熱血ライター 神山典士がゆく

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March 30, 2015

新垣隆と楽しい仲間たち、東北コンサート無事終了しました~

新垣隆さんとヴァイオリニストの礒絵里子さん、神谷未穂さん、そして後半はチェリストの竹花加奈子さんによるコンサートツアーが無事終わりました。
26日石巻、大橋団地仮設集会室、石巻高校吹奏楽部ワークショップ、そして河北ビックバンホールでの本格コンサート。
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27日、陸前高田、高田東中学音楽室、朝日のあたる家

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28日、女川町野球場仮設、清水仮設
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それぞれ満員のお客様が集まって下さいました。
新垣さん人気はどこでもすごいですね~。
テレビの影響でしょうね。
大きな声援をいただいて、アーティストたちも気持ちよく演奏していました。

みなさん、ありがとうございました~。

陸前高田からは、東北支援仲間リボンのみんなもきてくれて、運営を手伝ってくれました。
女川では社会福祉協議会の矢竹さんにもお世話になりました。

ありがとうございました~。

全7本のコンサート終了後は、御前浜で大宴会~。
新垣さんも料理に挑戦です。

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震災後4年目の被災地は、女川では新駅が完成して「町開き」が行われていましたが、
陸前高田では、まだ荒涼とした光景が広がっていました。

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高台移転が終了するまで、みなさん元気で頑張ってほしいものです。

アーティストのみなさん、リボンのみなさん、お疲れさまでした~。

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2015 03 30 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 08, 2013

160㎞の嗚咽と疾走、南三陸の厳し~いコースと優しい人々

いやはや、なんとか走ってきました。ツールド東北160㎞。
晴天無風の物凄い自転車日和。

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後半は、ほとんど涙ぐみながら走っていました。
なにしろ、いじわるなアップダウンが、、、、、、じゃなくて、
沿道の市民のみなさんの歓声が素晴らしい。
160㎞の間、ずーっとぼくたちに旗を振って声援してくれるんです。特におばちゃんと子どもたちが。
ぼくたちも嬉しかったけれど、おばちゃんや子どもたちも嬉しいんでしょうね。
遠方から若者たち(一部おやじ)が大勢やってきて、自分たちの土地で珍しい自転車レースをみせてくれるのが。東北の人たちのホスピタリティを感じます。
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そしてまた、運営にあたってくれたヤフーや河北新報のスタッフが素晴らしい。
私企業が公道を使って160㎞ものレースをやるわけですから、
相当なプレッシャーがあったはずです。
警察との交渉もさぞかしタフだったことでしょう。
その証拠に、コースには、縦看や標識は一枚もないんです。大会を知らせる幟りもない。
被災者への配慮もあったでしょう。

その代わり、全ての分岐点、紛らわしい交差点に社員ボランティアスタッフが立っていて、
ぼくらを応援しながらディレクションしてくれます。
ヤフーのスタッフは、東京からバス3台でやってきて、
公民館に寝泊まりし、早朝5時から夕方4時過ぎまで現場にスタンバってくれました。
底抜けの笑顔と共に。
ありがと~。
今回の主人公は、出場者ではなくて、君たちでしたよ~。

そして公道を走る車からも、クラクション一つ聴こえませんでした。
河北新報も相当広報したんでしょうね。
これまた東京の環境から比べると驚きです。
1500台の走行は相当迷惑だったと思いますが、気持ちよく走らせてもらいました。

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あとね、エイドステーションの食事も絶品。
ぼくは牡蠣汁とフカヒレスープが印象的だったな。ホタテやサンマのつみれ汁も美味しかったそうです。
これまた地元の人たちの熱意と、南三陸一帯の食文化の賜物です。
ありがとうございます~。

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ぼくは支援活動の一環として、90年代の南三陸沿岸部の日常を撮った写真家・小岩勉さんの作品を、
エイドステーションに展示してもらいました。
これも途中から横入りの企画だったんだけど、スタッフが丁寧に対応してくれて、
なんとか前日に間に合いました。ありがと~。

しみつですが、一緒に行ったリボンの仲間の青田さんと川上先生の参加も相当な横入りで、
裏口入学を二回重ねて表入学になっちゃったという次第。なはは。
ま、参加できて何よりでした。
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このイヴェントは10年続けるそうです。
続けることに意義がある。
震災を風化させないために。被災地や被災者のみなさんとしっかりと繋がるために。
なによりも、被災地の問題は、日本の課題の先取りであり、顕在化に他ならないんだから。

10年たてば、東北も変わっているでしょう。
日本も変わっていないといけない。
どう変わっていけるか。その変化にどう主体的にかかわれるか。
それを見極める時間にしたいと思っています。

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みなさん、来年はぜひ一緒に走りましょうよ。
ぼくはボランティアでもいいから、参加したいと思っています。

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今回の企画を、南三陸一帯のスポーツツーリズムの核にして、
かの地を盛り上げたいと思います。

そのきっかけをつくってくれたヤフーのみなさん、ありがと~。

2013 11 08 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 29, 2013

ツール・ド東北が迫ってきました

ツール・ド・東北160㎞。

かるーく後悔しているコウヤマですが、今日愛車ベルジュの点検をしてもらって、
なんとか完走できるようにがんばりたいと思っています。

今回のツール・ド・東北は、ヤフーさんと河北新報さんの共同開催なのですが、
ぼくらリボンから事務局に提案していることがあります。

それは、被災地女川、南三陸沿岸部の街や人をとり続けてきた写真家、小岩勉さんの作品を
コースに設置されるエイドステーションに掲載させてもらうこと。

90年代の女川一帯を撮った小岩さんの作品からは、
この地の震災前の人々の息吹や生活の躍動感が感じられます。

ぜひ全国から集まるライダーたちに、この地の「元気」を感じてほしいな~。

こんな写真です。

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どうです?素晴らしいでしょう。
ぼくはこの作品のタイトルを「オロナミンC」とつけているんですが、なはは。
わかりますか?

写真には、その細部にその時代の息吹が宿っています。
被災地のみなさんも、喜んでくれると思うのですが。

ヤフー事務局のみなさん、連日の徹夜作業お疲れさまです。

お手数かけますが、よろしくお願いいたします~。


2013 10 29 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 20, 2013

ツール・ド東北160㎞が近づいてきました~。

『被災地東北をスポーツ・ツーリズムをとおして応援しよう~』
を合い言葉に、今年から始まる『ツール・ド東北』、
11月3日の開催日が迫ってきました。

主催者のヤフーと河北新報のスタッフのみなさんは、
準備のために激務をこなしていらっしゃるようです。

お疲れさまです~。頑張ってください~。

ぼくもアンバサダーという資格で参加させていただくことになりました。
みなさん、応援をよろしくお願いいたします~。

HPにも載せてもらいました。
http://tourdetohoku.yahoo.co.jp/2013/ambassador/index.html#ambassador36

にしても、160㎞はしんどいな~。

先週、信州大学銀嶺祭実行委員会OB会(またの名を『卒業大体30周年記念』)で
松本に行く機会があって、
せっかくだからと思って、新宿から松本に向かう電車を小淵沢で降りて、
そこから松本まで走ってみたんです。

国道20号は嫌だから、山間の県道17号線を使ってみました。

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天気は快晴、多少風はありましたが、山は綺麗でした~。
まるで八ヶ岳が呼んでいるようでしょ。
この辺はまだよかったんですよ。

ところが、17号線はアップダウンが厳しくて、しんどいしんどい。
ノーマルシューズしかもっていないので、登りがきついんだな~。
かといって、自転車用のシューズはなんかなじめなくてね。嫌なんです。仕方ない。

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かなりあっぷあっぷのところに、往路の最難関、塩尻峠がやってきます。
ま、箱根とかに比べたらなんてことないのですが、
やっぱり途中で一回小休止してしまいました~。とほほ。

諏訪湖と八ヶ岳が綺麗でしょう。
往路は結局90㎞でした。

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予定時間に30分遅れで大学に到着してみると、30年前の仲間が大勢待っていてくれました。
車椅子で大下さんもきてくれました。
お元気でなにより~。
生協前広場は、昔も今も閑散としています。
今年の大学祭の縦看が一枚たっていました。いまも現役の学生たちが頑張っています。
「銀嶺祭」の名前も引き継がれていて、何よりです~。
(実はこの名前はぼくたちがきめたんです。アンケートの結果をごまかして、なはは)

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宴会場の緑町『ぼんくら』には、TSB(テレビ信州)の三浦さんが、レポーターの渡辺さんを誘ってきれくれました。
ありがとうございます~。嬉しかった~。
当時、三浦さんは新入社員だったんだそうです。TSB自体ができたてほやほやの会社だったし。
もぐり入社だったんだな、なんて、話で盛り上がっていました。

ありゃ、話が同窓会にそれてしまいましたが、
そんな一夜があって、しこたま飲んで、
翌日はふたたびベルジュで今度は安曇野に。

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大王わさび、麓山美術館をみてきました。

美味しお蕎麦もいただきました~。
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そして帰路ですよ。
安曇野から農道を通って塩尻へ。そこから塩尻峠にかかります。
振り返れば、この前登った槍ヶ岳や穂高岳の雄姿が。(見えますか?森の上にちょこんと見えるやつです)

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もうこの辺で十分に日が翳っているので、急げ急げ。
下諏訪まで走って、そこから特急に飛び乗りました。
んで、帰路は80㎞。

んーーー、二日間で170㎞で相当ばててましたから、一日で160㎞はしんどいな~。
かるーい後悔ですな。なはは。

ま、がんばりましょう。石巻に行けば、チーム・アグーのみなさんが待っていてくれます。
一緒に走れるのは楽しみです~。

東北のみなさん、よろしくね~。

2013 10 20 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 20, 2013

9月7日に開催されたお茶ッ子シンポジウム「復興の10年後のイメージを語ろう」

7日土曜日、午後からは御前浜分校の元校庭を会場に、
お茶ッ子シンポジウムが開催されました。

出席者は、
北海道大学観光学部、池ノ上真一さん
毎日新聞社会部記者、『三陸物語』著者、萩尾信也さん、
「石巻2・0」代表、松村豪太さん、
SNSプロデューサー、島青志さん、
女川町長、須田善明さん、
女川町議、酒井孝正さん、
同、鈴木公義さん、
同、阿部さん、
御前浜復興医院の東海進会長とみなさん、
東海大学観光学部遠藤ゼミのみなさん
トライアスロン、鎌田選手、
料理研究家、川上文代先生、
女川中学生徒会長、木村俊哉君(にんべんじゃなくて立つ偏)
そして、昨年度読書感想文コンクール内閣総理大臣賞受賞、名取市の風美ちゃん。
女川中学教諭、佐藤敏郎先生
女川中学校バレー部保護者のみなさん、
うみかぜ接骨院、阿部悠一さん、東海亜紀ちゃん、
その他御前浜のみなさん、
リボンの面々、
報道関係のみなさん、
総勢5、60名のみなさんでした。
御前浜にこんなに車がやってきたのは初めてじゃないでしょうか。

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会場づくりは、自転車に乗らなかったリボンのメンバーがやってくれました。
ありがとうございます~。
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発言内容はいまデータ起をしていますので、まとまったらまたご報告しますね。
町長はじめ、みんな真剣な表情です。

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そしてそして、最後に風美ちゃんが、作文を朗読してくれました。
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これが素晴らしい。
全文ご紹介しますね。

「10年後の復興のイメージ

 10年後の、ここ女川、私の住む名取、そして宮城は、どんな姿をしているだろうか。大きくて近代的な建物や家が建ちならんでいる町。それとも、今よりももっと静かで、自然に囲まれている町になっているのか。そんな想像は、人によって様々だ。
 私は、だからこそ静かな空間が必要だと思う。海がいっぱいに見渡せる広場。いつまでもたった一人でいられる安らかさ。そこにいつまでいても、泣いていても、そっとしておいてくれる所。ゆったりとした木の椅子があって、やわらかな香りのする窓辺。そんな場所が一つあればいいと思う。
「時間薬」という言葉がある。時間は誰にでも流れてくれるから、あの日のまま「時」が止まった人も、そこで時間薬を飲めばいいと思う。展示も、説明もいらない。そんな場所がほしい。そして、少し深呼吸をして戻っていける。外に出るとそこには、私たち若者や子供が、強く希望に満ちている姿があること。それをお年寄りが見守っている町。何より私たちが日本の復興の姿だと思う。私たちが前を向いて笑顔でいたら、きっとその町も笑顔で前を向いているはずだから。
 復興するために大切なこと。それは、自分の傷ついた心の分だけ、人の役に立つ事だと思う。地震が来たと知ったとたんに動いてくれた他県のボランティアの方々。日本だけでなく、外国からも本当にたくさんの支援物資をもらった。水が出なくて困っていた時に来てくれた自衛隊や、町中をうめつくした瓦礫の撤去をしてくれた外国の人達。そして支援してくれる声で、宮城は少しずつ動き出せた。応援してくれた方々に、笑顔を見せて、精一杯の感謝を伝えることが、復興のエネルギーになると思う。
 私たちは助け合う力を、世界中から称賛された。それは、一人一人が誇りに思っていいことだと思う。思うような復興が進まなかったり、気持ちがバラバラになったり、傷つけ合うことがあっても、乗り越えられるだけの力が、私たちにはある。
 そのために大切なのは、学ぶことだと思う。宮城の子供たちは、一生懸命に学んでいく責任がある。あの日の出来事を心に刻みつけて、人として自信を持って学んでいくのだ。その時に、前の私たちのように苦しんでいる人に気づき、小さな事から支援する。そして深く学べる学校が、世界の中心となっていけたら素敵だと思う。建物はいつか壊れる。でもそれは器なのだと思う。美しくあたたかな学校という器で、子供が最先端の科学や防災について学ぶ。そうしたら、世界中の人々が、「やっぱり宮城はすごい。女川や名取はすごい。」そう言ってくれる気がする。
 私の考える復興は、素晴らしい学校と、静けさ。そして、子供たちの笑顔だ。」

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ほんとうに御前浜が、このように「一人でもやすらげる場所」になったらいいと思います。
その日が来るまで、ぼくらはずーっと応援していきたいと思っています。

 

2013 09 20 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 12, 2013

東北・南三陸沿岸部にスポーツツーリズムのウェーブを!!

先週6、7、8日と、石巻女川にキャラバンにいってきました。
今回はてんこもり企画。
これまで2年半の東北キャラバンの中でいただいたご縁をぎゅっと集めたような、
そんな中身の濃い活動になりました。

写真を中心にご紹介しますね。

まずは6日、翌日「ツールド女川」(石巻~女川御前間約40キロ)を走る自転車チームは、
石巻割烹滝川さんにて石巻チーム・アグーのみなさんと交歓会。
チームアグーのメンバーでもある大将の阿部さんが、素晴らしい料理で歓待してくれました。

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チーム・アグーは、東松島の自衛隊員や高校生、社会人で構成されるチーム。
愛おしいまでにチャリ狂いのメンバーです。
日頃から、日和山の「太股坂ヒルクライム」などで鍛えているそうです。
翌朝は7時30集合。みなさん、素晴らしい自転車に乗っていました。

うみかぜ接骨院の阿部院長とあきちゃんが、りぼんのメンバー「トライアスロン世界5位」の鎌田和明選手のテーピングをしてくれています。
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スタート前に勢ぞろい。
あれあれ、なんだかチャリには似つかわしくない格好のおじさんもいますね。
シンポジウムに参加のためにお招きした毎日新聞萩尾記者です。
行きのバスの中で「あれ?ぼくも自転車走りたいな」と言い出したので、
急遽アグーのメンバーにお願いして、自転車を一台貸してもらいました。
その他りぼんからは、東海大学の健太、料理の川上先生、信大先輩の青田さんが参加です。

「いってきまーす」

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初秋の東北は爽快爽快。黄金色の稲穂の中を軽快に走っていきます。
若干一名、この段階で吐きそうだったようですが。なはは、前夜の酒が過ぎたのでしょうね。

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今回の試みは、南三陸の沿岸部の復興を考えて、この地に流動人口を呼び込むために、
「スポーツツーリズム」を提唱することにありました。
漁業や農業等の1次産業、各種商業サービス業等の3次産業の復活を目指すのは当然のこととして、
高台移転後に現れる「超高齢化コミュニティ」になんとか若年世代を呼び込まないと、
経済的にも生き甲斐的にも将来が見えてきません。
そこで、南三陸の大自然を使ったスポーツとツーリズムを提言していきたいというのが
ぼくらの考えです。

いや~、旧北上川沿いの道も海岸沿いのアップダウンも、気持ちいい~。
予想以上に、この地の自転車はあっていると実感しました。

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途中大川小学校では慰霊もしてきました。

道中売っていた梨も美味しい~。おじさんが大サービスしてくれました。
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海沿いの道は風が気持ちいい~。美しい雄勝湾、御前湾を左手にみながら、最後のアップダウンです。

そして御前浜へのゴール。
りぼんの仲間たちが、トレペのゴールテープをつくって待っていてくれました~。

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見事完走した猛者たちです。
お疲れさま~。また走りましょうね~。

次回は11月3日のツールド東北。
チーム・アグーのみなさんは、サポート隊として、全国からの参加者を迎えるそうです。
ぼくはアンバサダーとして160キロに挑戦します。

乞ご期待。

このあとの活動は、次回お知らせしますね~。まだまだてんこもりは続きますよ~。(続く)

2013 09 12 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 31, 2013

9月6~8日、女川町でいろいろやります。女川町長参加決定!!

女川・御前ファンクラブりぼんの主催で、6日から石巻女川を訪ねてきます。

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昨日女川町の総務課長さんから電話をいただいて、サプライズをいただきました!!
こんな感じで展開したいと思います。

女川・御前ファンクラブ「リボン」主催、お茶ッ子シンポジウム

『10年後の復興イメージを語ろう』

期、9月7日土曜日14時~、女川町御前浜分校避難所校庭

出席(予定者)、および当日発表のテーマ(予想予定)
・池ノ上真一氏、北海道大学観光学部特任准教授~「東北黄金街道復活をめざす取り組みから」
・萩尾信也氏、毎日新聞社会部記者~「三陸の被災地を見続けて~震災後1年間被災地で生活した経験から」
・村松豪太氏、石巻2・0代表~「震災前に戻すのではなく、新しい石巻、南三陸をつくりだす試み」
・東海大学観光学部遠藤研究室メンバー~「南三陸にスポーツツーリズムの風を」
・木村俊哉君(中3)、女川中学校前生徒会長~「南三陸の海岸線に生命の石碑をつくる運動を」
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・佐々木風美さん(中1)、昨年度読書感想文コンクール内閣総理大臣賞受賞、名取市在住~「わたしの考える復興のイメージ」(作文を朗読してくれる予定です)
・阿部悠一氏、石巻市うみかぜ接骨院院長~「被災地の住民の心と身体のケアを~スポーツクライミングの試み」

上記を発表いただいたあとで、フリーディスカッションに入ります。
その他の出席(予定)者、

須田善明女川町長!!
酒井孝正町議、
阿部司氏(石巻割烹滝川、石巻スポーツサイクルクラブ代表)、
女川中学、佐藤敏郎先生(16時から同会場でコンサート開催!)、
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バレーボール部保護者有志、
御前浜復興委員会メンバー、

東京からは、

川崎市高津区総合型スポーツSELF代表菊地正氏とメンバー
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東北支援明星の会のメンバー、
東海大学観光学部遠藤ゼミのメンバー
川上文代氏(料理研究家、元辻調理師専門学校フランス校教授)
鎌田某氏(トライアスロン世界ランク5位)
ファシリテーター、神山典士(ノンフィクション作家)
といったメンバーになります。

今回のツアー全体では、
東京チームは6日に御前浜入り準備を始めます。
7日8時、ツールド女川開催(自転車チームが石巻をスタートし-上品の里-大川小学校跡地(慰霊)-雄勝町内(復興商店街等視察)-御前浜ゴール(11時30ころ)
14時~お茶ッ子シンポジウム(上記)&写真展『あの日を境に、記憶の海』~仙台在住写真家小岩勉氏(90年代の女川の漁村を撮り続けた『女川の海』より)と、震災後の女川を撮り続ける写真家長野容子氏とのコラボ企画
16時~佐藤先生コンサート&民謡大会
18時~懇親会(女川中バレー部保護者有志のみなさんの焚き出し)
8日午前、片づけ、帰京

となります。
現地集合できる方、ご参加お待ちしています~。

2013 08 31 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 03, 2013

女川・御前ファンクラブ『りぼん』誕生!!

「出張居酒屋」を中心に、様々な活動を行ってきた「東北支援明星の会」と、
川崎市高津区のスポーツ倶楽部「SELF」、
そして東海大学観光学部遠藤研究室の3者が一体になって、
女川・御前を中心に活動を展開する団体『リボン(正式名称はリボナージュ)』をつくりました。

ポスター見てください。

「rebornageflyer_rev0704.pdf」をダウンロード

「rebornageflyer3ura.pdf」をダウンロード


見られますか?

7月28日には、川崎市高津区スポーツセンターでチャリティ・コンサートも行います。
13時30開演、一人500円(小学生以下無料)

出演は、

自閉症のアーティスト、小柳拓人君とお母さん真由美さん

障害を乗り越えてヴァイオリニストへ、大久保みっくん、(作曲家・佐村河内守さんに献呈された『ヴァイオリンのためのソナチネ』を演奏します

ソプラノ歌手、栗原陽子さん

その3組の豪華共演です。

そしてそして、会場では、90年代の南三陸の沿岸部をとり続けた写真家・小岩勉さんの作品と
震災後の南三陸をとり続ける写真家・長野容子さんとのコラボ企画、

『あの日を境に、記憶の海』の写真展も同時開催です。

ぜひ会場にお越しください。

よろしくどーぞ~。


2013 07 03 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 02, 2013

「明星の会×川崎市スポーツ倶楽部SELF×東海大学観光学部遠藤ゼミ」3チーム合同の東北キャラバンご報告~

30、31日と、行ってきました。石巻、女川。
東北道をSELFさんが出してくれたtotoバスで北上したのですが、福島に入るあたりから桜はまだなんですね。
山は笑い始めていましたが。

今回は、学生さんたち10名とSELFのみなさん5名、フレッシュなメンバーとともに、
収穫の多いキャラバンでした。

なんといっても素晴らしかったのは、女川第一中学生徒会長の木村君と佐藤先生にきていただいて、
木村君たちが考えている町の復興ヴィジョンを話してもらったこと。
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町内の浜の津波の到達点に石碑を建てたいという、「命の記念碑プロジェクト」等、14歳のしっかりした考え方に、学生たちもすごーく刺激をうけたようでした。
もちろん、ぼくらも。

石巻では、観慶丸ビルの保存活用運動を展開している松村さんにお話をしていただきました。
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昭和5年にできたこのビル。間違いなく石巻市民の大切なランドマークなんですよね。
でも維持するとなると、耐震補強工事に一階だけで1億円、二階もやれば2億円とかかっていくとか。
ほんと、大変なことだけど、建物は津波にもふんばったんだから、今度は人間がふんばらないとね。
いい活用のアイディアがないでしょうか?
みんなで考えましょう。

女川町内では、カタールから寄付してもらったという巨大な冷凍庫にも入らせてもらいました。
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マイナス30度だから、さみーのなんの。しかも半ズボンだし。とほほ。

ここで働いている東海さんが,すごーく元気になったのが嬉しいな。
やっぱり、働きがいがあるのはいいことですね。

御前でも、いつも以上に多くのみなさんが集まってくれていました。
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翌日には、鎮守様野お祭りを復活する話し合いも行われていたし、いままでの沈滞ムードが少し上向きかな。
何よりです。

宴会では、御前浜「麻痺なスターズ」が登場。なはは。
楽しそうに校歌を歌ってくれました。
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今回の三者連合としては、今後、以下の活動を考えています。

1、御前浜ファンクラブ(仮称)チャリティイヴェント
7月28日、高津区区民祭にて開催。ソプラノの栗原陽子ちゃんたちが出演するコンサートになりそうです。ヴァイオリンのミッ君も演奏してくれるかな?

2、御前浜シンポジウム&ツール・ド女川
9月7、8日
シンポジウムは「三陸沿岸部の10年後20年後の復興イメージを模索する」(仮)というもの。
出席は女川町長、東海大学遠藤先生、
毎日新聞萩尾記者(「三陸海岸物語」著者)
それにスポーツツーリズム関連の人、建築設計鑑定の人、
女川1中の木村君、等々
華のある人を呼んでこようと思っています。

ツール・ド女川は、7日早朝石巻スタートで牡鹿半島をぐるりと一周、御前がゴールです。
約80キロかな。
もちろん、ぼくも走りますよ~。
全国のチャリ男、チャリ女のみなさん、ぜひご参加ください。

さあ、これからが復興の本番だ。
みなさん、よろしくどーぞ~。
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2013 04 02 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 26, 2012

御前浜、復興委員会開催~!!

