ、価格でそれに対抗しようと安価な製品も出回るようになった。
 それでも父栄一は最高の素材を使った手作りのこの工法を守り続けた。自転車にお櫃を積んで問屋街に営業に周り、売り上げを確保したこともあったという。それだけではない。その頃からポツポツと始まった百貨店等での展示即売会等での実演販売が窮地を救った面もある。川又もその頃の父の姿を覚えている。
「最初は父も嫌がっていました。手が震えるって。でもやってみると人が関心をもってくれるし売れたんです。そうやって少しずつお客さんが増えたんだと思います」
 桶栄と顧客の関係は独特だ。一度品物を買ってしまえば二〇年くらいは寿命があるから、修理はともかくなかなか買替え需要は起こらない。ところが寿司桶を買ったお客さんが気に入ってお櫃を買い、風呂桶も檜にしたことで木の椅子を買う。あるいはワインクーラーも買うというように「横」に広がる特長がある。川又は桶栄のファンをこうみている。
「今の時代に生活の中で木を使う方は、ある程度の自分のスタイルを持った方だと思っています。だからそういう方を意識した品物を造って行かないといけないと思います」
 実は川又もまたスタイルを求める人だ。大学を卒業するとアパレルメーカーに勤務し、オートクチュール物を扱っていた。今から振り返れば審美眼を磨く事もできたしそれはそれでやり甲斐のある仕事だったという。ところがある時、父の仕事が羨ましく思える瞬間があった。
「ファッション界は半年先の商品をつくってパッと売ってすぐにバーゲンで売りさばくというリズムで動いています。最初からなんとなく違和感があったんですね。それに対して父の仕事はファッションに対するモードとかスタイルといった普遍性があるなと感じたんです。そんな思いもあって、二〇代の半ばに転職して家業を継ぐことにしました」
 学生時代から美術館巡りや映画も好きだった川又は、工房に入る頃には頭の中には理想の桶の像があった。ところが当然のことながら当初は技術が追いつかない。師匠が父だから遠慮なく何でも聞けたとはいうが、やはり一〇年程度は満足な品物はできなかった。やがて三〇代後半になって、やっと技術的には一人前と思えるようになってきた。ところがある程度仕事が把握できてくると、さらに良い素材を求めたり、木製品のよさをしみじみと実感するようになった。
「何よりもいい木が買えた時が一番嬉しいと思えるようになりました」
 つまり一〇年かけて、川又は職人への歩みを刻んできたことになる。
        ※
「品物が綺麗な厚みになるように」「綺麗な木肌でないと」「淵も綺麗な円みが出ていないと」等々、川又は工房でその手を休めずに作業を続けながら、何回も「綺麗に」という言葉を繰り返した。
 桶栄の銘が入る以上、丈夫なのは当たり前。手触りがいいのは当たり前。吟味した椹はほんのりと木の香りが漂い、例えばお櫃として使えば抗菌作用もお米のビタミンBを破壊しない特徴もある。
 そういう全ての特徴を生かした上で、四代目としてのこだわりは「美」だ。
「例えば座敷で伊万里や九谷や備前の器、あるいは漆器と並べられた時、貧相にならない格調や存在感がないといけないと思っています。暮らし方が変わってきてテーブルになったのだから、洋食器とも調和する必要もある。現代人の暮らしに違和感のない品物でないといけないんです」
 最近川又が嬉しかったのは、雑誌の取材でやって来たイギリス人クリエイターとの出会いだった。工房で椅子や桶を手にした彼は、スウェーデンに持っているサマーハウスの風呂を檜風呂にして、すべて木製のナチュラルプロダクツを使うことが閃いた言った。
「江戸のクラフトマンシップはきっと北欧のモダンインテリアと相性がいいはずだ」
 その時残した彼の言葉の先に、川又と桶栄の未来もある。


2006 10 18 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 08, 2006

空白の8月末の顛末

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あれ、画像が横向いちゃったかな?すんません、なにせパソコンが真新しいもんで。言うこと聞いてくれないんす。
8月末から9月頭にかけて、ま、いろんなことがありました。
最近面白い仕事は、朝日新聞が新設したweb「Do楽」のインタビューかな。
団塊の世代の人たちが読者対象なので、インタビュイーはだいたい
一世代上の人たち。小椋桂さん、新井満さん、衣笠祥雄さん、林望さん、といった人と会ってきました。
そのなかでも、桃井かおりさんと先週あった鶴瓶さんは面白かったな。
二人ともやんちゃですよね。で、そろそろ人生の佳境だという認識があるから、桃井さんは映画監督へ、鶴瓶さんは古典落語へと、新しい世界へチャレンジしています。その震えがリアルに伝わってくるインタビューになりました。ご興味ある方はぜひwebを覗いてみてください。

なーんて、もっともっと書きたいことはあるんだけど、何せこの間本業の方もパソコン不良で滞ってしまったので、ちと今日はこのへんで。

そうそう、この騒動の中で「50000番」の方がいらしたのですよね。どなたでしょうか。この幸運の番号を踏んだのは。照れずにご申告くださいませ。記念品をプレゼントさせていただきます。
よろしくどーぞ。

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July 21, 2006

テレビコラム、第二弾

小学館ダイム誌に、テレビコラムを書いています。
毎週毎週、せっせとテレビ局や製作会社に伺って、インタビューしているんです。
この前何本かアップしたら好評だったので、最近のコラム(出版済)の文章をいくつかアップしますね。
ご笑覧下さい。

テレビ東京放送『日本の老舗ホテル』

 日本を代表する老舗ホテルがラインナップにズラリと並んだ。
「三六〇〇坪の芸術」と呼ばれるホテルオークラ、池波正太郎が愛した畳の間がある山の上ホテル、国定公園の中に佇む蒲郡プリンスホテル、建築家・村野藤吾設計の数寄屋別館「佳水園」があるウエスティン都ホテル京都、関西の海運王・日下部佐太郎の別荘として大正八年に建てられた神戸・舞子ホテル等々。
いずれも「一度は泊まってみたい」歴史と品格のあるホテルだ。
通常、この番組で紹介される宿は「一泊五〇〇〇円以下檄安の宿」とか、一泊二食で一万円以下の「漁師が営む地魚三昧の宿」といった価格帯だから、かなり高級な部類に入る選択となる。
「だから今回の番組は、旅情報の提供ではなく大人のちょっと贅沢な時間の過ごし方の提案になればと思っています」
 プロデューサーの細井達也が言う。
 確かに昨今は、移動という意味の旅よりも、豊穣な時間を味わう豪華客船クルーズ等に人気が集まっている。今回のホテルも旅先の宿として利用するのではなく、都会の中で自分を振り返る時間をもつための「隠れ家」として使いたい。そんなコンセプトということだ。
 期せずして取材中、細井と二人でこんな会話になった。
「そういえばこれらのホテルでは、メインダイニングでのランチバイキングをやっていないところが多いですよね」
 奥様族が列をなす人気バイキングもまた、昨今のホテルの「売り」の一つではある。けれど今回のホテルでは、カジュアルタイプのレストランは別として、平日のメインダイニングではそういう企画はないようだ。売上的には痛いはずだが、館内に喧騒を呼び込みたくない老舗ホテルの「やせ我慢」として評価出来る。
「ぜひ当ホテルのコンソメスープを味わって下さい」
 ホテルオークラの総料理長、根岸規男が、今回案内人となった藤村俊二に胸を張って言う。
オークラといえば、かつて日本のフレンチの天皇といわれた小野正吉が残した味が有名だが、根岸はさらに素材の肉を吟味し、これまで使ってきたビネガーを排した調理法を確立した。
 あるいはウェスティン都ホテル京都では、一日四組限定で京都駅から専用リムジン送迎付き、佳水園に泊まって二食付き二五〇〇〇円という破格のプランをつくった。他のホテルとの差別化を計るための企画というが、老舗ホテルならではの「自負」はそんな細部にこそ隠れている。
 巷では二〇〇七年ホテル戦争勃発と言われている。都心では外資系ホテルの進出もかしましいが、大人の豊穣な時間を過ごすには、こんな誇りを持つホテルも悪くない。

テレビ朝日『ビートたけしの本当は怖い家庭の医学』

 すでに、みのもんたがお昼に「実は健康にはこれがいいんです」とフリップをめくり続けて一五年以上になる。
もちろん「健康」は人類普遍のテーマではあるけれど、今ではテレビコンテンツとして欠かすことができないものとなった。
 そこに、ビートたけしが「家庭の医学」という切り口で乱入してきた。
「うちの番組はただの健康情報だけでなく、健康を害する恐怖をエンタテインメントにしたいというのが狙いです」
 プロデューサーの井口毅が言う。
 そのコンセプトはずばり「自動車免許の違反者講習時に見せられるこわーいビデオ」。
生々しい事故現場の映像をこれでもかと見せて、安全運転を意識付ける。あのビデオをテレビ的に演出しようという試みだ。
「芸能人のイメージは、まさに健康の違反常習者じゃないですか。だから彼らに登場いただいて、健康のすぐ隣にある病気の怖さを伝えたいと思っています」
 レギュラーでは三年目となるこの番組、三時間スペシャルは二回目。前回は関西で視聴率一八%(関東は一五・八%)を記録して、その根強い人気を証明した。
放送翌日、馴染みの居酒屋で「昨日のたけしの番組観た? 私も同じ症状があるから医者を予約したよ」なんて会話が聞こえてきたことがある。散乱する健康情報には飽きても、「この症状に思い当たる」という恐怖心は視聴者には強烈なインパクトなのだ。実際に視聴者から、「妻の甲状腺癌が早期発見できました」という手紙が届いたこともあるという。
「不謹慎だけど、そういう時はスタッフは喝采を叫びますね」
 井口が苦笑しながら言う。
実はスタッフの中にも、この番組を編集中に手が痺れ、「絶対に医者に行った方がいいです」と言われて「脳梗塞一歩手前、危なかった」という診断を受けたディレクターがいるという。
 くわばらくわばら。健康と病気は紙一重。日常のすぐ隣に病は隠れている。
 今回は、料理自慢の芸能人たちがつくる「病気にならない家庭料理」がテーマ。
自分ではカロリー制限しているつもりなのに、子供の残したおかずをついつい食べて糖尿病になってしまった主婦とか、肉好きで野菜不足のため脳梗塞になったサラリーマンの「恐怖」をたっぷりと味わった後で、「脳梗塞にならないチャーハン」「糖尿病にならないハンバーグ」等が登場する。
 そして決定的なのは、事故って死線を彷徨った経験をもつたけしが健康を語るところだ。
死すらも悟りきった風情があるたけしの手にかかると、病気の恐怖もリアリティを増す。
今日生きている幸せをしみじみと実感できるホラー番組だ。

CXドラマ『ダンドリ』
この連続ドラマは、原案となったのが友人のライター長谷川晶の作品で、脚本を手がけるのがやはり友人の横内謙介君。ともにいい仲間なので、ちと力が入りました。

 10代後半の高校時代、恋よりも受験よりも必死になって、ご飯やおしゃれをするよりも夢中になったものはありますか---?
 本誌の読者は、どんな10代を過ごしたのだろう。そんなものと出会えていたらその後の人生が変わっていたよと呟くのか、あぁあの時代に帰りたいなと懐かしむのか。
 ニートだ引き籠もりだというニュースが跋扈するこの時代にあって、そんな輝かしい青春があるのかどうか疑問ではあるけれど、このドラマの原案となった全米ダンス選手権で優勝した高校生たちの存在は実話だ。
「今の高校生たちの風俗は確かに理解し難いけれど、10代で経験する悩みや目標の本質は普遍だと信じてるんです」
 脚本を担当する45歳の横内謙介が言う。
実は、チアリーディングの全米選手権で優勝した神奈川県立厚木高校は、横内の母校だ。横内の在学中はそんな華々しいクラブはなかったというが、後輩たちの活躍が彼を刺激したことは想像に難くない。
「もちろんテレビドラマにするために設定は変えているけれど、あんなださい田舎の高校にダンス部なんてものができたこと自体が驚きだったからね。一体何が起きたのか。それが最初の興味だったかな」
 地方都市で芽生えた夢が世界に直結する。そんな時代のダイナミズムを描くために、横内は舞台となるさつき市に川を用意した。そこにはさつき鱒という伝説の魚がいる。全体の何割かだけ大海に出て再び川を遡上してくるその魚の名をとって、チーム名は「メイフィッシュ」。
「つまり今の10代の若者たちにはこんな青春を歩んで欲しい、こんな若者が見たいよという僕らの思いを託したドラマにしたいんです」
 横内が言う。
その言葉を成立させるために、スタッフは主演の9頭身美少女・栄倉奈々と加藤ローザを除いては、3次に及ぶ大オーディションを行って出演者を選抜した。
プロデューサーの森安彩は言う。
「以前ウォーターボーイズを撮った時は出演者を合宿所に詰め込んじゃえばよかったんですが、10代の女の子の感情は複雑ですから、その扱いには神経を使いました」
 約300名の中から18名を選び、都内での通い稽古だけでなく二度の合宿も行った。
全てはダンスのために。
例えセリフは少なくても、出演者全員が最後のダンスシーンで「本物」になるために。それは必要不可欠なプロセスだったのだ。
 出演者の中には、厚木高校ダンス部のOGがいる。横内率いる扉座の新人女優もいる。彼女たちにしてみれば、このテレビドラマとの出会いは、まさに黄金の10代の全てを賭けた「挑戦」だ。ドキュメンタリー・ドラマ。そう呼びたくなる企画だ。


