熱血ライター 神山典士がゆく

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« 「フレンチの王道・シェイノの流儀」読書感想文大会~その3、水上さん、西野さん、猪野さん | トップページ | 「フレンチの王道・シェイノの流儀」読書感想文大会~優勝者発表!!! »

July 28, 2016

「フレンチの王道・シェイノの流儀」読書感想文大会~その4、上位入賞者をご紹介します~

いよいよ感想文も上位入賞者の発表です。

今回の得点方式は、「シェイノの採点×3」、「神山の採点×2」、「当日会場での採点(1作品を二人が読んで採点)」という方式となりました。

まずは第五位、「シェイノ75点」「神山65点」「会場90点90点」のトータル535点を獲得した鈴木靖子さんの作品です。


鈴木靖子

読書感想文を書くということ。
どれくらい振りのことだろうか。届いたばかりのamazonの箱を開けながら、ふと思う。通勤時の電車で何度か睡魔に襲われながらも読了。

 私が初めて本格的なフランス料理を食したのは、高校を卒業した日。宇都宮という地方都市にオープンしたばかりの「オーベルジュ」という名のレストランだった。家族と共に緊張しながら頂いたフランス料理。とても美味しかった。そこには、味覚、視覚、嗅覚、それだけでは無い不思議な心地良さがあった。
音羽シェフの料理は、それまで体験した事の無い感覚だった。「もっと食べたい」そう思ったのを、今でも覚えている。
 大人になり、フランス料理に限らず様々な料理を食するようになり、『マキシム』や『トロワグロ』『レカン』など、有名レストランで食事をする機会も頂いた。どのレストランでの料理も素晴らしく、ひとつひとつの素材から感じる感覚的な印象、皿というキャンパスに描かれる描き手の感性のフィルターを通し具現化しているかのようだった。
基本的なフランス料理、地方料理のベーシックな事さえよく知らない私だが、フランス料理は、見た目の写実では無い、感覚的な印象、絵画のようだと思っている。
この著書を読むにつれ、書中からはまるで森や野に風や太陽の光がそそぐその土地の土の香り、井上シェフの造り出すソースの匂い、ひいたばかりの湯気のたった黄金色のコンソメを妄想させる。ブリア・サヴァラン著書の美味礼讃を読んだ時の感覚、私にとっては、まさにレシピ本である。
ベーシックな技術を習得したうえで新しいものを取り入れ自分なりの、今の時代に求められる料理を創り上げて行く。常に新しいものを吸収し、進化し続けて行く。井上シェフだからこそ、できるもの、できることを追求していくという姿勢。どのような業種・業態でも言えることだが、なかなか出来ることではない。
そして、今、妄想が益々膨らみ私の脳裏には、沢山の「食べたい」という欲求がラインダンスをしている。多分この妄想とドキドキは、23日当日迄続くことだろう。

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続いて第四位、第三位は、すでに掲載した藤原温恵さんと水上彩さんが同点「545点」で並びました。同点三位です。おめでとうございます~。

そして第二位は。「シェイノ75点」「神山85点」「会場77点98点」トータル「575点」青田泰明さんです~。
おめでとうございます~。

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青田泰明

  読後、かの店の内装や味わいを思い出しながら、また初めから読み直す。海外出張の機内にて、それを往復路で3回繰り返した。
 近代以降のフランス料理史と井上旭という名料理人の足取りを辿りながら、静かに繊細に薄皮を向くように浮き彫りにされていたのは、稀代のグランシェフが今なお抱える強烈な葛藤であり、「外国人がフランス料理をつくること」が包含するアイデンティティ・クライシスであったと考える。
 フランス料理の本質は、破壊と創造である。エスコフィエの時代から、ポワン、ボキューズ、トロワグロ、ロブション、デュカス、ガニェール、パッサールというように、時代と共に求められる味と形式の指標は幾度も変容しており、それらを刹那的な流行とは見做さず、素直に受容する度量の深さと軽薄さは、フランス料理の特徴だといえるだろう。歴史に誇りは抱くが、歴史に縛られることはない。その美学と精神こそが、長い間フランス料理を世界一の料理ジャンルたらしめてきたことは間違いない。だがしかし、それは日本料理のメンタリティとは大きく異なっている。
 日本料理の本質は、再生産である。繰り返される四季の中、その瞬間に切り取られる食材の旨味を蓄積された技術と様式で美味に仕上げる。効率的な現代的手法よりも、手間をかけた伝統的手法を尊び、それを風情と感じ、美味と捉える。これは、日本料理の本質というよりも、日本人の価値観や心性なのかもしれない。
 伝統工芸を継承する職人の家に生まれた井上は、間違いなく日本的メンタリティを強く内在化させた人物である。だからこそ、変容を許容し、醤油でさえ躊躇なく使うフランス的思考は相容れない。「フランスも日本も、新しい料理も古い料理もない。問われるのはただ、その料理が美味しいか否かだけ。常にその技術を磨き続け、新しい料理、驚きの味覚、より深い味わいを求める姿勢があるかないかだけなのです」と語りつつも、現代的な料理スタイルを良しと思えず、節々で不満を漏らすその無骨な姿勢こそ、個人的には人間・井上旭が滲み出た最も魅力的な部分と感じた。
  「料理に国境はない」とはピエール・トロワグロが残した言葉であるが、現代の料理の世界情勢はまさにその通りの様相を呈している。フランス料理が世界一且つ最先端であった時代は終焉し、スペイン料理の台頭後、今では北欧料理や南米料理が時代の寵児としてもてはやされている。ただ、疑いの余地のないことは、それら各国のガストロノミーの技術的基盤は、やはりフランス料理であるということだ。
 フランスで修業を重ねた外国人たちは、故郷に戻ると、フランスで培った技術と自国文化のケミストリーを様々な形で昇華させた。それらは全て、各々が「外国人がフランス料理をつくること」の意味を模索した結果であり、料理人としてのアイデンティティの再構築だったともいえる。
 それでは、井上の場合はどうだったのか。私は、彼にとってそれこそが「シェ・イノ」であり、日本的美意識に基づく「型の再生産」だったのではないかと考える。
 伝統芸能や伝統工芸において、「型」は重要な要素である。同じ仕事をしていても、型が美しくなければ華やかさはなく、作品には雑味が残る。井上がルセットを数字で覚えることよりも、ジャン・トロワグロの調理姿や立ち居振る舞いを映像として記憶することに注力したのは、幼少期より身体化した日本的美意識に導かれてのことだったのではないだろうか。異国の文化自体に染まるのではなく、美しい型に憧れ、愛し、その再生産に取り組むことで、そこから生み出される幸福を多くの人と共有したい・・・井上が確立させたものは、そういう想いだったのではないだろうか。
 私は、「シェ・イノ」の舌平目が大好きだ。次回は、あのソースの背景にある美しい型と、井上の無骨な葛藤に思いを馳せることで、これまで以上の美味を味わえるに違いない。今から、それが楽しみである。

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2016 07 28 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク

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