先週の土曜日曜日、行ってきました、女川町御前浜。
この日は、明星の会として、被災者のみなさんに『お茶ッ子忘年会』で楽しんでいただきたいという企画だったのですが、その前に復興委員会のみなさんの手配で、高台移転予定者全戸をお呼びして、行政担当者の説明会が開かれました。
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震災からまもなく2年になろうとするいま、やっと移転の候補地が行政から4案出されました。
20戸の移転希望者のみなさんは、みな真剣な表情で説明を聞いています。
そりゃそうですよね。
高齢者が多い集落だけに、「終の住処」になるわけですから。

担当者から「工事着工は来年夏、完成は4年後」という説明があったら、すかさず
「んじゃおらは仮設で死ねっつーことかい。んなこたしたくね」というおばあちゃんの声が。

ほんと、用地買収もこれからだというし、仮設住まいのみなさんには、じれったいことだと思います。

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御前の人たちは、みーんな距離の離れた女川町内や石巻市内の仮設に住んでいるんで、
ここまで戻ってくるのが一苦労。若い衆の手がない人は、公共交通がないから戻ることができません。
ということは、高台が完成するまで、4年間も集落としての集まりや行事はめったに開けないことになってしまいます。
それじゃ、高台集落が完成しても、コミュニティが形成できません。

明星の会としては、そこのところをなんとか「繋ぐ」ような活動ができたらいいなとおもっているのですが。

とはいえ、復興委員会のみなさんの手をあんまりわずらわせてもいけないし、
思案のしどころです。

忘年会は、こんなかんじで開かれました。
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料理隊長のまりこちゃんと孝子おばちゃんの下で、みーんながんばって、
美味しいけんちん汁、から揚げ、ポテトサラダ、マカロニサラダ等々ができあがり~。

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今回は初参加が多くて、ふら漫談という新しいジャンルを開拓中のめぐみさん(なはは)、
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設計士の典子ちゃん、幼なじみのみちゃこ、霞が関からは豪くん、

それにカメラの容子とソプラノの陽子のダブルヨ-コ、
フランス語通訳の裕子ちゃん、

ドライバースタッフとして小沢、平戸、神山という布陣でした。
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あれこれ準備してくれたいくらちゃんが出発前に緊急入院で心配したけれど、
日曜日には退院できたということで、よかったよかった。

翌日は快晴で、相原伸晃さんの新しい舟の進水式も。
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『伸漁丸』かっちょい~。
大漁をお祈りいたします。

来年の明星の会の活動は、御前浜の復興支援にフォーカスしていきたいと思います。
年に3回ほど、復興委員会のみなさんとよーく話し合った上で企画を立てて、
都内でもチャリティイヴェントを開きます。これは3月かな。
みなさん、ぜひ応援をよろしくお願いいたします。

現地の復興は、ようやく現実的な一歩が始まったところです。
まだまだこれからが大変大変。
もはや被災地問題ではなくて、高齢化問題であり過疎地問題であるわけです。
ということは、病める日本の諸問題がぎゅっと詰まったのが東北であり、
その解決策を探るのは、日本の将来のためでもあるのです。

その視点で、僕らはこれからもみなさんに寄り添っていこうとおもっています。

もちろん個人活動としては陸前高田や名取にも出かけます。

みなさん、よろしくお願いいたしまーす。

2012 12 26 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 18, 2012

東北支援明星隊、12月の活動がきまりました。『蘇れ!!御前浜ふたたび』

16日、板橋明星で行われた話し合い(という名の宴会、なは)で、12月の活動がきまりました。
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12月22、23日の、女川町御前浜へキャラバンに出ます。
御前の復興委員会(委員長、東海進さん)と共同で、『蘇れ!!御前浜ふたたび』をテーマに、大忘年会を開きたいと思います。

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この集落は、今年3月に「解散宣言」してしまい、いまは元避難所だった分校に孝子おばちゃん夫婦一組だけが住んでいます。
あとの人たちは、女川町町内や石巻の仮設にバラバラに転居して、めったなことでは御前にやってきません。
みなさん高齢化しているし、御前までは公共交通がなーんにもないんです。石巻-女川間も、バスのみだし。

でも、高台移転が実現したら約20戸は戻ってきたい希望なので(元は約60戸)、コミュニティ意識をもち続けなければなりません。

そこで東海さんたちが高台移転等の説明会を開く22日に、ぼくらがみなさんが引っ越している仮設住宅を車で廻って送迎して、会のあとにみなさんでお茶ッ子忘年会をしていただこうという企画です。

僕らのメンバーで料理担当とかエンタメ担当を決めて、みなさんに盛り上がってもらいましょう。
御前にはかつて、美声の歌手がそろっていたんです。
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千葉さん、元気かな?戻ってきてくれるといいんだけれど。
民謡大会になりますね~。

今回は二台のレンタカーがほぼ満席状態なんですが、この活動は来年も継続して続けていきますから、ぜひいろいろご協力ください。

一口に高台移転といっても、住民たちにも住みよくて、観光客にも来てもらえて、高齢者にも子どもにも優しくて美しい集落をつくるには、建築の専門家の力も必要です。
ぜひ、よろしくお願いします。

御前には、いつでも綺麗な海と美味しいと純朴な人たちが待ってくれています。
泊まるなら、分校の元教室(畳み、布団あり)が使えます。

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ぜひ、一人でも多くの人にあの地を味わってほしいな~。
よろしくおねがいしまーす。

2012 11 18 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 23, 2012

東北キャラバン明星隊、陸前高田米崎仮設の文化祭へ

先週の土曜日日曜日は、またまた東北へ。
明星隊のメンバーは車二台で出発。
陸前高田市米崎中仮設で行われた文化祭にシャンソン隊で飛び入り参加してきました。
ぼくは石巻で取材が入ったので、一人でレール&レンタ、
途中からみんなに合流しました。

シャンソンの練習の様子です。
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みんな忙しい中、板橋まで来てくれて、「アン・ノム・エ・ユンヌ・ファム」の練習。
本番では天野が女装して登場し、はりせんでが思いっきりひっぱたかれるという演出が。

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いくらちゃんに思いっきりひっぱたかれたら、名誉の負傷とか。なはは。

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にしても、みんなすごいっすよ。
東北に行くだけで大変なことなのに、練習までして衣装や小道具も揃えて。
これだけの愛情を東北のみなさんにもっているということです。

地震も津波も(原発被害はまた別に考えないといけないけれど)大きな悲しみをもたらしたけれど、
事実は変えられなくても事実の意味はぼくらの営みで変えることができる。

ぼくらがこんなにも東北の地と人々に愛情を感じるのは、間違いなくあの惨禍から立ち上がろうとする人々に連帯しているからだし、その出会いは、今回の自然災害にあったことは間違いありません。
「乗り越える」なんて簡単には言えないけれど、こうやって双方から少しずつ歩み寄っていけば、
必ず新しい関係性が生まれるはずです。
そんな作業を一緒に行える素晴らしい仲間がここにいます。

そして石巻では、昭和5年建立の観慶丸ビル保存運動の取材。
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震災からこの街が立ち直るとするならば、以前にも増して魅力的な街にならなかったら、
外から訪ねて来てくれる人がいなくなります。
石巻の街の隆盛をずーっと見守ってきたこのビルが、第二次大戦の戦禍にも負けず、
宮城県沖地震等、幾多の震災にもびくともせず、
そして今回の津波にもふんばったんだから、
今度は人間がふんばらないでどうする。

なんとか街で維持して活用する道を見つけてほしいものです。

今回も泊まらせてもらった女川町御前浜では、メンバーの一人伊倉ちゃんと、分校を守ってくれている孝子おばちゃんの合同誕生会。
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今回残念ながら参加できなかった容子ちゃんと裕子ちゃんがメッセージをくれて、
サプライズで行われました。

おばちゃんも嬉しそうだったな。
大勢のこどもができたようで、喜んでくれています。

あとは高台移転が本格的に決まって、御前の共同体(コミュニティ)が復活できますように。

何年先になるかわからないけれど、ぼくらはずーっと「遠い親戚近しい仲間」として、
寄り添っていきたいと思います。

帰路には名取市美田園の仮設で高橋あつこさんたちと合流。
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持っているのは、こちらのみなさんがつくってくれたお手玉です。
端切れを送ってくれた志木や入間の幼稚園児たちにプレゼントされます。
今度はハワイの日系の子どもたちのためにペンケースをつくってくれることに。
そのご褒美は「じょうだんはわいあんせんたー」にきまりました~。なはは。

みなさん、ありがとうございざいました。
そろそろ寒くなります。
どうかお元気で。
また伺いますね。
よろしくどーぞ。

  

2012 10 23 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 17, 2012

第15次東北キャラバンに行ってきました。

三連休の土日に、またまた東北に行ってきました。
今回は初めて訪ねる名取市閖上小塚原。
いまはばらばらに暮らすみなさんが一堂に集まって、
夏祭で盛り上がるという企画です。
この辺一帯は全てが流されて荒野になってしまって、
田畑も塩漬けで5年間は耕作できないとか。
それでもみなさん、故郷を思って150名ものひとが集まりました。

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地元の若者たちが焼く焼きとりや、おじちゃんおばちゃんたちがつくる美味しい焼きそば、おにぎり、こんにゃく、西本願寺のボランティアのみなさんがつくる蕎麦、そして明星の会の居酒屋と、屋台はフルラインナップです。
生憎の雨模様でイヴェントは集会室内で行われましたが、
アルゼンチンタンゴあり、合唱あり、カラオケありと
みなさん盛り上がっていました。

そして恒例の全員記念撮影大会!!
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いまはばらばらに暮していても、この地区のみなさんの心は一つ。
いつかまたこの地でみんなで暮せるように、いまはふんばっています。

津波のあとに生まれた命も、こんなに大きくなりました。
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無邪気な笑顔に癒されます。
この命の連鎖こそが、人間の持つ偉大な力ですね。

今回は、メールや口コミで支援を呼びかけたら、
20名以上の方からカンパをいただき、
何十本もの日本酒やビールもいただきました。
みなさん、本当にありがとうございました。

誰も忘れてなんかいないんです。でも、自分たちの生活だって大変だから、
東北のほうばかりを見ているわけにもいかない。当たり前のことです。
起きてしまった事実は変えられないけれど、その意味は、その後の人間の取り組みによって
変えることができる。
この震災があったからこそ出会えた人もいるし、生まれてきた命もある。大切に思える故郷もある。
いまはただ、プラスの出来事に感謝しながら、進んでいきたいと思います。

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いろいろ段戸ってくださった遠藤会長には、来年もまた来ますと約束してきました。
ながーい支援にしたいと思います。
みなさん、これからもよろしくおねがいいたしまーす。

そしてその夜は、ぼくらの定宿・御前浜に行って、みなさんと大盛り上がりしてきました。
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これまた嬉しい~。
僕らの心が宿っている場所がここにあるんです。
確実に「繋がっている」人たちがいる。
いまは集落もなくなって、住む人も少なくなってしまったけれど、
何年か後には、この美しい入り江に、小さいながらも温かい集落が戻ってくることを信じています。

東海さん、そこんとこ、よろしくね~。

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美味しい銀ジャケの刺身をいただきました。
今回初参加のハルナ君も「普段お刺身は食べられないんだけど、これはおいしい~」と喜んでいました。
相原さん、ありがとうございます。
風評被害なんかに負けないで、頑張ってください~。

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翌日は女川第一中学校仮設住宅で美味しいものを焚き出し支援しているシェ・イノの古賀さんにご挨拶。
ここでは明星の会の温泉君も活躍しています。
すっかりドMキャラに染まっていたけれど。なはは。

東京でも食べられないシェ・イノのお弁当です。凄すぎ!!
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東北支援のやり方はいろいろだし、それぞれに一長一短いろんな特徴があるけれど、
ながーい眼で見ながら、お互いの関係性を深めていきたいと思います。

板橋に戻って明星の打ち上げは、いただいたシェ・イノのローストビーフ大会!
啓子ちゃんも驚いていました。

次回は「明星2・0」主催で7月28日、名取市箱塚桜で居酒屋開店です。
参加者大募集中です。
ご希望のみなさん、ご一報ください。
よろしくおねがいしまーす。

今回参加のみなさん、ありがとうございました~。


2012 07 17 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 15, 2012

レッツ・バイ・伊達のぎん!!

昨日さっそく行ってきました、東武練馬のイオン板橋店。
鮮魚売り場を廻ってみると、どこにも放射能線量検査なんて張り紙はなくて、
ごくふつーに売っていました。

ありましたありました、「伊達のぎん」
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当たり前ですが、しっかり宮城県産と書いてあるし、
他の地域で捕れた魚と扱いは同じです。(これまた当たり前ですが)
売り場には「復活!」の看板も掲げられていました。
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ただ、目を引くのは、「100グラム198円」の値段です。

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昨日電話で話した女川町の相原さんの話では、漁協に卸す価格は「キロ当たり180円台」とのこと。
こりゃなんと10倍!! です。
ふだんそういうことにはあまり関心を持たないので、詳しいことはわかりませんが、
魚の値段て、いつもこういう状態なんでしょうか?
それとも、流通のどこかで誰かが「風評被害を語って」、暴利をむさぼってるんでしょうか?

売り場のおにいさんにきくと「震災後はずーっとこの値段です」とのこと。
つまり、小売りの現場では風評被害なんてないというのが実感です。
いったいどうなっているのか?

いずれにしても、イオン各店では御前産の銀ジャケ「伊達のぎん」が売っています。
じゃんじゃん買って、イオンがもっと適正価格で仕入れるように仕向けたいですね。

みなさん、よろしくおねがいしまーす。

2012 06 15 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 08, 2012

新エンジン「明星2・0」誕生しました。よろしくお願いします。

昨日、板橋において、明星の会立ち上げメンバーである小田、天野、小沢、神山で今後の活動方針についての話し合いを行いました。
ご報告をさせていただきますね。

最近の当会の活動を振り返ると、
活動を開始して1年以上たち、メンバー内での「被災地の状況認識」に差異が出てきたことから、
活動の方法論でいろいろな意見が出てきたというのが正直なところです。
これ以上全体での活動を続けると、お互いに無理がでるなという結論に達しました。

そこで、明星の会にもう一つエンジンを積みたいと思います。
新しく生まれたのは「明星2・0」というエンジンです。
こちらは天野、小田が中心になって、主に被災地をフィールドに「出張居酒屋」をメインに活動していきます。

東京を中心に「震災を風化させない」をテーマにした活動は「明星1・0」が担います。
美田園と都内の方たちとの手芸品交流や、米崎の金野さんの講演会等は「1・0」が主催します。
こちらは神山と伊倉が中心です。

2つのエンジンは、それぞれに活動方針を立てたらメールやFB等でみなさんに告知して、
ボランティアメンバーを募ります。
メンバーを括り合うことはしません。
各自の判断で、どうか奮ってご参加ください。
新しいメンバーも大募集です。周囲にお声がけ、よろしくお願いいたします。

なお、7月14、15日の閖上小塚原居酒屋と女川町御前浜交流は、
「明星オール」として最後の全体活動になります。
こちらも奮ってご参加ください。

被災地は大きく変化しているとはいえ、厳しい状況が続いています。
これまでの活動の成果を踏まえて、各自がそれぞれに支援の方法を考えていきたいですね。
どうぞよろしくお願いいたします。

何か質問等ありましたら、神山まで。よろしくどーぞ。

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※お知らせ
八木さんが来週火曜日にロンドンに向けて旅立ちます。
天野が8月中旬に、スコットランド・エジンバラで「父と暮せば」の公演を行うことが決定しました。ぱちぱちぱち。
頑張ってきてください。
お二人ともいい旅を~。土産話を楽しみにしていますね~。

2012 06 08 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

June 07, 2012

貴重な志、ありがとうございます。

7月14日に予定されている、名取市閖上小塚原地区祭りへの
出張居酒屋支援。
みなさんに支援金のお願いをさせていただいたのですが、
昨日段階で5万1000円のお振り込みを確認いたしました。
どうもありがとうございます。
お振り込みいただいたかたたちに、礼状メールを出させていただきました。

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「そろそろ梅雨雲が広がり始めるのでしょうか。
いつもいろいろお世話さまです。

昨日明星の会の事務局長より、みなさんからのお振り込み確認の報を受けました。
現時点で、総額は5万1000円となりました。
貴重な志、ほんとうにありがとうございます。
7月14日、名取市閖上小塚原祭において、被災者の方々に
しかとみなさんの熱いお気持ちを届けて参ります。

被災地は、地域ごと、個人ごとに事情が複雑で、
とてもひと言では語れない状況になっています。
なにが本当に望まれる支援なのか、いま何をなすべきなのか、
つねに状況と目的をしっかりと見極めること。
そこから導き出される方法に柔軟に対応していくこと。
それがポイントかなと思います。

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また報告させてください。
ありがとうございました」

支援金カンパはまだまだ受け付けています。

『三菱東京UFJ板橋支店、普通50690
バザール東北支援明星の会』

へお願いいたします。
よろしくどーぞ。

2012 06 07 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 28, 2012

塩漬けの田んぼや畑を手作業で復旧活動している閖上小塚原のみなさんに応援をお願いします!!

27日、名取市に行って、「友達イン名取」等の団体が主催した「​絆田植え」に、当会メンバー4人が参加、二人が見学してきました​。田植えに参加したみなさん、お疲れさまでした~。

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その後、場所を変えて、友達イン名取、名取交流センターのみなさ​んと情報交歓会。
今後の活動のヒントをいただいてきました。
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まず現地では、仮設住宅入居者と仮設以外に住んでいる被災者の方​との支援格差があり、心理的距離感が広がっているという話があり​ました。
交流センターの方たちは、みなし仮設や被災した自宅に住む被災者​のみなさんを集めて、各地で「お茶ッ子のみ、傾聴の会」を定期的​に開いているそうです。まだまだ心理的な圧迫感があるとのこと。​聞き出すことに意味があるとのことでした。

女性陣の手芸活動に関しては、経済的なメリットを目指したい人、​生き甲斐として活動している人等、それぞれのグループでいろいろ​な目的があるようです。
できあがった製品を「売る」ということになるといろいろな制約が​あるので、ひとまず当会としてはみなさんの活動の様子を見守ろう​というということに。
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被害が大きかった閖上小塚原地区にポツンと残った集会所で、7月​14日に元地元民のみなさんが集まるお祭りがあるそうです。ここ​の方たちはばらばらの仮設に入っていて、一同に介する機会はめっ​たにないとのこと。でも毎日のようにここにやってきて、塩に漬か​ってしまった自分の田んぼや畑を眺めている人もいるそうです。
一面に広がる田んぼや畑には、まだまだ瓦礫がたくさん埋まってい​て、みなさんで集まっては手作業でそれを掘り起こしているとか。​大変な作業です。
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明星の会として、この日出張居酒屋を開店することになりました。
詳細は天野隊長が自治会長さんと相談してから決めていきたいと思​います。
17時開店、19時ころまででしょうか。

ここに持参するお酒や飲み物類のカンパ活動を開始したいと思いま​す。
閖上小塚原地区のみなさんを応援する気持ちを、ぜひお寄せくださ​い。
ご支援いただける方は、「三菱東京UFJ銀行板橋支店、普通、5​0690ザ・バザール東北支援明星の会」まで。お振り込みをお願​いします。お酒の現物カンパでも結構です。
mhd03414@nifty.comまでご一報ください。

また当日、明星号への参加も大募集です。この時は大きなレンタカ​ーでいきたいと考えています。14日閉店後は女川町御前浜元避難​所泊、15日は防風壁の撤去作業をしたり、銀ジャケの収穫を見学​したり、御前のみなさんと交流したいと思います。

新しい参加者も大募集です。ご希望の方は上記メールまで。
ただし、参加費や参加可能人数はこれから決まりますので、その点ご了承く​ださい。

よろしくおねがいいたしまーす。

2012 05 28 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 24, 2012

「感謝」と「忘れない」、「しあわせ循環プロジェクト」提案

27日、名取市にいって、現地のみなさんと今後の明星の会の活動について話し合ってきます。
以下の提案をさせてもらおうと思っています。

みなさん、何かお考えがあったら教えてください。
ご協力いただけたらいと嬉し。
よろしくどーぞ。

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「感謝を届けよう→震災を忘れない、しあわせ循環プロジェクト」(仮題、提案)

状況(僕らが把握している限り)

1、 被災地では
・仮設等で女性陣を中心に手業の小物(美田園のしあわせお手玉等)をつくっているグループがある。
・被災者には支援してくれたことに対して「感謝の気持ちを届けたい」という思いがある。
・震災が忘れられてしまうのではないかという危機感がある
・小物をつくる布地がほしい

2、 関東以西では
・震災が忘れられようとしている
・(一般的には)被災地や被災者とのコミュニケーションのとりようがない
・どう支援していいかわからない

3、 明星の会としては
・金銭がからまないやりとりを希望
・被災地と関東以西圏の人々とのコミュニケーションの仲立ちになりたい

目的
1、 被災地の手業品を使って感謝の気持ちを関東以西に届けよう→それを貰って使うことで震災を忘れないきっかけにしよう→関東以西から被災地に布地を送ろう→「感謝」と「忘れない」を「しあわせ循環」させよう

提案
そこで、以下のような循環型プロジェクトはどうだろう。

1、 手業品の循環

・被災地のみなさんがつくった手業の小物を、関東関西のしかるべきところにプレゼントする~幼稚園保育園、小学校、大学、職場、等~明星の会が仲立ちする~送り場所に合わせて小物の種類を変えてもらう、
・プレゼントをもらった人たちは、お返しに布地等を被災地にプレゼントする
・双方のプレゼント品(手業品、布地等)に、簡単なメッセージと住所氏名を入れてもらい、コミュニケーションのきっかけにしてもらう(強制ではない)

2、 ホームページ展開(活動がうまく始まったら立ち上げて順次アップしていく)

・手業品の紹介、つくっているグループの紹介、合わせて仮設での生活の様子等をアップする
・プレゼントをもらった幼稚園保育園、学校、職場等での手業品の使われ方を紹介
・被災地に対するメッセージをアップ
・双方向のやりとりをアップしていく→被災地と明星の会双方に管理人をおいて、被災地情報、関東以西圏情報をそれぞれアップしていく

3、アップグレード展開

・使用者の目線で手業品のアイディアを出して、被災地のみなさんへ希望を伝える→だんだん技術と品質、生産量が上がっていけば、例えば会社のノベルティとか保育園のエプロンとか、一括で注文してくれるところもでてくるのではないか→やがては小さなビジネスになる可能性も?

4、明星の会の役割

・被災地のみなさんの活動の情報収集、コミュニケーション
・寄贈先の確保、交渉(布地集め等の段取り含め)~まずは身近なところから始めよう
・チラシの作成(寄贈先募集、手業品に入れてプレゼント)
・布地集め、送付作業
・寄贈先に長野さんの写真掲示~被災地の状況を知ってもらう、被災者のみなさんと顔の見える交流を

2012 05 24 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 13, 2012

2012年度、東北支援明星の会の活動会議

金曜日の夜、去年から活動している明星の会のメンバーが、板橋シスナブに集まってくれました。
その結果をここでも報告しますね。

参加・平戸、八木、小沢、長野、天野、小田、伊倉、伊東、神山、オブザーバー村松(ハーモニーセンター)

1、今年度の活動案

・名取市美田園
~あつこさんたち、女性陣がお手玉づくりをしている
森さんが独自に女性陣を集めて活動を開始

→上記の活動の詳細を調べて、紹介するホームページつくり等を考えたい
→飯澤さんやあつこさんに早急にあって、現地の要望をまとめたい(伊倉ちゃん電話してアポとる)

・陸前高田米崎中仮設
~今年度自治会活動
盆踊り、8月15日前後
文化祭、10月13日
イモ煮会、10月後半

→上記3イヴェントに関しては、出張居酒屋を展開する。
→漁師さんたちや住民の方たちとともに活動できることはないだろうか?(神山、金野さんに電話で聞く)

・御前浜
~復興委員会が活動を開始している

→6月末か7月上旬に、防風壁外しに行く。この時、イヴェントを提案して出張居酒屋展開。

・箱崎桜
~5月26日に住民主催の居酒屋開催(天野隊長)

→この時、今後のコミュニティ活動を提案。住民がつくっているもの等があったら、美田園とあわせて紹介できないか?

・「忘れないプロジェクト」~被災地の人が恐れているのは、「忘れ去られてしまうこと」。そうならないように、いろいろな活動を模索していこう

→時間と機会がある人は、個人的にでも東北へ向かおう(明星の会全体で東北に向かう企画と平行して、個人企画も考えよう→メールやFBで提案して参加を募る→活動内容によっては助成金を出せる可能性もある)

→被災地の人は、支援への感謝の気持ちを伝えたいと思っている。美田園、箱崎、米崎等で感謝グッヅがつくられていたら、それを首都圏近郊の保育園幼稚園、あるいは大学に「繋げよう」。→そこから材料等をカンパしてもらって、被災地に届ける→感謝グッヅつくり→首都圏へ→感謝のリンクをつくることで「忘れない」

→金野さんの話を聞くバスツアーを企画したらどうだろう。(要検討)

→明星の会としては、まだまだ被災地の情報把握が少ないと感じる。もっといろいろな情報を入手して、新しい活動を模索していこう。→メール、FB等で情報シェア

・「父と暮せば」天野公演企画

~天野主宰の松風の会で、東北公演を模索している。→東北各地に原作本を送って読んでもらっているところ。

→「父と暮せば」公演が可能なら、全面的にバックアップしよう。

去年は震災直後ということで、各地で「出張居酒屋」を開催するとみなさんに喜んでいただけました。
けれど復興復旧がある程度進んだいまは、地元の居酒屋や食堂も開業しているところが多いし、
仮設等に住むみなさんもそれぞれに自立自活への歩みが始まっています。
居酒屋だけでなく、被災地の実情に沿った別の支援形体がないものか、改めて考えたいと思っています。

振り返れば去年のちょうどいまごろ、「僕らの支援は受け入れてもらえるのだろうか」という
不安を抱えながら、東北道を北に向けて走りだしました。
あの気持ちを原点に、今年の活動を走りながら考えたいと思います。

みなさん、何かいいアイディアや、被災地の情報があったら教えてください。
よろしくお願いいたします。
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2012 05 13 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 26, 2012

御前浜区総会開催~300年の歴史にひとまず区切り

25日午前10時から、女川町御前浜の分校で、住民総会が開かれました。
去年5月に初めて訪ねた時は、約50名の人が避難生活を送っていた分校です。
あの日から約10カ月。
いまは孝子おばちゃんご夫妻が住むだけとなりました。
約60戸あった家も一軒を除いて全て流され、集落の人たちはみな女川町内や石巻市内の仮設住宅に移り住んでいます。
この日はタクシーをチャーターしてきた人や、仙台から息子に連れられてやってきた人もいました。
「あらしばらく、いまはどこさ住んでんの?」という会話があちこちから聞こえてきます。
あまりにばらばらになってしまって、誰がどこに住んでいるのか知らない人が多いようです。

この日は約50名が集まって、盛況でした。
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会の冒頭、阿部区長から発せられたのは「300年とも400年きとも言われる歴史を持つ御前浜区の休会宣言」でした。
復興委員会は東海進さんがリーダーとなって若手7名で活動をはじめていますが、高台移転が実施されるのはしばらく先のこと。
ここに住むのは孝子おばちゃんたちと阿部さんたちだけだから、休会もやむなしでしょうか。
阿部さん自身、13年間区長をつとめあげ、どこかでほっとした感じでした。

その前夜には、いつものメンバーが集まって、しばし酒を酌み交わして談笑しました。
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表面的には、あんまり悲しげな振る舞いはないんです。みんな淡々としていて。
年寄りが多くなったから、やっぱり病院や商店が近くにある場所のほうが住みやすいことは間違いありません。
仮設住宅暮らしも2年3年と続けば、そこにまた新しいコミュニティもできるだろうし。
漁師でもなければ、この浜住む理由がなかなか見当たらないというのが現実です。

会の最後には、区の財産の分配が行われました。
現金が配られたから、みんなこのために集まってきていたのかな。
そういう面もあると思います。

倉庫にあった食料等も全て希望者に分けられて、集会室はがらんとしてしまいました。
津波のあと、この建物は水を被っていたので、全員で泥をかきだして天井をはって住めるようにしたんですよね。
そんな思い出も、この日で一区切りです。

ガランとした部屋に、かつては50名以上が集まったテーブルが、呆然と残っていました。
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一つの集落の区切りとは、こんなシーンなのでしょうか。
何年かして再びここに人々の生活の息吹が戻るとしても、
そこにできるのは新しいコミュニティなのでしょう。
一度壊れてしまったものに「復旧」というのはなくて、あるとしても「復興」なのでしょう。

会のあと、三々五々帰路につく若手の人たちに、孝子おばちゃんは何度も何度も「御前を頼むよ、復活させてよ」と声をかけていました。

誰もが帰る前に一度自宅の跡地に立ち、しばし時を過ごしていました。

海は、少し明るさを増してきて、沖のほうはコバルトブルーになっています。
新しい季節への変わり目ですね。
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去年の5月に初めてこの分校を訪ねて以来、僕らは何回も何回もここにお邪魔してきました。
ほんとうにありがとうございました。
区長さんからもお礼の言葉をいただきました。
ありがたくももったいないことです。
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みなさん、お元気で。
これからは、孝子おばちゃんたちと、遠い親戚づきあいをさせていただきましょう。
東海さんが釣り舟を買うというから、夏には乗せてもらおうかな。

東北の小さな漁村にできた新しい親戚。
思いを残した地に、ひとまずさよならを言ってきました。

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2012 03 26 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 10, 2012

3月11日を前にして、東北のみなさんへ

東北のみなさん


今年はいつになく厳しい冬をお迎えのことと思います。
関東も繰り返し繰り返し冷え込む日がやってきます。
冷たい風が襟元をくすぐるたびに、みなさんのことを思っています。

改めて、1年前の信じられない津波で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
仮設住宅で冬を越しているみなさんの、ご健康を祈ってやみません。

東北のことを思うとき、去年と一つだけ違うことは、
一人一人のお顔や町の様子や生活の細部が
脳裏に浮かんでくるようになったことです。

東海さんは今日も麻雀してるのかな?
相原おばちゃんは海で海藻拾ってるかな?
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区長さんの生活はどうだろう?
銀ジャケの養殖は順調かな?
名取の女性陣は元気かな?
中井さんは相変わらず飛び回っているかな?
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石巻の旧市街の復興はどうだろう?
米崎のカラオケ大会は盛り上がっているかな?
雫石さんの仕事は回復に向かっているかな?
藤野さんは今日も体操やってるのかな?