2006 07 21 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 05, 2006

熱血全国職人列伝(仮)ふふふ

下の表を見て下さい。こうしてみると、壮観でしょう。
ここ5年間で書いてきた「職人列伝」の職人たちです。

1・京都、鍛冶職人、今井義延、六三歳、
2・長崎、磁器職人、波佐見焼き、中村平三、六八歳
3・新潟、箪笥職人、加茂桐箪笥、小柳幸太郎、六八歳
4・香川、団扇職人、丸亀団扇、茂木達雄、六九歳
5・岩手、鍛冶職人、南部鉄器、藤枝行勇、七七歳
6・島根、和菓子職人、伊丹二夫、六四歳
7・北海道、ガラス職人、小樽ガラス、浅原千代治
8・三重、組紐職人、伊賀組紐、広沢君子、八六歳
9・石川、漆器職人、輪島塗り、角偉三郎(故人)
10・沖縄、機織り職人、宮古上布、新里玲子、
11・大阪、鍋職人、姫野直幸、七五歳
12・広島、琴職人、福山琴、藤田房彦、五七歳、
13・東京、半纏職人、高橋欣也、六五歳
14・山口、陶器職人、萩焼き、玉村登陽、六九歳
15・秋田、樺細工職人、小柳金太郎、八五歳
16・福岡、織物職人、博多帯、渡辺福夫、
17・神奈川、木工職人、箱根寄木細工、本間昇、
18・愛知、七宝職人、尾張七宝焼き、服部良吉、
19・京都、絞職人、鹿の子絞、川本和代、六五歳
20・兵庫、帽子職人、山口巌、
21・東京、傘職人、前原光栄商店
22・宮城、靴職人、佐々木康樹、四六歳
23・京都、唐紙職人、千田堅吉、
24・滋賀、陶器職人、湖東焼、中川一志郎
25・山梨、皮革職人、甲州印伝、印伝屋上原勇七
26・東京、鼈甲職人、鼈甲磯貝
27・東京、桶職人、川又勝美、
28・富山、鋳物職人、高岡銅器、神初宗一郎、
29・東京、玩具職人、江戸趣味小物、服部一郎、六八歳
30・

この連載の文章と写真をまとめて単行本企画にしようと思って、掲載誌をひっぱりだしてページをコピーしました。それにしても、こんなに多彩な人と技にあってきたのですね。自分でも驚きです。
同時に取材は2、3日がかりでしたから、全国各地の美味しい食べ物と酒にも出会ってきたわけです。なはは。
この企画がまとまったら、間違いなく僕の40代前半の一つの仕事の集大成となりますね。
いや~、文章を読んでいたら、職人さんたちの人柄やその土地の魅力が思い出されて、ほのぼのとしてしまいましたよ。手前味噌ですが。
写真は杉全泰さん。雑誌掲載時のデザインはダンの栗原さんにやっていただきました。このお二人の力もすごーく大きくて、ぜひ三人の仕事を一つにまとめたいと思っています。

そしてタイトルは「熱血職人列伝」かな。ふふふ、如何でしょうか。

そうそう、この中の何人かは、バザールのページの「わーくす・ふぉあ・まがじん」に掲載しています。そちらもご覧下さい。

2006 06 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

直りましたぁ。ぱちぱちぱち

いや~、かくも長き不在でしたねぇ。おまたせしました。
やっと直りました。このブログ。
ココログの方にお世話になりました。ありがとうございます。
日頃当たり前の様に書いていたページがなくなると、それだけで生活のリズムが変わっちゃいますねぇ。
PTAのブログには書いていたのですが、http://blog.goo.ne.jp/bunsei_pta/、
やっぱ自分のページでないと書けないこともたくさんありますね。
この間の活動は、ビジュアルでお見せしましょうか。
こんな感じです。
Ago1

5月末には、三重県志摩半島の先端にあるアトリエ・エレマン・プレザンに行ってきました。

Ago2

このアトリエでは、芸術家の佐藤ご夫妻の指導の下、ダウン症や自閉症の子たちが創作活動に取り組んでいます。
その象徴が、この中華テーブルみたいなインクの花園なんです。

Ago5

子供たちはアトリエにやってくると、とにかくひたすら絵を描き続けます。
すごいのは、モチーフなし、下書きなし、逡巡なし。とにかく溢れる様に絵が生れてくるのです。

Ago7

写真の高木健一郎君は、四角の図案のスペシャリスト。
ポスターの上にだって絵を描いちゃいます。そして最後に、右手をひらひらさせながら、絵の上に雪の様にインクをたらしていくのです。
「できたぁ」
子供たちがそう呟くと、佐藤夫妻は「あら、すてきねぇ」「この色綺麗ねぇ」「これは何を描いたの?」と声をかけます。全許容、全肯定、全信頼。その姿勢が、子供たちの創作のベースになっています。
今彼らの作品は、阿佐ヶ谷の女子美のアトリエ・ニケに展示されています。
ここの宇都口君の作品が僕はとてもきにいっちゃいました。
ぜひ、行ってみて下さい。

あ、取材のあとは、お母さんたちが用意してくださった、英虞湾でとれたての鯛や平目の舞い踊りでしたぁ。はっはっはー。

2006 06 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 18, 2006

江戸小物細工~小嘘をつかない大嘘の魅力

ダンという編集プロダクションの仕事でやらせていただいている「職人列伝」。
今朝一本書き上がったので、あんまり嬉しいから掲載しちゃいますね。ないしょね、ふふふ。
もう3、4年間JAカードの会員誌に連載させて頂いているのですが、あと一、二回で終わっちゃうんだそうです。哀しい。とほほ。本当に素敵な職人さんたちと出会うことができました。
今日書いた服部さんも素敵ですよ。みてやってください。
Komono1
 歴史をたどれば推古天皇の時代、七世紀にまで遡ることができる浅草寺。年間三、四〇〇〇万人の参拝客が訪れ、東京の人気№1観光スポットのこの寺の一角に、江戸時代末期から一〇代続く「江戸趣味小玩具屋、助六」がある。かつて浅草の観音様に行くといえば、子供には「玩具を買って貰えること」と同義だったという。その歴史が名残る間口一間の小さな店には、江戸時代の町民文化を忍ばせる数百種の小物細工がぎっしりと並んでいる。
 その中の人気商品の一つが「店屋物」。15㎝×8㎝の小さな台の上に江戸時代の魚屋、八百屋、米屋、酒屋、花火屋等を再現した品だ。これを作った職人を紹介いただけませんかと店主・木村吉隆に訊ねると、切れ味のいい江戸弁の答えが返ってきた。
「ああ服部なら職人の中で一番若いから、取材するにはちょうどいいや」
 ところが。教えられた柴又の小さな工房を訪ねると、現れた服部一郎は優しい笑みを浮かべながら「今年で73歳になります」と言う。
---どこが「若い」のだろう。
 江戸小物の取材は、そんな素朴な疑問から始まった。
       ※
「この撫子の花びらは一つ一つに三つのギザギザが入っているでしょ。水仙の花びらの薄紫色は水に絵墨をぼかして色付けするの。風鈴屋台を作る時にはわざと地面に割れた風鈴の破片を置いたり、民家のわきにははざがけから落ちた藁を一束置くこともあるよね」
 自分がつくった品を語る時、服部の表情はより柔和になる。まるで自分の子供の自慢話をする様な、こぼれ落ちそうな笑顔だ。
「根っから凝り性だし、細かいものを作るのが好きなんですよ。趣味と仕事が重なり合っているんだよね」
 とはいえ、この笑顔と言葉に騙されてはいけない。服部の手元から生れる細工には、周到な仕掛けがほどこされている。
 まず、縮尺がまちまちだ。金魚屋の桶の中には巨大な金魚が泳いでいるし、八百屋の野菜も大きすぎる。季節感や時代考証にも疑問は募る。竹の子とキュウリが同じ籠に盛られているし、江戸時代にはまだジャガイモは日本に来ていなかったはずだ。人気の店屋物シリーズにある「花火屋」だって、江戸時代にそんな店あったのかしらん?
 そのことを問うと、メガネの奥の目がまたまた細くなった。
「ふふふ、僕が作っているものは実用品じゃないでしょ。眺めて楽しむものなんだから、真実だけじゃ面白くないでしょ」
 つまり服部は、葉の葉脈や茅葺き屋根の質感を忠実に再現するのと同時に、時に大胆な「演出」を施して、小さな台座の上にまさに「服部ワールド」を創造していることになる。小嘘はつかないかわりに大嘘をつく。そのことで、小物細工の魅力を醸し出している。
「どこかに”あっいいね”と思わせるポイントが必要なんです。例えば傘屋には色とりどりの傘があって楽しいでしょ。ところがこれインチキ。江戸時代には傘屋なんてなかったの。古い傘を買い取る商売はあったみたいなんだけど。でも、新品の傘の方が見栄えがするでしょ」
 もちろん、この大嘘を成立させるためにこそ細部のリアリティが重要だ。
 壁紙ひとつにしても既成の千代紙では模様が大きすぎるから自分でつくるし、普通の布もこのサイズには厚すぎるから自分で加工する。材料は紙、竹、木、川原の砂、おが屑、麦わらと様々だが、時には雑貨屋で見かけたアジア風ネックレスの竹ビーズが使われることもある。小さなパーツ、例えば1㎝程度のキツネは粘土細工をして石膏で型をとり、七輪で焼いて一つ一つ極細の筆で目を入れる。また服部ワールドには人間は登場しない。人間を置くと、縮尺の「歪み」がバレて演出が効かなくなってしまうからだ。
 ある時、困った注文が来たこともある。
「通信販売の会社の人が来て、西岸良平さんのマンガを開いてこの世界をつくってくれませんかと言われたんだ。やってみようかとも思ったけれど、無理だったね」
 今から振り返ればそれは、今日の昭和ブームの先駆けでもあった。作れば人気が出たと思うのだが、何故服部はその仕事に手を染めなかったのだろう。
「昭和三〇年代の風景ってガラスが使われているし電気もあるでしょ。あの質感を再現するのは難しいよ。僕がやっているのはあくまで江戸趣味だから昭和初期までが限度かな」 誰もが感じる服部ワールドが持つ「郷愁」や「愛着」。それは「Always」のもう一つ前の時代、初めて庶民文化が花開いた江戸期に根ざしていることに理由があるのだ。
       ※
Komono2


---昭和初期までというと、奇しくも服部さんが生れた頃までということですね。
 そう問うと、服部は「そうだなぁ」と視線を遠くに投げた。昭和八年、浅草に生れた服部は幼い頃から父の仕事を見ていた。一時はサラリーマンも考えたというが、高校卒業と同時に四軒長屋にあった三畳の工房に父と並んで座るのは、むしろ自然な流れだった。
「でも父は仕事のことはなーんにも教えてくれないの。いいとも悪いとも言わない。盗めってことでもなく、自分で良いか悪いか判断しろということだったと思います。それってすごく厳しいよね」
 今も父の遺影は、服部の座る正面からその仕事を見守っている。また手を抜いたんじゃないか。作るは一〇〇個、買う方は一個だぞ。そんな声が聞こえてくるという。
 その服部の仕事の最初の転機となったのは、東京五輪の頃のことだった。東京の街が音をたてて激変する最中、服部は一時江戸小物を離れてセルロイドの人形作りに手を染めた。「バービー人形の顔を描いていたんです。姉がその仕事をやっていたので。約五年間だったかな。爆発的に売れていたからね。でもすぐにリカちゃん人形にブームが移って仕事がなくなっちゃった。あの時、流行の怖さと人に使われる大変さを覚えたね」
 父の仕事には、ブームと呼べるほどの隆盛はなかった。むしろ戦時中は仕事にならず、戦後の混乱期も、助六では七年間一つも商品が売れなかったというほどだから、職人の生活も苦しかったはずだ。それでも職人たちは江戸期から連綿と江戸小物を作り続けてきた。昭和も三〇年代になると、貧しい中でも人々はまた小物細工の良さを求めて、商品が売れる様になった。そんな職人の「やせ我慢」の魅力を、服部は再発見したのだ。
 もう一つの転機は五〇歳の頃。たまたまNHKの番組に出演した服部の姿を観て、翌日、銀座のデパートのスタッフがやってきた。
---個展をやりませんか。
 そこから服部の世界が大きく開けていく。「それまではお客さんの姿が見えなかったんです。毎日毎日ここに座って仕事してるんだから、誰が買っていくのかわからなかったし。でも個展をやったらお客さんの要望が聞こえてきたし、修理を頼まれたりするようになりました。一回目の時はデパートの売り上げ新記録をつくったよね。すごく売れたから」
 実はこの時、朝一番で会場にやってきてほとんどの品を買い占めたのは、雑誌で見た服部の世界に心酔した人形師、当時二〇代のホリ・ヒロシだった。のち服部は、ホリが創る谷崎潤一郎の「盲目物語」の舞台に、満開のしだれ桜をもって参加する。三五〇〇枚の花びら一つ一つに針金を通し、さらに散り花として二五〇〇枚の花びらも用意した。ホリはその仕事に対して「服部さんは哀しくはかない美しさをも演出してくれた」と絶賛した。
 それもまた、服部ワールドの力だった。以降二年に一度のペースで開く個展を一つのベースとして、服部の仕事は拡がって行った。
        ※
「毎日必ず一度は作業場に座るよ。何か気になることがあったらパーッと外に出て映画を観に行ったりすることもあるけれど」
 今日も服部の生活の中心は、小物細工にどんな演出を施すかにある。けれどその姿はけっして仕事一途という印象ではない。工房で目につくのは正面のスピーカーと、「クラシックから童謡まで」と本人が笑う夥しい数のCDだ。階下にはオーダーメイドの自転車が二台。壁には江戸更紗の布に墨で手を加えた作品も飾られている。愛する着物では、「民族衣裳文化功労賞」も受賞している。ひと言でいえば多趣味。好奇心に満ち満ちている。
「その着物もね、粋というよりいなせに着たいね。銭形平次みたいな着方で歩くから、周りの人はびっくりしちゃってね」
 そう言って愉快そうに微笑む。助六の木村が言う「若々しさ」の原点が、そこにある。


