熱血ライター 神山典士がゆく

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September 22, 2005

書評1

nobodyという雑誌サイトに横浜国立大学教授の梅本洋一さんが書評を書いてくれました。フランス演劇史等を専攻されている先生です。お時間あったら読んでみて下さい。
ホテルニューグランドには僕にはおよびもつかない「思い」をお持ちの方です。http://www.nobodymag.com/journal/archives/2005/0918_0947.php

2005 09 22 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

September 18, 2005

サリー・ワイルを偲ぶ晩餐会、お楽しみ大ぷれぜんとたいかいぃぃぃ

さあ、お食事を楽しんでいただいた後は、各スポンサーの皆さんにお世話になった大プレゼント大会のはじまりはじまりぃぃぃ。これは盛り上がりましたねぇ。なにせ賞品がすんごいんですよ。
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・原宿精進懐石「月心居」賞---ディナー券2名様
・パークハイアット東京「梢」賞---ディナー券2名様(大江料理長好みの女性に限る。年齢問わず)
・文京区春日Sワイル賞---お誕生ケーキチケット
・銀座レストランエスコフィエ賞---創業55周年記念ディナー券2名様
・編集プロダクションぺんだこ賞---名刺か年賀状デザイン一式券
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・熱血ライター賞---長崎自由亭で使われていた日本初のコーヒーマグカップ
・礒絵里子賞---CD一枚
・安曇野賞---リンゴ一箱
・新宿三丁目ラブ賞---二名様ご招待ボトル一本プレゼント+キス
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・神楽坂ラリアンス賞---シャンパンマグナムボトル二本
・ホテルニューグランド賞---ツインルーム宿泊券&ディナー券2名様
・神楽坂マダムS賞---ホテルニューグランド、エクゼクティブツインルーム宿泊券&ディナー券2名様
・セントラル総合研究所賞---長崎往復航空券+宿泊券2名様
・長崎ロアジス坂本賞---ディナー券2名様

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てな具合でした。特に最後のセントラル賞は、当初長崎往復航空券だけだったのですが、プレゼンテーターで登場した八木社長が「当たった人は宿泊どうするの?」と仰って、「じゃ、宿もつけちゃいましょうか」と僕が言ったら「そうだね、ついでだから」なんて言ってその場で決まっちゃったんです。うぉー、盛り上がりましたねぇ。
幸運の女神はバイオリニストの礒絵里子ちゃんがやってくれました。チケットの半券を箱に入れてそこから引くんです。当日は席がなかったスタッフやカメラマンの中岡さんの名札もいれました。
えー、誰がどの賞に当たったかは定かではないのですが、安曇野の山崎夫人が僕の「熱血賞」、来春月心居の棚橋さんの本を編集する初鹿野君が月心居賞、安曇野賞が神楽坂マダムSの塩谷さん、マダムS賞はアスコムの編集者斎藤さん、ニューグランド賞はドキュメンタリージャパンの山岡さん、ぺんだこ賞は札幌から来て頂いた比企さん、ラリアンス賞はオークラ総料理長の根岸さん等々にあたりました。
そして最後、長崎にいってロアジスのディナーを食べて豪華ホテルに泊まるセントラル+ロアジス賞はラリアンスのシェフソムリエ、勝山さんご夫妻が当選されました。ぱちぱちぱち、おめでとうございます。
皆さん、それぞれプレゼントを楽しんで下さいませ。
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ということで、長かった晩餐会企画もこれにておひらきとさせていただきます。ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。また10年後くらいになにかやりましょうね。たはは。ま、んな先のことはわかませんけどね。
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2005 09 18 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