一人一人の様子が、一つ一つのシーンが、目に浮かびます。

いますぐにでも飛んで行きたい気持ちもあるのですが、
こうやって距離を置いて思いを馳せることしかできない自分もいます。
お互いの生活がある以上、それもまたやむなし。
あながち悪いことでもないなと思ったりもします。

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この一年間でいろいろなご縁をいただきました。
ありがとうございました。

一瞬ですれちがってしまった方もいましたし、
東京の板橋にまで来ていただいて、一献酌み交わした方もいらっしゃいました。
何度も何度も東京にきていただいて、被災者の実情をお話いただいた方もいます。

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神山個人としては、文章に書かせていただいた方もいましたし、
力足りずに書き切れず、筆を置いたこともありました。
今また、取材でお世話になっている方もいます。

明星隊の中には、もう一つ田舎ができたみたいだといって、
親戚付き合いをさせていただいているメンバーもいます。
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この一年間、繰り返し繰り返し北に向かって車を走らせ、新幹線にも何度も乗ってきましたが、
たいしたことは何一つできなかったという自責の念と同時に、
大切なご縁をいくつもいただけたことに、感謝の思いで一杯です。

いまはおそらく一面の雪に覆われているあの荒野に立てば、
僕ら一人一人は無力であることを痛感しないわけにはいきません。
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けれどそんな僕らでも、この関係性だけは信じることができる。
去年よりも今年、昨日よりも今日、
確実に「ご縁」という名の新しい関係性を生み出すことができる。

そして自力で、それを守り続けることができる。

無我夢中で、何が正しいのかもわからずに起こしたアクションから、
僕らはたった一つ、それだけをいただいた気がします。
いまはただ、この関係性を豊かに、濃密に、そして長く長くしていくことを思っています。

復興とはある地点に到達することを言うのではなく、
ひたひたと歩き続けるその過程を指す言葉だと信じて、
この関係性を大切にしていく覚悟です。
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これからも、みなさんの同走者の一人としていただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

またお目にかかれる日を楽しみにしながら。


2012年3月10日  バザール明星の会代表、神山典士

2012 03 10 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 09, 2012

「月は流れて北へ、北へ」~陸前高田、南相馬取材

なんか最近、気がつくと大宮駅から東北に向かう新幹線に乗っていることばかりだな~という感じです。
去年5月から東北キャラバン活動を始めて、秋ごろから本職のライティング活動でも被災地をテーマにすることが多くなりました。
先週も4から6日と陸前高田取材。
戻ってすぐに7、8日と南相馬取材。
「月は流れて東へ西へ~」という歌がありましたが、
最近は「北へ、北へ」なんすね~。

被災3県の現地に入ると、やっぱりそれぞれに特徴があります。
今回初めて入った福島は、やっぱり重かったな~。
宮城、岩手の被災地は、それでも昨日より今日、今日より明日と「復興への足音」が響いている気がしますが、
福島はますます混迷しているんだもの。
「まだ戻った住民は半分かな」
「戻らない方がいいのよ。帰宅とか除染事業なんてやめて、思い切って30年間住めませんといってくれたほうがすっきりする」
という声を聞きました。
東京で聞くのと現地で聞くのでは、印象がずいぶん異なります。
うーん、言葉が出てきません。

4日の土曜日は陸前高田米崎中仮設住宅内の「さろん・ぼんじゅーる」へ。
この夜はカラオケ大会が開かれるということで、取材が終わったあとでお邪魔してきました。
19時になると、みなさん、自分のお酒を持って集まってきます。
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これこれ、このスタイルですよね。ぼくら明星の会が求めていたものは。
潤沢なお酒やつまみがあることよりも、そこに集まってみんなとの絆を深めたいという
住民の方がいることがポイントなんすよね。
この夜、金野会長はギックリ腰で座いすが必要でしたが、
それでも元気元気。
「次は○○さんの××お願いね」なんてずーっと仕切っていました。
さすが会長だ。
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みなさんとの会話の中で、「この場所も居酒屋にしたい」「居酒屋米崎明星がいいな」なんて
声も上がりました。
もし本当だとすれば、僕らの会から赤提灯をプレゼントしたいと思っています。
みなさんの絆の一端に加えていただけたら。

金野会長、よろしくおねがいしまーす。

2012 02 09 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 19, 2012

女川町御前浜生活寄り合い所に伝説の雀鬼の麻雀卓がやってきた日

先週14日15日、バザール明星の会第十次東北キャラバンで、女川町御前浜と、
岩手県陸前高田市米崎中仮設住宅を訪ねてきました。

なんと14日には、雀鬼・桜井章一会長が、
町田道場で20数年間使っていた麻雀卓を、
御前浜の生活寄り合い所に寄贈してくれました。

会長、雀鬼会の皆さん、ありがとうございました~。

午後3時過ぎ、麻雀卓を積んで、約8時間かけてトラックが到着。
運転してきてくれたのは、シャボさんと緒方さんでした。

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集落の人も、総出で椅子や机を運び込みます。

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設置して、電気を入れても寒くてなかなかモーターが温まりません。
いろいろ調節が必要なんですね。

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シャボさんと緒方さんの手つきを見ていると、愛おしい小動物を扱うような繊細さです。
雀鬼会の皆さんにとって、この麻雀卓は大切な生き物なんですね。
道場でも、橋本サブマネを中心に、どんなトラブルでも直してしまうんです。
麻雀卓もここまで愛されたら冥利でしょうね。

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集落の人の初打ちです。
僕は雀鬼会の人たちの牌さばきしか目にしたことがないから、
なんともまったりしていて、とろーくて、逆に驚いてしまいました。
でもこれが一般の麻雀なんですね。とほほ。

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この日は麻雀卓のお蔭で、仮設住宅に出ていった人も久しぶりにこんなに集まって
くれました。
これからは、この麻雀卓が、御前の「絆」の一つになってくれるといいと思います。
くれぐれも、お金やお酒に溺れないように。
よろしくお願いしますね~。

この日は、桜井会長から美味しいまぐろの差し入れもいただきました。
さっそく阿部区長が盛りつけます。

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お刺身だけでなく、カマやほほ肉も美味しかった~。
集まった子どもたちも舌鼓を打っていました。

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この辺で捕れるのは、銀ジャケやヒラメ、サンマ、アナゴ等々の沿岸モノだから、
まぐろは貴重なんです。
本当にありがとうございました~。

この日僕らは、居住棟の方の防風扉作り。
これまたうまくしあがりました。

中心となってやってくれた八木さん、天野君、
お疲れさま~。

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サプライズでは、この日50うん回目の誕生日だった東海さんに
バースデーケーキのプレゼント。
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でも本人は、可愛いお姉ちゃんのほうがいいと言って
早々に石巻に向かってしまいましたけど。とほほ。

ま、それはともかく、東海さんは御前の復興委員長だから、
これから頑張っていただきたいと思っています。

応援してますからね~。
麻雀卓を大切にしてくださいよ~。

2012 01 19 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 01, 2012

謹賀新年

あけましておめでとうございまーす。

元旦から、嬉しいメールが飛び交っています。

まずは、宮城県名取市からいただいた年賀状を二枚。

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美田園仮設の自治会でがんばっていらっしゃる高橋あつこさんからです。
バザール明星の会のメンバーにあてて二枚いただいたのですが、
手書きだしメッセージも一枚一枚違っているし、
時間と心を込めて書いていただいた賀状ですね。

涙がでるほど嬉しいです~とは、うちのメンバーの声。

本当ですね。
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真ん中右の花柄の割烹着があつ子さんです。

仮設住宅での新年ですが、きっとおだやかな元旦を迎えられたことでしょう。
ご縁ができたことへの感謝の気持ちを綴ってくださいました。
ありがとうございます。
ぼくは喪中で賀状は失礼したので、寒中見舞いを書きました。

名取市御前浜からは、こんな賀状メールが。

「メールありがとうございます。

兄の仮設住宅で新年を迎えました。

昨年は色々あり過ぎてあっという間でした。

今年は明るい年にしていきたいと思います。

先ずはギンザケの初水揚げを目指し頑張ります。

ギンザケの餌やりは年中無休です。

今年も御前浜をよろしくお願いいたします」

もう一通、伝言メールですが、

「孝子おばちゃんに新年の電話をしました。

女川から子どもさんら来て賑やかな様子。お天気も良くわりと暖かいそうです(^_-)。

『神山さんに電話したいけど電話持ってないんだよね』

『メールなんだよ』

『アタシはメール出来ないから、神山さんや来てくれた皆さんに伝えて、おかげさまで、穏やかなお正月を迎えるこ

とが出来ました。ありがとう。又来てくれること、楽しみにしてます』」

とのことです。
生活寄り合い所で迎える初めての新年ですね。
でも穏やかそうで何より何より。
これから電話してみましょう。

銀ジャケの養殖作業では、三が日2日から餌やりがはじまるそうです。
普段どおりの「日常」が何事もなくすぎていくこと。
そんなことへの感謝の念が募ります。

ぼくは元旦から普段どおり、ベルジュでひとっ走り。22キロ走ってきました。
そして普段どおり、「原稿だ~」

これは年末仕事がいま一つはかどらなかったせいなのですが。とほほ。

今年もこんな調子のコウヤマですが、どうぞよろしくおねがいいたしまーす。

2012 01 01 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

December 10, 2011

東北支援バザール明星の会、第九次隊(12月4~6日)報告

公式ブログで小田事務局長が細かく報告してくれていますので、
ここでは写真のみね。

東北は寒さが本格化してきました。美しい紅葉もこれで見納めですね。
仮設は寒い~。皆さん、体長を崩さないようにお願いしますね~。

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御前浜を見下ろす、こんな綺麗なスポットがあったんですね。
今回初めて阿部区長さんに「海沿いの道じゃなくて山道を行くと女川まで近道だよ」と教えてもらって
行ってみたらこんな眺めが。北に御前浜、南には女川湾が見下ろせます。
美しい~。

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『寂しき左腕』
御前の夜の帝王、東海さんが今回のママ田川久美ちゃんを阿部区長に盗られました~。なはは。
区長がこんなにダンスがうまいなんて知らなかった。
いや~、毎回楽しい夜です。

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今回はお昼に2家族を誘って石巻へお食事会。
その帰路、日和山公園に昇りました。そしたらみんな喜ぶ喜ぶ。
「日和山なんてきたのは40年ぶりずら」だって。
灯台元暗しで、案外こないもんですよね。近くの人って。
頂上からみる石巻の惨状には、言葉もありませんでした。

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今回もメニューは大好評の大人カレー。
孝子おばちゃんが採れたてのいくらも出してくれました。
ヤスが慣れない手つきで料理をしてくれています。
今回は田川料理体長のもとで、男子料理部隊が大活躍!

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翌朝の定置網漁は、前回に引き続いて大漁大漁。
銀ジャケが大きなボックスに溢れるほど捕れました。
その他カレイやあいなめ、小魚も。
毎回、区長さんがなめろう、たたき、刺身と、上手に調理してくれます。

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今回は、集落の鎮守様『熊野神社』にも行ってきました。
津波は免れたそうですが、地震でめちゃくちゃかと思ったら、中はそうでもなくて整然としています。
11日、つまり明日、集落の皆さんが集まって掃除をするそうです。

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お、ヤスの熱唱。珍しい!

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陸前高田市米崎仮設でも『出張居酒屋明星』開店。

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今回は、第一次隊に引き続き、『御苑前せお』の陽子大佐から、またまた素晴らしい日本酒梅酒をいただきました。妹尾さん陽子さん、べりべりさんきゅです~。

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そしてここでは地元の皆さんの手料理がたくさん並びました。
素晴らしい。
おこわ、つけもの、ジャンジャン焼き、おにぎり、巻き鮨、等々。
美味しかった~。
さすが自治意識の高い米崎です。

自分たちで企画準備して自分たちで楽しいサロンをつくる

それが僕らが目指すところです。
米崎では当たり前のようにそれができています。

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米崎の皆さん、ありがとうございまーす。

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んーーー、いい笑顔だ。

帰ったら、明星に米崎の皆さんから美味しい魚が届きました。
ありがとうございまーす。

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年明けにまた伺いますね~。
寒さに負けずに頑張ってください~。
よいお年を~。

2011 12 10 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 29, 2011

名取市美田園仮設住宅からお手紙をいただきました~。

この前の第八次隊で初めて「被災者のみなさんとの協働」をテーマに開店した名取市美田園の第二と第三仮設住宅の自治会長さんからお手寄りをいただきました。

よめるかな?

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しかも宛て名は、天野隊長と、料理隊長のいくらちゃん。
ここにもポイントがありますね。
責任者として活動してもらうことで、メンバー全員が顔と顔のわかる、記憶に残る存在になること。

それもまた、今後のことを考えると必要なことだと思っています。

高橋あつこさん、善夫さん、嬉しいお便りありがとうございました~。

また年明けに伺いますね~。

2011 11 29 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 23, 2011

被災地の皆さんとの「繋がり」を実感しています~。

昨日の夕方、東北支援バザール明星の会のメンバー間では、あれこれめーるか飛び交いました。
「出てる出てる」「かっこい~」
僕は外に出ていたので、なんだかなーと思っていたら、こんな写真が。

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陸前高田市米崎中学仮設住宅の熱血自治会長・金野さんがテレビニュースに登場していたのです。
金野さんからは、前々日にこんなメールが届いていました。

「こんにちは。
金野廣悦でございます。
いつも大変お世話になっております。
さて、先日、テレビに私が映るかもしれないとメールをいたしましたが、残念ながら映りませんでした。
先ほど名古屋テレビの方から連絡がございまして、今日は映ると思いますとのことでした。
今日は期待したいと思います。時間は午後6時前後と話しておられました。
それでは。失礼いたします」

そしてそして、たったいま、こんなメールが飛び込んできました。

「神山隊長さんお早うございます。
メール有難うございます。
今晩も10時に北海道から二年間育てたホタテ貝が届きます。徹夜作業頑張ります。
家族の幸せのために。目標が有るって楽しいですね!
妻が言っていました。苦難は幸せの出発点。目標は喜びの荷物だと。
今日一日、三つの恩に感謝しながら喜んですすんで働きます。三つの恩・親、師、社会。
隊長さん今日も一日宜しくお願いいたします。 失礼いたします」

いやー、なんて素敵なお人柄なんだ。
ホタテ養殖も徹夜作業で大変なご様子ですが、家族7人、小さな仮設住宅に一緒に住みながら
大黒柱として頑張っています。
素晴らしい日本男児だ。大和魂だな~。なはは。古いか。

先週居酒屋を行った名取市美田園仮設からも、こんな写真をいただきました。
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僕らのスタッフが用意したおそろいの赤いバンダナをしているのは、この日の居酒屋を運営してくれた仮設の人たちです。
初めて「仮設の自立、被災者との協働」をテーマにして開店したのですが、皆さん大活躍。
中にはつい最近ご不幸があった方もいたそうなんですが、喜ぶ仮設の人たちの姿を見て、
自分たちも手応えを感じてくれていました。
こんなメールが飛び込んできました。

「神山さま

先日は、おすし屋さんまで登場して豪華な居酒屋支援をありがとうございました。

今日は、美田園第一仮設のつみれ汁メンバーを集めてくれた「平塚みさ子さん」に
会ってきました。
「楽しかったー!みんなで片付けたから大丈夫。今までで最高の人手で、
つみれ汁もどんどん売れてよかった!」
と元気でした。今日の2時からのお疲れさん会直前に会ってきました。
平塚さんは、ご夫婦家族で津波を逃れて生き延びて仮設住宅に
住めたのですが、8月2日に元気だったご主人をたぶん震災後の心労で突然亡くし、今は一人暮らしです。(隣に娘家族がいます。)
毎日集会所に行って会長を手伝っています。つみれ汁母さん4人を集めてくれました。
今日は、第一4人、第二4人があつまって打ち上げ会でした。
仮設を超えて新しく仲間ができたなんて、今回の一大収穫です。
これからも、コミュニティー作りの自立支援をしていきますので、よろしくお願いします。
有料になれば、自分たちで会費制にして居酒屋をはじめられますね。

孤独に自室でアル中が増えるのを防ぐのは、集会所居酒屋が一番だと思います。
あの辺には、居酒屋がありませんから。

箱塚桜団地では、甘酒炊き出しがあったそうで、そちらもありがとうございます。
居酒屋を自主営業できれば最高ですね。あのお母さんたち居酒屋のおかみさんに
なれると思います。写真を添付しますね。フォトスタジオのプロのメイクの美しいお母さんたち。

では、またよろしく!飯澤」

美田園は歩いて5、6分のところに第一、第二、第三仮設があって、それぞれ違う地区の人たちが入居しているので、これまでは交流が難しかったんです。
でも今回は第一と第二の方がそろってバンダナ隊をつくってくれて準備してくれました。
打ち上げも盛り上がったかな~。

次回からはお酒を有料化(100円とか)して、自分たちで居酒屋を開けるようにしていただこうと思っています。
僕らはいつまでも応援しますからね~。

ますます充実した仮設生活になりますように。

さらにさらに、宮城県古川の遠い親戚からはこんなメールが。

「加美町中新田を 金村屋というラーメン屋の店の経営上の都合で2時から3時の間に出発します。
現地まで3時間を見込んでいます。(さらに調べますが)
行き先は陸前高田市の米崎中学校でよろしいですね。
①道中、明星の会スタッフと連絡をつけたいときはどうすればよいでしょうか。
神山さんかスタッフの方の電話番号など知らせていただくとよいのですが。
 私は、娘が出産のため帰郷していて、12月2日が予定日で妻から禁酒禁足令がでました。
27日までに産れればなんとかなると思われるのですが・・・・・。というわけで僕は不参加の可能性が大です。
24日に練習があります。
バンド名は「グルーポ・コリマルカ(黄金の里という意味らしいです。)」
 南米アンデスのあたりの音楽を演奏しています」

アンデス音楽のバンドを組んでいる親戚が、3日の居酒屋開店中に陸前高田の米崎仮設に来てくれることに。
もりあがりますね~。

そんなところへ、今度は新宿御苑からメールが。

「ご無沙汰です。
出張居酒屋お疲れさまでした。

なかなか自ら足を運んでお役にたてないかわりに、また日本酒を持って行っていただきたいのですが、次回のキャラバン用にお送りしても大丈夫ですか?
それとも現地へ送った方がよいですか?

いつか妹尾の蕎麦なんかも現地で召し上がっていただきたいです。来年は実現できるよう是非、お力添え下さい。

ご多忙なところスミマセンが、ご連絡お待ちしています!

せおようこ」

割烹「御苑前せお」(3353-2558)の女将、陽子大佐からの嬉しいメールです。
妹尾さんは、第一次隊が出発するときに、手違いもあってお店で出すような高級酒(「14代」含む)を
なんと24本も届けてくれたんです。
いや~美味しかった。
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今回は陸前高田に贈っていただきます。
金野会長さん皆さん、楽しみにしてくださいね~。

今週僕は、児童書単行本の取材で再び石巻に「戻り」ます。
宿を探したらどこも満室なので、御前浜の東海ススムさんの仮設に泊めていただけないかなと思ってメールしたら「了解しました」と短いメールが。
これだけで十分なんです。もう何を持っていけば二人で盛り上がれるかわかっているから。

こういう関係性がつくれたことを、僕はとても誇りに思います。
多くの皆さんと出会って、触れ合って、ともに被災地や被災者の皆さんのことを考えて、悩んで、動いて、時にはとらぶりながらの8カ月でした。
その結果、これからも大切にしたい仲間が東北にたくさんできました。

皆さん、ありがとうございまーす。これからも共に歩んでいきましょうね~。


2011 11 23 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 21, 2011

東北支援バザール明星の会第八次隊、全員無事帰京しました~。

東北は、野山の彩りがずっぽりと街におりてきて、そりゃもう綺麗な紅葉でした。
両側の絶景を眺めながら6時間、今回も女川町御前浜からのキャラバンです。

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御前浜の避難所は、準仮設住宅扱いで存続と聞いていましたが、
名前だけ「生活寄り合い所」となったのだそうです。
なんとしても「避難所は全て閉鎖して全町民が仮設に入った」ということにしたかったんでしょうね。
でも孝子おばちゃんも和子おばちゃんも阿部区長も「ここからはなれねーだ」とのこと。
頼もしい皆さんです。

そこでこの日は、お風呂と食堂の間の廊下の防風雪壁の設置。
これまでは、せっかくお風呂であったまっても、浜風で体が冷えてしまっていたのだそうです。
そこで大工の佐藤さんをお連れして、石巻のビバホームで材料を買い込んで、さっそく作業開始!

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あっと言う間に立派な壁ができました。
孝子おばちゃんは「これだったら裸っこさへーっても大丈夫だな」だって。なはは。
それは注意してください。

この夜の居酒屋も盛り上がりましたよ~。
御前浜に「嵐」登場。
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女性陣も負けずにキャンディーズ+1。
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区長さんも楽しそう。
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翌朝は5時から定置網漁へ出撃!
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立派な銀ジャケが約5、60本と、ヒラメ二枚、タナダ等の小魚、
それに大きな蛸が一枚とれました。

というわけで、御前浜はたった4人の寄り合い所になってしまいましたが、
みんながここを去ってしまったら、2、3年後に戻ってくる人がいなくなってしまいますからね。
「ふるさと」を守るために、僕らはこれからもずーっと支援していきたいと思います。

皆さん、御前浜をよろしくおねがいいたしまーす。

翌日は名取市美田園へ。

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信大時代の友人村松君が勤めるハーモニーセンターの皆さんが第三仮設に来てくれて、
ポニーの乗馬体験をしてくれました。(写っているのは初代ママ、なかーらちゃんですが)
いや~あいにくの小雨でも子どもは大喜び。大人も大喜び。
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バスツアーで参加してくれた豊島区議の古堺さんも大喜び?かな。なはは。

そして4時を廻ったところで第一仮設集会所で居酒屋開店です。

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この日のテーマは「協働」。これまでは「僕はサービスする人、被災者は受け取る人」という感じでしたが、
それじゃ自立に繋がらないということで、「一緒にサービス、一緒に楽しむ」ということにしました。
赤いバンダナを巻いてくれているのが、お手伝い隊の皆さん。
右側が隊長のあつこさん。いつもにまして綺麗にお化粧されていますね~。
皆さんでこの日の料理の「つみれ汁」をつくってくれました。
美味しかった~。ありがとうございます。

そしてそして、この日の一番人気はこれ。
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長蛇の列になってしまいましたが、東京からやってきてくれた真塩さんご夫妻のにぎり寿司が大人気でした。
早朝の定置網でとれたヒラメもさっそく裁いてだしてくれました。
いや~美味しかった~。
美田園の皆さんからも「震災後初めて食べた~」の声しきり。
真塩さん、遠路はるばるありがとうございました~。

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スペシャルゲストは明星本店の常連、タクちゃんご夫妻の三味線と民謡。
これまた皆さん、大盛り上がりでしたね~。
タクちゃん奥さん、べりさんきゅです~。
ギターの吉川さんも演奏してくれました。いつもありがと~。

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そして3日目、バスツアー隊14名は、東松島在住の中井政義さんのガイドで
東松島~石巻~雄勝、大川小学校~女川、御前浜と被災地を視察してきました。
大川小学校には立派な慰霊塔ができていました。
ここで90名以上が亡くなったんです。
「決断と実行」の大切さを改めて思います。
ぼくらが新しい行動規範をつくっていかないといけませんね。

本隊は名取市の箱塚桜仮設住宅で甘酒の焚き出し。
1月の居酒屋は、ここで開店させていただくことになりそうです。

今回も、バスツアーを含めて大勢の皆さんが参加してくれました。
ありがとうございました。
いろいろなことを感じられたと思います。
今日の生活から、東北のことを思いながら、目の前の課題にあたっていきたいと思います。

次回は12月3日から5日かな。陸前高田米崎中学校仮設と御前浜を廻ります。

またよろしくお願いいたしマース。


2011 11 21 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 14, 2011

陸前高田のホタテ養殖漁が始まっています

今朝、こんな写真がメールで飛び込んできました。

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陸前高田の米崎中学仮設住宅の自治会会長、金野廣悦さんからです。
こんな文面が添えられていました。

「お早うございます。
いつも大変お世話様です。
昨日の夜10時半から作業をしております。
いま、ホタテの耳釣り沖だし作業を終えて港に帰るところです。
お陰様で文化祭も終わりまして、今度はホタテ養殖作業に傾注したいと思います。
でも、米崎中仮設自治会の活動も一生懸命やります。
今後とも宜しくご指導下さいますようお願いいたします。
寘りんご寘ふじも収穫時期となりました。皆さん寘りんごを食べに来てください。

ホタテ養殖養殖は7人の協業ですので、昨日から今朝まで20人で作業をしました。
勿論妻も作業に従事しました。
いま帰って来ましたので少し横になろう思います。
さすがに疲れました。
また明日の夜10時半からホタテの徹夜作業です。一日置きに13回続きます。頑張ります。それでは。
おやすみなさい。金野廣悦」

うーん、御夫婦で徹夜作業は大変だ。
でも金野さんは、若いころから結婚して仕事を引退したら船を買って
夫婦船で操業したいという夢を持っていたそうです。
そして畑と漁業で二毛作というビジョンもあったとか。

今回の地震津波でその生活も大打撃を受けてしまったのですが、
こうして頑張っておられます。
すごいです。

12月3日には、三度陸前高田に行って、クリスマスツリーを仮設に贈って(これはスマイルサポート隊提供)
居酒屋を楽しんでいただきたいと思っています。

金野さん、頑張れ~。


2011 11 14 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 12, 2011

陸前高田米崎中学校仮設住宅文化祭!!