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November 23, 2005

あのリベンヂ魂、再び

最近、友人の美山君に頼まれて、T島社のムックの文章を書きました。
いやはや、最初からある程度覚悟はしていたけれど、T島社ってひどいんだ。編集は出て来ないし挨拶もないし、それでいて「営業主導だからもっときわどい内容も入れて」なんて最後に言ってくるし。そういう仕事で編集者は面白いのでしょうか。現場に全然タッチしないでひたすら机に向かってあがってきた原稿をチェックするだけで。およそ創造作業じゃないよね。可哀相に。
んで、あんまりなので皆さんに先にお披露目しますね。

テーマは「リベンヂ」。二〇年前のあの日の屈辱に再びまみれた三〇代後半の一人の男の話です。短い文章だけど、ま、見てやって下さい。

 似ているな---。
 二〇〇五年オフシーズンの清原和博と読売ジャイアンツの関係を見ながら、二〇年前のドラフト時を思い出してそう感じたのは私一人ではないはずだ。
 あの日、ジャイアンツが自分を指名することを疑わなかった一八歳の少年は、あろうことかチームメイトの最大のライバルである投手の名前が呼ばれるのを聞き、流れる涙を拭おうともしなかった。以降、「ドラフトは順調に終わった」と語った時の王貞治監督の写真を部屋に飾り、何百回となく腕立て伏せと素振りを行ってリベンヂを誓ったという。
 今またジャイアンツは一〇月一日、報道陣に紙一枚を配布しただけで、清原の自由契約を発表した。四年契約の最終年とはいえ、昨季二〇〇〇本安打、今季五〇〇号ホームランを記録した選手に対して、七月一三日の左ひざ半月板損傷から数えてわずか一カ月半後(八月二九日)の戦力外通告は、あまりに選手とファンの存在を蔑ろにしたものだった。
「ジャイアンツで野球人生を終えたい」
 そう言って時の長嶋監督の隣で緊張した表情を見せた九六年秋から丸九年、三八歳の清原は、再びジャイアンツに手酷い「失恋」をきっしたことになる。
 それにしても何故---、と私は思わずにいられない。何故清原ほどの選手がこんなみじめな晩年を送らなければならないのか。大リーグ移籍、復帰、離婚、再婚と傍若無人な振る舞いを見せた横浜の佐々木ですら自分自身で進退を決することができたのに。清原には何故それが許されないのか。そしてまた清原も、そこまで貶められながら何故現役にこだわるのか。
 私には、数年前に聞いた清原の母、弘子の言葉が脳裏に残っている。
「和博はいつまでも現役にしがみつくようなことはせんと思います。自分で見切りが着いたらサッと身を引くんと違いますか」
 もう一人、西武時代から清原の経理面でのアドバイザーだった男もまた、かつてこんな言葉を漏らしていた。
「清ちゃんはいつまでも野球にしがみつかなくてもいい経済状態なんです。何故なら変な借金をしていないから。浪費家ではあるけれど、投資の失敗等がないからただ純粋に野球に打ち込める。自分自身の思うままに身を処すこともできる。いつまでも現役にしがみつくこともない。そういう意味では、幸せな選手ですよ」
 二人にこの言葉を聞いた時と今の清原の状況とで異なるのは一つだけ。それは、家族の存在だ。
(続く)

2005 11 23 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 26, 2005

新刊ぞくぞく、よろしくどーぞ

carabara


じゃーん。今日ご紹介するのは、両方ともこの秋に出版となる(なった)僕の新刊です。かわいい奴らですので、どうぞよろしくお願いいたします。
上は、東京FM出版からリリース(じゃなくて)出版された演劇集団キャラメルボックスの20周年記念本です。1500円。この前打ち上げをやったんですが、役者さんたちも「ここまで喋らされるとは思わなかった」と言っていたようです。むふふ、別に告発本じゃありませんが、年間動員一四万人を誇るキャラメルという演劇集団のある種の存在理由が書けたと思っています。演劇については『生きること演じること』以来ですが、まだまだ書いて行きたい分野ですね。

そして下は、9月1日発行の『初代総料理長サリー・ワイル』(講談社)。すんません、1800円(税別)っす。お蔭様で、5日の晩餐会も超満員です。こちらはお金も時間も手間もふんだんにかけた歴史ドキュメンタリー。一瞬にして消えゆく料理という時間芸術の儚さと潔さ、そして異文化の中で情熱を燃やし続けたワイルやその時代の若者たちの青春群像にもなっています。ぜひ繙いてみてください。

weil2

2005 08 26 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 20, 2005

毎日がお祭騒ぎ

rabosoka
15日の日曜日、草加で開かれたラボ教育センターの子ども祭りで講演してきました。テーマは『国際社会を生きる力を育てる~10代という黄金の時代に』ふふふ偉そうでしょう。僕自身14歳の夏にアメリカ・ネブラスカ州にホームステイしたことがあって(詳細は大河プロフィール参照ね)、その体験と、92年の夏に子どもたちのホームステイの様子を取材して書いた『ひとりだちへの旅』(作品集参照ね)の取材時のエピソードと、今は一人娘の親となって次代の異文化交流を考えていることと、その3点から異文化との出会いの大切さを語って来たっす。ところが終わってから何人かの親から質問があって「私自身も異文化体験をした一人だけれど、親の価値観を子におしつけていいのだろうか」「自分が楽しかったからといって、子も楽しいと思えるだろうか」なんて質問を受けました。うーん、人の子じゃなくて自分の子なんだから、せめて18歳になる頃までは自分の価値観でいろいろな体験をさせていくのは間違いじゃないんじゃないかな。もちろん子どもの主体性や気持ちも大切だけれど、親がぶれちゃったら子どもはもっと悲惨ですよね。親が強い気持ちで「行って来なさい」と言えないといけないなと感じた次第。この写真は、僕が講演している間に下の階で行われていた子ども祭りの様子です。
kenwakabayashi
kenwaka2
18日は赤坂のライブハウスで歌舞伎町の最終兵器、シャンソンの若林ケンちゃんのコンサートでした。若いプロデューサー堀越君、修子たちが頑張って、還暦を迎えたケンちゃんの魅力を十二分に引き出しています。東京新聞に大きく取り上げられたこともあって、会場は超満員でしたん。ケンちゃんも嬉しそう。声に艶がでてるんすよね。こわいね還暦。この後は横浜赤レンガでコンサート、秋にはパリのシャンソニエ・ツアー---なんて難しいかな。ま、大輪の花が咲くように祈っています。

2005 05 20 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 04, 2005

ノンフィクション、ノンフィクション、ノンフィクション

もう8年位前、僕の初めての作品集となる『アウトロー』という本を編んでくれたT君という、今はフリーランスの編集者からこんなメールをもらいました。彼は最近、『僕の見た「大日本帝国」』(情報センター出版局)という本を西牟田靖君という若い書き手と共に編みました。先週の読売の書評欄に大きく紹介されていましたから、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。ぱらぱらと眺めさせてもらったのですが、しっかりした文章だし、若々しいテーマで面白い作品だと思います。まだ読破したわけではないので恐縮ですが。でも、彼のメールにはこうありました。

ところで、この本をつくりながらずっと、ノンフィクションにおいて、
「ニッチの壁」を超えるにはどうしたらいいか、ということを考えてました。

長いことノンフィクションの編集をしてきて、いまさらながら、いかにテーマが斬新で、書かれた作品が素晴らしいものであったとしても、結局、それはニッチ(隙間)のもの、という感じがずっとあります。(どでかく売れるノンフィクションをつくったことがないせいかもしれません。汗)
つまり、そこに興味を持っているあらかじめ限定された読者しか取り込めない、というジレンマのような思いです。
その一線を超えるためにどうするか。偉そうな言い方になって恐縮ですが、今回のワイルの評伝も、刊行に際してはそのあたりのことがカギとなってくるのではないでしょうか。

すでに数々のノンフィクション作品を編んでいる彼の言葉なので、いちいち頷くことしきりなのですが、でも、おもうとこあって、僕はこんな返事を書きました。

そうねぇ。ニッチねぇ。ま、それもありますが、もう一つ僕は「時間」という軸も大切だなと思っています。つまり、出版されて書店に並ぶ半月勝負という現実と、もう一つ、長い時間軸の中でじわじわと存在感が出てくる価値(たとえそれが一部の図書館、あるいは後年の研究者、あるいは個人の魂の中であるとしても)、の両方から本をみてやらないと可哀相という思いです。ま、そのへんは君はとっくにクリアされての発言だと思いますが。

事業再生を書いていて学んだのですが、例えば中小企業にとっての成功とは量的な問題(つまり右肩上がりとか前年比何パーセントとか)だけでなく、時間という軸もあるのだと。つまり、L字型でいいから経営を続けられることこそが、成功なのだという価値観です。そういう意味で言えば、書いていけること。出し続けること。それこそが書き手の使命であり、本質的なことなのだと思います。ちと論点がずれたかな。たはは。

ま、売れるときは売れますよ。僕は市場を諦めていない。でも手放しで認めてもいない。売れることは消費されること。そんな市場だけを相手にこの仕事はできませんよね。如何?
なんて、売れることを諦めたわけじゃないからね。ふふふ、そこんとこ、よろしく。

神山典士

そうそう、この前書き忘れましたが、あの本をいただいた瞬間、刷り上がってきた『アウトロー』を君の編集部で初めて手にした日のことを思い出しました。確かあの日君とは飲まないで(ま、君は飲めないしね)一人で歩道を四谷の方に歩きながら、僕はそれまで味わったことのないあったかい思いに包まれたのでした。少なくとも記憶の中では、ね。ま、拙書の熱量とあの本の熱量を比較するのは僣越なのだけれど、西牟田君も、そんな幸せな時間にいるのかな、と。書くことが生業になる前の一瞬の喜びだったような気がします。
でも今回の『美味伝承』は、10年ぶりの異文化書き下ろしなんす。『ライオンの夢』以来のね。
これは劇作家の横内謙介が言った言葉なのだけれど、どんな分野でもアーティストが本気で鉱脈につきさされるテーマに出会うのは10年に一本。だからこそ、間の9年をぶれずに生きていくことが大切なのだ、と。だから今回の作品が書き切れたのは、僕の9年間に多少なりとも意味があったのかな、怠けなかったご褒美なのかなとも思っています。そう思えば、また次の9年間を明るく生きていけそうじゃないですか。なんてな(いかりや調)。ははは。
ま、近いうちあいませんか。

2005 03 04 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 07, 2005

皆さん、どう思います?

一つ悩みが出てきました。ここに何回も書いている「美味伝承」の件ですが、実はNECのやっているホームページにも連載しています。こちらは去年2月に取材を開始してから、すでに5回書いてます。http://www.blwisdom.com/food/11/を参照してください。
ところがその最終回に書いた原稿で、「ちと執筆者の気持ちが入り過ぎているのではないか」という疑問を呈されたのです。うーむ、確かに10カ月以上、僕の頭の中はこのことで一杯一杯でした。その原稿も12月に書き終わり、1月には700枚を500枚に縮める作業も終えたばかりです。そのタイミングでこの連載の最終回を書く事になったので、いささか盛り上がり過ぎなのかもしれません。
でも連載のホームページを見ると、読者の感想では「とてもためになっいた」「まぁまぁ参考になった」が圧倒的です。総数はわかりませんが、お読みいただいた方には好評なんじゃないかと思われます。
そこで最終回。今回の取材で僕にいろいろな出会いを導いてくれた「何者かの意志」を書こうと思ったのですが、いささか気を入れ過ぎたでしょうか。
ここにその全文を掲載できたらいいのですが、そうもいきません。まだ発表前なので。できましたら↑のページを開いて、今までの文章を読んでやっていただけませんか。その感想をメールいただいた方にだけ、最終回の原稿を送りますので、「入り込み過ぎ」「まださきっちょ」「もっと奥まで」とか感想をいただけたら。(なんのこっちゃ)。
なんか煩わしい事になりましたが、お時間ある方、よろしくお願いいたします。結構真剣な悩みなんす。どうぞよろしくお願いいたします。