September 13, 2005

サリー・ワイルを偲ぶ晩餐会、お料理特集

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さて、お食事が始まりました。
実はお料理の画像はカメラマンの中岡さんが会場撮影に忙しくて撮って頂けませんでした。(料理写真を撮り始めると照明とかに時間がかかって、シェフが嫌がるんです)
そこで、この画像は講談社の小沢一郎さん撮影のものです。写メールなので、ちとお許しを。あとから、食べかけの映像も出てきますが、これまたご愛嬌ということで。むふふ。小沢さん、ありがとうございました。
まずは『オードブル・リッシュ』(以下は、高橋清一総料理長の解説です)
フランス食材が入手困難だった時代に、ワイルが工夫したオードブルです。オードブル・フランセ(仏蘭西風オードブル)という言葉もニューグランドから生まれ、当時はワゴンの中に数種類のオードブルを載せてお客様のテーブルを廻って取って頂いたそうです。
ちなみにこのワゴンスタイルのサービスは、今もレストラン・アラスカ(有楽町プレスクラブや毎日新聞朝日新聞社屋内)に残っています。例えばカレーライスのご飯を銀のプレートでサービスするとか。アラスカの初代料理長はワイルの直弟子なのです。
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続いては『コンソメ・アンバサダー』。ニューグランドではコンソメのひきかたは創業以来変わっていません。浮身はチキン、ロイヤルトリュフ、マッシュルームです。
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続いてお魚料理は、この日の一番人気、舌平目のポンパドール風。カニのアラクレームを舌平目で包みパン粉でまぶしフライパンでこんがりと色づけた一品です。ポンパドールとはフランス国王ルイ15世の寵姫の名。生涯食に強い憧憬を持ち続けた、ま、食いしん坊だったということです。彼女が愛した一品です。
のちにこの料理は、ワイルの弟子の入江料理長の手によって『ソール・ナンチュ』という舌平目をクルリと巻いてその中にエビとソース・アメリケーヌを入れる料理に進化して行きます。
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若鳥のペリゴール風。ひな鳥にフォアグラとトリュフを詰めて焼き上げています。昭和3年のメニューとしてはずいぶん贅沢です。当時から缶詰でフォアグラやトリュフが入っていたのですね。
ペリゴール地方は、フォアグラとトリュフの一大産地です。
この後、レタスのニース風サラダが続きます。レタスといえば、当時は船旅で二週間以上かかって輸入されていました。途中熱帯を通るために周囲の葉は溶けて、使えるのは芯の2、3枚だけ。横浜近郊では、早くからレタスを含めた西洋野菜が創られていたそうです。国内産の結球タイプのレタスは1960年代まででてきていません。
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ニューグランド創業以来人気のバニラアイスクリームに抹茶ソースをかけた一品。当時はオレンジアイスだったのではないかと、エスコフィエ協会の宇田川先生は仰っています。

さてさて、昭和3年のメニューの再現は如何だったでしょうか。「お腹にもたれなくて美味しかった」「久しぶりにオーソドックスなコンソメをいただいた」「舌平目が美味しかった」「懐かしい味だった」と、それぞれいろいろな感想をいただきました。料理人の方にとっても、懐かしさの中にも基本を振り返っていただくよいチャンスだったようです。

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September 09, 2005

サリー・ワイルを偲ぶ晩餐会、はじまりはじまりぃ

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150名が一同に介するとさすがに圧巻です。19時きっかりに照明が落とされて、蝋燭の明かりのもとでMCが始まりました。やがて照明がつくと、本日のもう一人の主役たち、ワイルにゆかりの料理人たちの登場です。
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中央で椅子に座っているのは御歳90歳になる銀座エスコフィエの平田さん。平田さんは昭和8年にニューグランドに就職され、ワイルの下で料理修業に励みました。やがて召集されますが、復員されるときに背負ってきた戦友のお姉さんが銀座で居酒屋をやっていて、戦後はその土間を借りてワイル仕込みのコロッケを売って大ヒット。わずか5年で今の銀座五丁目に土地を買って店を開いたという立志伝をお持ちです。
その他オークラの根岸さん、三鞍の山荘の今井さん、二葉製菓学校校長の加藤さん、エスコフィエ協会会長の劔持さん、京都オークラの大庭さん、元神戸オークラの小西さん、エス・ワイルの大谷さん、ワイルの孫弟子の早坂先生等にひと言ずつワイルの思い出を語って頂きました。
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この日の料理は昭和3年に来日したアメリカのホテル視察団のサヨナラパーティーのためにワイルがつくったメニューが再現されました。残念ながらカメラの中岡さんは参加者の撮影に手一杯で料理撮影はできませんでした。僕の本の表紙に載っているのがほぼこの夜の料理です。オードブル・リッシュ、コンソメ・アンバサダー、舌びらめのポンパドール風といった懐かしいテイストの料理が続きます。シェフたちが腕に寄りをかけてつくってくれたお陰で大好評。参加者のワインもすすみ、あっと言う間に赤白計六〇本が空になりました。
さあ、お腹が満ち足りたところでデザートへ、そしてお待ちかね、大プレゼント大会へと続きます。
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September 08, 2005