先週6日、陸前高田にある米崎中学校仮設住宅では、
隣接する体育館からにぎやかな歌声が聞こえ、踊りの輪が広がっていました。
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仮設住宅住民たちで結成された合唱団。
手持ちの歌詞カードの背には、支援してくださった人たちへのメッセージが。
「私たちは元気です」という言葉に、
復興への力強い歩みが感じられます。

復興って、コンクリートの建物や道を再び元のように作り上げることじゃないんですよね。
目の前の現実にめげないで、できることをできるかぎり頑張って、
明るく前向きに生きる勇気を持つことですよね。
以前の状態に戻すことではなくて、これからの自分たちに相応しい町の姿を模索すること。
そのために必要なのは、生き残った「仲間」たちの「輪=和」です。

そのことを踏まえて、住民自治会長の金野コウエツさんを中心に、
ここの人たちは確実な一歩を踏み出しています。

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カラオケ、踊り、作品展示、合唱隊、フォークダンス、そして
陸前高田音頭。
いや~もりあがるもりあがる。担当で見回りにきていた鹿児島県警の人たちも楽しそうでした。

文化祭が終わってからは僕らの出番。出張居酒屋『明星』開店開店。
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皆さん、これまでにない盛り上がりを見せてくれました。
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どうです。いい表情でしょう。
ただビールが飲めるということじゃなくて、心を合わせて一つのことに打ち込んだあとのビールだからこそ、
こんな表情が生まれるんですね。
素晴らしい。いいぞ~米崎。
僕らが支援したいのは、こういう自立しようと頑張る被災者の皆さんなんですよね。

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最後は全員で肩を組んで『北国の春』の大合唱。
必ず春がやってきますね。ここには。
そしてそのときには、住民で『第九』を合唱したいんだと。とほほ。『喜びの歌』ですよ。すげ~。

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一本松も頑張れ~。
僕ら、いつまでもいつまでも応援していますから。

2011 11 12 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 28, 2011

被災地の皆さんとの繋がりが一歩一歩深くなっています

けさ、こんなかっちょいいメールが飛び込んできました。

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こんなメールが添えられています。

「お早うございます。米崎中学校仮設住宅自治会の金野廣悦です。いつも大変お世話様でございます。感謝申し上げます。私は広田湾漁協の理事をしております。今日は広田湾漁協の船の進水式で大船渡から進水したばかりの椿丸20トンに乗って広田漁港に向かっているところです。文化祭まで9日となりました。練習や準備にも熱が入って来ました。思い出に残る文化祭にしたいと思います。失礼いたします」

すごいな~。今野さんは、ここにもあるように、仮設住宅内での自治活動にほんとうに献身されていて、
自前でカラオケセットを買ってカラオケバーを開いたり、
11月6日には文化祭も企画されています。
その先には「仮設の仲間と第九を歌いたい」という企画もあるそうです。

すげ~「喜びの歌」ですよ。
どんな苦難も乗り越えんとする、人間の奥深いしなやかさを感じます。

僕らも6日には居酒屋チームで参加。
文化祭のあとの反省会を盛り上げたいと思っています。

先週は、愛する板橋「明星」にこんなお客様が来てくれました。

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支援に入っている女川町御前浜の東海ススムさん「すーさん」です。
この日は浦和に住んでいるお姉さんのところを訪ねたあと、
午後には水道橋で天野君の一人芝居『父と暮せば』を観て、
その後板橋に足を延ばしてくれました。

もちろん僕らのチームで大歓迎。
啓子ちゃんも喜んでくて大サービスしてくれました。

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途中からは、名古屋に住んでいる姪っ子さんや甥っ子さんもやってきて
大カラオケ大会。
そもそも東海さんは、御前浜の居酒屋でも毎回これですからね。

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なはは、愛すべき人なんです。

でも、わざわざ東京に出てきてくれて、板橋明星を訪ねてくださって
本当にうれしい~。

僕らは支援活動を通して、東北の皆さんの復興への歩みは
これから5年10年かかると実感しているのですが、
その中で「個人対個人」の「顔の見える」「親戚づきあい」をしていきたいと思っています。

必要なものがあったら送るし、人手がほしいことがあったらもちろん出かけていきますが
心と心が繋がっていること、時にはこうやって遊びに行き来すること、
いつまでも忘れないこと、そして御前浜を僕らの第二第三の故郷にすること、

そんなことを通して、東北の皆さんと繋がっていきたいんです。

今月はじめには、中井さんも池袋本町のお祭りや入間市に来てくれて、
防災意識を高める講演もしてくれました。
By


それもこれも、人間と人間の繋がりで生まれたものです。

僕らの支援活動の原点はここにあります。

これからも大切にしていきたいと思っています。

2011 10 28 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 16, 2011

バザール明星の会、第六次隊帰京報告

今回は、大がかりな居酒屋は一度休業、バスツアーも休止して、被災地のみなさんとの話し合いと新たな支援先の視察を行ってきました。
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14日12時30からは、名取市美田園で話し合い。ここは、仮設住宅ができた直後から「ともだちイン名取」というグループのみなさんがボランティアリーダーとして入っていて、被災者のみなさんをきめ細かく支援しています。
その甲斐あって、たくさんのボランティアグループが入って活動しているところです。
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僕らは、住民のみなさんが互いに胸襟を開いて話ができるように、コミュニティづくりの一環になるように、という意味で、これまでに居酒屋を4回開店してきました。
反省点としては
・僕らが飲み物と食糧を全て提供する形になってしまっていて、住民のみなさんとの共働作業になっていなかった。後片付けやゴミの処理も含めて。
という点でした。その辺を話し合った結果、
・次回からは住民にも声をかけて、料理や居酒屋準備もやっていただいて、一緒に開店運営する。
ということになりました。
ともだちイン名取の飯澤さんからも発言がありましたが、僕らボランティアの最終的な目標は「住民のみなさんが自力で生活していく」ことにあるわけですから、共働の次には「住民のみなさんの自力開店(コミュニティづくりのために)」があると思います。
来年3月の震災津波一周年までには、そういう形に持っていけたらいいなと思います。

その後、飯澤さんに「閖上まちカフェ」に連れていってもらいました。
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ここは多くの方が亡くなり、住宅も全壊になった地区です。このカフェは、避難所に入らずに残った自宅の二階等で生活している方たちの支援を目的に、建築系の大学の先生方や住民有志で運営されている集会施設としてオープンしたそうです。お茶が飲めたりお菓子が食べられたりだべったり、それだけでなく町に送られてきた支援物資を受け取ることもできます。
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ここに直接支援物資を送れば、閖上の方たちに確実に届きます。これから寒くなる季節に、防寒具等はまだまだ必要のようです。みなさん周囲にも声かけて、物資を送っていただくようにしませんか。よろしくお願いします。
981-1231名取市閖上1-1-7
常駐スタッフ針生さん、090-4619-4454(11時~17時まで)

14日夕方からは、御前浜。ここは僕らの活動の始点となった避難所です。
女川町では10月上旬にやっと仮設住宅が全て完成して、当初約50名いた集落のみなさんもだんだんと仮設に移っていき、今は6、7名がここで生活するという状態になりました。
今回、区長さんや相原おばちゃんたちと話して「私たちは仮設に移らない、この浜を守っていく」という意志を確認しました。町の最終方針がどう出るかはわかりませんが、「ふるさとを守る」というこの意志には僕らも大いに賛同なので、この準仮設住宅がある限り、支援活動を続けていきたいと思います。
冬場に向かって、お風呂場と食堂を繋ぐ廊下に風雪除けがほしいという要望がありました。次回その資材を持って行って、現地で修繕作業をしたいと思います。
また今回、今季初めての定置網漁にも連れて行っていただきました。
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早朝5時に出発して、すぐ目の前の漁場に船で向かいます。網を引き上げると、大小様々な魚がピチピチ。銀ジャケをはじめとして、イナダ、ブリ、カンパチ、スズキ、アナゴ、ヒラメ、真アジ、サバ、イワシ等が大量に捕れました。それを氷詰めにして、目白のフレンチ「ラ・ムジカ」と「御苑前せお」さんに持っていくと、両シェフともに大喜び。うまくいけば、クール宅急便を使った取引に繋がりそうです。
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夕べの料理は、小田君持参の鴨汁、石巻の「太田屋」さんの懐石風オードブル、「ラ・ムジカ」のぱて・ド・カンパーニュ等々。塩加減には東北と関東の違いはあったようですが、美味がずらりと並びました。みなさんありがとうございました。
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区長もおばちゃんたちも「またぜひ来てね」とのこと。おばちゃんたちは当会のメンバーのいくらちゃんからプレゼントされたというフリースを着て、「あったかいね」と言ってくれていました。次回もまた伺いましょう。
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翌15日は、一路北上して当会としては初めて気仙沼を経由して岩手県陸前高田へ。
気仙沼港は思った以上に船が並んで活気がありましたが、街中の大火事の跡地は無残に焼けただれているし、倒壊したビルもまだ多数残っていました。
対して陸前高田に入ると、広大な町内が綺麗に瓦礫撤去されています。のみならず、海岸線には瓦礫を分別する巨大なベルト等も設置されていました。印象的には宮城よりも岩手の方が復旧作業が進んでいるなという感じです。
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米崎中学校仮設住宅では、自治会長の金野さんが待っていてくれました。聞けば自分たちで手配をして、トレーラータイプの集会所を手に入れたとのこと。好評の塩釜餃子と日本酒をプレゼントすると、「今夜はこのカラオケバーの開店記念パーティーなので、皆喜びます」とのこと。部屋にあるカラオケシステムも金野さんが購入し、班長会議のあと等で楽しんでいるそうです。それだけでなく「11月6日には文化祭を開きます」との発言も。びっくりしました。仮設住宅で文化祭! 今まで被災地でそんな言葉を聞いたことはなかったし、思いつきもしませんでした。
やるな~米崎。素晴らしいな金野さん! 生きていくことだけで必死のはずなのに、「この生活を人生のいい思い出にしよう」「復興したあとで、あのころはよかったねと語り合えるようにしよう」とも仰って、自分たちで生活環境だけでなくエンタテインメントも作り出そうとされている姿に大感動でした。
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帰路は津波でも残った自分のリンゴ園にも連れていって下さって、リンゴ狩り体験まで。美味しいリンゴをたくさんいただきました。金野さん、ありがとうございました。いい出会いをいただきました。このご縁を大切にしたいと思います。

これまで当会は、現地のみなさんの生活の変化に合わせて、その活動テーマを変化させてきました。
当初は「子どもたちに児童書を、大人たちに会話のきっかけとなる居酒屋を」
次に「被災地に心の栄養を」~落語家、ジャグラー、ソプラノ歌手、カラオケ等を連れて行く。
「被災地に仕事の種まきを」~銀ジャケ支援、耕運機プレゼント、まんまるさん人形販売、被災者講演会企画実施等、と展開してきましたが、美田園での話し合いや金野さんの活動を知って、ここからは明確に原点に戻って、「被災地の住民自治自立のための共働活動」というテーマに絞っていいのではないかと思います。
当会としての支援活動もいつまでも続けられるわけではありません。会としての活動が終わったら、個人対個人としての支援活動に引き継げるように、ここからは被災地の自立自活を目指してのお手伝いが必要なのだと改めて思います。

次回打ち合わせでその辺は話し合って、会としてのテーマや活動内容を決めていきたいと思います。居酒屋も、徐々に住民のみなさんが自力で開店していただけるようになったらいいですね。

11月の第7次隊は18~20日を予定しています。事務局案としては、(現在宿の手配を確認していますが)
18日本隊出発、御前浜で修繕、居酒屋、泊
19日早朝定置網、二班に分かれて、米崎班と美田園班、居酒屋実施
19日、バスツアー出発、美田園か米崎へ、視察&居酒屋&交流
20日、御前浜全員合流、交流
となります。
本隊は二台で最大8~10名でしょうか。バスツアーの方はまだ余裕があります。希望の方は応募してください。

以上、長くなりました。よろしくお願いいたします。

神山典士『熱血ライター』http://www.the-bazaar.net/index.htm

2011 10 16 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 10, 2011

東松島で被災された中井政義さんの講演会ツアー第一弾、入間市政経会&豊島区池袋本町ふれあい祭り、お疲れ様でした~

東松島で被災されて、ご家族7人で避難所生活を体験され、
今は仕事の復興と、震災体験を風化させない講演活動やブログを続けている
中井政義さんをお迎えしての講演会ツアー第一弾。

8日は埼玉県入間市の政経会の特別講演会に招かれました。

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1、生死を分けた運命の瞬間
2、被災者の生活の実態
3、震災の教訓を今後の生活にどう生かすか

この3つをポイントにして動画や写真も交えてお話いただきました。

続いて宴会も。
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お開きになって、三次会に移ろうとしたら、うちの事務局長の小田君の行動がすごいじゃあーりませんか。

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「被災地のことを思えば、食べ物を残すなんてありえません」ときっぱり。
タッパをいただいて、約10個も「ノンノン」に持っていきました。
えらいぞ、でも飲み過ぎ。24時過ぎまで飲んでいたそうです。とほほ。

んでもって、翌9日は、豊島区池袋本町で開催されているふれあい祭りへ。

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オープニング・ステージで短い時間でしたが、被災体験を語っていただきました。
前日の入間市もそうでしたが、関東の人は「津波はこないだろ」と思っていますから、
津波体験だけを話しても興味を示してくれません。
ところが「避難所生活の細部」を話しだすと、明日は我が身ですから、
ぐっと身を乗り出してきます。

中井さんの話しからは「備えあっても憂いあり、備えなければ悔しさと恥ずかしさ、二つ我にあり」
ということが実感されます。

本当に、今この瞬間から避難所生活が始まってもおかしくないわけです。
生き残れるかどうかは「運命」ですが、幸運にも生き残ったあとでの復興を考えれば、
「しかるべき復興ができるかどうかは、震災前の生活にポイントがある」

首都圏直下型の地震が来たら、行政機能が完全にマヒするはずですから、
自力で一週間は生きていけるだけの準備が必要です。

そして避難所生活は「住民自治」になりますから、
日頃からの地域活動にポイントがあります。

そのことを一人でも多くの方にわかっていただきたいのですが---。
はたして、どれだけの方の心に響いたでしょうか。

お蔭様で復興のシンボル「まんまるさん人形」は30個完売でした。
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国会議員や区議の皆さんも買っていただきました。

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お手伝いしてくれたミレイちゃん、リオンちゃんはじめ、スタッフの皆さん
ありがとうございました~。お疲れさまでした~。

まんまるさん人形は販売の機会があったらどこでも出動可能です。
ご希望の方、お知らせください~。よろしくどーぞ。

2011 10 10 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 05, 2011

復興のシンボル『まんまるさん人形』

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神保町の山形屋紙店(03-3221-7829)に行って『まんまるさん人形』を30個仕入れてきました。
9日の豊島区ふれあい祭りで販売します。
メンバーの皆さん、エプロン持参で売り子をお願いしますね。
僕らが定期的に訪ねている名取市美田園と、第一回で訪ねた南三陸町の仮設住宅の皆さんが手作りしている「復興人形」です。
一個1000円、実費を除き、半額が被災地に回されるということです。
ふれあい祭りにご参加の皆さん、ぜひお買い求めください。可愛いですよ~。

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そうそう8日に入間市で行われる中井政義さんの講演会にも持っていきましょう。よろしくどーぞ。

あ、それと、山形屋でこの人形を扱っている田記(たき)さんのお話では、他のどんなイヴェントでも扱っていただけるなら商品提供しますとのこと。
学校の文化祭とか町内会の祭りとか、あるいは商店の一角とか。
売れただけお金を戻せばいいシステムです。皆さんもご自分の生活の周りで考えてみてください。

被災者の皆さんが経済的にも自立できる有効な方法です。よろしくお願いしまーす。

2011 10 05 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 03, 2011

バザール明星の会、第五次隊、帰京報告です。

9月29日から10月1日にかけて、
5回目の東北支援キャラバンに行ってきました。

今回のテーマは「芋煮鍋」
東北の伝統行事である芋煮で楽しんでもらおうと、
材料を持ち込んで大鍋でグツグツグツ。

皆さんにとても喜んでいただけました。

女川町御前浜の避難所では、区長さんと町議の酒井さんのツーショットも実現。
高台の仮設住宅建設がなかなか進まない地区なので、
お二人の会談は意義があったと思います。

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前回からこの避難所に泊まらせていただいているのですが、
女性陣から「トイレが---」と問題提起がありました。
おばちゃんたちに聞くと「自分たちも不便に思っていた」「できれば西洋式がいい」という声が。
さっそく西洋式トイレやアコーディオンカーテン、鍵、トレペケース等を買い込んで
現地で設置してきました。
これで寒くなっても快適になったかな?

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30日に出発したバスツアーには、初参加者ばかり17名が参加。
名取市美田園仮設住宅では、いつものように居酒屋を開店しました。

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翌1日には、石巻、女川地区の被災状況を視察。
被災者の金津君(専修大学石巻校)がガイド役で乗り込んでくれて、
リアルな体験も報告してくれました。

帰京後、参加者からは以下のメールをいただきました。

「ツアーに関して真っ先に正直な感想を申せば、
「楽して被災地を巡れたな」ってな感じ。
それを上手に安価にセッティングしてくれたスタッフに感謝するばかり。
小田さんや平戸さんの被災地近況を的確に伝える見事なバス内での解説、
伊東さんの責任感漲るボランティア精神、
そして若手ながら泰クンもバス隊の副キャプテンを孤独にしっかり最後まで全うし、
神山さんの竹馬の友である小沢さんのおおらかな振る舞いも実に楽しかった」

「被災地での感想にに関しては――。
まだ多くを語るのは難しいので控えますが、
北風にススキが滑らかに揺れ、
漣を伴った海からはほのかに懐かしい磯の香り、
トンボが盛んに田園の上を舞う秋ならではの風景に
余りにも殺風景で寒々とした360度の絵が広がる
名取や石巻の津波後の景観には声を失ってしまいました。
TVのフレームでは分かっていても、
分かったつもりでいた今更自分が恥ずかしくなりました。

石巻専修大学の石津君の実体験は生々しくも感動的で
命や家族についての報告が心に突き刺さった。
だけど今回交流した被災した地元の人々に関しては、
初めて知った情報が余りに多すぎて衝撃的で、
まだうまく応対の言葉を見つけられない」

「このたびは女川に連れて行ってもらい、ありがとう。
テレビ等で被災の様子は見ており覚悟はしていましたが、
バスが女川に近づくにつれ、なんか胸の奥がチクチクと痛みましたよ。
かつて降り立った駅舎、宿屋さんに定食屋さん、その姿はどこにもなく、
ただため息だけ…という感じでした。

でも、御前浜の相原さん、銀ザケ養殖復活について意欲的にお話してくれました。
11月には山で育てている稚魚を海に移すということ。少し救われたような気持ちなりました。
女川だけに限りませんが、被災された皆さんは、各々が一歩づつ歩み続けている。
ingなんですね。
支援の想い、活動(いろいろな形があるかとはあ思いますが)を継続していくことが大事だと実感した次第です。

貴兄はじめ、明星の会の皆さんにはリスペクトです」

ありがとうございました~。


2011 10 03 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 24, 2011

被災者証言シリーズ2、石巻創業97年を迎えた老舗割烹の「復活」

いつも僕らのバスツアーで、美味しいお弁当を作ってくださっている石巻の老舗割烹「滝川」
創業97年の老舗料亭の若女将が、被災の様子とその後の苦悩、そして復活への歩みを語ってくれました。

取材と構成は勝田さん。(べりさんきゅでした)

◆阿部由貴子さん【割烹 滝川(たきかわ)若女将】 被災体験証言◆
―2011年9月10日(土)14:30~15:30 サンプラザホテル内「滝川」にて―

小学3年生の娘のとうこが、初日の真っ暗な中から、とにかく何か残さなければと、毎日「地震記録」を書いていました。これを見ると、いつくらいにどういうことがあったか、だいたいわかります。もともと書くのが好きな子で、記録をどう作るかは自分で考えていました。

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地震直後は、父は買い物に出ていましたが、滝川に母と主人、妹、従業員3人、私、のスタッフ全員がいました。お客さんはお一人、打ち合わせに来ていただけでした。
主人が「(建物が)もたないかもしれない」と言ったので、建物から出ました。

母と主人は女川出身なので、津波が来ると直感的に思ったようです。母はとにかく高いところに行くと言って、石巻小学校の上で、私が高校生まで住んでいた古い自宅へ向かいました。

私達は町内で一番初めに避難したと思います。本当はやってはいけないことなのですが、主人は一度店に戻って、二台目の車を高台に上げた直後に、津波が来ました。

私は娘を迎えに、滝川から歩いて10分ほどの石巻小学校へ行きました。
すると学校の前で男の人が、「10mの津波が来るから、ここは危険だ。とにかく山に上がれ」と叫んでいました。
そのときは10mと言われても、ピンと来ませんでした。
歩いては山へ登れないという父とも合流し、迎えに来た妹の車で息子のいる日和幼稚園に行きました。
そこは、バスで5名が亡くなった幼稚園です。
幼稚園自体は高台にあるので大丈夫だったのですが、バスは津波が来る低地のほうに降りてしまってのまれてしまいました。

津波は何波も来ました。
第1波は、地震から40分後です。主人は車を上げて、日和山から津波の状況を見ていました。
門脇方面から黒い波が来るのを見て、ゴーッというすごい音だったのを聞いたそうです。
私達は家にいたのですが、10何年も住んでいない空き家だったので、これでは住めないと思い、
その日のうちに門脇中と石巻中の下にある自宅に移動しました。

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「割烹 滝川」は中央町にあり、創業は大正3年です。
戦前は3階建てでしたが、戦後2階に建て直しをしています。
戦争中に資材を疎開させ、終戦後、石巻一の棟梁に作り直してもらったものです。

今回も柱が残っているので、改築しようと思いましたが、建て直しよりお金がかかるとわかり、頭が痛くなりました。昔の造りの料理屋さんは、市内に「やはた屋」さんと2軒しかなく貴重だったと思います。

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滝川の建物内には、妹が14日に行っています。
それまで泥がひどくてたどり着けませんでした。
1階には両親が住んでいて、着物などもあったのですが、全部流されました。
2階は水をかぶらなかったので、避難所になっていた公民館に座布団を運んだりしました。
茶箱に入っていた瀬戸物は、助かりました。
古い高価な塗り物は浮いて流されてしまいました。
父はしばらくショックで滝川には行けなかったですね。
滝川自体がだめなのが、受け入れられなかったみたいです。

お店のことは、廃業にするか休業にするか迷ったのですが、
主人が「100周年まで3年あって、ここで廃業しては100年にならない」と休業を決断したのです。

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ハローワークに行ったのは、4月4日でした。
「再開はいつですか」と聞かれ「1年後ではだめですか」と言ったら、
「とりあえず8月にしておきます」と言われました。
ただ、この時点では、とても再開できるとは思えませんでした。
ある方からは、廃業の方がいいのではとも言われていました。

母は、無理だから規模を小さくしてやりなさいと言っていました。
でも、母は家族に黙って震災後に釜台を買っていたのです。
釜台とは、10個の釜飯が炊ける台で80万~100万円くらいします。
なんとかして釜飯の味は残そうと思っていたみたいです。
一子相伝で秘伝のうなぎのたれと釜飯のたれは、一升瓶に入っていて、
津波でも水を被らなかった2階に奇跡的に残っていました。

滝川は、曽祖父母が、「おわりや」から始めたものです。
漁船の宴会と結婚式が多く、結婚式は1日3組くらいこなしたときもあるそうです。
宴会のピークは私の生まれた昭和44年前後で、石巻の一番いい時代、漁船に活気のある時代でした。
その後は、結婚式もホテルが主流になってきたので、
お客様の用途は会社の宴会や家族のご会食に変わってきました。

父は3代目です。
職人で料理を作ることが中心でしたので、経営的には母が腕をふるっていました。
おかみと呼ばれたのは母が最初で、直接お玄関でお迎えしたり、客間に入って接客を始めたそうです。
私は26歳で勤めを辞めて滝川に戻り、30歳で結婚しました。
主人は仙台の調理師専門学校を出て、東京の銀行の施設の調理場で修行した後、
女川の実家で加工業を手伝っていました。

震災前から、父母達の代替わりと主人が入ったことで、新しい滝川が必要だろうと話していました。
滝川の造りは旅館のような、1階が上がり口、2階に上がって個室で食事をする形でした。
テーブル席はなかったのですが、最後の頃は足の悪い方のために、和室に椅子も入れました。
父母の代でメニューも作り、わかりやすいセットも用意しました。
私の代からは予約無しでも入れるようにしました。
格式があって敷居が高いというイメージを払拭したかったのです。