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January 16, 2005

世界をまたに---

ノートブック型パソコンを買おうかと思うようになりました。きっかけは、年末に訪れた葉山の海と、正月に訪ねたラスベガスでした。
「いつ使ってもいいよん。ウイークデーは空いてるから」。葉山のマンション・オーナー、ベシは言ってくれます。小学校からの同級生ですが、自社株で一発当てて(一発屋!!)、代官山と葉山にマンションを持っているのです。目の前は海。リビングからそれが眺められるのは許しますが、バスルームからも海が眺めれらると知った時、僕は心に誓いました。「次の作品はここで書き上げよう」と。
ラスベガスにはロック座ママの別荘が5軒(!!)あります。3ベットルームの、日本的価値観で観れば豪邸が2軒、踊り子さんたちの合宿用のプール付きの大きな家が1軒。その他、僕がまだ見たことのない別荘も2軒あるのです。「どこを使ってもいいから」と、ママは太っ腹です。実際普段は誰も使っていないのですからもったいない。ちょうど妹夫婦が彼の地の大学に留学しているので、彼らがいるうちはラヘズガスで執筆もいいななんて思うようになりました。食べ物はいまいちですが、ジョギングもできるしゴルフもできるし酒量は少なくなるし。ふふふ、それは自律心の問題ですが。
そう考えれば、僕にはまだまだあちこちに、いつでも使っていいよと言っていただいている拠点があるのです。
例えばパリ。「日仏文化センター」を主催している服部さんが持っている大型マンションが、市内プラス・ド・ナシオン(だったかな?)のそばにあります。前に一晩お世話になったのですが、ここに拠点を構えれば居住者の視点でパリを眺めることができます。もちろん立派なキッチンも完備しているから、食材を買ってきて自炊もできるし。朝はクロワッサンとバケット、カフェオレでパリジャンを気取ることも可能です。似合うかどうかは別にして。ふふふ。
夏には、新潟・小出郷の庭山先生のアトリエも素敵です。銘酒、八海山と緑川の里、魚沼産コシヒカリの本場です。ここには小出郷文化会館という、とっても素敵なホールがあって、たくさんのクラシック・コンサートも開催されています。それらを楽しみながら涼しい空気の中でパソコンを打つのもいいな。
足を延ばせば九州阿蘇の江藤家もあります。こちらは阿蘇一の獣医さん。毎日たくさんの牛や馬の世話をしています。ご主人は阿蘇出身で奥さんは北海道出身だから、この家に招かれると北と南の山海の美味がズラリと並ぶ壮観な宴会になります。ふふふ、あそこなら、娘さんは留学しちゃったからいつでもホームステイさせていただけそう。阿蘇の雄大な景観を眺めながら文章を書いたら、選ぶ単語も違ってきますよねん。
そうそう、「ハワイプチ富豪」のベストセラー作家、ヒロが住むマウイもありました。この前行ったときはヒロがコンドミニアムを手配してくれて、3家族でワイワイやりました。一人で行っても小さなコンドミニアムを借りれば、朝はゴルフ、昼は海と執筆、夜は星空を眺めながらビールと、これまた楽しいこと間違いありません。
「さぁどこにしようかな」なんてのんきに考えながら、「そうだ、パソコンがデスクトップしかないじゃん」と気づいたのです。さっそくビックカメラに出掛けて店員に相談しました。
「僕親指シフトなんすけど、それが使えるノートタイプってどれですか?」
ところが返ってきたのは心外な言葉でした。
「そんなのありません。親指なんて、富士通だって見放してます。まずJISを勉強してください」
ガーン!! 本当なのでしょうか。87年当時、あんなに積極的に売られていた親指シフトだったのに。いまでは巷に溢れるノートブックにすら対応していないのでしょうか。
我が世界戦略敗れたり。とほほ、世界を考えながら手元の半径20センチに掬われる。あぁ、何かいいアイディアをお持ちの方はいらっしゃいませんか。そして行きましょうよ一緒に。世界の別荘に。僕のじゃありませんが。たはは。

2005 01 16 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 17, 2004

祝! 再生基金組成

centralいやはや、ここ連日午前中は身体の節々に溜まった前夜の酒を抜くためのストレッチ続きです。とほほ。何が楽しくて何が哀しくて酒を飲むのかもわからないような有り様ですが、昨夜のセントラル社の忘年会はちと気合を入れて(ん?)飲みました。本日、セ社待望の債務者救済型再生基金が誕生します。ひとまず10億円規模だったかな。来年には間違いなく2~300億円規模になるはずです。これまで日本の企業経営者は連帯保証や金融機関本意の契約に事業再生すらままならない状態でした。拙書「借金をチャラにする」(って、なんてお下品な書名なんだぁ。とほほ、ホントは「平成徳政令狂騒曲」だったのに、言い訳)にも書きましたが、「連帯保証制度」の論拠って学者も政治家も誰もいえないんです。明治初期に民法を作るとき、フランスとドイツの民法が混在してそのときになぜか江戸時代の「連借5人組」みたいな習慣が残ってしまったんですよ。これがあるために、経営者は会社が傾いても必死にお金を借りまくらなければなりません。だから傷跡が深くなってしまうんです。セ社の基金はそういう日本的社会主義経済に一石を投じるものになるはずです。昨夜は、生みの親の八木宏之社長も少し興奮していたかな。女子社員に焼き肉の焼き方をレクチャーしたりしていました。ふふふ。「いつこの基金のアイディアを思いついたんですか」と聞いたら「今年の二月ころかな。ちょうど10月10日だね」とか。そういえば、僕の「美味伝承」も、今年2月6日、オークラでのフレンチと精進料理のコラボレーション企画の時に根岸料理長からヒントをいただいたのでした。10月10日で八木さんは史上初の画期的な基金をつくり、僕は一つの作品を紡ぐ。そうだとするなら、あと少し残った原稿は最後の産みの苦しみというところ。きちんと産んでやらないと、歴史に残りませんからね。というわけで、セ社の忘年会、一次会では写真を撮り忘れましたが、二次会「サミーズバー」でパチリ。左はラブちゃんです。

2004 12 17 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 10, 2004

史上最強ラインナップ

もっか真夏のオーストラリア留学中の原田ヨーコちゃんからこんなメールをいただきました。

久々の「The Bazaar News」、ちょっと嬉しかったです。不思議なもんですが、普通HPとかが出来ると、そのオーナーとの距離って縮まって嬉しいものだと思うのですが、何だか神山さんのHPの場合は、一抹の寂しさも感じたりしておりました。
というのは、バザールニュースの頃は、“先生”の方から直々にこちらへ来ていただいていた、という、一種の選ばれたファン的な嬉しさ、というのがあったのですが、今は誰でも、直接神山さんを知らない人でもアクセス出来るわけだし、こちらから行かないと、“先生”にお目にかかれない..というわけで、人間の距離感って面白いなぁ、と思っていたところです。

そう言いつつ、それこそ論文執筆に詰まり悶々としている時に、ふと神山さんのHPにアクセルすること度々。
(私のアクセス回数、相当ですよん。切り番には当たってないけど)こちらからいつでもお邪魔できるのは、やっぱりそれはそれで楽しいかな、と。(勝手な...)

ふふふ、彼女とはもう10数年のお付き合いだから、こんな書き方をしてくれたのだと思います。でもヨーコちゃん、心配ご無用。僕はこのホームページを開設した事で、「史上最強のライティング・ラインナップ」が完成したと思っているのですから。
まず日々生きている中で芽生えた書きたい事はホームページに書きます。しかもネタの質感によって、ダイアリーとホワッツニューが使い分けます。これは読者の方が主体となって、見たい人が来てくださる。
一方「バザール・エクスプレス」は、書かなければ前に進めない文章を紡ぎ、これは僕が主体となって読んで欲しい方に迷惑を承知で送りつける。長いですからホントに恐縮なのですが、書き手の友人をもってしまったことを悔やんで戴きながら、ご高覧戴く。
その上で、もちろんビジネスとしての雑誌があって単行本や新聞もあります。
こうしてみると、僕は書きたい事を書きたい媒体に書く事ができる。もちろん経済の問題もありますが、むしろそれは二義的なものといっても過言ではありません。なるべく経済からは自由になって、文章オリエンテッドで生きて行ける。理想の環境ができました。すんごく嬉しいな。書き手としては。ホームページがあるからといって、ネタと気持ち次第で書きますよん。バザール・エクスプレスも。

昔、野球がまだ僕の夢だった頃、理想のラインナップを考えていました。1番センター柴田2番セカンド土井、5番を誰にするかが当時の最大の課題でしたよね。僕はライト末次とかにしていましたが。テレビドラマ監督の鶴橋さんにあったら、彼はインタビューの中で突然言い出したのですよ。「僕の作品の1番センター柴田恭平、4番ピッチャー大竹しのぶ」なんて。その言い方がすんごくチャーミングで、羨ましたっかので、拙書「生きる事演じる事」は1番センター古田新太、3番サード、第三舞台なんてつもりでラインナップを並べたものです。
そして今、自分自身のライティング環境にも、最強のラインナップができました。
ホント嬉しいです。あとは日々精進して、力強い熱の籠もった文章を紡ぐだけです。ふふふ、自分で熱血なんていっちゃいましたからね。ご迷惑でも、お付き合いください。

2004 12 10 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 05, 2004

あ~びっくり3,500円

いやいや、戯れに、じゃなくて、資料に必要な辻静雄の本を買おうと思ってアマゾンで調べていたら、なんと拙書「ライオンの夢」がマーケットプレイスとかで3,500円の値がついてるじゃありませんか!!うちの事務所には100冊あるので、これだけで35万円っすよ、なんと。ついさっきまで大きな段ボールを「じゃま臭いやっちゃ」と思っていたのに、瞬時に「可愛い奴」に変わってしまいました。とほほ。いやはや、マーケットなんたらの仕組みは全くわからないのですが、なんかほのぼの嬉しいっす。別に拙書が札束になったわけじゃありませんが。ま、もともと1万部程度しか刷っていないし文庫にはなっていないし、格闘技ファンのサイトには時々「名著」なんて書いてあって嬉しく思ってはいたのですが。何とか文庫にしてやりたいのですが、それが叶わぬ今、一冊一冊撫でながら「お前の価値をわかってくれる人が世の中に多少はいるのだよ」と語り聞かせてやりたい気分です。なんて、それも惨めかな。とほほ。ま、そうはいっても本は誰かに読んで戴けなかったらただの紙屑です。3,500円なんていいません。定価プラス送料でお送りしますよ。ほしいかたはメール下さい。アマゾン、キューバ、メキシコ、ヨーロッパ、アメリカ取材を重ねた「可愛い奴」です。

2004 12 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 28, 2004

読売新聞書評

今朝の読売書評に拙書「組織に頼らず生きる」(平凡社新書)が載りましたぁ~。素直にうれしいっす。なんて、ちっこいコーナーの批評というよりも紹介の記事なんですが、ま、不肖の息子を世に送り出した身としては、とりあえず世間様にも認めて戴けた気分です。
いやいや、最近では、本を売る為なら出版社は何でもやります。発売日にバイトを雇って大型書店で買い占めなんて当たり前。書店の分類コードをあえて「哲学」なんかでとって、「売り上げナンバー1」狙いなんて日常茶飯。まして雑誌や夕刊紙の書評コーナーなんて、担当編集者が自分で文章を書いてそのまま各誌紙の編集部に持ち込むと、それが採用になったりするのです。これじゃ、本がいいのか編集者の文章がいいのかわかりません。とほほです。でも、そういう涙ぐましい努力のお陰で、本が一冊ずつ売れていくのです。
そういうなかで、最後の良心の砦(と僕が信じている)のは全国紙の書評コーナーです。ここだけは、どんなに「営業」をかけても通りません。少なくとも僕は通った経験がありません。誰が紙面を飾る本の取捨選択をしているのかも僕は知りません。毎回上梓するたびに学芸担当宛に献本するのですが、載せてもらえるのは希です。そりゃ毎日五〇〇点からの新刊が出ているんですから、そういうことにもなりますよ。その分、出版社がお金をかけて広告を打つよりも読者に対するアピール力はありますよね。本は印刷しただけではまだ紙屑です。手にして戴いて、貴重な時間を割いて読んで頂いて始めて意味が出ます。そのとば口として、書評は聖域であってほしいと僕も思っています。
だからこそ、嬉しいのですよ。小さなコーナーでしたが、ぜひ見てやってください。
そういえば昔、全盛時の小室哲哉のドキュメンタリーを書いた時、いきなり朝日の書評にも載ったし紀伊国屋の売り上げベストテンにも二、三週間ランクインしていたことがありました。そりゃ頭の中では「小室さんの力だ」とわかっていましたが、本を出せばそうなるのかと錯覚したことも確かでした。実際、その後に出した「ライオンの夢」も「アウトロー」も、内容的には小室さんの「深層の美意識」と比べてなんら遜色ないものだったはずですが、結果は全く足元にも及びませんでした。大学を卒業して一〇年かけてやっと本が出せるようになって、作家と呼んでもらえるようにはなりましたが、その頭に「売れない」とついているのです。まったくとほほです。
でも、それにもめげずに書き続け、こうやって小さな努力を積み重ねて、最近少し読者との距離感が実感出来るようになりました。自分の文章のどのへんにツボがあるのかも感覚的に見えてきました。あとはそれを練って練っていけばいいと思っています。
ほんの小さなご褒美をいただいた気分です。ありがとうございました。

2004 11 28 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 26, 2004

またまた傾いた方(失礼)からの嬉しいメールが---

嬉しいメールをいただきました。
ビジネスマナーのコンサルをしている西出さんという方から、共著者の小杉さん宛にいただいた
メールです。
さっそく西出さんのホームページを覗いたら、「型破りのコンサルタント」とプロフィールに書かれていました。
またまた傾いた方に出会っちゃった(ふふふ、失礼)みたいです。
でもこういう出会いがとてもワクワクします。できたら連載中のビーカムインタビューに登場いただこうと
思っています。是非彼女のホームページも覗いてみてくださいまし。よしくどーぞ。