サリー・ワイルを偲ぶ晩餐会、入場シーン

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いよいよ晩餐会の開幕です。外は生憎の雨模様。でも皆さんほとんど100%のご出席でした。
受付け前にはワイルゆかりの写真や資料、スイスで発行された新聞等も展示しました。
覗いているのは元センチュリーハイアット料理長、ワイルの孫弟子の早坂先生と文京区に移った製菓店エス・ワイルの大谷ご夫妻です。
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この日の主役はご出席の皆さんとこの会場でした。昭和2年に創られたレインボー・ボールルーム。今は絨毯ですが、昔は樫の床でダンスパーティーが夜な夜な開かれたとか。ニューグランドの開業日、ワイルはここに集まった2000名もの賓客のために腕を振るっています。今宵は縦三列、マフィアのお誕生会のようなテーブルセットにしていただいて、ご覧のような荘厳な光景になりました。
そしてもう一つ、受付けを飾ってくれたオール・シングル・フラワーズ。いや、よく見るとそうでもない子も若干混じっていますが、ま、会場に花を添えてくれました。お茶の仲間のみの、くり、スポーツライターの塩ちゃんライター志望の安斉さん。そしてスタッフリーダー大山智子、舞台監督大畠利恵、司会の茶木君です。
みなさんどうもありがとう。
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いよいよ会場です。入り口前には、総料理長高橋清一さんはじめニューグランドのシェフたちがトック・ブランシュをかぶって勢ぞろいしてくれました。こんなことありませんよね。もう大感激。
そのシェフの前を通ってお客様たちが入場します。小学校時代からの友人小沢夫妻、そしてお茶の佐々木先生もご主人の潤一先生や大勢のお弟子さんと一緒にご出席下さいました。
ありがとうございます。
そしてここから3時間、奇跡のような密度の濃い時間と空間が待っていたのです。

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September 07, 2005

うれしいなぁ『初代総料理長サリー・ワイル』

そうそうにアマゾンのカスタマーブックレビューが一本たちました。
もう読んでくださったのですね。コヤマンさん(なんか紛らわしいけれど僕じゃないっすよ、とほほ)どうもありがとう。僕が言いたかった点を的確に読んで頂いて、とても嬉しく思っています。
拙書もこんな読者と出会えて幸せです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062130432/qid%3D1126069432/249-7690698-2072327

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サリー・ワイルを偲ぶ晩餐会開幕前、嵐の前の---

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5日、早めに午後1時頃にニューグランドにチェックインすると、待っていたのは「315号室」。なんと憧れのマッカーサー・ルームでした。そういえば数日前、客室係の人とメールでやりとりする中で「いいお部屋をお取りしておきますよ」と言ってくださったので、「マッカーサールームですか、むふふ」なんて返信しておいたのです。それには返事がこなかったので呆れられていたのかと思ったら、言ってみるもんすね。
当時はもうひと部屋応接間がついていたそうですが、今は執務室とベッドルーム、大きなバスルームの3部屋続きです。その調度品が素晴らしい。一泊7万円だそうです。ま、さもありなん。
午後2時過ぎにスタッフが集まるまで、僕はちと寛がせてもらいましたん。
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晩餐会のスタッフリーダーは大山智ちゃん。参加者募集から告知からメディア対応から備品つくりから、何から何までてきぱきとやってくれました。記念品に付けた扇子のレプリカ、当日パンフ、チケット、座席表等、大好評でした。19時の開幕前に、スタッフは大忙し。入り口にはスイスで発見してきたワイルゆかりの写真屋資料等を飾りました。
さあ、いよいよ開幕です。

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