営業を再開したのは、5月25日、忘れもしない水曜日です。
中央町にある魚を仕入れていた「まるか鮮魚店」の社長さんが声をかけてくれて、
全壊地域にあったすき焼き、中華、寿司の店と一緒に、「石巻名店街」として営業を始めました。
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営業を縮小した鮮魚店の空いているところに椅子とテーブルを置き、デパ地下のフードコートのようにしたのです。被災した店舗が集まって再開したのは、被災地の三県で一番早かったと思います。

うちが用意したのは、名物料理として人気があった釜飯とうなぎです。
うなぎは、焼きたて、出来立てを出しました。
この店はすごく賑わって、毎日どれだけ売れたのか数は覚えてないくらいです。
(注;うなぎは丑の日に100ほど出たと判明)。
お客さんは、近所の人が多かったですね。
避難所からも人が来て、最初は安否確認所のようで、あちこちから泣き声が聞こえました。
皆さん、口コミで来ていたようです。
私達にも「頑張れ、頑張れ」「よかったね」と言ってくれて、嬉しかったですね。

各店舗とも、料理の仕込みは自分の家で作ってきていました。
うちもうなぎの焼き台を通販で買って、庭で炭を焚いて焼きました。
釜飯は、アルミと南部鉄の釜も作ってもらって、空き家だった実家に移っていた母が、
震災後から炊き始めました。
たれもまるかさんになってからは、継ぎ足せるようになりました。
門脇のある山形醤油屋さんも立ち直ってくれて仕入れることができるようになりました。
皆と一緒に作っていたのだなと、強く感じました。

従業員は、一人は十三浜という浜で、一人は港に家がありました。
一人の女の子はしばらくお母さんとは連絡が取れませんでした。
地震の直後に連絡が取れた妹は、港の宮城ヤンマーという会社の屋上にいるけれども、だめかもしれないと、そこで携帯が終わったのです。
結局大丈夫だったのですが、川伝いに2階まで水が来たそうです。

うちで一番長く、10年修業している十三浜のさとうとしひろくんは、
15日の夜に家族が迎えに来たのですが、17日には、お父さん、お母さん、80いくつのおじいさんが全員で、泥かきなどの片付けに来てくれました。
1ヶ月以上も水道もガスも電気も通らなかったのに、貴重な船用のガソリンを使って滝川まで通ってくれたのです。

おじいさんはわかめの漁師で、当日は船を守るのに雪の降る海の上で1晩過ごしました。
波は15mも上がったそうです。
ご家族で来てくれたので、私はぼんやりしていられなかったです。

今回、思いもよらない人から助けられることがありました。
ボランティアのピースボートの子達とも付き合いがあり、来ると必ずここに顔を出してくれます。
 
今の店(市内のビジネスホテル内の店舗)は9月1日がプレオープン、7日がグランドオープンです。
滝川の2階に残っていた屏風やテーブルなどを持ってきました。
 
このグランドホテルの社長の後藤さんからお話があったのは7月下旬で、8月に改装に入りました。
後藤さんが主人を信頼してくださったということがあると思います。
石巻の食材を使おうという会「ちさんちしょうの会(知讃知しょう?)」のつながりも強かったですね。

再開するなら旧市内で店を持つよりも、大型スーパーがある蛇田に行ったほうが、人もいるし、被災もしていないしとも思いましたが、ここには昔から知っている人がいるし、やっぱり私たちは旧市内が好きです。
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まるかさんでも、お客さんと顔を合わせることがすごく楽しかった。
歩いて来てくれる人達は、蛇田までは来られないですから。
この店に来てくださるのも、ご近所の方が多いです。

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うちは大衆的値段ではないですが、その反面、懐かしい味に合えたと喜んだり、涙ぐむお客さんがいらっしゃいます。
よく来てくださる親子連れの方は、必ず海鮮釜飯を頼まれるのですが、蓋を開けたときに、普段は無口で表情を変えないおばあちゃんが、「わ~」と言ってくださいました。
そのときは泣けましたね。本当に嬉しかったです。

従業員も戻りました。
一人採用していた新卒の子は、再開を待っていてくれ9月1日から来ています。
同じ日にハローワークにも再開を届け、主人が社長になりました。
 
震災前、母が借金が嫌いだったので、債務は数百万円くらいでした。
助成金については、自宅は被災していないので、私達に義援金は来ないのです。
保険料や税金の免除もない。
収入はないのに、地震保険以外、国からは店には全く何もないので、それはきついです。

滝川の辺りは、まだ市の復興方針がでていなくて同じ場所に新しくは建てられませんが、
自己負担するなら改装はできます。

ただ、今後土地がどうなるかはわからないのです。
お金をかけても、公園になってしまう可能性もあります。
国も市も方針が決まっていないからです。

仮設住宅も、知り合いは優先順位が違うのではと思うことがあると言っていました。
学校や職場へ通うには不便すぎる場所だったりすることもあります。
学校を変わりたくないからと、小学校5、6年生や中学生の中には、
蛇田の仮設住宅から旧市内にある門脇まで
往復2時間歩いて通ってくる人もいる状況です。

最後に。
情報を得たのは全部口コミでした。
母は心臓が悪く、父はインシュリンが必要なのに、二人とも薬が流されてしまい、携帯もつながらなかったので、歩いて誰かに聞いて情報を得ました。
たまたま行きあった人に、あそこでりんごを売っていると聞いたこともありました。
被災直後は、本当に口コミだけが頼りだったのです。

(阿部さん、ありがとうございました)


2011 09 24 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 08, 2011

東北支援バザール明星の会、第二回拡大事務局会議

平成23年9月7日 水曜日、東北支援バザール明星の会、第二回「拡大」事務局会議 atシスナブ集会室、18時30~、参加、伊東、川原、小沢、天野、小田、ヤス、神山

議題

1、 本隊、バスツアー、スケジュールについて

反省点1、本隊が二泊三日は疲れてしまう~前回通り二泊2日にして、1、2名がバスツアーに残るという方法はどうか
→バス添乗員作業が最も疲れる、スタッフの勉強会が必要

提案1、バスツアーを土日の週末にしたほうが参加しやすいという声が~本隊を金曜発日曜早朝戻り、バスツアーは土曜日発にするか?
→木曜日出発の回と金曜日出発の回をフレキシブルに、バスツアーは土日をメインに考える

提案2、御前浜での居酒屋は「地域住民の寄り合い」的要素をもたせる~バス(マイカー)での送迎をつける
→次回9月の会から提案する(神山が11日に御前浜に行くので話し合ってくる)

提案3、10月の本隊は居酒屋牡鹿半島先端の鮎川浜の秋祭りにあわせるか(15日土曜日)
→現在先方の連絡待ち

反省点2、小田君の負担を軽減したい
→バスツアー担当(平戸君、ヤス君、小田、伊倉ちゃんもどうか?)
自動車のドライバーは事前に道を調べておく

→9月の第五次隊、本隊は29日発、御前浜寄り合い居酒屋-銀ジャケ定置網視察-御前浜泊、30日は石巻マロ舎等視察-名取市美田園(バスツアーと合流)居酒屋-一台帰京、一台はもう一泊残る
→第五次隊に合わせて証言集チームも1台発進か?(安岡車)、現地では居酒屋作業には参加せずに取材に専念する(丸岡先生車もだしてもらう?)、宿泊は同一宿とする

→10月第六次隊、本隊は15日の鮎川浜秋祭りが決まればそこをメインとして14日から16日とする、バスツアーは15、16日
→11月の第七次隊、御前浜の定置網が本格化するので、バスツアーはそれをメインにする、本隊は17日から20日の間の2泊3日(ないし2泊2日)、バスツアーは19、20日(神山が19日関西取材の可能性大でした、すんません)


2、 御前浜避難所の住環境改修について

提案1、トイレの改修、簡易西洋式に、扉の修復、等~現地の人たちのニーズは?
→簡易式洋式トイレ約1万円、アコーディオンカーテン約7000円、
9月に行ったときに設置する

3、「仕事の種まき」活動

~御前浜相原3兄弟銀ジャケ企画

提案1、川原さんより提案
選択肢① 現状の形(個人経営)で一口サポーター(意味を明確にすべきか)の促進を応援し、資金繰りの相談に乗る。
選択肢② 株式会社設立(相原兄弟で経営)、ソーシャルビジネスとしての運営を基本に、まず資本を集める(我々の支援?)SPC,LLCといった投資会社を組成して、資金調達後は相原兄弟との付き合いがある税理士にお金を任せる。漁協との関係が課題だが、新たな漁業の形を模索できる。

→上記➀➁両案ともに、銀ジャケ支援者を集めることには変わりはない。
相原兄弟と相談の上で方法を決めて、「一口サポーターまたは出資者」を集めるキャンペーンをはる
→相原次男に一度上京してもらって、この辺の意志決定が必要では、漁協との関係も要注意

→伊東案「銀ジャケ等の食材を使いたいシェフがいるので、冷凍加工等してもってこれないか」要検討

~復興人形まんまるさん、美田園の女性たちも製作に参加、神保町の人形店主催
提案1、池袋本町ふれあい祭のブースで売るか?
提案2、築地のブースで売るか?
→神保町の店主と相談して決める、
→美田園に行く際には事前に相談してツアーメンバーに買ってもらう

~東松島中井さん講演会ツアー企画

提案1、10月8日入間市政経会+地元の仲間たち講演会
9日豊島区池袋本町ふれあい祭、ブース出展(長野さん安岡さんの写真+レポート展示)+中井さんのミニ講演会(12時からステージ上、13時と14時にブース内)
→8日入間市の会は18時30~、神山、小沢を中心に動員をかける
→9日ふれあい祭にはメンバーはぜひ参加を。ブース準備や動員も必要。今日9月8日に神山、長野で実行委員会に出席して詳細を聞いてくる
→ポスターが必要では?デザイナーに委託するか?

提案2、来年1月下旬、志木市生涯学習科講演会
→いくらちゃん主導。動員等要検討か?

→10月22、23日候補で、富士見市市議が企画を検討中、それが決まったら豊島区区議主催でもう一本実施

4、スピンアウトツアー(小沢小田隊)について
→ボランティア等が入っていない離島等に行って活動したいという希望、
小田の負担増が心配、
助成金が降りないと難しい、
どの地域にどんな支援が必要とされているのか調べる必要があるのではないか、
全体として要検討、

5、その他
→バスツアーのポスターも必要では?

2011 09 08 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

September 07, 2011

震災証言企画1~一昼夜小さな船を操って命からがら~鮎川浜・斉藤富嗣さん

齋藤氏 被災体験証言  (地震発生から翌日16時まで)

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2011年3月11日、地震が発生した時、私は自宅の居間にいて書き物をしていました。揺れ方がいつもとまるで異なり、誰かに襟元をつかまれて体ごと激しく揺さぶられているような感じでした。ドアが倒れ、台所からは物が散乱する音が聞こえます。私は壁に寄りかかっていることが精いっぱいで、これ以上揺れが続いたら家が壊れてしまうのではないかという思いでした。

うちは金華山で民宿を営む傍ら、ワカメの養殖をしています。家内は手伝いにきていたおばさん達4人と家の敷地内にある納屋で、収穫したばかりのワカメの芯と葉を分ける作業をしていたところでした。地震とともに、全員納屋の外へ逃げ出してきました。

揺れが収まりかけたころ、ぶり返しのようにまた大きくなりました。ガチャンガチャンガチャンと物が落ちる音、何かが倒れる音、それだけではない何か〝世の中の揺れ〟といった音が大きくて、壁に必死で寄りかかりながら叫ぶ自分の声も聞こえないほどでした。

3分ほど続いたでしょうか。揺れが収まった後、私はみんなに高台にあるおばの家へ逃げるよう指示しました。おばの家からは、眼下に浜や町が見渡せますが、私はその光景に目を見張りました。電信柱が曲がり、道路が陥没していたのです。大変なことになってしまったと思いました。

私は地元消防団の幹部でもありましたので、歩いて浜へ降り、残っている人がいないか見回りに行きました。海はザワザワと動き始めていました。海岸伝いに小走りで行くと、沖出しし始めている漁船が見え、ふと、自分も船を出さなければと思いました。私の船はワカメ養殖の小さな和船ですが、流されたらもったいないという気持ちもどこかにあり、とりあえず出そうかなという程度だったのです。今考えれば、自殺行為のようなものです。なぜなら、その後に体験する大津波を想定していなかったのですから。
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船に乗ったことを家族に知らせようとしたのですが携帯電話がつながりません。アンテナも立たないし、メールもダメでした。

防波堤の外に出たあたりで、また大きな地震がありました。海面は無数の魚が飛び跳ねているように騒ぎ立ち、船底からは叩かれるような振動、船外機もガガガガガと音を立てて空回りです。湾の方へと引っ張られていくのが分かるので、全速で沖へ出ようとするのですが、湾からなかなか出られません。

後ろを振り返ると、高さ10メートルの赤灯台がだんだん見えなくなっていきます。海面が上昇し、津波が来ていることがそれで分かりました。鮎川の方へ目をやると、高台にある役場がかすかに見えました。そのとき、はじめて恐怖を感じました。この世の終わりかなと。

沖出しする船は、「もう少し沖へ出ろ!」と声を掛け合いながら沖へ向かいます。しかし、私はどの程度まで出て行けばいいのか分かりません。油もそれほど積んでいないし、戻れなくなるのではという不安もあります。

雪が降り、風も冷たくなってきました。私は普段着のままでしたので、寒くてガクガクの状態です。幸運にも、道具入れにヤッケがありました。それを着ることができたので、波しぶきをかぶって濡れることは避けられました。

少し離れた洋上に、従兄弟のトシちゃんがいました。彼は、牡鹿半島の反対側で漁をしている最中に地震に遭いました。ドスーンという音とともに、●トンもの漁船が1メートル以上も跳ね上がったそうです。まわりの山々が崩壊していく様に気づき、全速で鮎川に戻ってきたところでした。

沖の方へ目をやると、水平線彼方に真っ黒な帯状のものが見えました。真っ黒な帯は、その手前に数隻あったタンカーの上をはるかに超える大きさなのです。「津波でねえが?!」と私は叫びました。トシちゃんは無言です。そして、彼は突然、沖へと走り出しました。私はといえば、全く動けない状態です。

沖合いに浮かぶ網地島を超えるように、それは波がしらを折りながら迫ってきました。岸の両側から真ん中へと、波がしらがつながろうとしています。つながる前に、その間を目がけて速い船は全速力で抜けていきます。私は間に合わないと思いましたので、方向転換し、鮎川へ引き返しました。後ろを振り向くと、波がしらが折れ始め、乗り越えようとする船が立ち上がっている光景が見えました。もうダメだと思い、私は全速で逃げました。

前方に、銀ジャケ養殖の船が3艘、横にロープをつないで沖へ向かって走ってくるのが見えました。波がしらさえまともに受けなければ、絶対に波は乗り越えられると思っていましたので、一か八かで、Uターンしてその3艘の船の後ろに付きました。

津波は、目測で20~30メートルありました。海面が膨れ上がり、垂直な壁に登っていく感覚です。放り出される可能性もありましたので、自分にロープを巻きつけ、両足をがっちりと開いて腰を据えました。スロットルを抑えて全速で向かい、いざ乗り越えるときには後進に切り替えます。幸いにも、前の船が乗り超えようとしたときに、波がしらが消されたので、私の船もそのまま後に続いて乗り越えられたのだと思います。

その後、3つほど大きな津波が繰り返しきました。その都度、なんとかこれさえ乗り越えられればという必至の思いでした。私の船は全長約7メートルあるのですが、その時は、畳一枚に感じられました。

ある程度沖へ出られました。海はブックブックと底の方から浮き上がって回り始めています。海の色は真っ黒に変わり、今まで嗅いだことのない泥臭いにおいがしました。家や物もこの辺りまで流れてきています。このまま流されてはいけないし、どっちへ行くべきなのかも分かりません。私は途方に暮れました。

左には金華山が見えたので、自分の民宿があるかどうか目を凝らして探しました。しかし、いくら探してもありません。小さいながらも父の代から引き継ぎ、希望を託して営んでいた民宿です。もう終わりか――と思い、声を上げて泣きたくなりました。

ほどなくして、トシちゃんの船を見つけました。鮎川へ戻っていく様子だったので、私も戻ることにしました。漂うがれきを避けながら静かに進みます。その途中、入ってきた津浪が今度は引き波となって、真っ白な波がしらを立てて向かってきました。およそ高さ1.5メートルの津波です。勢いのある波でしたので、全速で突き進もうと瞬時に判断しました。波がしらにぶつかる直前で、操船をぴたっと止め、ジャンプして乗り越えたのです。バタンッと音を立てて海面に落ちた衝動で、船底はかなり痛んだと思います。

そしてまた、静かにがれきを避けながら防波堤のところまで戻ったのですが、あるべきはずの防波堤がないのです。すでに半壊し、津波にもっていかれた後でした。津波も落ち着いたのだろう思い、トシちゃんと家の方へ戻ろうと、桟橋の方まで船を進めました。ところが、桟橋の底が見えるほどに潮が引いていました。まだ、津波は終わっていなかったのです。

そこで船同士をロープでつなぎ、逃げる準備をしました。ぐんぐんと勢いよく海面が上昇し始め、「来た来た来た!」「ロープを解け」と言っているうちに、船と船がつながったまま、浜から●メートルほど内陸にある観光施設「ホエールランド」まで流されました。ロープを切り、一か八か、もう一度海へ逃げようと、トシちゃんと全速で陸の上を走りました。海に出たことを確認してからは、がれきを押し分け航路を作りました。そして、もう一度、沖へと出て行きました。トシちゃんとは、それから離れてしまいました。彼は遙か沖まで行くのです。

暗くなりましたが、洋上で夜を過ごさなければなりません。漁船の場合は少し暖をとるスペースもありますが、私の船は灯りもないし、暖をとることもできません。たまたま、後輩であるアベさんの漁船を見つけました。船をつながせてほしいとお願いしたところ、快く受け入れてくれました。

近くには銀ジャケ養殖の筏がありました。筏は何十本という重石でつながっているため定位置から動くことはありません。船がどっちに振られてもいいように、100メートルほどロープを伸ばして筏につなごうとしました。ところが、アベさんの漁船のスクリューにロープが絡まってしまい、舵が利かなくなってしまったのです。そこで、脇に付けていたもう一艘と私の船とで挟み、3艘をロープでつなぎました。私の船で操縦するのですが、船外機なので馬力が小さく、海の大きなうねりにもまれ、思うように操船できません。そうした作業を夜10時半頃から始めたのですが、船を筏につなぎ終えたころには午前2時半をまわっていました。

体はもう疲労困ぱいです。幸いにも、飴玉30個ほどをパックに入れて船に置いてあったので、それをアベさんと舐めながら、交代で見張りをして一夜を過ごしました。

ギース、ギースとものすごい音を立てて屋根が流れていく音が聞こえます。何隻かが汽笛を鳴らしています。網やロープが絡まり操縦不能になって流されているのですが、遥か沖にいるため、助けに行くこともできません。

ラジオも無線もなく、情報を得るものは何もありません。不安な状態で、早く夜が明けてくれという思いでした。明るくなれば、まわりが見えるので何とでもなると思っていました。しかし、見えたのは、湾の中が家やら物やらでぐちゃぐちゃの光景だったのです。

浜の方では津波警報のサイレンが鳴りっぱなしでした。解除になるまで洋上で待機していなければなりません。午前10時頃、陸から食べ物をもらってきた船もあり、トシちゃんがそこからリンゴ3個とペットボトルの水をもらってきてくれました。それで、なんとか空腹を凌ぐことができました。

夕方4時頃、海面上昇も大分落ち着いてきていたので、津波警報解除を待たずして、トシちゃんと一緒に陸へ戻り、ロープを桟橋につないで上がりました。高台のおばの家で、家族と再会し喜び合いました。


2011 09 07 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 21, 2011

バザール明星の会、第四次隊、昨日帰京しました~

昨日夜9時、バザール明星の会全34名、無事板橋に帰京しました。
今回は本隊に飛び入りでフランスから二名の若者と小田の奥さんも参加。計16名。
初めて企画した「東北フレンドシップバスツアー第一号」には18名。
ずいぶん大勢の参加となりました。
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事故も喧嘩も大きなトラブルもなく(一部人災はありましたが、なはは)行ってこられてほっとしています。それぞれに収穫多き二泊三日(バスツアーは一泊二日)の旅となりました。ご報告しますね。

本隊は4台に分かれての編成となりました。長野市からはハンドマッサージの宮田さんご夫妻とスタッフの関さんが参加。ダッヂの大型ステーションワゴンの荷台には、安曇野の盟友・重野君から届いたお米やスイカ(超美味!)、それに群馬の嬬恋高原からは高原キャベツやキュウリ、ナス、ピーマン、トマト等々、美味しい野菜が山盛りになっていました。
天野隊にはフランスから訪日中のエンゾとアヤの美しい兄弟も。
小田号には「アヤゾーデビル」というハンドルネームを持つ奥様も。なはは。小田は緊張気味です。伊東温泉君は目白の美味しい寿司屋「いけ勘」のお嬢さんミカさんを連れて参加です。

今回は、いつも居酒屋を開店させていただいている女川御前浜の避難所に初めて泊めてもらえることに。
5月に初めて伺った時はお互いにおっかなびっくりの交流でしたが、4回目ともなると、かなり濃いコミュニケーションが成立しています。
午後2時ころに女川町立病院の駐車場で銀ジャケ漁師の相原さんと待ち合わせして、そのまま塚浜の漁師仲間の阿部さん宅へ。ここで、今回参加していただいた事業再生コンサルタントの川原さんにも話を聞いていただいて、今後の銀ジャケ支援の方向性を探りました。
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阿部さんは民宿経営と銀ジャケ養殖の二つの事業をやっていたそうですが、震災で全て流されて0からのスタート。いやいや3000万円程度の借金を背負ってのスタートということでした。
とはいえ、安易に一口オーナー制度に加わると、収穫期にオーナーに何らかの商品を送らなければならなくなります。それはいままで女川の漁師はやったことのない作業なので、その点を案じているとのことでした。そりゃもっともです。
今回の出発前、相原さんからは「銀ジャケの一口オーナー制度を兄弟三人でやりたい」とのメールが入っていましたので、収穫後のオーナーとの顔の見える交流をどうするかが今後の一つのポイントになりそうです。
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その後御前浜の避難所に着くと、区長さんがまず見せてくれたのは、当会の呼びかけで集まった義援金で購入した耕運機。クボタの小型のものでしたが、避難所の周辺の空き地を耕すにはこれで充分とか。すでに区長さんは開墾を終えていて、大根を蒔くそうです。秋にくるときには食べさせてもらえるとか。楽しみですね~。
オーナーになってくださった皆さん、本当にありがとうございました~。
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全ての避難所では8月一杯で食糧支援は打ち切られると聞いています。御前浜は皆さんしっかりと働いているからまだいいほうですが、石巻の体育館に避難している高齢者のみなさんはどうするのでしょうか。行政はそこのところをどう考えているのか。心配です。

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その夜は、いつものように居酒屋明星開店。相原さんのお子さんたちもやってきて、ガリガリ君のかき氷が大好評。今回は演者がいなかったので、手拍子で民謡大会となりました。
途中長野の宮田さんたちはハンドマッサージで皆さんの肩をぐりぐりぐり。
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気持ち良さそうな表情ですね~。

酔っぱらってからは何がなんだか記憶が定かではないんですが(とほほ)、東海さんが初めて自分の部屋に入れてくれて、奥さんの遺影を見せてくれました。着物姿で美しい奥さん。自動車に乗って逃げようとしていたのですが、運転席の東海さんが犬を救いに外に出た瞬間に波に浚われてしまったそうです。初めて線香を上げさせていただきました。ご冥福をお祈りいたします。

でもって、翌朝は5時起床で定置網へ――――行く予定でしたが、男性陣で起きられたのは天野だけで、あとのメンバーはだいたい6時ころの起床だったかな。女性陣はもっと早かったと思います。地元のお母さんたちと一緒に焚き出しをしてくれました。
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地元の人たちと一緒にいただいた朝食は、美味しいお味噌汁、納豆、漬け物、新鮮な野菜等々。こんなもてなしをしていただけたのも、すでに親戚づきあいのような感じになっているからでしょうね。本当に僕らも自分の田舎に来たようで、すっかりとくつろがせていただきました。
御前浜の皆さん、ありがとうございました。

で、この日19日には、朝8時に板橋駅前をバスツアーが出発。ここでは明星の常連の米ちゃんと第二次隊にも参加したヤス君がリーダーとなってくれました。メンバーは本店ママの啓子さんを筆頭に、震災証言集出版企画に応募してくれた4名、写真家の海田事務所の若者2名、ツインギターのなおちゃんと吉川さん、看護婦の矢部ちゃん、マジシャンのリリー、OLの柳川さん、ラボテューターの杉浦さん、明星の常連の八木さん、赤提灯のオーナーの小林さん、うちのむすめのめぐと多彩なメンバーです。
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ところが本隊と合流前にハプニング。
車で走っていても「あれおかしい」と思うほどの地震がありました。ラジオでは「津波注意報」が連呼されているし。車を泊めて高台に避難するべきか、このまま約束の場所でバス隊と合流すべきか緊急会議。いや~こんなときに、のちに「正しかった」と思われる判断をするのは難しいものだと改めて実感しました。津波がくるとはいってもどんな津波かわからないし、周囲を見ると平気で道路工事をしているおじさんとかもいるし。
何が正解で何が不正解なのか、たぶんあの日も皆さんとっさにわからなかったはずです。
そこが津波の怖いところなんですね~。改めて我が身をもって実感した瞬間でした。