■最後になりましたが、最近読んだ本で感銘を受けた本をご紹介させて
いただきます。

小杉俊哉(著) 神山典士(著)
『組織に頼らず生きる―人生を切り拓く7つのキーワード』平凡社新書
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/4161ef5739b700103a77?
aid=&bibid=02495189&volno=0000
http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001729822/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582852505/qid=1101255664/
ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-7185631-4949825

この本は、各界でご活躍の第一人者7人のエピソードとそれに対する
解説から成り立っています。
各界の著名人のエピソード。<あの人のことも!>
はい、私も大変興味深く読める方々ばかりで、自分自身を見直す良い機会と
なりました。お薦めです。

※著者の小杉先生は慶応大学大学院助教授でキャリアコンピタンシーの第一人者です。
もうお一人の著者・神山先生はノンフィクションライターで、切り口、切れ味
共に抜群(ん?どこかのビールのような)のかっこいい文章です。


■温暖化といえども、これから寒くなる季節でございます。どうぞ皆さま、くれぐれ

 師走に向けて、御身ご自愛の上、益々のご活躍を祈念致しております。

いつも本当にありがとうございます。

西出博子
http://www.withltd.com

西出博子の本
※企業の人事担当者の皆様より絶大な信頼をいただいている
『オックスフォード流 「儲かる」ビジネスマナー術』(PHP研究所)
※人生に迷った人、人間関係に悩んでいる方々から涙のお便り続々の
『オックスフォード流 一流になる人のビジネスマナーの本』(青春出版社)

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November 20, 2004

前橋講演会

行ってきました。前橋。初めて行った町ではありませんが、初めて巨大なバベルの塔みたいな県庁をみてしまいました。なんでも都道府県中都庁に継ぐ規模とか。すごいね。その隣の女性会館というジミーなところで皆さんと会いました。僕の思いは通じたでしょうか。一応証拠写真ということで。今年ニュージーランドにホームステイしたなおちゃんが踊ってくれたマリオ族の踊りが可愛かったな。その写真はないけれど。残念。maebashi.jpg

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November 18, 2004

全ての子ども達へ、一つの野心

Worksのコーナーに、「小室哲哉 深層の美意識」と「北京 もうひとつの家族」の二冊を入れました。解説も書きました。このホームページを開設したのは、今まで出しっぱなしでほったらかしだった子ども達に、せめてささやかな光を当ててやりたいとの思いからでした。あ、子ども達って言うのは、僕にとっては著書のことなんです。確か1991年に最初の本を出版しているからそれから約13年。振り返るとずいぶんたくさんの本を上梓させてもらいました。テーマはいろいろ、切り口もいろいろ。タイトルなんかを言い出したら、不満や愚痴のオンパレードなんですが、いずれも僕と編集者が産み出した子どもに違いはありません。中には二週間ほどで書いちゃったものもあります。何年か雑誌に連載していたのを別の出版社の編集者が国会図書館でみつけてくれて、そこから出版に繋がったものもあります。正直に言えば出版社を騙す様な形で、それまで雑誌に書いてきた作品をまとめて出しちゃったものもあります。どうしても雑誌に書いてきた作品を残したかったからです。雑誌の文章はその時々に光は当たりますが、哀しいかな次の号が出たら一般の目からは遠ざかります。でも書籍に収録しておけば、もう一度命を与えられるし図書館等で見てもらうことも可能です。そうやっていくつもの書籍を紡いできました。でもそれも、現状では数カ月間書店の店頭におかれるだけであとは在庫となります。いまでこそネット検索も可能ですが、それでも書店のあの新刊の山をみると、古い本が日の目をみるのは極々希なことです。中には「神山君の本ってどこ探してもないよ。どこにあるの」なんて聞いてくる無神経な人もいます。んなの書店に決まってます。ないなら取り寄せればいいんです。「あれ、この前魚屋にあったって聞きましたよ」。僕はそういって笑い流します。そういう哀しい性を作家と言うのでしょうか。ははは、冗談じゃないんですが。こうやってホームページに載せてやって、当時の思いや取材のエピソードも書いてやること。それがせめて至らない親の役目だと思っていました。そして自分でも解説を書きながらその頃の事を思い出し、足りなかった部分を反省し、次の子どもを産む原動力にしなければと思います。長編書き下ろしが少ないよなと、もう一人の僕が言います。みてろよ、今度の作品は6、700枚の大作になるぜと、僕が答えます。でもそれが売れるとは限らないだろ。何いってんだ。自力でできるのはいい作品を生むことで、人さまが買ってくれるのは他力だろ。最初から言い訳かい。違うよ、ほとばしるように書きたいだけさ。---ふふふ、一人そんな会話を続けながらワープロに向かうのです。本当はまだWorksに入れなければならない本が何冊かあります。処女作とか二作目とか、台湾で出版してくれた小室の本とか。いずれ写真を撮って、それも入れて行きたいと思います。全て僕の子どもであり分身です。できのわるいところは恥ずかしいのですが、可愛がっていただければ幸いです。そしてここだけの話ですが、本当に秘密ですが、親としての野心が一つあります。それは、彼らを全て文庫に入れてやることです。それは、書籍の点数を出しただけではできないのです。売れる作家にならないと。少なくとも一度は売れないと、出版社は過去の作品を見直してはくれません。例えば今僕が頑張らないと、明治時代に世界を戦い歩いた柔道家・前田光世の姿を伝えることができない。「ライオンの夢」が文庫にならなければ、書店で見つけてもらうこともままならない。それを考えると、ここで挫けちゃいけないなと思うのです。小さなささやかな野心です。誰にも言わないでくださいね。全ての子ども達へ。お父さんは頑張っているからね。ははは。

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November 16, 2004

上野さんちの---

荒尾の上野さんが写真を送ってくださいました。ありがとうございます。講演会後のスナップです。金森先生の家って、砂場があったりして、子ども達は大喜びでした。uenosan.JPG

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November 12, 2004

ガンバレISプレス

ダイムの楠田君が電話をくれて、テレビコラムの連載をすることになりました。その打ち合わせで出会ったのがISプレスという編集プロダクションの鵜沢君でした。「あっ、神山さんて、前にうちにいた」なんて言ってくれて、最初からうちとけた雰囲気の打ち合わせになりました。そう、ISは僕が大学を出て入った会社なんです。神保町の路地裏にある雑居ビルの二階だったかな。もう20年も前の事で、辞めてからも17年たっているのに、懐かし記憶が蘇ってきました。その編集プロダクションは小学館の「テレパル」という雑誌の編集を請け負っていました。社員は記者となって、僕は当時担当していたTBSに毎日毎日通っていました。その頃の事は「大河プロフィール」にも書いたけれど、主に番組表をつくることが仕事だったんです。早く前の方のページの記事が書きたいな、もっと突っ込んだ取材がしたいなと思っても、その会社にいてはそれは叶わぬことでした。だから2年9カ月くらいで辞めたんだけど、僕と入れ代わりくらいに入ってきた奴がいまも残っているのだそうです。今は取締役とか。凄い。それに、小学館で貰ってきた「テレパルf」という雑誌を見たら、カラーページのインタビューとか番組紹介記事とかに(ISプレス)の署名があるじゃないですか。これまた凄い。記者たちが自分で企画を出して自分で取材して自分で書いているのですね。僕の後輩、というにはあまりに時が離れ過ぎていますが、彼らがとても頑張っている様子がよくわかりました。なんて、まだ鵜沢君にしか会っていないんですが。ははは。ま、ビジネスの構造としては小学館の下請けみたいなところがあるから、どうしても大企業に対する中小企業のオヤジ(失礼)みたいなことになっちゃうんですが、でも、記事を書く上では「表現者」です。堂々と胸をはってやればいい。雑誌一冊一人で書き切るくらいのパワーで突き進んで弾けてほしいと思います。久しぶりにテレビのことが書けて、懐かしいISの人と一緒に仕事ができる。こんな嬉しいことはありません。12月2日発売の24号から始まります。たった1頁のコラムですが、ISの後輩に負けない様に、なんてな。ふふふ、書きますよ、僕も。

2004 11 12 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 10, 2004

組織に頼らず生きる

21世紀の日本は、そこに住む人も企業も自立しなければならない。そのためにはまず自分を知る事、相手にただ反応するだけでなくそれをどのように自分として認知するか。短期的・一局的だけでなく中長期的・大局的視点でとらえること。あえてリスクを取る事と同時にリスクをヘッヂすること。たえざる自己成長を求め、時に今までの自分をいった
ん否定することも必要なこと。継続的学習を続けること。相手にわかってもらうべくアサーション=自己表現すること。そしてすべての人に与えられた神からの贈り物=ギフトを自覚しそれを大切にすること。等々が求められている。それは、個人にも、企業にも、国にも、だ。(前書きより)
heibonsoshiki.jpg

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ひとりだちへの旅

いやぁ、九州9日間ツアーから無事戻ってきました。現地でお世話になった皆さん、ありがとうございました。初日のふぐコースに始まって、地鳥、サバ刺し身、天ぷら、フレンチ(キンキのポワレ、山鳩等々)、馬のレバー刺し、ヒモ、カワハギ刺し身、貝汁、キビナゴ、酒寿司、豚の角煮、串焼き、久留米ラーメン、そして最期は長崎皿うどん。こうして書くと遊びに行ったみたいですが(むふふ)、その間、8日間で8講演、動員1万2〇〇〇人つーのは嘘ですが、うそうそははは、最高100人、通常20人程度のほのぼのした会で語らせていただきました。テーマは「国際社会を生き抜く力~10代という黄金の時代に」。僕自身の14歳のホームステイ体験、92年に「ひとりだちへの旅」という本を書く時に取材したホームステイの現場の様子、そして最近では5歳の女の子の親として考えている事。それらを交えながら、10代の感受性の素晴らしさや、激動の社会の中で活躍する先達から学ぶべき事、こどもたちの自立への旅の大切さ等を話してきました。それにしてもなんで講演の写真がないんだろう。先生方、ぜひ送ってください。証拠写真。ここに載せますから。とほほ。
同時に平凡社から新書「組織に頼らず生きる」という本も上梓しました。慶応大学助教授の小杉俊哉さんとの共著です。こちらではビジネスマンの自立を説いています。マネックス証券松本大の行動を支える「自己理解」、ジャイアンツ清原和博の再起を促した「認知」、全国NPO認証ナンバー1、北海道ふらの演劇工房の「バイフォーカル(複眼思考)」、中田英寿が実践する「リスクテイトとリストヘッヂ」、キャスターとして脱皮した古館伊知郎の「自己成長欲求」、恵比寿系ネオブランドリーダーの「アサーション(自己表現力)」、指揮者・佐渡裕を世界に押し上げた「ギフト(天啓)」。僕が書いた7つの物語に小杉先生が解説を加えて下さっています。これが面白い。小杉さんとは、91年だったかな、彼がボストンのMITにMBA留学している時、取材者として出会いました。チャールズリバーに沿って歩きながら、当時、彼が何故NECを辞めて自費留学したのか、これからどんなビジョンがあるのか、サマージョブで何を得たのかなんてインタビューしたのです。あれから約12年。彼は卒業後、マッキンゼーのコンサルタントからユニデンの人事部長、アップルコピュータの人事部長を経て、人事コンサルタントとして独立。自分のオフィスを持ち、慶応の先生にもなりました。外資系大企業時代にはいい給料ももらっていたはずですが、40歳までに独立しないと温い人間になってしまうと決断して「組織を蹴った」のだそうです。解説部分では、そんな彼の「熱い」生き方も語られています。けして他人事としてでなく、文章に血が通っているのは、そういう体験から出た言葉が語られているからだと思います。僕が後書きに書いた「人生の黒帯」という文章は、九州でも語ってきた10代のホームステイ体験に根ざしたものです。僕にとって「組織に頼らず」という生き方は、10代の体験が原点なのです。そういう意味で著者二人の生き方から生まれた本ということにもなります。小杉さんと出会ったあの日からずいぶん時間はたったけれど、長く友人でいられた喜びと共に、こうして意味のある一冊を上梓できたことは、僕にとっては大きな喜びです。そろそろ書店に並びます。是非是非に。そして、今日からブログ再開です。こちらもよろしくどーぞ。

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October 30, 2004

秋の九州を楽しんできます

1日から9日まで、九州縦断ツアーに出てきます。博多、佐賀、熊本、鹿児島、大牟田、そして長崎。
最期の長崎だけは「美味伝承」の取材ですが、その他は、子どもたちの国際交流をテーマにした講演会というか茶話会というか座談会を各地で開くというラボ教育センターの企画です。参加するのは10代の子どもを持ったお母さんたち。といってもだいたい僕と同じ世代かもっと若い人たちだろうから、ま、話せば解るというか、僕が刺激を貰えるんじゃないかと思っています。
14歳の夏を、僕はアメリカ中西部ネブラスカ州のど田舎で過ごしました。(その時の体験は大河Profileに書きました。ご参照ください)。あの夏がなかったら、たぶん今の僕はないだろうなと思える体験でした。今も時折、例えば真夏のゴルフ場で芝生の匂いを嗅いだときとか、雄大な入道雲を見たときとか、思い出すんです。あの夏、広大なアロファロファ農場でトラクターに乗っていた自分の姿を。
黄金の10代に異文化体験をしたことで、僕の中には強烈な記憶が残りました。一人で生きていくという大切さもそこで知ったし、この地球上で同じ人間で同じ年齢なのに全く違う生活をしている奴がいるというのもその時実感したし。それ以来、僕は21歳の時にヨーロッパを半年間放浪したり、社会人になってからもアマゾンへ、キューバへ、アメリカへ、北朝鮮へ、アラブ首長国連邦へ、中国へと、折にふれて「異文化の風を求める旅」を繰り返してきました。
最近じゃ、ただの観光旅行ってありえないんですよね。必ず何かテーマがないと物足りない。例えば香港食べ歩きなんて全く興味ない。それよりも、バルセロナの図書館に籠もって何時間も何時間も1900年代初頭の古い新聞のページを捲りながら「ju-jitsu」の文字を探すことの方が面白いんです。異文化の中に眠る様々な物語を掬うこと。その醍醐味を教えてくれたのが14歳の夏の体験でした。
さて、どんなことを喋ってこようかな。ワイルのことも話せるかな。どんな出会いがありますか。戻ったら報告しますね。途中で書きたくなったら、このホームページを作ってくれた紀子ちゃんに頼んで手書き→ファックス→アップロードしてもらいます。ふふふ、それに各地の焼酎と魚だな。

2004 10 30 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 24, 2004

いや~昨日の地震は恐かった

地震、大丈夫でしたか。新潟の皆さんにお見舞い申し上げます。本当に恐かった。
ちょうど、関東大震災のことを書いている時でした。本棚がグラグラ揺れ、思わず両手で抑えてしまいました。
いつもなら、ま、大丈夫だろうとタカをくくっているのですが、「二、三秒で建物は酔った様に隆起しはじめ」「三〇秒後にはもう崩壊が起こった」なんて大正十二年の資料を頼りに書いていたものだから、思わず外に飛び出そうと思ったくらいでした。
今から約八十年前、関東大震災は単なる天災ではなく、人災の要素も含みながら社会的に多くのターニングポイントになったことでも知られています。
一つは思想界です。大杉栄、伊藤野枝らが検挙、虐殺され、一般大衆には知らされぬままに思想分断が行われます。経済界もまた、この震災が激動の引き金となります。第一次大戦の好景気からその後反動不況に陥り、少し景気が持ち直し人々の気持ちが投機的になっていたところにこの震災が起こります。政府は震災手形を発行しますが、それを理由に本来倒産すべき企業や銀行まで救われてしまいました。それが、四年後に起こる金融大恐慌の最終的な引き金になります。
そしてもう一つ、僕がこの震災の事を書いている理由は、これによって二つの分野で大崩壊が起きたからです。
一つは横浜の街の大崩壊。もう一つは当時の西洋料理界の壊滅的な瓦解です。
横浜は、埋立地の上にできた街だったことと、外国人居留地の建物が石や煉瓦造りの大きなものだったことから、一瞬にして町が消滅する程の被害を被りました。建物の倒壊率九五・五%。東京市が七三・四%だったことを見ても、その被害の規模がわかります。家が残っている人の方が稀少だったのです。
西洋料理界は、東京にあったほとんどのレストランが潰れたり、また震災後は需要がパタリと止まったことで、営業停止となりました。維新以後約五五年、言葉と食習慣の違いを乗り越えてごく少数の料理人が少しずつ積み上げてきた歴史が、ここで大きく頓挫するのです。無論、横浜の外国人の経営するホテルは壊滅状態でした。グランドホテル、オリエンタルホテルといった、例えば獅子文六がエッセイにしばしば書いている美食の殿堂は、一瞬にして灰燼に帰したのです。
そのまっさらなキャンバスの上に、横浜の人々が総意を結集して建設したのがホテル・ニューグランドであり、当時主流産業だった生糸貿易を復活させたい一心で外国人ビジネスマンのために招聘したのがスイス人シェフ、サリー・ワイルだったというわけです。
何故僕が関東大震災のことを書いていたか、おわかりいただけましたか。
地震といえばもう一つ、神戸の街を訪ねるたびに九五年の地震直後の風景を思い出します。同時に、まるで何事もなかったかの様に復旧されたかに見える今の街並みに感慨深いものがあります。確かにコンクリートのジャングルは復活しましたが、現代に生きる僕たちは、あの震災から何か大切なものを学んだのでしょうか。もちろん被災された方は僕などよりももっともっと深い所でその疵を受け止めていらっしゃるのだろうけれど、何か復興のシンボルとなるものを、僕らは得られたのだろうか。
横浜に於けるホテル・ニューグランドは、その意味で「復興のシンボリック・アクション」だったのだと、僕は書きながら思いました。その証拠に、今も残るダイニング・ルームには「フェニックス」の名前が冠されています。それは当時の市長、有吉忠吉が推した「フェニックス・ホテル」という名前の名残です。結局「ニューグランド」という名前に落ち着くのですが、有吉がその名前に託した「不死鳥」のイメージは、まさに横浜市民を力づけるものでした。
あぁ、そんなことよりも、新潟の人と街の復興ですね。その前の台風の被害もあるし。
ホント、ITだコンピュータだと言いながらも、人間の最大の課題は自然との格闘なのだと再認識しますね。いつの世も、生きていくことだけで大変なのです。
僕も昨夜は思わず原稿を入れたフロッピーを自宅に持ち帰ってしまいました。これを書き切らないうちは死ねないなって。でも考えたら、事務所の資料がなかったら、僕は一文字も書けないただのおじさんなんです。とほほですね。

2004 10 24 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 22, 2004

行く友、戻る友、共に幸あれ

今月は原稿執筆で一杯一杯で~すなんていいながら、ワープロの前に座るとやっぱりメールをみたくなるし、このホームページのカウンターも気になるし。「孤独を我慢しきれない」駄目な書き手の神山典士です。とほほ。
そんな中、二人の友から嬉しいというか、懐かしいというか、複雑な思いのメールをもらいました。
一人は高校時代からのバレーボール仲間(ということは国体出場仲間!むふふ)なんすが、数年前光通信で経理か何かをやっていて、当時ストックオプションか何かで(ほとんど人の話をきいてないな、とほほ)何千万円か儲かったと言っていた友人です。僕はその時「ネットバブル狂騒曲」というのを書いて、彼にも取材でお世話になりました。でも、その後バブルは崩壊。彼も関連会社にでたり新会社を立ち上げたりでいろいろやっていましたが、ここ一、二年は浪人だったのかもしれません。
「僕も11月から新会社に決まりそうだから、忙しくなるよ」
そんなメールでした。いやいやよかった。僕らが揶揄したからバブルが弾けたと、別の友人から糾弾されたりもしてたんすが、とにかく健闘を祈りたい。今度こそ泡銭を逃すな、と。
もう一通は、アメリカ、アーカンソー州のド田舎からでした。
「メールありがとう。僕も神山君にメールしようと思ってたところでした。赤い糸でしょうか」
そんな書き出しのメールをくれたのは、かつて二〇代後半に始めた異業種交流会「東京塾」以来の付き合いとなるKさんでした。彼は東大からS百貨店へ、そこの会長秘書を長く勤めて、今はスーパーSにいます。そこからアメリカの巨大スーパーWに研修の様な立場で行かされて、一年間。今週末帰国だそうです。その世界は今、Wがダイエーを買収するとかSの株を買い占めるとか、とにかく猫の目の様に状況が変わっています。Kさんが戻っても、激動が続くでしょう。あるいはKさんがS籍のままにダイエーの企画をやっている可能性もあるのです。いやはや。
「とにかく頑張りましょう」と、僕は書くしかありませんでした。
今、原稿の上では「関東大震災が横浜を壊滅させ、そのまっさらなキャンパスの上にホテル・ニューグランドの誕生とサリー・ワイルの登場があった」というところまできているのですが、僕らの現実も、関東大震災に負けないくらいの激震ですね。
行く友へ、そして帰る友へ。互いに幸あれ。
そして、何か事件があったらまた書かせてねぇ~なんて、やっぱり駄目な僕でしたぁ。たはは。

2004 10 22 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 15, 2004

真っ白なスニーカー、永遠のアマチュアリズム

阿川佐和子、大竹しのぶ、野田秀樹、日比野克彦、奥田瑛二、そしてえーと、後は誰だっけ。ああそうか東儀秀樹、田中美里、そして今日石原さとみ。原稿用紙二枚にこの人たちへのラブレターのようなそうでないような、エッセイのようなそうでないような、それでいてこの人たちの人生になにがしかの意味があるといいなぁと思う文章を書いてきた。四ページの写真と一ページの文章。それが二〇〇四年の僕の一つの仕事だったことは間違いない。
でも、この仕事で一番心に残ったのは「真っ白なスニーカー」だった。
「僕は仕事の時はいつもこの靴に決めているから」
この連載の初回、阿川佐和子さんを撮っている最中、カメラマンの稲越功一さんが言った。
それは本当に真っ白な、何の飾りもブランドマークもない、あまりにそっけないスニーカーだった。
その時はへぇ、そうなのかと思っただけだったのだけれど、「いつも」という言葉に偽りなく、稲越さんは青いスーツの時もアロハシャツの時も本当に「いつもいつも」このスニーカーを履いてきた。しかもいつも真っ白だ。いったいどうなっているんだろう。
「だって学生の時に二五〇足一辺に注文しておいたからね」
ある時その白さのヒミツを訊ねると、稲越さんはそう言った。
「えっ、学生の時にもうこの仕事をこんなに続けると思っていたんですか?」
そう問うと、ただにやっと笑っただけだった。はたして四〇年も前に今日の自分の姿を想像していたのだろうか。カメラマンとしてこの靴を履き続けるイメージが学生時代からあったのだろうか。稲越さんはそれには答えてくれなかった。
けれど、僕にはひとつのことが了解できた。 そのスニーカーは、間違いなく稲越さんのアマチュアの証明なのだ、と。
たまたまだけれど、今年の賀状に僕はこう書いた。「永遠のアマチュアリズム」。
この仕事で何年か生きてみて、恐いのはアマチュアリズムだと痛感している。プロの手練の技に驚く事はある。先輩作家の文章に憧れたりもする。でも恐いのは、アマチュアの無謀さであり無計画さであり純粋な好奇心だ。逆に言えば、自分の中にそれがなくなったらやばいなと思う。
もしかすると稲越さんもそう思っているのかもしれない。だから、そのスニーカーを大切に履き続けているのではないか。
一年間でこの連載はあっけなく終わってしまったけれど、でも、僕の中に二つの宝物が残った。
一つはそのスニーカーの記憶。そしてもう一つは、最後の取材を終えた翌々日に事務所に届いた稲越さんからの写真集だ。
「またご一緒しましょう」。稲越さんはそう書いてくれた。三冊のうち一冊は、自分の事務所で出版した作品だった。
ここにもアマチュアリズムがある。永遠のアマチュアリズム。
稲越さん、確かにいただきました。ありがとうございます。大切にします。

2004 10 15 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 10, 2004

僕の中の矛盾

「美味伝承」(仮題)プロローグ五〇枚が書き上がりました。ふ〜。構成さえ決まってしまえば書くのは結構早い方なのですが、今回はちと気負っていた部分もあったので、ま、とにかくよかったよかった。悩まずに、書くのではなく湧き出て来るものをそのままタイピングすればいいのですけれどん。それもなかなか難しい。
何が難しかったかというと、何といってもここから五〇〇枚の旅に読者を誘わなければいけないことです。「いい温泉があるよ」「紅葉が綺麗だよ」「美味しい酒があるよ」と、何でもいいんですが(この例は随分ゲスですが、とほほ)やっぱり旅には某かの魅力が必要ですよね。特に「日本の西洋料理の歴史」「本格的な西洋料理を伝えた日本にスイス人の伝記」なんていっても、僕はそのことに熱くなっているから良いけれど、読者は全く関係ないですからね。逆に言えば、全く関係ない人を読者にする為に、如何に種まきをするか。如何に冒頭の数ページで興味をもってもらうか。それがプロローグの役目なわけですよ。言うまでもなく。 その仕掛けに、ちと苦心しました。
でも考えてみれば、こんな苦労をしなくてもいい方法もあるんです。例えばそれは、今年の夏だったらオリンピックを書く事。その前だったらイラクに出かけて戦争取材をする事。今だったらダイエーと産業再生機構の裏側を書く事。あるいは気が滅入る程起きている殺人事件を取材する事。それらの現場はプロたちの凌ぎあいですから本当に戦場の様相ですが、少なくとも読者は無条件で待っていてくれる。いやその前に、メディアが場を提供してくれる。
今回、料理史を書きたいなんていっても、どんな雑誌だってそうそうページはくれませんから。中には電話しても返事もくれない編集者もいましたよ。某ぴあの誰それみたいにね。(こういうの忘れませんよね。むふふ)
でも そりゃそうです。世間的には西洋料理史なんて「事件」ではないんですからね。
でも、僕の中では事件なのです。たとえば帝国ホテルの歴代シェフでもスタージェという無給の見習いだったパリのリッツで、神戸オリエンタルから鞄一つで労働許可証ももたずに渡仏した小西さんが最初の受給シェフになった事。すっかり忘れられていたはずのワイルの名が、数年前のロイヤルホストのメニューに出ていたという事実。終戦後九月四日に横浜ニューグランドに入社したシェフ岩崎富夫さんに出会えた事。全てが僕にとっては事件なのです。
その「事件」を「物語」として読者に提供していく事。 そのためのプロローグですから、やっぱり苦労しました。
そういえば、イラク状況がかしましかった頃、酒の席でよく友人に言われました。「神山はイラクにいかないのかよ」って。
そのたびに適当に誤魔化していたんですが、あんまりひつこい奴には時折マジになってこう答えていました。
「あの程度の矛盾は僕の中にあるから」って。
僕もジャーナリストの末席を汚している以上、時代に旬な「矛盾」を追う事は使命です。でも、書くべき対象が「社会の矛盾」レベルではなくて「自分の矛盾」に昇華していないと、本当の物語は生まれません。
その意味で今回の作品は、自分自身の矛盾を物語に昇華させる事ができるかという試みでもあります。
だから、僕の中のオリンピックであり僕の中の戦争であり僕の中の事件なのです。
はたしてどうなりますか。まだまだ入江の先をうろちょろしている段階ですから。
ちなみに種まきに使った手法は「取材を続ける僕の周囲に起こった奇妙な出会い」かな。ふふふ。これだけじゃわかりませんよね。ま、 も少し海原に出たら、また途中報告しますね。お楽しみに。