とはいえ、津波も50㎝程度とわかって、15時ころに名取市美田園の第二仮設住宅に着いて、そこから居酒屋の準備です。
もう皆てきぱきてきぱき、バスツアーの人たちも初参加とは思えないようにいろいろな仕事に精を出してくれて、あっと言う間に4時半の開店となりました。
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今回この仮設住宅で驚いたのは、素晴らしい壁画が描かれていたこと。「ku」というサインがあったので、まさかとは思いましたが聞いてみたら「黒田征太郎という人がここに来て描いていきよった」だとか。
なななにーすげ~。あの黒田さんですよ。素晴らしい。
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居酒屋ではツインギターのなおちゃんと吉川さん、そして飛び入りでマジシャンのリリーの怪しいマジック、地元のみなさんのカラオケ、そしてガリガリ君や九州からいただいた高菜漬け等々で大盛り上がり。初参加の八木さんが会場をしっかりと仕切ります。なはは。
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「これまで来た焚き出し部隊の中では一番参加者が多かった」と喜んでいただけました。
皆さん、ありがとうございます。ここまで頑張ってやってきた甲斐があったというものです。バスツアーの皆さんも、地元の人と一緒に飲んで喋ってコミュニケーションがとれて、被災地の生の様子をしっかりと確認していただきました。
これが今回の最大の目的だったから、よかったよかった。
(ただし、帰京してから「残る課題はゴミの処理ですね」と苦言をいただいてしまいました。すんませーん。以後気をつけマース)

翌20日は、またまた部隊がいくつかに分かれました。
証言集取材チームは8時の早出で石巻で専修大学の丸岡先生と合流。先生が調べてくださった被災者リストの中から、今回は鮎川浜という牡鹿半島の先端にある集落の齋藤さん宅を訪ねました。
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ここまでいくだけで一苦労。石巻市街を抜けてくねくねとした山道を行くわけですが、当然道も被災していてところどころ陥没していたり裂けていたりします。気をつけて運転しないと、海に落ちそうなところもあります。
やっとたどり着くと、震災前は鯨の港として有名で、いまごろの夏場には何千人もの観光客がやってきていたはずの浜が、あとかたもなく津波に浚われていました。
齋藤さんも波打ち際にあった民宿はすっかり浚われて、高台にある自宅も一階の天上したまで水をかぶったとか。今はゴミをだして掃除して自宅に住んでいらっしゃいますが、畳は貰い物。ところどころ壁も障子も痛んでいます。
3月11日当日、わかめ養殖の作業をやっていた齋藤さんは、地震のあと浜を歩いていて突然「船を守らなければ」と気づき、多くの漁船と一緒に沖を目指したとか。そこからなんとか生命が助かって、翌日午後4時過ぎに浜に戻るまでの津波との格闘死闘は、いま書き出すと長くなるのでテープを起こして詳細をまたここに掲示しますね。
ずいぶん濃密な2時間のインタビューでした。こういう作業を重ねていけば、意味のある本ができるはずです。丸岡先生と共に、頑張っていきたいと思います。
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終わって御前浜に向かうと、バスツアーのメンバーは現地の人たちと昼食をとり、被災の話しも聞いて、すっかり打ち解けたムードでした。ちょうど御前浜では波を被った家の解体作業が行われていました。居酒屋で歌ってくれたお母さんの家が最後に残っていて、明日にでも作業が始まるとか。「いままで残っていたものがなくなったら涙がでるべな」とひと言。そりゃそうです。思い出の家が改めて消えていくんですから。
でもその一方で「おらがんばって家を新築すっから、建前にはきてけろ」と東海さん。
いちにちも早くそういう日がやってくることを祈っています。

いや~今回は一泊多くて長いツアーでした。疲れた~。
板橋に夜9時に着くと、待っていてくれたのは目白のいけ勘の美味しい巻き鮨でした。
これも全て、ミカさんがきてくれたお蔭です。打ち上げでも笑顔が弾けました。

振り返ると、今回はいくつもの大きな収穫があって、次回以降に繋がりそうです。
銀ジャケ一口オーナー制度、証言集企画、名取市美田園との交流等、全てに大きな進歩がありました。
次回、9月は29,30,1日。10月は13,14,15日と第五次隊、第六次隊を出します。それぞれにバスツアーも一泊二日で組みますので、奮ってご応募ください。
さらちに都内や近郊では、東松島で被災して、現在日本各地を廻りながら「震災を風化させないとりくみ」に奮闘している中井さんの講演会ツアーを10月の9,10日と22,23日の二回組みます。彼の話を聞いてみたいという方、参加者10~50名程度の会を企画していただけませんか。一回の謝礼は3~5万円で結構です。企画してみたいという方はぜひメールを下さい。一緒に企画を考えましょう。

参加の皆さん、現地の皆さん、本当にありがとうございました。今後とも「バザール明星の会」を、どうぞよろしくお願いいたします。

2011 08 21 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 14, 2011

8月4日、東日本震災証言集企画、第一回ライターミーティング

8月4日18時~、第一回ライターミーティングが池袋本町のシスナブ集会室で行われました。

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この企画は、専修大学石巻校の地域活性化委員会の先生方や学生さんたちと共同で、
今回の震災を体験した方たちの証言集を取材編集して発行しようというものです。

メールやブログ、そして毎日新聞『希望新聞』紙上で募集をかけたら、9名の方たちが名乗りを上げてくれました。
この日はその中から8名が参加です。

参加者、
中川氏(講談社セオリー編集者)、勝田氏(タウン誌編集ライター)、川上氏(女子大生)、坪氏(フードライター)、不破氏(フードライター)、安岡氏(カメラマン)、石原氏(コピーライター)、長野氏(カメラマン)、神山

この日は、各自の挨拶のあとで以下のような内容で話し合いました。

1、これまでの経緯~バザール明星の会の誕生、活動、証言集企画誕生の由来
2、自己紹介
3、企画の進め方
・地域性をどうするか~石巻、女川中心でいいか、対象を広げるか
・取材対象~被災者、初期のボランティア、医療従事者、自衛隊、障害者、等

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問題なのはここです。
現在明星の会では主に宮城県石巻、名取市、女川町を中心に支援に入っています。
この地域ならば証言者も集められるのですが、他の地域には現状ではツテがありません。
「石巻、女川、名取」中心でいいものかどうか。
版元の判断もありますから、迷うところです。

とはいえ、現状では上記3地域から手がけていく他ないだろうという結論になりました。
必要に応じて取材地域を広げていきます。

4、専修大学石巻校地域活性化研究会との提携

現在学生さんたちは夏休み中であり、地域聞き取り活動も9月にならないと始まりそうもありません。
この活動再開を待って、提携を模索したいと思います。
同校の丸岡先生からは、このミーティングのあとで詳細な取材候補リストをいただきました。
ありがとうございます。

5、第4次バザール明星の会バスツアー参加者~石原、坪、安岡、川上各氏
6、今後のこと~「5」の参加者は帰京後、インタビューのテープ起こしとシノプシスを書くこと
7、今後の課題~取材地域、テーマを絞り込む
        版元を見つける
        取材経費の捻出
        編集作業

ミーティングのあとは、恒例の「明星」へ。
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たまたま会長副会長も居合わせて「おいおい、なんだい、こんな若い美女達が」なんて喜んでいました。
19歳の川上君なんて「君は飲まないの?」と聞いたら
「はい、今日は休肝日なので」だって。
おいおい、こまった子たちだね~。

さてさて、どうなりますか。
19、20日のバスツアーのあとで、第一回取材の成果を報告しますね。

よろしくどーぞ。


2011 08 14 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 06, 2011

女川町御前浜に耕運機をプレゼント、決定!!

この前訪ねたときに、御前浜の漁師の相原さんに相談を受けていたんです。
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「自分たちで食べる野菜を作る小さなはたけがあんだけど、耕運機が流されてしまって。なんとかなんねべか」って。
さっそく安曇野の盟友・重野君に相談したら「中古でよかったら5万円台からありますよ」と調べてくれたんです。
ところが中古はメンテナンスが大変だということになって、あんまりお勧めしないという報告が。
それでどうしようかと相談していたら、次々とカンパを申し出る人が増えてきて、ついに10万円を突破!

「だったら新品を宮城県で買ってもらおう」ということになりました。
パチパチパチ。

僕たちの活動の中でのファンド(つーほどのもんでもねーべか?)
第一号です。

7月30日の支援イヴェントの売上金をだしてくれるCCCさん。
ライターの仲野さん
長野市のヒーラー、エステティシャン(?なんと紹介すればいいんだ)宮田さん
ビジネス・コーチの永井さん

ありがとうございました。
皆さんの支援で耕運機が届けば
御前浜の準仮設住宅に暮らす皆さんは、これからの季節ごとに
新鮮な野菜が食べられることになります。
8月一杯で食料支給は終わるから
ぎりぎりのタイミングですね。
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御前浜の皆さん、18日にはうかがいますからね~。
よろしくおねがいしまーす。

2011 08 06 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 01, 2011

女川町御前浜の銀ジャケ養殖支援活動が始まっています

女川町御前浜の銀ジャケ支援制度に一口参加してみました。
そしたらさっそくこんなメールが帰って来ました。
すごくサクサク感があっていいですね。

全国からも当合わせや応募があるようです。
ぜひ皆さんにもよろしくお願いいたします。

8月は18、19、20日と東北に入ります。
今回は御前浜の避難所に初めて泊めていただくことにもなっています。
相原さんのお仲間の漁師さんたちとも会えるはず。
楽しみだな~。

よろしくおねがいいたしまーす。

「神山典士 様 こんにちは。

この度は「女川銀鮭オーナー制度」にご賛同、お申し込み
をいただきまして、心より感謝申し上げます。
いつもお世話になってます齋藤です。どうぞよろしくお願いいたします。


お申し込み内容のご確認です。
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▼お申し込みの商品

・支援金つき女川銀鮭オーナー権 ×1口
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▼ご請求金額

(商品代金)10,000円+(送料)0円+(手数料)0円=(合計)10,000円
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▼お支払い方法

「クレジットカード」

お買物カゴにてご決済をいただき、ありがとうございました。

※カードのご利用明細に表示される名称は、「PAYPAL*DELIGHT」となります。
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▼お届けする商品

・オーナー証書(PDF形式)
・女川銀鮭の製品(生産再開後)
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★銀ザケ生産と出荷時期につきまして

ホームページにてご案内させていただきました通り、
現在、女川では未だ養殖場であった複数の浜が海中のガレキや湾岸の
破損によって使えない状態です。

銀ザケの生産が再開されるのは、多くのご支援をいただく場合でも
港湾の復旧、漁業操業許可を経て養殖の準備が再開されることから、
最低1年、場合によっては、お届けまで数年かかってしまうかもしれません。

オーナーの皆様には、長い目で応援いただくことをお願いできれば幸いです。

※生産地は宮城県女川町です。

※女川銀ザケがお届けできるようになり次第、ご登録いただきました
 メール宛に当事務局より、発送情報などをご連絡いたします。

※女川銀ザケ養殖の復興の様子を随時ブログや
 ホームページなどでご報告していく予定です。

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★「オーナー証書」につきまして

証書は、PDF形式のデジタルデータでの発行となります。
なるべく多くの支援金をお渡ししたいため、紙への印刷や郵送に
かかる費用を抑えさせていただいております。ご了承くださいませ。

只今、お申し込みが集中しておりますので、
オーナー証書のメール送付には数日、お時間をいただいております。
また改めて、メールにて送らせていただきます。

ご案内までもうしばらくお待ちくださいませ。

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最後に・・・

生産者の皆さんは現在、避難所や仮設住宅暮らしをしており、
まだ生活もままならない状況ではありますが、
銀ザケと女川の浜を再生することを信じ日々の作業にあたっておられます。

この女川銀鮭オーナー制度はまだスタートしたばかりです。
オーナー様とご一緒に復興を目指し、取り組んでまいります。

少しでも早い女川銀鮭の再生と生産者さんの復活を願い、
私どもスタッフも皆様と一緒に進んでまいります。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

ご支援に心から感謝いたします^-^


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◎オーナー様からの応援メッセージを募集しております。
 よろしければこちらのメッセージフォームから
 産地、生産者さんへのメッセージをお願いいたします。
https://sv58.xserver.jp/~delight/onagawaginzake.com/message.php

----------------------------------------------------------

◆女川銀鮭オーナー制度 チラシ(紙)印刷版はこちらから
http://onagawaginzake.com/onagawaginzake_owner.pdf

━━━━━━━━━a━r━i━g━a━t━o━u━━━━━━━━━
 震災復興!女川銀鮭再生プロジェクト
 ~日本一の銀鮭再生へ 一口オーナー制度で女川銀鮭を支援~
----------------------------------------------------------
◇TEL:0120-415-104 (受付時間10:00~17:00)
◇TEL:0225-94-5038
◇FAX:050-3488-5004 (24時間受け付け)
◇〒986-0824 宮城県石巻市立町2丁目7-25
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2011 08 01 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

繰り返し出張居酒屋明星を開店している女川町御前浜の銀鮭支援活動が始まりました。

「バザール明星の会」のブログに、こんな記事が載りました。
事務局長の小田君が知らせてくれています。

「早いです!
このスピードが大事なんですよね。
先週打ち合わせたばかりなのに、
女川 御前浜の銀サケ一口オーナーの募集が始まりました!
皆さん、
本当に美味しい日本一の
三陸女川 御前浜の銀サケ復興支援宜しくお願いします。
詳細は下記HPをご覧下さい。

http://onagawaginzake.com/

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この美しい海で銀サケは育ちます」

この支援活動をプロデュースしてくれている、石巻斉藤さんのブログにはこんなコメントが。


「ご訪問ありがとうございます。
女川銀ザケ再生プロジェクト事務局の齋藤と申します。
私どもはもともと石巻市内でわかめ等の海産物を販売しているお店です。

この支援プロジェクトは、東京から来られていたボランティアグループの方が、生活物資や本の支援を受けていた私たちと、炊き出し支援先であった女川御前浜の生産者さんをつないでいただいたところからスタートしたものです。
私たちが最初に生産者さんにお会いした段階では、今後、銀ザケの養殖を再開すべきかどうか、かなり迷っている状態でした。銀ザケの養殖は、小船と網さえあれば何とかなるようなものではなく、膨大な先行投資が必要な仕事です。震災によって約1億円の仕事道具が一瞬で消えてしまっただけでなく、ご家族まで亡くされたりと、養殖の再開どころか、目先の生活すら考える余裕はなかったと思います。

そんな中でボランティアの皆さんが銀ざけ生産者さんとホームページを形づくる私たちを結びつけてくれただけでなく、励ましと勇気をいただいたことで何とかこの支援サイトを形にすることができました。
震災の記憶が少しずつ薄らいでいく中、被災地の生産者さん達は再建に向けてやっと動きだだしたところです。保証などありませんが、ただひたすら自分たちのやってきた仕事への誇り、地域への愛情、なくされたご家族への想い、そして本当に辛く困っているときに助けていただいた全国の皆さまに対する感謝の心を胸にゆっくりと歩きだした、そんな状態です。

全国の皆様からの応援を力に、女川の銀ザケ養殖再開へ向けて私どもは応援を続けてまいります。
心から感謝いたします。 プロジェクト事務局 齋藤晃」

皆さん、「おながわぎんじゃけ・どっと・こむ」をクリックしていただいて、
ぜひ一口オーナーになってください。

相原さんたちが頑張って、必ず来年かその先に、素敵な銀ジャケを僕らに届けてくれるはずです。

支援先に送りたいのは、「心の栄養」から一歩進んで「仕事の種まき」
お金だけでなく、励ましの言葉、期待の言葉が、現地の漁師さんには何よりです。

どうぞよろしくお願いいたしマース。

2011 08 01 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 31, 2011

素敵なアートは人と人をポジティブに繋げますね~7月30日しあわせ運べるようにイン池袋本町、ご報告

昨日のチャリティ・イヴェント、いや~素晴らしい会になりました。

本当に素敵なアートは人と人をポジティブに繋げます。
会場でも、スタッフたちの間でも、延々と続いた打ち上げでも、それが証明されました。
ボランティアでご出演いただいたアーティストのみなさんのお蔭です。
本当にありがとうございました。

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トップバッターは落語の三遊亭亜郎さん。
池袋本町には二度目の登場です。
『千両みかん』を熱演してくれました。

会場では、子どもたちも大喜び。
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落語は子どもからお年寄りまでみんなが楽しめますから
これからも素敵な落語家さんにきてただこうと思います。

亜郎さんは去年子どもも産まれて、今度はNHKBSのレギュラーもありそうとか。
ますます活躍してほしいですね。

第二部は、ヴァイオリンの礒絵里子ちゃんの登場です。
これが凄かった。さすが世界のアーティストの輝きです。
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最後に、サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』を演奏してくれたのですが、
会場中感動の渦。僕なんか司会をやっていたのに、自分自身が感動して震えてしまって
アンコールで礒ちゃんを呼び出すのを忘れてしまうほど。
いや~圧巻でした。

そしてゲストにはソプラノ歌手の栗原陽子さん。
『アベマリア』とプッチーニのオペラから一曲歌ってくれました。
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さらにさらに、特別ゲストとして、文成小学校の児童二人と、
ヴァイオリンの高橋ももかちゃんが登場。
可愛い歌声とヴァイオリンを披露してくれました。
小学生なのに、栗原さんや礒ちゃんと共演したなんて、すごいですね~。
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『しあわせ運べるように』と『故郷』を、会場のみなさんと一緒に歌いあげました。

そして第三部は、3年連続真夏の公演をお願いしている天野達志君の『父と暮せば』

そういえば、『ツィゴイネルワイゼン』も『父と暮せば』も、この前亡くなった原田芳雄さんの
作品でしたね。原田さんの追悼企画にもなりました。

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今回は本当に大勢の皆さんのお世話になりました。
突然メールで呼び出されて、そのままPC担当になっちゃった人もいましたね。なはは。許してね~。
抜群のスタッフ力でなんとかこんな凄いイヴェントを行うことができました。

出張明星を開店してくれた啓子ちゃん、米山さんべりさんきゅっす。
会場回りを採りしきってくれた康崇君、美央ちゃん、ありがとう。
いつのまにか会計をやってくれていた信吾、受け付けは浴衣姿の坪ちゃんとお友達、
ステージづくりはいつもの八木さん、
会場準備は、区議会議員の古境さん、伊東温泉君、岡本さん、等々がやってくれました。
片づけは区長候補者の日野さんが。
客席には村上議員やNPO理事長の青木さんの姿も。
としま未来財団の安田さんや審査委員長も最後まで見ていってくれました。

ご来場の皆さん、本当にありがとうございました。
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何よりも会場準備をしてくださったのは、シスナブの管理人の皆さん。
本当は翌日が住民総会だったから借りられないところだったんですが、
工面してくれました。ありがとうございました。

楽しい打ち上げは延々と深夜まで続きました。
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お、天皇陛下の乾杯のご発声が。
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ももかちゃんの可愛い歌声も。

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食べ物もあまりなかったのですが、みーんな、初対面でも楽しそうに話し込んでいました。
ありがとうございました。

お蔭様で入場料収入も、飲料の売り上げも、写真の売り上げも、そしてカンパも予想以上に
集まりました。
総額で10万円程度を東北支援活動に回せそうです。

本当にありがとうございました。
「東北支援バザール明星の会」は、ますますグレードアップして
多くの方々を巻き込みながら、少しでも多くのしあわせを東北に運べるように活動していきます。

今後ともよろしくお願いいたしマース。
バスツアー参加希望の方は、mhd03414@nifty.com
ファックス03-5248-0810にお願いします。


2011 07 31 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 16, 2011

行ってきました、東北支援第三陣、名取市~石巻、門脇中~女川町御前浜

今朝早朝2時半に板橋に戻りました。
今回も無事、メンバー8人で、やるべきことをやれるだけ、はたしてきたつもりです。
現地で出会ったみなさんと、しかと心を通わせることができました。
ご支援いただいたみなさん、ありがとうございました。

今回のメンバーは、いつもの小田、天野と

ソプラノ歌手の栗原陽子さん、2日間で4ステージもこなしてくれました。
報道カメラマンの長野容子さん、ダブルヨウコです。30日の池袋本町のイヴェントで
作品を展示してくれます。楽しみですね~。

そして携帯小説プロデューサーの伊東温泉君
某大手建設会社から岡本一彦さん
そして3代目ママのいくらちゃん、ふろむ志木市

いくらちゃんの働き(人気)で、以下の方々からお酒をたんまりといただきました。
ありがとうございます。

・後藤酒店さん(志木市幸町)
・いいだ酒店さん(志木市柏町)
・三崎屋さん(志木市本町)
・抜井貴之さん

【志木市商工会青年部】
・三枝順司さん・三上悠司さん・那須文益さん・武藤貴洋さん・西川和人さん

【社団法人朝霞青年会議所】
・濱岡慎也さん・久慈信吾さん・恩塚寛さん・齋藤誠さん

出張居酒屋で、現地のみなさんにとても喜んでいただきました。
Photo

いいでしょう。
ちょうど開店の前に夕立があって、涼しい風も吹き込んできました。
黄昏時にみんなで車座になって、わいわいがやがや、いろんな話に花が咲いていました。

避難所や仮設住宅も、女性たちはけっこう頻繁に集まってわいわいやっているらしいんですが、
男性は仕事があったりして、あんまりゆっくり話す機会はないんだとか。

出張居酒屋は酔っぱらってほしいんじゃなくて、避難所や仮設住宅をサロンにしたいという企画です。
ふだんは殺伐とした仮設住宅内に、こんな光景が現れるのが理想なんです。

もちろん居酒屋の前に、栗原さんのコンサート
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大人たちのためには童謡唱歌を、子どもたちにはアニメソングを、
ともに歌いながら、時にカンツォーネでご自身の美声を響かせて
仮設住宅内をひとときコンサートホールにしてくださいました。
栗原さん、ありがとう~。

栗原さんの頭上に、エレマン・プレザンの高山敦子ちゃんの絵が飾られているのが見えますか?
これまた嬉しかったな。

この仮設住宅は、ともだちイン名取というボランティアグループの飯沢さんと若山さんたちが
とてもしっかりとまとめてくださっていて、
受け入れ態勢もばっちりです。
仮設住宅って、本当に狭いし暑いし大変なんですが、
やっぱり人の和があるかないかでずいぶんと違うんですよね。

ここでは何をやっても、みなさんにストレートに思いが通じる印象です。
飯沢さんたちのおかげです。
ほんとうにありがとうございます。お疲れさまです。

そんな中で、嬉しい話をいくつか聞きました。

この前書いたように、現在の被災地に必要なのは物資でもお酒でも、ある意味ではお金でもなくて
「仕事=生きがい」なんだと思います。
そしたらちらほらと、「仕事が始まったよ」という話が聞こえてきました。

名取市では「仲間5人で車で1時間かかる白石に畑を借りて、名物のチンゲンサイの栽培を始めた。
お蔭様で注文殺到で、商品がたりないほど。近い将来ビニールハウスをたくさん作る予定」とか。

消防団員だった息子さんをなくした老夫婦から伺った話でしたが、おじいさんが頑張ればおばあさんも負けずに頑張る。
そうやって御夫婦で生きる張り合いを取り戻しつつあるということでした。
名取市のチンゲンサイ。スーパーで見つけたら、ぜひ食べてみてください。

そうそう、この美田園仮設住宅からは
「囲碁将棋盤がほしい」とのリクエストが。
新品でなくとも結構です。
不要になった囲碁将棋がありましたら
ぜひご一報ください。一個からで結構です。
よろしくどーぞ。

この日の夕方からは、石巻専修大学で地域活性化研究会の先生方の会議に一瞬参加させていただきました。
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若手の先生方の集まりでしたが、この前書いた「震災証言集」は、この先生方や学生たちとのコラボレーションでつくっていきたいと思っています。
ちとお互いに意志のギャップがあったりもしたのですが、
ま、そういうこともあるでしょう。
僕は僕なりにやっていきたいと思います。

ひとまずバザールに応募いただいたライターや編集者のみなさんと会って、
勉強会を開くところから始めたいと思います。

翌日は石巻で、フレンチ・ビストロ「おおたや」さんへ。
前もって拙書『初代総料理長サリー・ワイル』をプレゼントしておいたら
シェフが腕によりをかけて「ワイルの時代のメニュー」をつくってくれました。

アミューズがフォアグラとエスカルゴ、
前菜が夏野菜と魚の一皿
スープが絶品、ビシソワーズに冷製コンソメとクリームを添えて、
「パリ・ソワーレ」
これは志度藤雄さんという、伝説のシェフのスペシャリテとか。
メインは夏鹿のソテー。思いの他柔らかくてジューシーでした。
デザートまでしっかりといただきました。
みんな満足満足。
いまだ交差点に信号機も点いていないような町で、こんなメニューが食べられるなんて感激です。

太田さん、ありがとうございました。

午後は門脇中の体育館、避難所でコンサート。
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体育館で歌えると聴いたので、てっきりもう被災者の皆さんは少ないのかと思ったら、
いやいや、まだ200名以上暮していらっしゃるのです。
そういうところで歌ってくれた栗原さん
本当に感謝感激です。ありがとうございました。

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でも広い体育館で生声でやったので、すっかり喉を痛めちゃったみたい。
ほんとすみません。
僕の判断ミスでした。
今後こういうことがあってはいけないと、深く反省反省です。
もちろん被災者の皆さんには喜んでいただけたんですが。
初めての場所はやっぱり怖いです。どんな環境かわからないですからね。

夕方からは、すっかりおなじみになった女川町の御前浜へ。
ここでも嬉しいニュースがありました。

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前回訪ねた時は「やるべか、やんないべか」とまだ迷っていた相原さんが、
すっかり腹を決めて「よし、今年からやるべ」と銀鮭の養殖を再開する覚悟を決めていました。
相談役の東海さんも、昔の会社からもう一度手伝ってくれと頼まれて、9月から働きだすそうです。
弟さんから車ももらってきて、足も確保。
行動の幅も広がりそうです。

相原さんは海岸線に出て、海の様子を語ってくれました。

相原さんの活動再開を支援しているのは、僕らが紹介した石巻の斉藤さん。
ホームページをつくって、全国から応援団を大募集するそうです。
アップしたらここでもお知らせしますね。

居酒屋は、またまた大盛り上がり。
栗原さんがカラオケの伴奏をしてくれるんですから、そりゃそりゃ贅沢な居酒屋です。
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御前浜のぴんくれでぃとか、太川たかしとか、古沼ケンジとか、いろいろ登場しました。
演歌もいいですが、皆さん民謡になると声が出ますね~。大漁節なんかさすがです。

とはいえ、いいことばかりではありません。
石巻でも女川でも、瓦礫撤去の費用が出るのは今月一杯とか。
まだ町の中にも道路周辺にも瓦礫は一杯たまっているのですが、
もう国や自治体からは補助はでないのだそうです。
そしたら誰がどう撤去するのか。
いったいどう考えているんでしょうか。

また避難所も、8月一杯で食事、光熱費等の支援がなくなります。
御前浜では、最盛期には50名近い人が暮していましたが、今は徐々に仮設に入って10数名になりました。
この建物は準仮設扱いになったので、今しばらくはここに暮していてもいいのだとか。
それでも物資の支援がなくなるから、9月以降は生活費を出し合って暮していかなければなりません。
ということは、収入もそれに応じてないといけないことになる。
まだまだ仕事の自立という面では、十分な対応ができていないのに。

大丈夫かな~と、正直思ってしまいます。
本当に僕ら民間人同志の支援の和が広がらないと、被災者のみなさんは国や自治体のあまりの対応に
気持ちが折れちゃいます。
そうならないように、「ずーっと見てるよ」と言い続けないと。

僕らは、相原さんの活動を、重点的に支援していきたいと思います。
資金のご援助等をお願いできる仕組みができたら、またお知らせさせてください。

よろしくおねがいいたしまーす。

被災地には、当然ですが夏草が生い茂っていました。
でもその緑の向こうにあるのは、人工物である瓦礫の山。
自然の生物はこんな環境でも逞しく生まれてくるのに、
人がつくったものは無残に朽ちることも忘れて野ざらしになっている。
いわんや原発の放射性廃棄物おや。

僕らの文明のあり方自体を考え直す時ですね。


2011 07 16 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 08, 2011

バザール明星の会、第三次隊、七夕決起集会~

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昨日は七夕。
板橋の明星では、こんな盛り上がりでした。

14日から発進する第三次隊のメンバーです。
今回も素敵なメンバーが集まりました。

ソプラノの栗原さんには二日間で四回のコンサートをお願いすることになります。
写真家の長野容子ちゃんにも、30日の池袋本町での報告展のために
いい写真を撮ってもらおうと思います。

んなこんなで盛り上がっていたら、なんとなんと、
某S建設に努める岡本さんからメールが。
「いまごろですが、今から参加させていただいてもよろしいでしょうか」
だって。なはは。

岡本さんこそ、今回お連れする栗原さんをご紹介いただいた方です。
去年末に久しぶりに酒を飲んでから、ラボの講演会のご縁をつくっていただいたり
今回のことがあったり、なにかとお世話になっています。

どーぞどーぞ。女部屋しか空いてませんが。

ということで、今回も8人部隊になりました。

写真の奥では明星本店の会長副会長も嬉しそうです。
いつか連れてってほってきてやろ。むふふ。

今回も一生懸命やってこようと思います。よろしくおねがいいたしまーす。

2011 07 08 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 07, 2011

震災体験を風化させないために、子どもたちに絵本を!