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October 08, 2004

楽しくも苦しい航海の仲間へ、乾杯

年下の二人の友人から、同じような小さな小包を受け取った。一つは処女作の本。もう一つもやはり処女作といってもいいVTR。共に二〇代の若いライターとディレクターが送ってくれたものだ。ディレクターからの手紙には、こんな言葉があった。
「旅番組ですが、ドラマを撮るつもりで挑みました」。
その言葉に、思い出したことがある。社会に出て間もない二四、五歳の頃の事。とにかく書きたくて書きたくて仕方ない時期があった。当時僕は、神保町の路地裏にある社員二〇名程度の編集プロダクションに勤め、近所にある小学館のテレパルというテレビ雑誌の記者をやっていた。毎日担当であるTBSにつめ、新番組の情報や番組改編のニュース、トピックス等を取るのが役割だ。とはいえ、ルーチン・ワークは番組表をつくることにある。当時テレビ雑誌界では新参者だったテレパルは、常識を無視して二週間番組表をウリにしていた。だから校了前になると、何百枚も番組表を書かされた。
「月曜ドラマスペシャル、なんたらかたら殺人事件、今日もなんたらに美人人妻の悲鳴がなんたら」「クイズダービー、巨泉がなんたらでケイコ動転!」「八時だよ! 全員集合、ドリフの爆笑なんたらかたら」。
そんな言葉で表を埋めていく。もちろんその表記が正確でなかったら読者に叱られるが、面白い仕事のわけがない。
とはいえ そのページの中で一つだけ、書きたいと思うコーナーがあった。それは、スポーツ番組だけを集めたページの片隅にある、今思えば四〇〇字三枚半程度のコラムだった。僕は先輩にお願いして、そのコラムの一回をもらうことに成功した。おりしも大相撲は高見山の引退で沸いていた時だったから、国技館に詰めて彼の動向を書こうと思った。いや、素材なんて何でも良かった。ただ「表」ではなく「文章」が書きたかったのだ。当然、書けるか書けないかなどは全く振り返らずに、僕は遮二無二取材を始めていた。
                    ※
面白かったのは、国技館の前で高見山の乗るタクシーの到着を待っていた時の事だ。彼が車を降りると数人の番記者が駆け寄って来る。僕も負けじと身体をその輪の中にねじり込む。すると高見山が「ウーアーウーアー」と重い吐息を吐きだす。それはとても言葉とは言えない「喘ぎ」に近いものだった。 すると番記者たちは、一瞬立ち止まる。そして最も近くでその喘ぎを聞いたものが「××××」と正確な日本語に「翻訳」する。はたしてそれが正しいのか誤訳なのかは誰にもわからない。そんなことよりもむしろ、次の瞬間には再び歩き続ける高見山に追いついて、次の喘ぎを聞くことのほうが大切だった。 そうやって翌朝の新聞を見ると、各紙に引退に対する彼の考え方や親方の意見が詳細に載っていた。実に見事な技だった。
「ふ〜ん、こんなことでニュースはできているのか」。僕は そう唸ったものだ。
そして僕も書いた。わずか三枚半程度のコラムに何時間も何日もかけ、締め切りのギリギリまで粘って書いた。たぶんあの時の僕にインタビューしたら、こう言っただろう。
「コラムじゃありません。小説のつもりで挑みました」、と。
そしてそのコラムを期に、確か僕はフリーランスになることを決めたのだった。
                    ※
「ご丁寧なお手紙ありがとうございました。楽しくも苦しい航海の一員にしていただいて、嬉しく思っています。今度是非一緒に飲ませてください」
一足早く本が届いたライターに礼状を送ったら、そんなメールが返ってきた。「楽しくも苦しい」と言う表現は、確か僕が葉書に書いて彼に贈った言葉だ。そこに敏感に反応して、そんなメールになったようだ。 何故楽しいか。それは、この作業には、旅番組をドラマにしたり、三枚半のコラムを小説に見立てる自由があるからだ。けれど何故苦しいか。それにはいろいろな理由があるけれど、一つは「視聴者はドラマなんか期待していない、あくまでこれは旅番組でいいんだ」と批判される脆さがあるからだ。もちろん、「こんなドラマがあるか」と叱咤される危険もある。いずれにしても、作り手の思いは往々にしてストレートに受け手には伝わらない。その前段階で、いろいろ変容してしまうことが少なくない。そこに最初の苦しさがある。
僕の場合、フリーになったのには理由がある。校了直前になって、コラムの内容が微妙に変わっている事に気付いた。
「あれ、なんか文章が変わっていますね」。先輩編集者に聞くと、「あぁ、デスクが手を入れたんだ」と言う。「えっ、だってあのデスクは番組表担当で、このコラムは関係ないはずでしょう」。そう言っても後の祭だった。 「やってらんねぇよ」と呟いて、僕はフリーになることを決めたのだ。 何故楽しいか。それは、「やってらんねぇよ」と言って自分の進む道を決められる自由さがあるからだ。けれど何故苦しいか。それは、そこからは表現の場もテーマも徒手空拳で探さなければならず、喘ぐしかないからだ。 そしてそれが「航海」であるためには、延々とその「楽しくも苦しい」行為を続けなければならない。それを続けてこそ初めて「航海の仲間」となる。
そしてまた、この航海には、さらにこんな悩みも付き物だ。
「表現を世に出す事はどういうことか、迷いながら日々を過ごしています」。ディレクターの手紙の最後の言葉は、この星に住む何千万という表現者の呟きでもある。 楽しく苦しく迷い続ける。そんな僕らの日々に仲間が二人増えた。まずは祝杯を。

長谷川昌一著「ダンス・グランプリ〜県立厚木高校ダンスドリル部全米制覇の記録」(主婦の友社)1238円
佐々木善春監督「小さな旅、栃木県栃木市、新風の仕事場」(NHK)(でもこれはローカルかな?もうオンエア終わっちゃったかな?)
ぜひに、よろしくです。

 

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October 07, 2004

朗報あり、悲報あり。

「スイスの首都・ベルンに来ている」
年内一杯に書き上げる予定の作品「美味伝承〜サリー・ワイルとその時代」(仮題)の最初の一行が書けた。ここから約五〇〇枚。どんな旅が待っているのか。約八カ月かけて、アルバイトの恵介と箕輪の力も思いっきり借りてむちゃくちゃたくさんの資料が集まっているだけに、それをどこまで再構成できるかが勝負になる。縦軸はサリー・ワイルの生涯だが、横軸には明治大正期の日本の料理人の実力や、戦後、若き料理人たちが片道キップを握りしめてヨーロッパに渡った青春群像にもなるはずだ。はたしてどんな物語が生まれて来ますか。
とはいえ、ひとまず最初の一行が書けたということは、必ず最後の一行も出てくるということだ。そう自分に言い聞かせて、勇気を振り絞ることにする。
と、そのことで頭は一杯なのだけれど、思いがけなく辛いニュースも伝わってきた。
「叔父さんの様態が酷く悪いのよ」。僕がちょうどスイス取材に出ていた頃、彼は脳梗塞の疑いで言語障害の症状がでたという。一度は退院して自宅で休んでいたらしいが、昨夜急に様態が悪化して別の大学病院に再入院したとか。不覚にも今日までそのことを知らなかった。詫びながら、叔母さんに様態を伺った。
彼が最初の入院をした頃、その親友が大腸ガンで亡くなっている。その二人は、ともに四半世紀前、誕生したばかりの西武ライオンズのスタッフとして、球界に新風を吹き込んだ仲間だった。一人は広報担当として。もう一人は経理担当として。あの時西武は、九州から球団を引っ越し新球場をつくり野武士軍団をスマートな戦闘集団に蘇生させるという難行を短期間で成し遂げている。だからだろうか。その激動を経験した二人は、共にその職場を離れても、折にふれて飲み明かす仲間だった。僕も時々その仲間にいれてもらい、例えば清原の情報や、近鉄バファローズの内部情報を教えてもらったりしたものだ。
親友の大腸ガンがみつかった時も、その数日後に三人で飲む約束をしていた。ところが突然「しばらく電話の届かないところにいきます」と連絡があり、その三カ月後、彼は無言のままに逝ってしまった。そのことに心を乱され、今また叔父も病床に横たわっている。
折しも世間では、ライブドアと楽天が球界参入の名乗りを上げ、話題になっている。四半世紀前の西武のチャレンジを振り返ると、根本陸夫という球史に残るGMを擁して、その戦力づくりには画期的なものがあった。叔父貴と親友の二人は、根本を支えて黄金時代の醍醐味を味わったはずだ。けれど今から思えば、それでも巨人一極集中の球界の構造を変えるには至らなかった。今では西武は、巨人にすがる保守派になりさがっている。二人はどんな思いでこの状況をみていたのか。もはや聞く術もないけれど、四半世紀という時の流れの非情さを痛感する。

大河プロフィールその3、更新しました。見てやってくださいまし。

2004 10 07 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 05, 2004

恐るべき愛しき職人の世界

sasakikutsu.JPG冷たい雨の降る東北から戻りました。いやすごかった。何がって、すごい職人にあってしまいました。 手作り靴職人佐々木康樹さん、四二歳。若いけれど、腕も頭も人柄もすごくいい。 その靴づくりは、まずインタビューから始まります。どんなふうに毎日靴を履いているのか。どんな生活パターンなのか。健康状態はどうか。いままでどんな靴を履いてきたか。そんなことをよもやま話風に聞きながら、佐々木さんは足を「触診」しつつ唐突に言います。「腰が痛くありませんか?」「爪先が痛い靴をずーっと履いているでしょう」「肩凝りはありませんか?」。そういう指摘がいちいち当たっているんです。もちろん、足は第二の心臓といいますから、そういうこともあろうかとは思います。それを宗教にしていた人もいたくらいですから。でもそれが自分の靴をつくるための最初の行為だとなると、ちと感動ものです。

その後本格的にオーダーするということになると、足裏の圧力がどこにどの程度かかっているかをフットプリントで調べ、石膏で足型をとり、細部をはかり、木型を造り、型紙を切り、仮縫い、再調整、ダミー造り、本縫い、そしてつや出しといくつもの工程を経てやっと出来上がりです。その間約半年。そのことに驚いていると、佐々木さんはこうも言います。「それだけじゃありません。今のお客様には作業にかかるまで約一年半待ってもらっています」。つまり今オーダーしても、インタビューしてもらえるのは一年半先なのです。しかもそこから半年間で最低仮縫いのためもう一度は佐々木さんの工房を尋ねなければなりません。遠く鹿児島や奄美大島、北海道からも、佐々木さんのファンがやってきます。「でも皆さん、嬉しそうにきていただけるから私も嬉しいんです」佐々木さんは屈託のない笑顔で言います。

その工房は新幹線で東京から二時間、仙台の一つ先の古川下車、そこからタクシーで約二〇分。鉄道はなく、路線バスも朝夕以外は便利とは言い難い加美町(合併前は中新田)にあります。失礼ですが、二日間工房で取材していても尋ねて来たお客さんは一人だけでした。しかもそれも、前からの絡みで仕方なく置いている婦人物のバックを買いたいという人です。もっとも、水田に囲まれた人口二万五〇〇〇人の街に、そもそも人通りなんてありません。以前東京から取材にやってきた靴の専門誌の編集長は「いったいどうやって商売しているんですか」と驚かれたとか。 全てインターネット経由、ホームページを見たコアなファンとの信頼関係で成り立っている商売です。

それだけではありません。佐々木さんは、職人泣かせといわれるエイの堅い皮で試作品を創ったり(写真をアップロードしてみますね、できるか? これは美川憲一をイメージしたそうです)、ホールカットと言われる一枚皮で紳士靴を創ったり、五〇年代のイギリスの老舗メーカーの技術を再現したりと、「採算にあわないチャレンジ」も続けています。 sasakisakuhin.JPG「いやぁ、お客さんから難しい注文をいただくとやってみたくなるじゃないですか。楽しいんです」 その表情を見ながら、思い出したのはイチローでした。もちろん様々なプレッシャーも悩みもあるのだろうけれど、イチローは言います。「野球は仕事ではありません。人生です」と。つまり、ライフ・ワーク・インテグレーションなのです。佐々木さんの笑顔もまた、その境地を示しているのでしょう。 もちろん、その靴は値段だけ見るとちと高いです。でもこの工程と、靴と足の微妙で繊細な関係を知れば、むしろそのことに無知な事がどれだけ恐ろしいかが実感できます。腰が痛いといいながら腰の治療を続けても、そもそも足元の原因を直さなければそれは徒労なのですから。 帰路の新幹線の中で、インタビュー内容を思い出しながら、やがて書くべき文章の冒頭10行程度がすぐに脳裏に沸いてきました。ここまできたらあとは指をキーボードに置いて、湧き出る文章を素直にタイピングするだけです。書くのではなく湧き出る文章。それがどんな作品になるか、自分でも楽しみです。幸せな取材になりました。 佐々木さんのホームページ、ぜひ覗いてみてください。 http://www.h2.dion.ne.jp/~k-sasaki/index.htm「靴職人の世界」