以下のようなメールをいただきました。
子どもたちに読んでもらえる絵本を作成----
ぜひやりたいですね。
いろいろな意味で、協力してくれる方を募集しています。
よろしくお願いいたします。

『神山典士様

はじめまして。私は石巻市まろ舎さんの友人で、東松島市在住の
Nと申します。

私は今回の震災の津波で家を失いました。
家は、東松島市大曲浜にありました。
大曲浜は、約200世帯の集落ですが、死者・行方不明者が300名程度に上りました。
残念なことに、ご近所の方もたくさん亡くなりました。
物凄くショックを受けました。

こういった壮絶な経験をしたものですから
私は今回の震災で人生観が変わり、職業も変えました。
もともと自営業で、広告やHPなど、
要は販促原稿を書く仕事をしておりましたが、
今は、この震災を風化させない活動をしていきます。

東日本大震災を風化させない活動推進センター
http://ameblo.jp/successboss/

その活動の中で、絵本を制作する企画がスタートしております。
■絵本制作プロジェクト
http://picturebook-owner.com/

理由は、三陸地方においては、過去の明治三陸地震、昭和三陸地震
という巨大地震・津波の存在を知らずにまた、教訓を生かされずに亡くなられた方のために
過去の大きな津波災害をきっちり、児童でもわかるような記録に残さなければいけない!
それが生かされた自分の使命であると直感したからです。

そしてその絵本を三陸だけでなく、沿岸部が多い日本中の方に読んで欲しい
という想いに変わりました。

私はその絵本が、自治体や学校(児童)に配布されるようにしたいのです。

そういったことをブログで発信しておりますから、
既に絵本が完成したら、「読み聞かせしたい」という個人・団体様から
複数申し出を受けております。

そこで神山様にお願いがあります。(厚かましくて申し訳ありません)
もし、絵本のイラストを快く描いてくれる方がおりましたら、
ご紹介いただけませんでしょうか?

神山様がまろ舎さんにお持ちしてくれた本に『赤毛のアン』、
『黒魔女さんのバレンタイン』(いずれも講談社青い鳥文庫)がありました。

こういった絵が描けるお仲間がいらっしゃると
思ってご連絡させて頂いてる次第です。

実は、当初、セミプロの方が、無償で描いてくれる予定だったのですが
家庭の事情で、やはり無理ということになり、
イラストレーターが白紙になってしまって、途方に暮れております。

計画書も作成しました。
もしよろしかったらご覧下さい』

さっそくNさんと連絡をとり、アトリエ・エレマン・プレザンの佐藤先生ご夫妻とも相談して
少しずつこのプロジェクトへの協力を始めています。

ただし、技術というよりも、ここではリアリティをもって描ける魂が必要とされているわけですから、
画家さんにも相当な覚悟をもってもらわないといけないと思います。

アーティストも試されますね。
じっくりと考えてみたいと思います。

2011 07 07 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

July 03, 2011

第二次隊員、江木理美がスーダンに旅立ちました~気をつけていい仕事をね~

バザール明星の会第二陣で頑張ってくれた江木理美が、今日、成田空港からスーダンに旅立ちました。
あ、20時のエア・カタールだといってたから、今頃機内に乗り込んだところでしょうか。

名刺を渡さないといけないので、空港に向かう途中の押上までベルジュでひとっ走り。
無事落ち合うことができました。
Photo_2

お、これじゃ逆光でなんもわからんか。
下の真ん中が江木ちゃんです。

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日本では病院で看護師として働いていましたが、スーダンではNPOに入って、
助産師としてあかちゃんの検診や妊婦さんの検診システムをつくるのだそうです。
ひとまずは9ケ月。
頑張っていい仕事をしてきてください。

にしても、最近の若者を見てると、女が凄いね~。男はどーした?
隣のボーイフレンド君は成田まで見送りに行くというから
ドバイくらいまで行ってやれよと声かけておきました。

まま、9カ月後が楽しみです。
素敵な笑顔で帰って来てくださいね~。

でもメールは通じるんだって。それもどーかな~。なはは。

2011 07 03 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

July 02, 2011

東北支援キャラバン第二陣、恐怖の20代軍団

先週帰って来た東北支援バザール明星の会の
20代軍団隊員たちの名刺ができてきました。

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いや~、ほんと若い!
江木ちゃんは3日にはアフリカのスーダンに旅立ちます。
つーことで、デザイナーの小宮山ちゃんに頑張って早くつくってもらいました。
小宮山ちゃん(ペンダコ)、べりべりさんきゅね~。

Photo_2

前列中央で白いシャツの黒岩美央君は動物療法士(だったかな?)の資格をもっていて
そういう方面の職業につきたいとか。
僕に履歴書を送ってくれる約束だから、
それが来たらアニコムの社長にお願いしてみようかと思っています。
以前ちと貸しがあるからね。なはは。
いつまでもコンビニでバイトしてるばやいじゃないっす。

その左の秦(しんの、と読みます)康崇君は、通信制の学校に行ってるンだよね。
もうばりばり働いてもいい年齢なんだから、
はやく自分の課題を見つけてほしいと思います。
この旅に出る前に「ぼくは向こうで何をやればいいんですか?」と聞くから
「そんなの、誰もわからない。行ってみて、自分がこの場で何をやるべきかを考えて
ひたすら動くことだ」
と答えました。
被災地では問題だらけなんだから、
何がどう問題で、何からどう手を着けたらいいのか、
絶えず自問自答しながら前に進む以外ありません。

被災者の皆さんがそうしているんだから、
僕らだってそうしなきゃ。
いわゆる「問題設定能力」が試されているんです。
たぶんそれは、この国全体の問題だけど。

僕らが受けてきた教育は、問題を出されたらそれにあらかじめ用意された正解を出す
教育なんです。だからそれはできるんだな、日本人は。

でも、今の現実は、自分で問題を見つけること。問題がみつかりさえすれば、
それに対する答えはもう出てきたようなもんなんだから。

期待してますよ、ヤス君。

もう一人鏑木君は、武蔵野大学時代に水谷ゼミで池袋本町に来てくれて、
今は宇都宮に本社がある家具メーカーで働いています。
社長や上司に可愛がられて、いい仕事してるんですよ。

んで、この日たまたま仙台に出張だというから、
急遽早退してもらって名取市の居酒屋にかけつけてもらいました。
樽生ビールが泡だらけになっちゃったときも、
「ごめんなさい~泡だらけです~」と屈託ない笑顔でみなさんにコップを差し出していたとか。
そういう天然さがいいっすよ。ほんと、こいつは。なはは。

帰路は自分の車で宇都宮まで帰って行ったとか。
写真がなくて申し訳ないっすが、人手不足だったので助かりました。
べりさんきゅね、かぶちゃん。

つーわけで、第二陣は異例の若さ。
対して第三陣は美女軍団ですよ~。
お楽しみに。
さてさて、第四陣はどーなるでしょう。

みなさん、この名刺を周囲に配りまくって、支援金をたくさん集めて下さいね~。
記念品じゃないっすからね~。
第一陣のメンバーもよろしくお願いしますよ~。

2011 07 02 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 29, 2011

東北震災証言集、取材記者カメラマン編集者大募集

こんにちは。如何お過ごしですか?
ボランティア仕事へのお誘いです。

現在バザールでは、東北支援企画として、毎月一便キャラバン隊を現地に派遣して、アーティストを連れていったり出張居酒屋をやったりしています。

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その活動の中で、専修大学石巻校の先生と知り合い、
「被災者の証言集を纏めてくれないか」との相談を受けました。
同校の地域活性化研究会との共同企画で、
これから版元を決めて企画のエッヂを立て、取材執筆していくことになります。

イメージとしては『東日本大震災101人の証言』というようなタイトルで、
被災体験を「場所」「時間軸」「犠牲者」等、
いくつかの軸を決めてインタビューをしていくことになろうかと思います。

この取材執筆者を大募集です。

第一便として、8月18日~20日まで、宮城県石巻市を中心に取材団を送り込みます。

参加ご希望の方、返信をお願いいたします。

今回は日中は被災者2~3人に取材して(取材対象者は石巻の先生方や現地関係者に探していただきます)、
帰京後文章化することになります。
また現地では夕方から出張居酒屋をやりますので、これにも参加していただきます。

条件は、
・一人2万円のカンパを集めてくる~レンタカー代、高速代、ガス代、居酒屋樽生ビール代等になります。
・宿泊費(松島の旅館を予定、朝食付き6~7000円程度)と食事代は自前、交通費はなし。
・文章を他の媒体に出すのは自由ですが、第一義的にはこの出版のためとします。著作権は書き手にありますが、この企画からは印税は発生しません。(馬鹿売れしたらもちろん分けますが)
・取材に際して被災者の方のメンタル面には充分に注意を払ってください。
・その他、一般的な取材の常識を守っていただけたら嬉しいです。

編集者やカメラマンも募集します。
ご希望の方やご紹介したい方がいましたら、お知らせください。
ライターについても紹介ありです。

今回のレンタカーでは、最大7名までお連れできます。
先着順としますので、奮ってご応募ください。
よろしくお願いいたします。
文字通り、歴史のよき証言者、記録者になりましょう。

これまでの活動は、このブログ内で見てください。

神山典士
株式会社バザール、173-0001東京都板橋区本町36-1-703
Tel03-5248-0811fax5248-0810、mhd03414@nifty.com

2011 06 29 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 25, 2011

バザール東北支援明星の会、第二便ご報告

6月21日~23日まで、東北に行ってきました。

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レンタカーいっぱいの荷物とスタッフたち。ジャグラーの謳歌君の姿が見えますね。

今回の訪問地は、
宮城県名取市美田園仮設住宅~飯澤パーティー
石巻市新栄、依田パーティー
石巻市マロ舎、レストラン太田屋~東松島市、東海林パーティー~女川町勤労青少年センター~御前浜避難所

隊を二つにわけて、今回の総移動距離は約800キロにもなりました。

震災から100日が過ぎて、被災地には様々な変化があるようです。
国の対策が遅れているとか、義援金がなかなか行き渡らないとか、いろいろな問題がある中で、悲しみを秘めながらも前進の足音も少しずつ聞こえてきていました。

名取市になる美田園仮設住宅では、なんと僕らがお連れした三遊亭京楽師匠とジャグラーの謳歌君のポスターまで作って、多くの方が待っていてくれました。
中心になっているのは「ともだちイン名取」というボランティア団体のみなさんや、石巻から来たボランティア団体のみなさん。
仮設の集会室にたくさんの座布団を並べて、準備していてくれました。ありがとうございます。

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さっそく、今回の第二次メンバーと打ち合わせ。川崎から来た理美ちゃんと美央ちゃん、茨城から来た康崇君、そしてリーダーとなる天野君の真剣な表情が見られます。初参加のやすくんは、少し緊張した表情ですね。

この三人とジャグラーの謳歌君は、皆20代。平均年齢もぐっと若返りました。僕らが入ると平均年齢が上がってしまって面白くないので、若者チームとおっさんチームの2チームに分かれての活動です。
ここでは京楽師匠の高座と謳歌君のステージ。そして出張居酒屋明星が行われました。
「合同慰霊祭以後初めてみんなと顔を合わせた」と言って、みなさんいろいろな話しに花が咲いていました。
前回もそうでしたが、ただお酒を楽しんでいただくだけじゃなくて、普段なかなかできない会話が生まれるのが居酒屋のいいところですね。
黄昏時の仮設住宅が、巨大なサロンになりました。あまりに楽しすぎて、京都府警のパトカーがきちゃう一幕も。
でも問題はありません。ここは飲酒可の仮設住宅なのですから。

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この時神山と美央は、石巻市の依田パーティーへ。ラボの子どもたちが7人と、お父さんお母さんが集まってくれていました。
美央が歌や踊りで盛り上げたあと、神山が少し話をしました。10代の時になにかひとつ宝物が体内に宿ること。それを大切にするためには、卒業文集や作文として文字にしておくといいこと。指揮者の佐渡さんも、ピアニストの辻井君も、みんなそうやって少年少女時代の宝物を開花させたこと。
子どもたちに伝わったかな?
瞳を輝かせて聴いてくれていました。
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翌日は石巻のマロ舎へ。
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ここは全国からの援助物資を受け取って、現地に配ってくれる活動をしてくれています。支援物資を送ることは簡単だけど、そこから仕分けして必要なものも必要な場所に届けるのは大変なことです。
店舗だけではたりずにもう一つ別の部屋も借りて、段ボールが何十箱も積み上げられていました。
奥田さん、ご苦労さまです。
その隣では、石巻で30年以上もフレンチレストランを経営している太田夫妻が手伝ってくれていました。かつては東京の小川軒で修行したベテラン料理人です。
今はいい魚が手に入らないからお昼だけの営業とか。
この日僕らは昼食に別の約束が入っていたので無理だったのですが、次回は太田さんのドゥミグラスソースをいただきたいと思います。
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お昼からは東松島市に戻って、東海林パーティーへ。
なんなんだこれは~!!
いきなりAKB48ならぬTKR36の面々が現れて、踊りだすじゃないですか!!
一同唖然、呆然、痴呆状態です。なはは。

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この地域は被害が酷くて、パーティーの子どもたちも何人か犠牲になったそうです。
もちろん家が崩壊したり、床上床下浸水したり。
その悲しみをじーっと心のふかーいところに持ちながらも、みなさん、ここに来たときだけは楽しく爆発しましょうということなのでしょうか。ほんとエネルギッシュ。僕らが元気をいただきました。
お昼には、石巻の老舗滝川の鰻弁当。これまた美味。でも店が被災して、今は仮営業なのだそうです。あと3年で操業100年。なんとかふんばって、隆盛を取り戻してください。
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東海林パーティーのみなさん、ありがとうございました~。

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今回のツアーでは、ジャグラーの謳歌君が大活躍。僕の幼なじみの息子さんということでお願いしたのですが、ツアーの最中にもテレビ局との電話打ち合わせが入ったり、世界的なイヴェントからの招待が決まっていたり、まさに注目の才能です。
子どもたちも大人たちも、その技を目の当たりにすると目が点です。最初は「ジャグリングってなんだべ」なんて言っていたのが、終わった瞬間には握手攻め、サイン攻め。いや~、謳歌君はこれからフランス、韓国、アメリカにツアーがあるそうですが、いい思い出になったはずです。世界に日本の被災地の様子を伝えてほしいと思います。

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そして最後の訪問地は前回も訪れた女川町御前浜避難所。
以前は40名程度の大人が住んでいましたが、今は仮設に当たったりして、20名くらいになっていました。サウナが自慢だったのですが、その後風呂ができていました。大型冷蔵庫も備えられて、これなら夏場も食べ物が腐ることもなさそうです。
問題は仕事です。今回僕らは、もう少し時間がたったら「被災地に仕事を送ろう」というプロジェクトを始めたいと思い、その準備のブリーフィングも行いました。
そしたら、現地の事情は複雑です。
例えば銀シャケの養殖等をやっていたという漁師のAさん。
船が流されてしまって新しく買おうにも、国の補助がどれくらいでるのか決まらない。毎日漁業組合に通っても、埒があかない。
10月にはシャケの稚魚を放流しないと来年3月の収穫に間に合わないのだけれど、そのためには3000万円かかる。これも国の補助がどれだけ出るのか見えてこない。それでも時間は待ったなしだから、思い切って始めてみたいけれど、港がやられてしまってテトラポットや防波堤が機能しなくなっている。今年の台風が大きければ、投資は全てぱーになってしまう。津波で亡くなった父親の借金も残っているから、二重ローンとなって返済が大変。これも国や自治体がどれだけ面倒を見てくれるのかまだわからない。
それでもこれまで培ってきた「伊達の銀」というブランドは大切にしたい。なるべく早く関東以西の人たちにも食べてもらいたい。
悩ましい問題が日々頭の中を駆けめぐっているとのことでした。

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ほんと、正解のない難問です。誰がどうすることもできません。でも、もしAさんの覚悟が決まって事業が始まったら、全力で協力したいと思っています。
女川の別の地区では、ファンド形式でわかめの養殖が始まっています。いろいろなアイディアが試されるべきだと思います。
被災地に仕事を!! 次のテーマはこれになりそうです。

次回東北便は、7月14日発進予定です。
ソプラノ歌手栗原陽子さんが準備してくださっています。
みなさん、お楽しみにね~。

2011 06 25 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 21, 2011

東北のみなさんへ

明日から、第二回東北支援明星の会キャラバンに行ってきます。
今回は宮城県名取市-石巻市-東松島市-女川町を廻る予定です。
子どもたちにむけて、こんなメッセージを書きました。
どんな出会いがあるか楽しみです。
帰ったらまた報告しますね。

「平成23年6月22日

みなさんへ

こんにちは。ラボのOBの神山典士です。今日はお会いできて嬉しいです。
僕たちは、被災したみなさんに少しでも元気になっていただこうと、「心の栄養」を持って東京からやってきました。5月からこの活動を始めて今回で二回目。毎月一回、いろいろなアーティストさんを連れて東北をキャラバンしたいと思っています。今回に限らず、また遊びにきますね。どうぞよろしくお願いします。

僕は、ノンフィクションを書いている作家です。
つまり、小説のように架空のことではなくて、本当にあったことを書く仕事です。
今回は、4月に出した新刊『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』を持ってきました。
ぜひ回し読みしていただいて、最後は学校や地域の図書館に寄贈してください。
一人でも多くのおともだちに読んでもらえると嬉しいです。
辻井君は、産まれながらにして全盲というハンディを抱えながら、その分素晴らしい耳の力を持っていて、小さいころからピアノを弾くことを最大の喜びにしてきました。
ピアノを弾けば多くの人に喜んでもらえる。ピアノを弾けば多くの人と繋がれる。
だからこそレッスンも楽しみながら受けて、今では世界中の人々を楽しませるピアニストになりました。
つまり、ハンディキャップを「強み」に変えることができたのです。
僕は人間の最大の力は、そこにあると思います。
どんなに厳しい環境にあっても、どんなに悲しいことが起きても、人間はいつかそれを乗り越えることができる。
それを乗り越えた時に、強く逞しい人間になれる。周囲の人と固い絆を結ぶことができる。
そして、明るい未来を想像することができる。
その想像力こそが、人間の素晴らしさなのです。

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みなさんもそれぞれに、辛く厳しい環境にあると思います。
だからこそ、いい物語をたくさん読んでください。
ラボのテープもたくさん聴いて、みなさんの背中についている(見えない)想像の翼を大きく大きく広げてください。
僕は書き手だから、いつの日か君たちがしっかりと大地を踏みしめる姿を描きたいと思います。
その日まで、ずっと君たちのことを見ています。
生命を大切にして、充実した日々を過ごしてください。
お家の人たちにもよろしくね。また会いましょう。

神山典士『熱血ライター』http://www.the-bazaar.net/index.htm
株式会社バザール173-0001東京都板橋区本町36-1-703
Tel03-5248-0811fax5248-0810
Mhd03414@nifty.com」

2011 06 21 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 17, 2011

7月30日東北支援チャリティイヴェント『しあわせ運べるようにイン池袋本町』出演者紹介します

さあ~、この日池袋本町にすごいメンバーが集まってくれることになりましたよ。

まるで美女大会だな。なはは。

まずは世界のヴァイオリニスト、礒絵里子さんです。

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体つきは本当にきゃしゃな鎌倉のお嬢様なのですか、
その演奏はものすごくパワフル。重厚な響きが堪能できます。

今回は『ツィゴイネルワイゼン』をリクエストさせていただきました。
前に鎌倉の東慶寺や三渓園で聴いた時も素晴らしかった。
どんな災害も乗り越えていく人間の逞しさが感じられると思います。

伴奏はご主人の武藤さんに演奏していただける予定です。
楽しみですね~。

そして、そのコンサートに飛び入りで参加いただけるのが、
やはり桐朋出身のソプラノ歌手、栗原陽子さん。

美形にして美声、その上陽気でお酒好きときていますから、
過不足なく池袋本町には溶け込んでいただけますね。
引っ越してきてもらいたいくらいだ。なはは。
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そして恒例となった一人芝居『父と暮せば』は、
公演を重ねるほどに円熟味を増してきた天野達志君。

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あと一人、落語家の方はいま出演交渉中です。

さーて、どんなイヴェントになりますか。
会場では浴衣姿のお嬢さん方によるビールやワインの販売も予定されています。

もちろん「明星」の赤提灯も出動です。

どうぞよろしくおねがいいたしまーす。

2011 06 17 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

June 13, 2011

東北支援企画、続々決定!