2004 10 05 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 02, 2004

今日は思いっきしPR。許してね。

この秋、ザ・バザール及び神山典士が企画執筆に関わった書籍が三点出版されます。 企画当初は時期的にも内容的にもこんなにコラボレートするとは思っていなかった のですが、こうして並べてみると、書くべきテーマ、出すべき時、しかるべき内容 の「三位一体」で生まれてきたことが感じられます。是非一度お読み頂ければさいわいでーす。ホントに幸い。来たれ我が四万数千名の新しき読者たちよ。ふふふ。勝手な言いぐさやなぁ。

3冊の テーマは 「生きる醍醐味を考える〜仕事との距離感をどうとるか」
誰も命ある限り、充実した日々を過ごしたいと思っているはずです。 小学校からの友人が会社のストックオプションで小金が入り、都内と 湘南にマンションを買いました。別荘として使っている湘南の部屋で 旧友を招いて「私たちの人生、これでいいのかしら」と語り明かした そうなんすが(それもなんだかなぁですが)、物には恵まれても まだ飽き足らない。もっとダイナミックな感動溢れる生活がほしい。 そう思っている人は少なくないはずです。 そんな生活(=人生)を得る為には、詰まる所2つの道があると考えます。
一つは「アーリー・リタイヤメント」。
好々爺になってから引退するのではなく、若さや行動力があるうちに 生活経済基盤をつくって「生活のための仕事」から自由になる事です。 そういう生活を夢見る方に、

1、「ハワイ プチ富豪の成功法則」(著、ヒロ・ナカジマ)
アスコムより、10月上旬出版、1400円をお勧めします。 僕は企画を担当しました。

著者のヒロは今38歳。ハワイ・マウイ島のコテージに住み、新しいマリン・ スポーツ、カイトサーフィン三昧の生活を送っています。それでいて、年収 約3000万円。都内に2つのマンション棟を持っています。 でも彼の生活は決して贅沢ではありません。むしろ質素です。それは、彼の 成功が次の法則に導かれたものだったからです。
「y=(a+b)X+c」
y=望むリタイヤメント生活 X=収入または財力。 ではaとbとは何か。
a=現在の自分を変える意志力 b=未来の自分像を明確にする意思力
その意志の総和とX(財力)の積が望む生活を規定するとヒロは語ります。
そしてcは、コンプレックス。幼少時両親の離婚により極貧生活を強いられた ヒロには、様々なコンプレックスがありました。学歴、学力、経済力等々。 ヒロは27歳の時に手元の130万円を資金として起業し、そこから約7年で ニューヨークで年商15億円規模のビジネスを育てるのですが、 その活動の源泉にあったのが「コンプレックス」だったといいます。 それが深くて大きいほど、逆転すれば活動の大きなモチベーションになります。
つまりそれほど大きな財力(X)がなくても、意志力(a+b)とコンプレックス ・パワーがあれば、人は望む生活(y)に近づけるのです。 本書では、ヒロの半生を記すと同時に、彼がその歩みの中で掴んだ実践的成功法則 が余す所なく披瀝されています。 よろしくお願いいたします。

もう一つ、充実した生活を送る為の道があります。 それは「仕事と生き甲斐をフィットさせる」という道です。 欧米ではすでにここ数年、「ライフ・ワーク・インテグレーション」という 言葉が一般的になっているようです。つまり「仕事」と「生活=人生」の融合です。 以前は「ワーク・ライフ・バランス」と、両者のバランスをうまくとることが模索 されていましたが、今は一歩進んで「仕事=生き甲斐」の道が求められています。 そんな生き方を志向する読者の為に、

2、「組織に頼らず生きる〜人生を切り拓く7つのキーワード」 (平凡社新書)(著者、神山典士と慶応大学助教授、小杉俊哉の共著) 11月上旬発売、760円を上梓します。

7つのキーワードとは、以下の通りです。
・リスクテイクとリスクヘッヂ、・自己成長欲求、・認知、・アサーション(自己表現能力) ・バイフォーカル(複眼思考)、・ギフト(神からの贈り物)、・自己理解

上記キーワードをテーマに、僕は7つのノンフィクション作品を書きました。 例えば「指揮者、佐渡裕があるとき気付いた神からの贈り物」 「NPO法人認証第一号ふらの演劇工房が持っていた複眼思考」 「中田英寿が高校時代から行っていたリスクテイクとリスクヘッヂ」 といった具合です。
それらに対して小杉先生が、解説を加えています。 これが面白い。例えば複眼思考では、「時間的な複眼だけでなく、 緊急×重要の複眼も必要」と先生は言います。 「通常の仕事は緊急度の高いものからこなされていく。その結果、「重要だけれど 緊急でない仕事」は後回しにされていく。たとえばそれは、自分を高める為の学習 だったり、将来に備えた投資だったりする。本来人生を決める大切な事が、単眼思考 のために蔑ろにされ、気がつくともう手遅れになっている」と言った具合です。

小杉先生(本当は昔からの友人なので小杉チャンなのですが、ふふふ)とは、90年に ボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)のキャンパスで初めて出会いました。 僕は「ジャパニーズMBAの挑戦」という処女作を書く為の取材者として。小杉さんは NECを退職した自費留学のMBA学生として。後から聞くと、当時小杉さんは 落第の恐怖、子育ての苦悩、資金欠乏の恐怖、帰国してからの将来の不安と、 いくつもの悩みを抱えていたのだそうです。でもそんなことはおくびにも出さずに、 僕のインタビューにつきあってくれました。卒業後、マッキンゼー・コンサルタント、 ユニデン人事部、アップルコンピュータ人事部部長、といった要職につかれ、 その後独立して人事系コンサルティング会社を経営しながら慶応大学で教鞭もとっています。 つまり「解説」部は、今現在のビジネスシーン、コンサルティング活動の中から小杉さん が感じた事がなまなましく書かれているのです。 いい本になったと思っています。是非一度手にしてみてください。

さて3冊目は、人生の究極の課題である「命」「死」をテーマにした作品です。

3、「勝負あり〜猪熊功の光と陰」(河出書房新社)
こちらは、合気道家であり、猪熊氏のもとで社長室長だった井上斌氏と神山典士の共著。 10月上旬発売、1800円です。

猪熊功といえば、ヤワラちゃんの漫画にも登場する柔道界のシンボル的存在でした。 東京五輪金メダル、世界選手権金メダル、日本選手権優勝という3冠を最初に達成した 柔道家でもあります。引退後、猪熊氏は東海大学総長の故・松前重義氏の秘書として活躍し やがて東海大学の子会社である東海建設の経営者となります。ところが2001年9月28日、 新宿にあった本社社長室で自ら頸動脈を突き刺して自害します。井上氏はこの時、同じ社長室 に留まり、自刃が完全に達成される事を視認する役目をもっていました。 「まだまだっ、切れてない」。氏の叫びに猪熊氏は3度短刀を喉元に突きたてたと 言います。本書は、その死に至るまでの2週間、諸般の事情から「美しき死のための 合宿」を張った猪熊氏とそれに付き添った井上氏の回想記であり、経営者の孤独、 親会社の横暴、金融機関の醜態等の企業ドラマと、金メダリストという宿命を 背負った人間の断末魔等がなまなましく折り込まれた作品です。

僕も生前猪熊氏には大変お世話になりました。シドニー五輪の井上康生の決勝戦の日には 赤坂プリンスのスイートに猪熊さんや友人たちと集い、優勝の瞬間にはシャンパンを 気前よく振る舞ってもらったことを思い出します。けれどあの瞬間にも、猪熊さんの 中には経営の黒雲が低く垂れ込めていたのです。そう思うと無念でなりません。

以上、今日は宣伝でした。すんません。これに神山家の正月の餅代が(古いか、たはは)かかっています。ぜしに、ぜしに、ぜしに、よろしくどーぞ。

なんか小さな文字ばっかで恐縮です。自分でもこれじゃ読まんなと思いつつ。どう直していいかわからないのよん。

2004 10 02 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 01, 2004

第二の故郷、松本に捧げる物語

地域創造誌、「まつもと市民芸術会館オープニング顛末記」約二〇枚のゲラをチェックする。8月末、総工費一四三億円の大小二ホールからなる立派な小屋が、僕の大学の街でもある松本にオープンした。屋上庭園で開かれたパーティーでは、高円宮妃殿下や安藤忠雄、森英恵等々が顔を揃えて(あんまり演劇には関係ないと思うけれどね)そりゃにぎにぎしかった。あんな顔ぶれは松本では珍しい。大ホールのこけら落としは小沢征爾指揮のオペラ「ヴォツェック」、小劇場は芸術監督でもある串田和美演出・主演の「スカパン」。僕はこちらを観たのだけれど、ジャニーズの岡本健一等々が出ていて、約300の客席の3分の1はジャニーズファン。「田舎の小屋だから」なんて失礼な会話が聞こえてきたり、岡本が出るだけでワーキャーの世界だからあんまり気持ちよくはなかったけれど、串田さんはそういうファンの反響までも計算にいれて、まずまずの世界を創っていた。取材で印象深かったのは、五年間に渡って反対運動を展開してきた市民のリーダーだった。西村さんというおじいちゃん。お目にかかる前は、正直「なんて偏屈な方なんだ」と思っていた。僕は演劇好きだし、MATSUMOTOが一つのブランドになって世界にコンテンツを発信して行かなかったら、いつまでも北アルプスとお城じゃ食えなくなっちゃうよと思っていたからだ。つまり文化を経済化するための一つのツールとして、館を生かして行けばいいじゃないかと。ところがお目にかかってみると、とてもジェントルな方だった。市の広報誌に、幼稚園園長の肩書も堂々と出して反対の論陣を張っている。「児童福祉のお仕事に差し支えませんか」と尋ねると、ひと言「私は教育とは木を見て森も見る事だと思っています。子どもたちにも園のことを考えるだけでなく、街の将来も国の将来も考えている事をわかってほしいんです」と言う。聞けば、開園四〇年になる園舎が老朽化して国に新築の補助申請した時に、「財政難から無理」と断られたのだという。慌てて市役所にかけつけても、「国の補助がないなら自治体の援助も無理」とにべもなかったとか。そんな財政状態なのに、今なら国の助成金が四三億円出るという理由で建設を焦った前市長の住民無視、おねだり市政が許せないと静かに語ってくれた。それでいて西村さんは、オープニングの日には串田さんの芝居も鑑賞し、翌日には「最高のスカパンでした。松本であんなに若い観客が詰めかけるなんて素晴らしい」との電話を串田さんにかけてもいる。是は是、否は否。潔い姿勢の人だ。こういう論敵の存在は、むしろ館には財産なのではないか。そう思って書いた原稿だった。編集者によると、西村さんもゲラを読んで感激してくれていたという。もちろん僕は彼に向けて書いたわけではない。あくまでも読者に向けて書いたのだけれど、僕の第二の故郷でもある松本の捩れが、早く戻って欲しいとの願いは込めた積もりだ。12月には新潟のレジデンス・ダンスユニット、金森穣君たちの公演が松本である。早く原稿を書き終えて、是非観に行きたいと思っている。こりゃ、必見の作品ですぜ。

大河プロフィールその2、アップしてまっせ。ふふふ、こちらもぜし。

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September 30, 2004

本日も収穫あり。構成の醍醐味

都内某所に籠もって10月から書き出す「美味継承」(仮題)の構成に入る。膨大に集めたインタビューデータを読み返し、重要ポイントを書き出す。それを、B4の紙を貼り合わせた大きな設計図にマーキングしていくと、次第次第に全体の構成が見えて来る。もちろん、個々のデータでは光らなかった証言や記録が、全体の中で意外に重要なポイントにあることがわかったりもする。困っていたのは、料理を扱った題材だけに、当時の味や客の反応、メニュー構成にいま一つリアリティを醸し出すのが難しい事だった。ところがある人のデータのなかに、こんな発言があった。「ニューグランドから最初に出て行ったのは大阪にアラスカというレストランを創った望月チーフと飯田シェフだった。彼らはワイルのシステムをそっくりそのまま踏襲して大ヒット店をつくったんだ」。この発言を設計図に落とした時に、閃いた。「んじゃ、アラスカの歴史を調べればワイルの料理がわかるんじゃないか」。アラスカは、創業時こそ大阪にあったが、今では僕らの生活圏内に支店を構えている。そう、朝日新聞社屋と毎日新聞社屋、そしてプレスセンター内にあるあのアラスカだ。「あそこは高級よ」と、僕らが打ち合わせに行った程度ではなかなか編集者は連れて行ってくれないが、あそここそワイルの流れをくむレストランだったのだ。さっそく電話をしたら「七〇周年記念誌があります。先代の息子が社長をしています」とのこと。また、アラスカに四〇年以上勤めて今は引退しているシェフとも会える事になった。つまりアラスカを調べる事で、ワイルに近づける事になる。社史を見ると、創業時の料理の詳細が出ていた。しめた。これで作品から料理の香りが匂い立つはずだ。
本日も収穫あり。明日から、プロローグの構成と執筆だ。

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