今月の東北支援バザール号第二弾、「出張居酒屋明星&落語&ジャグリング」は
22日発進です。

続けて、7月の企画も決まりつつあります。
この時にお連れするのは、ソプラノ歌手栗原陽子さん。

http://www.yoko-kurihara.com/

ここに写真を紹介したいほど美しい人、かつ陽気なお酒の人なんです。
この前初めてお会いしたのですが。

なんと「ワークショップ型のコンサート」を現地でやってくださることになりました。
楽しみですね~。
お腹の底から声を出して、きもちよーく歌えたら、ストレスも吹き飛びますね。

それからそれから、この回はカメラマンの長野容子さんも同行してくださることに。
現地の写真(人物にフォーカスしたものかがいいいかな)を撮っていただいて
下のコンサートの時に展示したいと思います。

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7月は14日発進を考えています。
もちろん出張居酒屋付きです。
重ねてのご支援、よろしくおねがいしまーす。

Photo_2

そして7月30日は、ビッグ・イヴェント
『東北支援チャリティ、しあわせ運べるように、イン・池袋本町』
ヴァイオリニストの礒絵里子ちゃんが来てくれます、決定!!

http://www.34-net.com/eriko/

礒ちゃんはベルギーに留学して国際コンクールに三位の受賞歴があります。
美人、かつパワフルな演奏は、ほんと聞き惚れますよ。

僕は彼女が弾く『ツィゴイネルワイゼン』が大好きなので、リクエストしておこうと思っています。
そしてそして、もしかすると栗原さんとのアンサンブルが聴けるかも。
これは現在交渉中です。
お楽しみに~。

この日は、落語の高座も予定しています。三遊亭京楽師匠に「防災落語」を頼んでみようかな。

さらに、毎夏恒例の天野達志君演じる一人芝居『父と暮せば』も上演します。

Photo_3

つまりこの日は、約4時間にも及ぶスペシャル・チャリティ・イヴェント。
入退場自由ということにしますので、多くのみなさんのご参加をおまちしていまーす。

さーて、忙しくなりますよ~。
コウヤマの周辺のみなさん、またお手伝いよろしくおねがいしますね~。

2011 06 13 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 18, 2011

南三陸からのニュースがありました。(by河北新報)

僕らが「出張居酒屋明星」をやらせていただいた
南三陸町のみなさんが
少しずつ動き出したようです。

何が正解なのかわからない状況なのですが
被災者のみなさんが自分の思いを声に出すのは必要なことだと思います。

誰がどんなことをやっても必ず不満や批判は出てくるけれど、
まずはアクションを起こさないと流されてしまうだけだから。

やれることをやれるだけ。
頑張って、でも頑張りすぎないで。

また伺いますね。

「避難住民が要望 全世帯同じ仮設住宅に 南三陸・平成の森


佐藤町長に要望書を手渡す平成の森避難所の及川自治会長(中央)=15日午後、南三陸町の町総合体育館
 宮城県南三陸町歌津の平成の森避難所(67世帯191人)の住民は15日、平成の森に建設される仮設住宅への避難住民全世帯での入居を求める要望書を町へ提出した。
 避難所自治会の及川均会長(63)が同町志津川沼田の町総合体育館を訪れ、佐藤仁町長に要望書を手渡した。
 要望書では同仮設住宅への全世帯入居を要望、「今後行われる別の仮設住宅の抽選会で当選しても全員がキャンセルする」とした。
 佐藤町長は「地元に残りたいという住民感情は理解するが、やむなく町外の仮設住宅へ行く人もいる。個別の避難所の要望に応えるのは難しい」と回答を保留した。
 及川会長は「コミュニティー維持のためには全員が同じ場所へ移ることが重要だ。仮設住宅での生活は長期間におよび、周囲の手助けが再起への力になる」と話した。
 町は仮設住宅への入居について乳幼児や要介護者などの優先入居を除いて抽選で決めている。
 平成の森には246戸の仮設住宅が建設される。7日に150戸分の抽選が行われたが、平成の森避難所からの当選は17世帯にとどまった。同避難所では14日の世帯主会議で全世帯入居の要望書提出を決めた。」

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2011 05 18 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 16, 2011

石巻、マロ舎さんからメールをいただきました。

あの日おめにかかったおりには、マロ舎の奥田さんはあまりに清楚で毅然とされていたので
ご自身の被災については伺ってきませんでした。
でも、以下のように、とても大変な思いをされていたのですね。
改めてお見舞い申しあげます。
バザールに送っていただいた支援物資の一部は、こちらに預けてきましたが
いろいろな方の手にわたって、それなりに活躍してくれているようです。
何よりです。

まだバザールには段ボール10箱分程度の支援物資が残っています。
早い段階でリストをつくって、必要なものがあったらマロ舎さんにお届けしたいと思います。

みなさんもネット経由でアクセスしてみてください。
よろしくどーぞ。

以下、いただいたメールの一部です。

「この震災から私もしばらくは、仕事も手につかず何もしない日々を
過ごしておりました。しかし、親戚のおば、いとこ、そしてたくさん
の知人が亡くなり、いまだ行方不明の方がいて、大半が住む家を失くし、
ひとりでは立ち上がれない状況を目の当たりにし、私でも何か役
に立てることはないこと思い、お店を窓口として活動をはじめました。

壊れている家に在宅避難されている方や沿岸部の方、子どもたちを中心
に本や生活用品など必要なものをお渡ししておりました。

公に宣伝などはしておりませんが、困っていらっしゃる方へ時間を
かけてでも支援くださった皆様のお心を大事にお届けしたいと思います。

本はとくに年齢問わず喜ばれております。神山さんからいただいた本には
皆さん興味を持たれ、お客様の中には少年サッカーチームのコーチの方が
子どもたちに渡したいと言って喜んでおられました。とてもうれしいですね。

http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/0894a712400070d03fc7f623a9a762fe

避難所の状況はよくわからないのですが、町では避難所の数も減らしている
ようです。日に日に環境も悪くなり壊れた自宅へ戻られるとも聞きました。

また、その地域により格差はあるようですね。自宅避難の方や県外へ引越しされ
ると物資の支給もなく、見放されてしまいます。情報もないので身動きが取れず
行政は頼れないと皆さん口にしてます。食糧の支給も間もなく止まるような
ことも話されてました。わたしのところもですが、ガスがまだ使えないので
本当に大変です・・

まだまだ不便な毎日が続きそうですが、もう疲れてしまい先が見えなくなって
いる方がほとんどです。今後は、こころのケアがとても重要になってくるとおも
います。落語や音楽とても素晴らしい提案ですね。人の声や表現、音楽は心に残
りますし嫌なことが忘れ元気を与えてくれるのでたまにラジオで聞いたりしています。

テレビは、民放の番組はまだ長い時間みれませんが、いまのところNHKが安心
して見ることができるようになりました」

2011 05 16 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 15, 2011

被災地のみなさんへ~捨て石になる覚悟

平成23年5月11日 水曜日


被災地の子どもさんたちへ


こんにちは。作家のこうやまのりおと申します。
今回の震災では、みなさん、心も身体も大変お疲れのことと思います。
また、ご家族やご親族、友人知人をお亡くしになったみなさん、本当にお悔やみ申し上げます。
言葉もありません。
毎日、テレビや新聞のニュースを見ながら、ぼくも仲間たちも心を痛めています。

こういう時、作家は無力です。
お医者さんや消防士や自衛隊員だったら、もっと早くにここにやってきて、みなさんを直接支援することもできたのですが、ぼくたちには文章を書くことしかできません。
でもその分、一生懸命いい文章を書いて、みなさんが元気になった時に、喜んでいただけるような作品を書きたいと思って、毎日机の前でワープロと格闘しています。

今日は、ぼくの作品と、仲間の作品を持ってやってきました。
避難所には身体の栄養はもちろん必要ですが、心の栄養も欠かせないと思います。
どうか物語の世界を楽しんでいただいて、明日を信じる糧としてください。

今回だけでなく、ご縁をいただけたら、毎月心の栄養となるものを運んでこようと思います。
必要なものがあったら、ぼくの事務所に連絡ください。
よろしくお願いいたします。

頑張って、でも頑張りすぎないで。
人間の可能性を、日本人の魂を、世界に見せてやってください。
ぼくらは、若い君たちの若い世代の捨て石になる覚悟です。

神山典士

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2011 05 15 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

バザール・ファイブの仲間とともに、女川御前浜、南三陸平成の森避難所を訪ねてきました

行ってきましたよ。バザール号イン東北。
今回はバザール・ファイブのメンバーで、二晩にわたって「出張居酒屋明星イン東北」を行って存分に飲んでいただき、さらに子どもたちを対象にした支援物資(児童書、絵本、おもちゃ、文具等々)を届けてきました。

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積んで行ったのは、バザールに届けられていた支援物資を10箱程度。
それと、今回は日本酒が凄かった。
「新宿御苑前せお」さんから、なんと24本もの極上の日本酒が。
実はこれは手違いで、女将陽子さんが前もって送ってくれていた宅急便が手違いで
配送センター止まりになっていて、前夜に「あれ?ついてません」「なに、それじゃ主人に明朝届けさせます」
というようなやりとりがあったんです。
実際に出発日の早朝、築地に行く前にせおさんがタクシーでバザールまで
店にあった酒を12本届けてくれました。

そしたら、ぼくらが出発前にセンターに別の荷物を取りにいったら
そこにもせおさんからの日本酒があーるじゃあーりませんか。
なはは。二重取り。しかも店の酒をもってきてくれたから
「十四代」とか「群馬和泉」とか大吟醸とか純米吟醸とか、極上のものばかり。
これには避難所の人たちも「うまい!」とうなっていましたよん。

せおさん、べりべりさんきゅです。

店はこんな感じです。
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今回のメンバーは、タクシードライバーの天野君、それに毎日仕事で運転している小沢もいたので
強力ドライバーツートップでした。
その上に、「震災大王」と命名され被災地情報ナンバーワンの物知り小田ちゃんがいてくれて
案内もばっちり。
実はこの大王には「アイフォンに使われている疑惑」もあるのですが、ま、情報力がすんごい。
通過する道すがら、「この家のおばあちゃんは後家で毎朝自衛隊の車に日の丸振ってます」なんて
こまーかなところまでケアしてるんすよ。すご!
出張明星のママはワイン姫のなかーらさん。
これまた現地のみなさんに凄い人気でした。

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しかも、小田ちゃんは「つくね大使」も兼任。
これは南三陸の避難所のみなさんの夕食で食べていただきました。大好評!


道中、石巻では、子供用物資支援活動を展開している「マロ舎」さんを訪ねて、
漫画本とか児童書を預かっていただきました。

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支援物資って、いきなりもっていっても先方のニーズとあうのはなかなか至難で、引き取ってもらえたら「嬉しい~」という感じです。
しかも避難所もてんでに離れているので、おいそれといくつも廻ることもできません。
そういうときに、地元で活動している方とのコンタクトは嬉しいです。

帰ってみたら、ブログにこんな記事を書いてくれていました。
これまた嬉しい~。

http://ameblo.jp/maro808/entry-10890996578.html

被災地に必要なものを必要なだけ送るのは本当に難しい。
それに、物資は日用品と食料をのぞけば、大型避難所ではそろそろツーマッチになっているという印象です。
むしろ今から必要なのは、心の栄養ですね。
その意味で、居酒屋は大好評でした。

一晩目は女川の小さな避難所、御前浜へ。
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ここのみなさんの自慢は、日本に二台しかないとかいう簡易テント式フィンランドサウナでした。
お風呂がないから、その代わりですね。
居酒屋を始める前から「へーってけへーってけ」とぼくらを盛んにサウナに入るように勧めてくれるんです。
まるで田舎の親戚を訪ねたような感じです。
でも、それもまた被災したみなさん独特の心理なのかなと思いました。
つまり、一方的に何かほどこしをされるのはいやなんですよね。
本来支援物資であるはずのおにぎりを勧めてくれたり、美味しい山菜もいただきました。

そして、酒が入ると、歌も出ますよ。
歌われたのは、オリジナルの数え歌風春歌だったな。なは
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ここの避難所は大人ばかり40名程度と小さなところだったので、
毎晩皆で飲み交わしているそうです。
でも、冷たい生ビールは久しぶりということで
とてもよろこんでいただけました。

みんな驚くほど明るいです。冗談も言うし、陽気に飲み始めるし。
でも、酔うにつけ、気心が通い始めるにつけ、悲惨な記憶が語られるようになります。
避難所で被災民だけだと、そういう話もなかなかできないんですね。
みーんな同じような背負いきれない悲しみに耐えているんだから。
でも話したいんですよね。誰かに。
ふだんは心のとてもふかーい階層に悲しみを押し込んでいるんだろうけれど
人は話さなければ癒されないですからね。
そして「明日から大阪さいかねばなんねけども、電車もバスもなぐなってすまったから、どーすべ」なんて明るい言いながら、最後に一言「家もかーちゃんもなぐしたしな、なーんものこってねな」なんて
言うもんだから、心の中で号泣です。
歌ってくれたおじちゃんも、サウナで二人きりになったら
「ほんとは歌なんか歌える心境じゃねんだけど、区長さんが歌えって言うからさ」
なんてこぼしていました。
これまた僕らへの歓迎でもあったんです。
またまた心の中で号泣ですよ。
でも、僕らが泣くわけにはいかないから。
耐えている人が目の前にいるんだから、ね。

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ここにきての避難所の問題は、医師団とか看護婦さん、介護の人たちが徐々に撤退を始めていること。
まだまだ心のケアが必要なはずなのに、医師団が残ろうとしても、地元の行政が「もういいです」と言うのだそうです。
なんとかならないでしょうか。
それに、義援金もまだ一銭も届いていない。
そりゃまずいっすよね。早くしないと。
「とにかく葬儀が多くて、まず礼服を買ったよ」という区長さんがいました。
香典も必要なんだそうです。
それに、仮設住宅ができてもうじき入居が始まるのだそうですが
そこでも問題が。
一家で二人で応募して二室あたった人がいる反面、何度応募してもあたらない人もいる。
南三陸の平成の森のすぐ隣にたくさんの仮設住宅ができているのに、
この避難所の人がなかなかあたらなくて、町内の他の避難所のひとばかりあたってしまっている。
そもそも仕切りを大阪から来たボランティア団体が行っているから
地元の人たちの感情がわかってもらえない、等々。
いろいろな声を聞きました。
しかも、入居が始まってもまだ二カ月も水道が不通のまま。電気は来始めたそうですが。

生きている限り難問だらけなのに、
でも、明るい。
東北の人は凄い。原日本人をみる思いです。

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途中石巻では、被災して操業停止になった大きな製紙工場の上に
巨大な鯉のぼりが翻っていて、「頑張れ東北」とばかり、巨大な尾をひらひらさせていました。
二枚目の奥に見える楕円形の建物は、石ノ森章太郎記念館。
この形ゆえに、生き残ったとか。すご!
南三陸町では、ずいぶん片づいたとはいうものの、巨大な津波の爪痕がいたるところに残っていました。
ほんと、言葉をなくします。

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子どもたちはけなげに生きていました。
一回行ったくらいじゃ、その心の中なんてわかりません。
おもちゃの取り合いをする姿を見られたことが嬉しかった、かな。

そうそう、行く前とあとで完全に認識が変わったのは、自衛隊のみなさんの頑張りへの評価でした。
いや~、あの現場で一カ月無休で働くのはすごいです。しかも飲酒も一切禁止とか。
この隊長さん(男性のほうっすよ、女性は自衛隊フェチのなかーらママです)は、大分から来ていて
毎日飲まないのにこうして避難民と一緒になって、11時まで話を聞いているそうです。
そして朝は4時おきで現場へ。
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広大な津波の傷跡から手作業で遺体を探し出して、その後重機で整地して行く作業は
およそ想像を超えています。
ほんと、職務とはいえ、お疲れさまです。
頑張ってください。日本のために。

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こうして丸二日間の現地での支援活動を終えて、南三陸を夜8時15分に発ち
一路板橋へ。
「本家明星」では、啓子さんと米ちゃんが午前3時の到着を待っていてくれました。
いや~嬉しい。
やっぱ赤提灯があってよかったです。ぜーんぜん違う印象でしたから。
現地の人も「今夜は避難所じゃなくて居酒屋だ~」と喜んでくれました。
そういう非日常が必要なんですよね。

現地では、宅急便が活躍を始めていますので、今後、物資はネットで避難所のニーズを調べて
直接送ることにします。
現在の現地で必要なのは物よりも心の栄養だと感じたので
次回からは「落語」「音楽」「映画」「演劇」等を届けようと思っています。
まずは「出張生ビール居酒屋+落語」かな?

次回は6月後半になりそうです。
みなさん、またまたのご支援、よろしくおねがいいたしまーす。

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May 02, 2011

続々義援金が集まってます~

今日銀行に行って、「明星」と「朝子」で集めていただいた義援金を
計算してきました。
明星が20062円
朝子が28356円
計48418円です。

すご!

カンパしてくださったみなさん、ありがとうございました~。

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あ、この写真を忘れていた。

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この人が噂の大久保みっちゃんです。
岩手県陸前高田出身で、
震災後「おとうもおかんも死んじゃったよ~」と泣きながら明星で飲んでいたのに
一カ月後におっとり刀で被災地に行ってみたら
お二人とも元気だったという---。

まーよかったけど、「もっと早く行くんだよ!」と啓子さんに怒られていました。
まったくだ。なは。

義援金はその他にも、

伊那の子どもネットワークさんから3万円
PHPの編集者中村君からこれから巨額の振込(期待値込み)
高校時代の同級生、磯田君からは献本用に5万400円
を、お預かりしています。

12日から3日間、二カ所(塩釜、南三陸町)で出張明星をやってきます。
どうやら現地のみなさんも楽しみにしてくださっている様子。
合計すると300人以上がお集まりいただけるかもしれません。

そのためには、もう少し義援金が必要です。
みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。

ご一報ください~。


2011 05 02 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 21, 2011

ご両親ご健在!! 何よりだ大久保みっちゃん

明星の常連で、陸前高田出身の大久保みっちゃんが

遅ればせながら、しっかりものの妹さんに連れられて里帰りしています。

そのみっちゃんから吉報です。

「ご心配頂き 有難うございます。避難所にて両親と再会できましたよ!渇れたはずの涙が止まりません。後ほど お話し致します」

いや~よかったよかった。なによりなにより。

だから早く帰ればよかったのに~。なはは。泣きながら酒飲んでるんだから。

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(あ、この人はみっちゃんじゃありません。震災の日も変わらずに飲んでいた針金入りのつかちゃんです。なは)

Photo_2

(あ、おくの人もみっちゃんじゃありません。この義援金ボトルをつくってくれたよねちゃんです)

でも、逆に考えれば、いまだに電話もできずに避難所で生活されているひともいるということですよね。

それまたしんどいことです。

5月12日のバザール・スペシャル号、荷物も集まったし、明星やその他からの義援金も集まったし
車の手配も終えてメンバーもほぼ決まりました。

小田君は今日は気仙沼とか。月曜日に入ったはずだから、今回は長いですね。
お疲れさまです。気をつけて。

僕らも心を引き締めて支援のことを考えないといけませんね。

にしても、みっちゃ、よかったね~。何よりだ~。


2011 04 21 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

April 19, 2011

小田車バザール第二号からのご報告

昨日から現地に入っている小田君から速報が入りました。

「速報
石巻市の診療所の近所の子供達(自衛隊の配給を貰いに来てた子達)に半分くらい配りました。
今回の印象。
辞書や勉強道具に飛び付いていました。学校もろとも無くなっちゃったんだなぁと…もちろんオモチャには当然。
取り急ぎご報告でした」

小田君、べりさんきゅです。気をつけてね~。

みなさん、上記のような様子ですので、
文房具とかあったらよろしくお願いいたします。

5月10日以降にバザールに送ってください。
よろしくどーぞ。

173-0001板橋区本町36-1-703

です。

2011 04 19 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 15, 2011

被災地から戻った小田君からの報告です

東北から戻った小田君から以下のような報告が有りました。

現金でご支援いただいた方、ありがとうございました。

現在バザールと自宅は支援物資が詰まった段ボールの山状態です。
これ以上保持しておくのはちと大変なので、
これからご送付なされようとしている方は、
次々回の小田車バザール号の出発スケジュールが出てからにしてください。

よろしくお願いいたします。

Photo


「お預かりした3万円は、
イチゴ40パック16000円。
これは滞在中、茨城県に買いに行って買ってまいりました。
高速ただなんで。
酒、ビールに10650円。
おじさん達の大好物。
日本酒は岩手、宮城の酒にしました。
残りで、栃木のイチゴまんじゅうを5箱届けさせていただきました。
どれも避難所では大人気でした。
本当にありがとございました。
小田」

と、書いていたらまた宅急便屋さんがきて
荷物を20個ほど持ってきてくれました。

一部屋荷物だらけだ。とほほ。

Photo_2

ご送付いただいたみなさん。ありがとうございました。
何度かに分けて確かに届けますからね。

でも、しばしバザールと神山家への送付はお待ちください~。
この状態でもし地震が来たら、僕がつぶされる~。


2011 04 15 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 13, 2011

被災地の障害児支援~いただいたメールです

いつもお世話になっている「御苑前せお」の女将からメールいただきました。
被災地の障害者・児のことも本当に心配ですね。
こちらにも、ぜひお力を。
よろしくどーぞ。

「それから、お願いがございます。
もし、よろしければ私達がサポートさせていただいている救援活動のリンク「OHANA JAPAN 2011http://ameblo.jp/ohana-japan2011」を覗いていただけますか。

過去に大船渡病院へ勤務されていた女性小児科医とご主人が神山さん達と同じように個人レベルででの救援活動をされています。「せお」のお客様でもありますが、彼女は特に障害者とそのご家族のサポートに力を入れており、ご実家が仙台なので今週末に東京からご主人と物資を運ばれる予定です。

神山さんもご存じだと思いますが障害者のお子様やご家族は特別な用品など必要なのですが、配給される物資の中にはそれらが足りていない状況だそうです。
そのようなリクエストに少しでも応えるべく、今必要な物資をご家族やナースとマメに連絡を取り合って現状等を綴っておられるブログです。

被災者の皆様が大変な思いをされているのは同じですし、私達もできる事に限りがありますが、特に助けが必要とする障害者の方やサポートされている周りの方もいらっしゃるという事を一人でも多くの方へ知っていただきたいのと、この御夫妻を応援したい!という思いから、厚かましくも神山さんへお知らせさせていただきました。
物資を送ることだけが救援ではないと思いますし、御賛同頂けそうでしたらブログをご友人などへご紹介下さい。
どうぞ、よろしくお願いいたします」

2011 04 13 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 11, 2011

小田車バザール号の報告第一号&新たなお願い

金曜日に東京を出て東北に向かった小田君から
日曜日に写真とメールが届きました。

「昨日、無事南三陸町の避難所にみなさんからお預かりした大切な物質お届けいたしました。

真心とともに。

みんな大喜びで歓声があがりました。

ありがとうございました」
Photo

いや~、小田君ありがとう。

現場を見ていないからどんなものを送っていいやら、そもそもこんな荷物を小田に託して
それまた迷惑じゃないかと案じていたんですが
杞憂だったようです。

この感じなら、子供たちには喜ばれてるみたいだから
可能な限りじゃんじゃん送りましょう。

バザールや我が家には段ボールがたくさん送られてきています。
ありがとうございます。

ただ小田号が出動できる日数には限りがありますので
あんまり大量な荷物を一度に送るのは控えてください。
5月になったら僕も現場につれて行ってもらいます。
そのときにまたお願いします。

やるべきことをやれるだけ
頑張ろう日本!

と、書いた直後にまたまたこんなメールが。

ほんと、被災地はこの国全体なんだ。
避難民とは、僕たちも一体なんだ。

そんなふうに思わざるを得ません。
ちと友人から来たメールを読んでみてください。

「神山さん、

お久しぶりです。
HP見させて頂きました。マラソンにも参加されてお元気そうで、なによりです。
お父様も、穏やかな顔でいい旅立ちだったようですね。

私も病院で何人も死後の処置(身体を拭いて、髭をそって、お化粧をする)やっているので、
亡くなった方の顔をみれば、しあわせを感じて、満足して亡くなったのかどうかは、
なんとなくわかります。

顔の広い神山さんに、ちょっと、お力を貸して頂きたい事があります。
今日、たまたま救護のバイトをして、出会った20歳の女子大生なのですが。

今回の震災で、ご両親、4歳の弟、おばあちゃん、お家、全てを失い、親戚も全くいない彼女は天涯孤独になってしまいました。
今は綾瀬の体育館で避難所生活を20日前からしています。
状況を聞いた所、食料等の支給は一切無く、
彼女も、何も持たずに避難した為、1日1食の食事でも残金200円になってしまったということです。
着替えの服も全くない状況でした。
そんな時に、ばったり彼女と出会い、取りあえず、1週間分の食費と今日明日の食料を買って渡してきました。

今、バイトを探している最中なのでまだ見つかってないということで、
何か良いバイトがあれば、ご紹介頂きたいのと、
できれば、数ヶ月居候できるおうちがあれば・・・と思います。

体育館にはお風呂もついてないので、「自分で勝手に銭湯に行ってくれ」という対応で、
お金がない彼女はお風呂にも入れてません。タオルで毎日身体を拭いてるそうです。
彼女を数ヶ月、受け入れてくれるご家族どこかにいないでしょうか?」

とりあえず今日これから、彼女と連絡をとってあってみることにします。
仮の宿はバザールでもいいし、
すでに何人かの友人から援助の可能性のメールも来ているので
また報告しますね。

にしても、一瞬にしてこんなふうに人生が激変してしまうことがあるんでしょうか。

信じられない----。

そうそう昨日の夜、明星に顔出したらこんなペットボトルが登場していました。
素晴らしい。

Photo_2

2011 04 11 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック

April 08, 2011

小田車BAZAAR第一号が発車しました。

東日本大震災の被災地へ向けて、みなさんから送っていただいた支援物資を積んだ
小田車が出発しました。

110408

二台のあるうちの後ろのランクルがそうです。
この日は3人の医師を現地に連れて行くそうで、
その荷台に段ボール2箱分の支援物資を積んでくれました。

そこには寝袋や防寒具も詰まっていました。
彼自身が避難所やこの車の中で寝泊まりするわけですから、
こういう用意がないとだめなんですね。

日曜日まで現地に留まるそうです。

また何か必要なものがあったら、ピンポイントで教えてもらおうと思います。

引き続きご支援、よろしくお願いいたします。

2011 04 08 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

April 04, 2011

東日本の子供たち向け支援のお願い


たった今、大学の後輩が以下のようなNPOで週に二回、ボランティアで現地に入っているという情報がありました。

http://www.japanheart.org/

赤いジャンパー着て車を運転しているのが後輩の小田です。
僕が「現地の子どもたちはどうなっているの?」とメールで質問したところ

「週二回は往復してます。
何か持ってける物あったら持っていきます。
子供達は今、色んなものに飢えています。」

とのことです。

彼に託せば現地に支援物資が届くことが分かったので
急遽それを集める活動を始めることにしました。

とりあえず今回のテーマは「子どもたち用」ということで、
あそび道具、本、靴、洋服、ゲーム、おもちゃ、下着等々
なんでもいいと思います。(あるいは僕が気付かないものでももちろんOKです)
仕分けして送ってくださいね。

ご家庭であるもの、ご近所で集められるもの等
送っていただけますか。

170-0011豊島区池袋本町4-47-12-1603
03-5950-4848
神山典士

です。

小田の車がどれだけ詰めるかわかりませんが、ひとまず我が家に集めて順次持って行ってもらいます。

4月中旬には僕も現地に入れるかもしれません。
そしたらまた報告します。

この活動についてはどんどん転送いただいて結構です。

ただし、ひとまず自宅で預かりますので、あんまりかさばるものを贈られる時は事前にご一報ください。
家がパンクしちゃいますので。

よろしくお願いいたします。

神山典士『熱血ライター』http://www.the-bazaar.net/index.htm
http://100-elibrary.com/
http://blog.goo.ne.jp/honchobunsei
tel03-5248-0811fax5248-0810

2011 04 04 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 22, 2011

ニューヨークの友人が教えてくれました。

素晴らしい言葉と出会いました。
ご参考までに。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司

2011 03 22 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 18, 2011

東日本巨大地震のお見舞い申し上げます

地震から一週間ですね。
あと1時間後くらいに、グラグラきたんですよね。

僕はバザールで執筆していて、PCの右側の壁いっぱいのスチール本棚が崩れないように片手で抑えながら
「地震よおさまれ、もう悪いことしませんから」
なーんて、何も悪いことしてないんですが祈ってました。

そしたらがしゃーんと大きな音を立てて、左側の2つの小部屋にあるスチール本棚が見事にゆがんで崩れ落ちているじゃないですか。
もう一つの部屋では資料棚の上に置いていた古いPCが落ちてきているし。

もちろん本や資料は面白いように床に散乱していて、
まるで「海」状態でした。

Photo

Photo_2

このせいで、PCからのネット環境がダウンしちゃってもう大変。

復旧したのはやっと今日ですよ。約一週間PCからはネットに繋がらないという
ネット難民を体験しました。

んでね、
あの震災の日、
家族とマロンの無事を確認して、散歩をかねて町内を見回ったんですよ。
そしたら明星の赤提灯が煌々とついているじゃあーりませんか。

まさか!と思って入ってみたら
じじゃーん

Photo_3

この人確か目白に住んでるはずなのに、「歩いてきた」だって。
筋金入りだな~。さすがだな~。

トイレの看板までひんまがっている中、
普通の表情で飲んでる常連が数人いました。

いやいやすごすぎ。

こういう姿勢を勤労意欲にも見せてほしいという
明星会会長の言葉を紹介しておきます。

いずれにしても、被災されたみなさんに、お見舞い申し上げます。
そしてなくなった方の無念を思うと-----

頑張らないといけませんね。頑張りましょう。


2011 03 18 [2011年東日本支援、明星の会] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック