熱血ライター 神山典士がゆく

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August 08, 2016

北信五岳、戸隠山。「やべ、きつ、こわ」

先週金曜日から長野県小布施に入り、ビアパーティー、文屋スタッフ、
そして木下さんの取材をこなしてきました。
小布施はいいな~。
どこを切っても故郷を愛する人たちの温かさがあります。
9月から始まるサンデー毎日「下山の時代の仕事術」の
初回と二回目は、この町をテーマにした作品になります。

どんな文章が出てくるか、自分でも楽しみです。

その取材を終えて長野市へ。ここでは大学時代の盟友、雫石夫妻が待っていてくれます。
夜はこの町で働く山岸パーさんを呼んでの宴会。
雫夫妻が庭の畑でつくった野菜で大盛り上がり。

そしてそして、翌日が問題なのですよ。
かるーい気持ちが「戸隠でも登ろうか」といって出かけたのですが、
なんとなんと、こんなにきつい山は初めてでした。

とにかく写真でみてください。

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最後、戸隠牧場に降りてきてから振り返ったら、なんと急峻な岩山だこと。
あんなんに張りついていたんですね。
生きててよかった~。

途中蟻のとわたりと呼ばれるナイフリッヂは、立って歩くなんてとてもできなくて、
鞍部に跨がって両足で斜面を挟みながら、
両手で目の前の岩をかきながら進みました。
いわゆる「いざり」ですね。
とほほ。
でも格好なんていってられる状態じゃなかったからね。

後ろを歩く雫の「高原列車」の歌声が消えたあたりから、やばーいムードが漂っていました。

ま、とにかく凄い山だ、戸隠山。素晴らしい山です。
ぜひ挑戦してみてください~。


2016 08 08 [アウトドアスポーツ] | 固定リンク | トラックバック (0)

July 29, 2016

「フレンチの王道・シェイノの流儀」読書感想文大会~優勝者発表!!!

「フレンチノ王道、シェイノの流儀」(文春新書)の出版記念食事会
読書感想文大会の栄えある優勝者は--------

放送作家の宮田浩史さんに決定しました~~~

おめでとうございます~~~
宮田さんには、シェイノから、時価5万円相当(?)の「お食事券二名様分」が贈られます~。

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刻まれた記憶 〜フレンチシェフ井上旭の流儀〜  
                          宮田 浩史

 「人間てのはさ、結局、自分の身体に刻み込んだ記憶だけが財産なんだよ……悔しくて殴ってやりたいと思った記憶。そこだけ後光が射しているように美しくて魂が震えた記憶……そんな記憶だけが逆境に立たされた時の突破口になるし、俺はそうやってこれまでの人生を生きてきたね……」
 『フレンチの王道 シェ・イノの流儀』を読み終えた時、まだ一度もお会いしたことのない井上さんの声が聞こえた気がした。ニセモノやまがいものを死ぬほど嫌い、言葉は飾り気のないべらんめえ調という氏の豪快な声が。
 流行り廃りの激しい飲食業界において、30年にわたりトップを疾走するグランメゾン『シェ・イノ』を一代で作り上げたオーナーシェフ・井上旭さん。彼は26歳のときにその目で見、身体に刻み込んだソースの記憶だけを頼りに、それを料理人としての唯一最大の武器にしながら、その数奇な人生を切り拓いてきた。井上シェフの輝かしい成功の陰にあったのは、いつもたった一つのソースだったのだ。
 
 悔しさの記憶
 「フレンチの王道」第1章には、父親の病気によって15歳で働かざるを得なくなった井上青年が、その境遇から何とかして這い上がろうと、もがき苦しむエピソードが出てくる。10代後半で初めて料理の世界に飛び込んだ井上さんは、その時すでに「俺ならもっとこうする」というアイデアを持っていた。しかし駆け出しの新人、井上旭が親方に見せた料理は、味見すらされず投げ捨てられる。井上さんは思わず親方の胸ぐらをつかみ、殴り掛かろうとした。この時の“悔しさの記憶”が「日本の料理界をひっくり返し」、「フランス料理で世界のてっぺんをとる」ことを決意する原点となった。
 その後も、修業先のレストランで先輩から受けた差別の記憶や、出口の見えない料理修行の日々の中で、膝を抱えながら過ごした記憶が、井上さんを前に進ませた。そして井上さんは、生涯の宝となる記憶をその全身に刻む瞬間を体験する。
 三ツ星レストラン『トロワグロ』で、師匠ジャンが天才的な動きで作り上げていく至高のソース。28歳の井上さんは、その一部始終をノートではなく、脳と五感、すなわち己の肉体のすべてに刻み付けた。全身全霊で意識を集中させて。そしてこの時の記憶が、その後40年以上にわたる井上さんの料理人人生を支える「核」となったのである。

 型を受け継ぎ、型を破る
 「フレンチの王道」第3章には、フランスでの修行を終え、帰国した井上さんの恐るべきエピソードが登場する。「調理場で一通りのソースをつくり頭を整理してから」、なんと「修行中に書きためていたジャンのソース作りのルセットやメモを全て破り捨てた」というのだ。料理人にとってレシピは一生の財産。いくら脳裏に刻み込んだといっても、捨てなくてもいいのでは。そう考えるのは私たち凡人だ。ルセットに頼って再現芸のソースを作っていたら、いつまで経っても新しい創造は生まれてこない。師匠を超えるソースを生み出すためには、どうしてもルセットやメモを捨て、二度とそれに頼れないように“自分を追い込む”必要があったのだ。
 翻って私たちはどうか?私など追い込まれたとき、ついつい何かにすがりたくなる。誰かが開発したメソッド、どこかの本に書いてあったアイデア発想法……etc。しかしそれらは結局すべて借り物にすぎない。
 「ノウハウなんか捨てちまえ!生きてく上で一番大事な『核』は一つでいい。それを自分なりに極めていくんだよ」井上さんの声がまた聞こえた。

 揺るがない視座
 目新しいものがもてはやされる時代である。常に新しい刺激を求める人々のために、多くの料理人は新機軸という名の流行を仕掛ける。人々はそこに行列をつくり、消費し尽くしては去っていく。
 井上さんはそんな風潮を「伝統を持たない創造には持続力がない」と断じる。伝統の大きな流れに身を置きながら、「自分にしか創れない新しい“何か”を生み出せ」という。そのためには何百回も同じものをつくり、本物に出逢い、驚き、衝撃を受ける中で感性を磨け、と語る。
 伝統をリスペクトし継承しながら、自分だけのオリジナルを作っていくこと。これは料理の世界だけでなく、ものづくりに携わる者すべてが肝に銘じておくべき事だろう。
 「伝統をないがしろにすんな。物事の本質は変わりようがねえんだから。だから俺の目の黒いうちはうちじゃ絶対に醤油なんか使わせねえ……」
 私の脳内で井上シェフがまたしても吼えた。標高の見えない山の裾野をぐるぐる回り続けてきた私も、この極東の島国で足を踏ん張りながら、まだまだ愚直に歩き続けたい。そんな気持ちになれた。


 いつかスーパーマン井上旭の“もう一つの物語”を
 蛇足を承知であえて言わせて頂きたい。本書にはまだ詳らかに語られていない時代の、井上さんの内面の物語をもっと知りたいのだ。例えば、井上さんが日本を出てから『トロワグロ』という星に出逢うまでの疾風怒濤の日々。出口の見えない真っ暗闇の中、心が荒ぶこともあったはずの井上さんは、何を支えに生き、なぜ戦い続けることができたのか。スーパーマン井上旭の心の葛藤を掘り下げるような“もう一つの物語”もぜひ読んでみたいのである。
 「腕のよい料理人は自分の学びとったもの、すなわち自分の個人的な経験のあらゆる結果を、自分の後に続く世代に伝える義務がある」
 トロワグロ兄弟の師ポワンの言葉は、本書によって達成された。だが、まだこれだけで終わって欲しくはない。これからさらに研鑽を積まれ、厳しく若手を育成されていく井上シェフが80歳、90歳になったときに語る言葉———これから世界をめざす若者たちを初めとする多くの人たちを励まし、生きる指針となる金言———を私たちは待っている。

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宮田さんは朝日カルチャーセンターで開いているぼくの「エッセイ講座」の生徒さんでもあります。
ぼくも嬉しいです。日頃の指導の成果かな?食事はぼくと行くのかな?野郎二人でもな~なは。

感想文を書いてくださったみなさん、ありがとうございました。
今回は食事が始まる前から、テーブルのあちこちで「あ、あの文章を書かれたのはあなただったんですか」
「あの文章は素敵ですね~」と、いろいろな会話が花咲いていました。
文章は人柄を表すから、より一層食事も楽しめましたね。
また機会があったらやりたいと思います。

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大江さん、西野さん、包丁だけでなく時にはペンも持って修業してくださいね。ふふ。

お読みいただいたみなさん、ありがとうございました~。

2016 07 29 | 固定リンク | トラックバック (0)

July 28, 2016

「フレンチの王道・シェイノの流儀」読書感想文大会~その4、上位入賞者をご紹介します~

いよいよ感想文も上位入賞者の発表です。

今回の得点方式は、「シェイノの採点×3」、「神山の採点×2」、「当日会場での採点(1作品を二人が読んで採点)」という方式となりました。

まずは第五位、「シェイノ75点」「神山65点」「会場90点90点」のトータル535点を獲得した鈴木靖子さんの作品です。


鈴木靖子

読書感想文を書くということ。
どれくらい振りのことだろうか。届いたばかりのamazonの箱を開けながら、ふと思う。通勤時の電車で何度か睡魔に襲われながらも読了。

 私が初めて本格的なフランス料理を食したのは、高校を卒業した日。宇都宮という地方都市にオープンしたばかりの「オーベルジュ」という名のレストランだった。家族と共に緊張しながら頂いたフランス料理。とても美味しかった。そこには、味覚、視覚、嗅覚、それだけでは無い不思議な心地良さがあった。
音羽シェフの料理は、それまで体験した事の無い感覚だった。「もっと食べたい」そう思ったのを、今でも覚えている。
 大人になり、フランス料理に限らず様々な料理を食するようになり、『マキシム』や『トロワグロ』『レカン』など、有名レストランで食事をする機会も頂いた。どのレストランでの料理も素晴らしく、ひとつひとつの素材から感じる感覚的な印象、皿というキャンパスに描かれる描き手の感性のフィルターを通し具現化しているかのようだった。
基本的なフランス料理、地方料理のベーシックな事さえよく知らない私だが、フランス料理は、見た目の写実では無い、感覚的な印象、絵画のようだと思っている。
この著書を読むにつれ、書中からはまるで森や野に風や太陽の光がそそぐその土地の土の香り、井上シェフの造り出すソースの匂い、ひいたばかりの湯気のたった黄金色のコンソメを妄想させる。ブリア・サヴァラン著書の美味礼讃を読んだ時の感覚、私にとっては、まさにレシピ本である。
ベーシックな技術を習得したうえで新しいものを取り入れ自分なりの、今の時代に求められる料理を創り上げて行く。常に新しいものを吸収し、進化し続けて行く。井上シェフだからこそ、できるもの、できることを追求していくという姿勢。どのような業種・業態でも言えることだが、なかなか出来ることではない。
そして、今、妄想が益々膨らみ私の脳裏には、沢山の「食べたい」という欲求がラインダンスをしている。多分この妄想とドキドキは、23日当日迄続くことだろう。

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続いて第四位、第三位は、すでに掲載した藤原温恵さんと水上彩さんが同点「545点」で並びました。同点三位です。おめでとうございます~。

そして第二位は。「シェイノ75点」「神山85点」「会場77点98点」トータル「575点」青田泰明さんです~。
おめでとうございます~。

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青田泰明

  読後、かの店の内装や味わいを思い出しながら、また初めから読み直す。海外出張の機内にて、それを往復路で3回繰り返した。
 近代以降のフランス料理史と井上旭という名料理人の足取りを辿りながら、静かに繊細に薄皮を向くように浮き彫りにされていたのは、稀代のグランシェフが今なお抱える強烈な葛藤であり、「外国人がフランス料理をつくること」が包含するアイデンティティ・クライシスであったと考える。
 フランス料理の本質は、破壊と創造である。エスコフィエの時代から、ポワン、ボキューズ、トロワグロ、ロブション、デュカス、ガニェール、パッサールというように、時代と共に求められる味と形式の指標は幾度も変容しており、それらを刹那的な流行とは見做さず、素直に受容する度量の深さと軽薄さは、フランス料理の特徴だといえるだろう。歴史に誇りは抱くが、歴史に縛られることはない。その美学と精神こそが、長い間フランス料理を世界一の料理ジャンルたらしめてきたことは間違いない。だがしかし、それは日本料理のメンタリティとは大きく異なっている。
 日本料理の本質は、再生産である。繰り返される四季の中、その瞬間に切り取られる食材の旨味を蓄積された技術と様式で美味に仕上げる。効率的な現代的手法よりも、手間をかけた伝統的手法を尊び、それを風情と感じ、美味と捉える。これは、日本料理の本質というよりも、日本人の価値観や心性なのかもしれない。
 伝統工芸を継承する職人の家に生まれた井上は、間違いなく日本的メンタリティを強く内在化させた人物である。だからこそ、変容を許容し、醤油でさえ躊躇なく使うフランス的思考は相容れない。「フランスも日本も、新しい料理も古い料理もない。問われるのはただ、その料理が美味しいか否かだけ。常にその技術を磨き続け、新しい料理、驚きの味覚、より深い味わいを求める姿勢があるかないかだけなのです」と語りつつも、現代的な料理スタイルを良しと思えず、節々で不満を漏らすその無骨な姿勢こそ、個人的には人間・井上旭が滲み出た最も魅力的な部分と感じた。
  「料理に国境はない」とはピエール・トロワグロが残した言葉であるが、現代の料理の世界情勢はまさにその通りの様相を呈している。フランス料理が世界一且つ最先端であった時代は終焉し、スペイン料理の台頭後、今では北欧料理や南米料理が時代の寵児としてもてはやされている。ただ、疑いの余地のないことは、それら各国のガストロノミーの技術的基盤は、やはりフランス料理であるということだ。
 フランスで修業を重ねた外国人たちは、故郷に戻ると、フランスで培った技術と自国文化のケミストリーを様々な形で昇華させた。それらは全て、各々が「外国人がフランス料理をつくること」の意味を模索した結果であり、料理人としてのアイデンティティの再構築だったともいえる。
 それでは、井上の場合はどうだったのか。私は、彼にとってそれこそが「シェ・イノ」であり、日本的美意識に基づく「型の再生産」だったのではないかと考える。
 伝統芸能や伝統工芸において、「型」は重要な要素である。同じ仕事をしていても、型が美しくなければ華やかさはなく、作品には雑味が残る。井上がルセットを数字で覚えることよりも、ジャン・トロワグロの調理姿や立ち居振る舞いを映像として記憶することに注力したのは、幼少期より身体化した日本的美意識に導かれてのことだったのではないだろうか。異国の文化自体に染まるのではなく、美しい型に憧れ、愛し、その再生産に取り組むことで、そこから生み出される幸福を多くの人と共有したい・・・井上が確立させたものは、そういう想いだったのではないだろうか。
 私は、「シェ・イノ」の舌平目が大好きだ。次回は、あのソースの背景にある美しい型と、井上の無骨な葛藤に思いを馳せることで、これまで以上の美味を味わえるに違いない。今から、それが楽しみである。

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2016 07 28 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク | トラックバック (0)

July 27, 2016

「フレンチの王道・シェイノの流儀」読書感想文大会~その3、水上さん、西野さん、猪野さん

 「フレンチの王道 シェ・イノの流儀」を読んで   水上 彩


 今年で92歳になるわたしの義母は、驚くほどの健啖家でフレンチが大好物。
並みの若者よりよく食べるのだが、フレンチのなかでもモダンなものや創作系を嫌い、昔ながらの料理を好む。健康志向、食の軽量化が進んだいまの世の中、「ヘルシーで軽い」料理を出す レストランが主流なので、家族で食事するときには意外と店選びに苦労する。
 代官山の『レストラン・パッション』はオープン以来30年の常連。そのほか、パッションの系列である『ル・プティ・ブドン』、『アピシウス』など、クラシックフレンチのお店をリピートすることになるのだが、『シェ・イノ』も義母のお気に入り。
それゆえ、「フレンチの王道」という本書のタイトルが身をもってしっくり感じられた。

 本書をよんで沸きおこったのは、「ALWAYS 三丁目の夕日」をみて胸がきゅんとするような、古き良き時代への郷愁と、高度経済成長とともに発展した日本のフランス料理界への憧れである。
「フレンチ料理とイタリア料理は違うんだ」という認識レベルから、人々の味覚が進歩するのとともに、井上さんも「ヌーベル・キュイジーヌ」の寵児として花開いた。
怒濤の勢いでフレンチ道をつきすすむ本人の並外れた努力・行動力・才能はもちろんだが、時代の波にうまく乗ったことにより、シェ・イノがクラシックフレンチの元祖としてゆるぎない地位を築いた、ということが読みとれた。

 「世界一の料理人」を目指して研鑽を重ねてきた井上さんを筆頭に、彼が影響を与えた料理人たちが本場なみにレベルの高い一皿をつくろうと日々努力してきたのはよくわかる。それではわれわれ食べ手はどうだろうか。
 本書のなかには、各界の財界人、名士、文豪など上客の話が出てくる。オープン以来の常連、毎年ジビエの時期には必ず食べにくる紳士、世界中の美味美食を食べ歩いたグルマン達……「お金を出せば誰でもいつでも食べられるというものではなく、季節と場所と料理人とそれを食べる人をも峻別する料理」オート・キュイジーヌを出すシェ・イノには一流の舌をもった人たちが集う。
 ここでふと考えたのは、味のわかる上客はいいとしても、来店する客すべてがグラン・メゾンにふさわしいだろうか、ということである。日本のレストランでは、よほど無礼なふるまいをしない限り、かつての『マキシム』みたいに門前払いされることはないだろうが、重要なのは、客のひとりひとりが出された料理にどう向き合うかではないだろうか。

 こんな岡本太郎のエピソードがある。彼はピカソの絵をみて感動したときに、こう言った。
「感動しているのはこっちで、その絵じゃないんだよ。その絵がすばらしいんじゃない。感動しているこっちがすばらしいんだ」。
 この「絵」を料理にあてはめてみると、いわんとすることが伝わるかもしれない。ピカソの名作を見て反応しない人がいるように、すばらしい料理を前にしても、まったく反応しない(できない)人もいる。そう考えると、料理人が魂を込めた「作品」に反応してくれる、すなわち店に選ばれる食べ手になるには、感性を磨き、味覚レベルを引き上げる努力をすべきではないだろうか。
 
 はじめてイノにいった日、メインにいただいたのは、もちろん「マリア・カラス」。
いまやひとつの固有名詞となった看板料理、イノにきたらぜったい食べたい、と思い続けてきた一皿だった。
皿が目の前に置かれた瞬間に立ちのぼるトリュフの芳香、美しいロゼ色の仔羊にフォアグラと赤ワインソースが絡み合う濃厚なうま味、そしてボルドーの古酒との完璧なマリアージュ……私自身はまだまだひよっこの食べ手だけれど、イノの歴史がつまった「味わい」に感動した瞬間は、今もはっきりと覚えている。

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京遊膳 花みやこ 生涯異端児料理人 大将 西野正巳


この本を読む前に、井上さんの年齢を頭に置いて、私の師匠である京都西陣「魚新」の故寺田茂一や江戸柳橋花柳界最後の名料亭「いな垣」の原司の事を思った。
戦争に二人の師が予科練にて零戦で訓練を受けていたなど、当時の話をよく聞かされた。 時代背景としては、私が生まれる少し前であるという事が分かります。
当時日本には物資が無く、飢えで死ぬ者が居たという。 円は1ドル360円で自由に外国に行くなど出来ない時代だった。 多くの大先輩たちに可愛がって頂いた私には海外渡航の経験が無いのに、その風景が見える。(不思議なものである) 今の子たちは家族の為とかお国の為で何かを行うなど、スポーツ選手でもなければあり得ない!まして職業や就職先を選ぶのに、自分を試すとか地獄を味わうなど考える者も居ないでしょう。
私は中学から不良と呼ばれ、高校は空手で全国連覇を果たしていた地元の水城高校に空手部特待で受験なしで入れた。世間が近寄らないほど荒れていて、授業中にシンナーやタバコは日常茶飯、日々喧嘩に明け暮れていました。朝鮮高校とは因縁で、抗争事件で有名になった。今思えば「金八」や「積み木崩し」の同世代と言う、日本で一番に不良が暴れ乱れていた時代でした。
しかし6歳の頃から調理が好きで、実家はスーパーだった為に食材には困らず、親は忙しいので家族の毎日の夕飯を作って楽しんでいた。8歳の誕生日には、親が包丁と業務用厨房を私にプレゼントしてくれた。この頃から自分は将来はコックになるんだと既に決めていました。コックに…そう何故かフレンチに憧れていたのです。その思いは高校時代も変わらずに、空手部の合宿でも調理担当で練習が途中で抜けられる特権に甘んじながらも、皆んなが喜ぶ顔を見るのが楽しくて色々と凝った料理も作っていました。
しかし今のままでは刑務所に入るような人生へ行くだろうと我を見つめる事もあり、全ての友達や自分自身を消す為に、東京では無く誰も知らず誰とも連絡を取らずに済む大阪の専門学校を自分で選びました。アルバイトと進学制度を使って、親からの支援なしでも生きて行ける道を選びました。井上さんのようにヨーロッパへ行くという凄い志では無いですが、18歳で1人大阪へ向かい、当時の日本料理の講師畑耕一郎先生に西野は日本料理の方が向いていると言われました。この一言で私はフレンチから日本料理の道へと方向変換し、京都の老舗料亭の門を叩くという事になりました。
こんな私ですから先輩との喧嘩や京都の街でもヤンチャして、皆んなに迷惑かけた事は言うまでもありません!そんな私でも、料理の事だけは何があっても誰にも負けず本気でピラミッドの上の世界へ行きたいと、野望だけは消えずに歩んでいました。
京都では関東人は嫌われ生意気な私はイジメにも合いました。でも空手部の辛さからすれば…蚊に刺されたようなもの。関西のヤクザとも争い事件になり、警察署に泊まって保護観察で家庭裁判所へ通いながら修行しました。京都での修行は給料が少なく、休みなど殆どないので楽しみは仕事の後に河原町に飲みに行き、同年代の学生と仲良くしたりマハラジャで踊ることでした。少ない給料では銭湯へ行くと手元には雀の涙ほどのお金が残るだけです。そこで飲みに行っていたカフェバーの社長にお願いして、百万遍にあった支店でバイトを週3回させてもらえるように交渉しました。
採用されてからは社員価格で河原町の本店ビル内の店も飲めるようにしてもらった。当時その店には、京大と同志社の学生がお客できて、1杯のカクテルで朝まで勉強している。(今のスタバのような光景が繰り広げられていた。)これでは利益にならないので、夜食セットを考えてくれと言われ、出し巻き定食と竜田揚げ定食を私のバイトの時だけ始めることにしました!すると口コミで週3回は売り上げが他の日の5倍にもなり、私も給料を多く貰え、調理の勉強がリアルに出来るという嬉しい形になりました!言葉の壁は無かったし、京都も好きな街になったので、淋しさは有りませんでした。
ただ京都の料亭の仕事は厳しいく、辛い毎日で流石の私でも心が折れそうな時は涙したものです。其れでも自分が選んだ道ですので「有言実行」は私のポリシーですから、一人前になるまでは負けないと耐え忍び、26歳まで修行しました。
現在の私の店にも多くの子供達が修行に来ましたが、1年居た子は0。何とも根性の無い者ばかりです。親のお金で専門学校へ行き、高い授業料も出してもらい、「夢は料理人です」とか偉そうに面接では口先だけは達者ですが、入って来ればろくな声で挨拶も返事もできない!料理の前に社会の基本や道徳心が皆無!日本一になろうとか最高の料理を生み出すとか、若き日の井上さんが思った事など、今の子は思いもしないのか?情報はパソコンやスマホで幾らでも世界中から即座に入手できます。初めての料理でも食材でも、調べれば親切に何でも載っている。お金さえ出せば手に入らないものも無い!こんな、恵まれ過ぎた時代だからこそ、ハングリーになって欲しいし上を目指して欲しいのですが、組織が好きで一匹狼や異端児になる事を恐れています。
私は調理師会という、くだらない文化を駄目にする、組織絵図が気に入らなくて28歳で独立開業しました。28歳で5000万の金を貸してくれる銀行など無く、親に頭を下げ、反対を押し切って保証人になってもらったお陰で、小さな料理屋を始めることができました。夫婦二人三脚で15年間というもの休み無く毎日15時間以上働き、疲労とストレスで倒れて入院し、死の淵まで行く事になりました。けれどその努力の末に視野を広げることができ、地方からでも世界を目指そうと働いて来ました。
長年の信用で、今度は誰からの支援もなく数億の借金をして数寄屋造の店へと進化する事ができました!年齢的に古賀シェフと同年代なので、そろそろ人を育てる事が義務だと弟子の育成にも力を入れていますが…ハングリーな異端児は未だ現れませんね〜 。
この本を読んで、友達と少し離れたからと淋しいなど女の腐った事を言うような「ゆとり野郎」が少しは目を覚ましてくれたら嬉しいと、私の読み終えた本を弟子には読ませています。
和食も進化し、今では引き算だけで無く足し算も行い、古い伝統技術も大切にしながらもガストロパックやスチコンにブラストチラーやパコジェットなどの最先端設備も使います。 おもてなしはサービスの基本だと茶道も学び、ワインやシャンパーニュも取り入れ、グローバルスタンダードを目指して絶滅危惧種の日本料理を必死に進化させようと努力しています。一期一会の精神と総合芸術と合わせ、お客様には記憶に残る料理を心がけて日々精進しております。
井上さんが本の中でお話ししている多くの部分で共感できます。飲食業は常に進化していますが、私たち料理人はシンプルに食材に手を加え、お客様に夢と記憶を残す「愛ある職業」である事が基本です。それを感じさせて頂いた本でした。
難しいことよりも、本物を継承しながらも進化し続ける、そして人を育てる事が心と体を作る。それが食に携わる我々の姿なように私には感じられた1冊でした。
料理に多くのジャンルや形式が世界中にありますが、其々にみな素晴らしい。素材の使い方や地域に合わせた調理法や料理に秘められた思いや秘話など、多くの歴史が人間の歴史と共に導かれ、愛ある事が全てで笑顔が何よりの料理人の幸せだと強く思うのです。尊敬する大先輩の生き様やお話は、カンフル剤となりヤンチャな異端児の生き様にも力になりました!感謝いたします。

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「フレンチの王道」読書感想文     
                      猪野敬子

私がフランス料理と出会ったのは、結婚がきっかけでした。結婚するまで実家での生活でしたが、憧れていた音楽の仕事に就けたことで社会人生活を謳歌し過ぎ、ほぼ寝に帰るだけ、、な毎日でした。
母から料理を教わる事も、花嫁修行らしいことを何もしないまま結婚。お料理はレシピがあれば簡単に作れるだろうくらいに漠然と考えていたものの、いざ夫に出してみると、「何コレ??食べれそうなシロモノに全然見えないんだけど。。」と言われてしまう始末。この一言に奮起して、通い始めたお料理教室で出会ったのが、フランス料理でした。
在日外国人シェフに母国の料理を教わる、という教室で、ヒラタマリさんにフランス料理を習いました。彼女は日系3世ブラジル人で、ご主人のフランス パリでの転勤時代に、名門料理学校コルドンブルーを首席で卒業後、パリの三つ星レストラン「アルページュ」での修行経験がありました。
彼女の作る料理は、前菜、メイン、デザート、そのどれもが食材、ソースとが渾然一体となって味わい深く、特に肉の魔術師とも呼ばれるアラン・パッサール氏直伝の肉の火入れに感動し、目が釘付けとなりました。今日はどんな料理と出会えるか、レシピには書かれない卓越した料理技術を見ることも毎回の楽しみとなりました。
すっかりフランス料理の魅力に取り憑かれ、並行して辻調理師専門学校で講師後独立された、川上文代さん主催の料理教室にも通いました。ここではフランス22の地方の料理を48回に分けて、基本のソース、調理方法などの基本テクニックを学べるコースがあり、4年かけて全て受講しました。
「フレンチの王道 シェ・イノの流儀」を読んで、これまで地方ごとに、料理ごとに断片的に勉強してきたフランス料理への理解がより一層深まりました。フランス料理の最高峰「オート・キュイジーヌ」、フランス料理の新しい潮流「ヌーヴェル・キュイジーヌ・フランセーズ」、それぞれのシェフにまつわるストーリー、エスコフィエの料理を受け継ぎながら、さらに時代にあった料理を生み出してきたエピソードの数々。今となっては彼らから直接味わうことができない料理があることを残念に思いつつ、その血が注ぎ込まれた井上シェフの料理を味わう機会に恵まれたことを大変嬉しく思います。
少々敷居が高く、他の料理と比べると行く機会の少なかったフランス料理を俄然食べに行きたくなり、また他のシェフたちにもフランス料理と向き合ってきた話を聞いてみたくなりました。
2010年にフランス料理と深く関わるワインエキスパートの資格を取得、今年はチーズプロフェッショナルの資格に挑戦しています。
私のまわりには探究心が強い人達が多くいるので、フランスの食文化を、料理、ワイン、チーズ、パンなど各分野すべてに関して、その魅力を伝えられるくらいのレベルになる事が、今の私の目標です。

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2016 07 27 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク | トラックバック (0)

July 26, 2016

感想文大会その2、藤原さん、関根さん、窪谷さん

「フレンチの王道」感想文
藤原 温恵

 「フレンチの王道」とは、どんな道であろうか?本を手にしたとき、最初に思ったことである。
 私はこの本を読んで、良かったと思う。理由は3つある。
第一に井上の歩んできた道が真に王道であり、強い信念と情熱を持って日本に伝えたフランス料理の真髄を見たからである。真正面から突き進んだ井上の苦労は並大抵ではなかったが、後に開花する料理人としての才能を信じ、とにかく頑張り抜いた。どんな状況であれ、やる人は、やり遂げる。
自分がしっかりしていれば、挫折することなく、「なりたい自分になり得る。」という人間の本来の姿を受け取ることができた。これは、料理の世界だけでなく、私たちの日常生活の中でも言える。多くの人は、小さな障害を理由に、志を断念することが多い。
井上は、自らの才能と根性、人の好意や天からの幸運など、あらゆるものを味方につけ、知恵を使って逆境を突破した。自分の歩むべき道、自分のなりたい姿を思い描き、進んでいく勇気を持った井上は立派である。本当にしたいことがあれば、本気で腹を決めて、文句を言わず取り組むべきだ。自分の生き方を見直す作業を改めて行うことができた。
 
第ニに、美味しい料理は、万国共通で人に幸福感を与え、食べ手の幸福は、料理人の食べ手に寄り添う繊細な感性から生まれてくる事実を感じることができたからである。
日頃から、心躍るような料理に遭遇したいと思っている。たぶん、私だけでなく、自分好みの素晴らしい料理をいただき、その味を楽しんでいるときは、例外なく、誰もが幸福な気分になるだろう。絶品ソースは食べ手の心のカーテンを薔薇色に変える力を持っている。食べ手の幸福は、研究熱心な料理人の技術と愛によって料理を通して提供され、至福の時、感動的なシーンとして一生の宝となる。
客と料理人の奏でる曲もまた、レストランの空気に跳ね返り、極上の雰囲気を醸し出しているはずだ。井上の料理は、本気で料理に向き合う井上の本気の結晶であり、たゆまぬ進化を重ねてきた井上そのものである。今回、本物の井上のフランス料理、特にソースを食すことができる喜びを胸に秘め、食事会の日を心待ちにしている。

第三にフランス料理の歴史を具体的な登場人物を交えて知ることができたことである。
フランス料理の歴史と言えば私にとって、ワインを勉強したときの一つのパートで、文字で表された内容でしかなかった。しかし、この本でパリのマキシムでの社交界の様子を読み、想像の翼が大きく広がり、場面が映像化され、楽しくて仕方がなかった。なんて優雅な世界なのか。1つ1つのテーブルにはドラマがあり、生きている人がいる。
そう考えると、先日読んだ小説の食卓なども、リアルに想像でき、楽しみの幅が広がる。あまり深く考えたことがない歴史を少し知るだけでも、空気が変わり、味わいに深みが出る気がする。

最後に、フランス人の食に対する思いは強く、当時のフランス料理はフランス文化そのものと言っていいくらいの質の高さを保っていた。
井上は、フランスで修業を重ね、貴族文化の残る華やかな社交界の料理をも担当した経験を持つ数少ない料理人の一人である。彼は、フランスで多くを吸収し、日本にフレンチの王道を伝えた。彼の強い信念は先見の明があった。本物のフランス料理を貪欲に追及し、イメージし、努力し、形にし、進化させていく。井上の生き方は、誰でも真似できる簡単なものではないが、生きていく上での指標にしたい姿である。そして、彼の仕事は日本のフランス料理界における素晴らしい功績である。

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関根尚子

『フレンチの王道 シェ・イノの流儀』を読んで さて、ここ最近目に触れている活字と言えば、新聞かもしくはテキストなどの解説書ばかりで、このような書籍を手にすることなどほとんどなかった私でしたので、本書にめぐり会うことができた、そのことにまず感謝したいと思います。
自分の思いを押し通し続けていいものか、自分らしくその道を貫こうと思ってはいても、少々年齢を重ねただけに根拠のない自信などは微塵もなく、このところ悶々と悩む日々を過ごしておりました。何から紐解いていいものやら、というより逆に言えば大量の情報がありすぎる現状に反発していたのか、本に拠り所を求めてみるなどということは考えにも及びませんでした。
なので、本書についてはフランス料理という魅力的な言葉にのみ誘われて読み始めたのが事実です。 ところが、読み始めてすぐより歴史的冒険小説を読んでいるようなワクワク感を味わってしまい、ついつい時間を忘れて読み進むのと同時に、悩みの闇の中に漠然と明かりが見えてきたような感じを受けました。
井上シェフの言葉の中にそれはそれは数多く出てくる『お客様』という言葉、そこにこそ答えが詰まっているのではないか、という思いです。 私の立場で言えばクライアント様になるのでしょう。
私は数か所で運動に関する指導をさせていただいています。クライアント様はいろいろな情報から私のクラスを選んでくださり、ご自身の要求を満たすためにお越しになるわけです。私はそれにお応えするべく、その日その方の様子を伺いながらこれだと思うプログラム内容をご提供できるように心がけているつもりです。お料理のルセットのようなプログラムパッケージもありますので、それのみのクラスもできないわけではありません。
ただ、私一人で大人数をまとめてドーンと受け入れていてはお一人お一人には目が届かなくなりますし、少ない人数でクラスを続けようとすれば赤字覚悟となります。でも私はお一人お一人と関わり、細かな見方のできるクラスを持ち続けたいと考えていました。『お客様』がお一人お一人違うというシェフのお言葉通り『クライアント様』もお一人お一人違うのです。
しかしその反面、自腹を切り続けるようなクラスを続けて良いのかと少々迷いもあっただけに、本書を読み進むうちに、今このままでいけるところまでいこうと考えられるようになってきたのです。自分の信念のためにも、です。 スピード感があり、はっきりとした意志の感じられる数々の言葉や文から、シェフご自身がトロワグロ氏から感銘を受け、人生をかけフランス料理というその本物を提供する者としてその頂を目指す、という思いが鮮烈に伝わってきました。その信念の強さを感じ続けることのできた一冊でした。
ルセットを記録することのみならず、師の姿を映像ごと記憶することができるなんて、やはり井上シェフは天才なのだと思います。でも『見て覚える』『技は見て盗んで自分のものにする』のは昔から修行の定番と言われているのですから多少歳をとっていても訓練すれば私にもできることがあるかもしれません。機会があればチャレンジしてみようと思います。
『料理人はお客様よりもおいしいものを食べる』。まず自身がしっかり味わえる料理人でいようという姿勢も見習いたいと思います。そしてそれを後進にも伝え託していこうとされる姿にも豪快愉快なお人柄と共に人間そのものの大きさを感じました。シェフが実は相当腕白でけっこうわがままな頑固者なのではないか、とは想像の域を超えませんが、いつでも必ず『人の中』にいらしてお客様もスタッフも皆お一人の『人』としてシェフが大切にお付き合いをされていることに間違いはないことはとてもよくわかりました。
お決まりのHow toでなく、めぐり合う環境や人々の中でその時々に自身がどうすべきなのか、どうしたいのかをしっかり見極めて、そこに進むべく努力し続けているお姿がやはり何よりすばらしいと思います。ジャンルは違っても何かを人様に提供していこうとする志を、その生き方から伝えていただいているような気がしています。
本書を読み、あらためてシェ・イノに赴き、またさらに本書をもより深く味わう、そんな若い方々が増えていってくださることを今期待せずにはいられません。

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窪谷みちこ

実をいうと、友人に誘われて神山さんの著書出版記念のお祝いに参加することになるまで『シェ・イノ』というお店を知りませんでした。
なにせ、本格的なフランス料理をいただくのは何年ぶりかというくらい、ましてやグランメゾンと呼ばれる名店での食事などこの人生でほとんど経験したことがありません。なので、こんな私が一流のお客様を魅了し続けてきたシェ・イノの料理を食べていいのかと少したじろいでいるのがほんとのところです。
私自身食べることは大好きで、フレンチ、イタリアン、スペイン料理など、月に1、2回程度ですが友人とともに神楽坂や職場のある丸の内、銀座、そして最近はおしゃれすぎて気後れしていた表参道にもついに足を踏み入れ、行ったお店は40軒を超えるくらいでしょうか。毎回美味しく楽しく時を過ごしますが、お店のリピートはほとんどしません。なぜなら、そこでしか食べられない料理に出会ったことがないから。ほとんどの店は似たり寄ったりで、どこでもそこそこのレベルのものは食べられます。だったら初めて行くワクワク感があったほうがいい、という訳で次々と新しいお店を開拓しているのです。
年齢を重ね人生を重ね大した苦労ではないけれどいろいろなことを乗り越え、50代となった今、そろそろ贅沢しても誰にも文句は言われない年齢になったのかな、とポジティブ思考。そんな折、『フレンチの王道 シェ・イノの流儀』という本に出会ったのです。テーブルクロスがかかり、ソムリエがお料理にぴったりのワインを選んでくれて、シェフがテーブルに御挨拶にまわってくる、そして最高の料理、そんなグランメゾンと呼ばれるお店、憧れの一言以外にありません。
もちろんワインリストを見せられても、どこのなんという品種のどんなワインがどの料理に合うものかなどさっぱりわからないという状態です。そろそろ自分の時間を十分楽しみたいと思っていた時にワインやフレンチを勉強する会に誘われ、今まさに勉強しているところではありますが。そんな私に今回のような素晴らしい機会がやってきたというわけです。
その期待度がどれだけ高いものか・・・トロワグロ、もちろん名前は知っています。その天才ソーシエの元で修業された井上シェフの手にかかると、あ~どんなソースが生まれるんだろうと考えただけで幸せな気持ちになります。料理がこんなにも人をしあわせにできるのなら、私も家族にもっと手をかけた美味しい料理を作らなくちゃ!と思うのですが、出汁一つにしても最近は顆粒だしや、コンソメの素など便利なものがあるのでついつい頼ってしまいます。ソース・アルベールはこんな私には想像もつかないくらい美味しいのでしょうね。
この本を読んで不思議に思ったことは、なぜシェフはここまでフレンチに没頭したのか、自分が伝統を引き継ぎ、日本風にアレンジするのでなく本場のフランス料理を継承していくことに人生をかけていらしたのか。多くのフレンチのお店が日本風フランス料理を出しているのに・・・。
これからは料理ひとつひとつには伝統があり、料理を作るシェフたちの思いがあるんだということを心にとめて、食事を楽しみたいと思います。そして、シェ・イノのジビエ料理は今年中に食べたい料理の第一候補とさせていただきます。

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2016 07 26 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク | トラックバック (0)

July 25, 2016

「フレンチの王道・シェイノの流儀」読書感想文大会~発表会~

23日に開かれた出版記念食事会、盛大なうちに幕を閉じました。
参加のみなさん、ありがとうございました。

当日行われた読書感想文大会表彰式、見事優勝は宮田浩史さんとなりました。
日頃エッセイ教室での研鑽が実りましたね。ふふ。
おめでとうございます~。

今日から数日間かけて、ここで寄せられた作品をご紹介しますね。

お楽しみに。よろしくお願いします~。

まずは、会場の人気をさらったパークハイアット「梢」料理長・大江憲一郎さんから~。ワインもありがと~。


「まったく冗談じゃないよー」ノリのやつが飯食おって言うからよー、
いいよって言ったんだよ、そしたら今度は感想文書いてこいだってよ「冗談じゃないよー
」フランス料理レストラン「シェ・イノ」の井上シェフが本書いたんだって、
それ読んで書けってー言んだよ
マッタク何考えてんだか、
飯食うのに何で感想文書かなきゃなんねーだよマッタク!
ほんでもって本送ってくるかと待ってたら来やしない、
自分で買えって言うんだぜー「まったく冗談じゃないよー」
でも仕方ないから近所の本屋に買いに行ったよ、そしたら売って無い!
あちこち4軒回ってやっと買ったよ、
知り合いにも売ってる本屋聞いたりしたらダブっちゃって2冊も買っちゃったよ
「まったく冗談じゃないよー」
それに食事は会費制で金払えだって、
あげくにワイン持って来いだから「まったく冗談じゃないよー」!
まあ仕方ないから読んだよ、そしたら何だよこの本!ひどいねー
読むのに3週間も掛っちまったよ、
読んでるとワインだの料理だの話だろ、飲みたくなっちまうんだなー、
そんで飲むとどんどん飲んじゃうだろ、
だからさっぱりはかどらない、
読み終わるのに3週間もかかっちまった、
ほんでもって時間かかり過ぎで、最初の方からどんどん忘れちまって感想文書けない、
仕方ないからもっかい読んだよ、
今度は本に線なんか引いちゃったりして付箋まで張って別紙に要点まで書き出しちゃったりして、
あー俺も何やってんだかねー困ったもんだよマッタク。
でもなんだな、やはりこのオヤジも色々苦労したんだね、
中学出て大阪の染色会社だろ「河内屋食堂」の安い飯で腹膨らましたなんて、泣けてくるねー、
それから料理人だろ「カーネーショングリル」「スエヒロ」「京都ステーションホテル」か、
それからスイス行きだろ、
あっちに行った理由が「京都ステーションホテルの料理長に負けたくなかった!」って、何様の積りで居たんだかねー、よほどの負けず嫌いか天才なんだね、
でもこう言うの嫌いじゃないねー、
それから兄貴に土地売らしてスイス、ドイツ、ベルギー、フランスか、
これじゃ家族の厄介もんじゃねーの、
おいらなんかフランス座だもんなー、
まったくやってらんないよー、
しかしなんだな、やはり人との出会いが大事なんだな、
この文中に最初から最後まで出てくる「ジャン・トロワグロ」さんとの出会い、
これがこのオヤジの生涯を決めたんだね、
「異次元の料理と出会った、その全てを映像で脳裏に焼き付けた」だもんな、
ここでこの人に出会ってなかったらこのオヤジの人生も違ってたかもね、
のちにポワンだヌーベルキュイジーヌだオートキュイジーヌだの継承者だなんて無いかもね、
おいらも師匠の芸くまなく見てたけど歩き方まで似てくるもんなー、
しかしこのオヤジ副収入で食べ歩いてたんだろ、
チップ山分けにして、まあこれはいいわな、
しかし、「麻雀も強くて負けなかったから、相応の収入もありました」なんて、賭けマージャンやってたの公表して良いのかよー、まったく何考えてんだか、公安に本送っちゃうかー、
あっ駄目だ!現行犯じゃなきゃダメなんだ、
挙句に料理人から休憩時間に巻き上げてたんだろ、
「若い連中にも食べ歩きを奨めました」なんて、ほとんどオヤジに巻き上げられて、行け無いじゃないかなー
「まったく冗談じゃないよー」、
まあしかしなんだな、このトロワグロ師匠には料理だけじゃなくて麻雀も教わったんだな、ジャンさんだもんな!
はい○○さん、ゴーストありがとうございました。
「あとがき」
今、私は一冊の懐かしい本を見ている、
「山本直文著仏英=和料理用語辞典」である、
ページの最後に昭和55年9月22日と書かれている、
そう私が36年前修行時代に手にした本である、
それは山形県酒田市に開業した地方では中規模なホテルでメニューの解読用に欠かせない本である、
この本が無いと何も進まない解らない四六時中持ち歩いていた本だ、
まあそれ以前に包丁さえ握ったことのない右も左もわからない私でわメニューの意味を解読しても問題外なのだが。
井上シェフの本に出てくる「専門料理」という料理人御用達の月刊誌がある、
当時酒田の本屋では手に入らず先輩たちは皆、取り寄せで買っていた、
私も回し読みで時々見せて貰っていた、
そこには都会で活躍するフランス帰りのスーパースターシェフ達が、垢ぬけた料理と盛り付け食器使いで、自信に満ち溢れ、威厳のポーズを取っていたと記憶している、
あこがれの存在である、
「よし、この人たちを目指そう」そう心に秘めたものであったが、今私は、東京で日本料理をしている、これも運命なのであろう、
そしてこの本と出合った、当時目指したスーパースターシェフの軌跡が書いてある素晴らしい本だ!
さっ、今日も本読んで飲むかな!
あっそうだノリ、原稿料出せよ!

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王道をゆく人
~『フレンチの王道 シェ・イノの流儀』を読んで~
西山千登勢

真の料理人とはどんな人だろう。
それは長い修行の間に先輩から技を盗み、孤独に技術を磨き、独自の世界を作っていく人だと思っていた。そのために料理人は往々にして気難しく、薀蓄が多い。だから彼らの半生記は自分とは全く異なる世界の話だろうと思いこみ、一冊も読んだことがなかった。
しかし『フレンチの王道 シェ・イノの流儀』(井上旭,神山典士:2016)を読んで認識が変わった。この本から真の料理人とは、一皿一皿の食をその客のためだけに作り上げる人、そのために技に加えて人間性を磨いた人ということがわかった。俄然他の料理人の本も読みたくなった。
同書によれば、真の料理人とは料理の技術のみならず、その人間性までが周囲から尊敬されるような人。さらに料理と客の相性を瞬時に、そして緻密に計算し、その客のためだけの至高の一品を完成させることができる人。高い技術、深い人間性、緻密な計算力。これは優れた芸術家や教育者の要件と合致する。そう、真の料理人は芸術家なのだ。
×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  × 
シェ・イノのオーナーシェフ井上氏は1966年、まだヨーロッパが日本から果てしなく遠い時代に「世界一の料理人になってやる」という若者らしい意気込みをもって単身ヨーロッパに渡った。そして数々のレストランで修業をした後に、自らが夢想していた「世界一の料理人」の姿を体現したジャン・トロワグロと出会う。そしてジャンがフランス料理の真骨頂であるソースを作る姿やフロアで客と談笑する姿を「映像として」記憶した。井上氏は『味覚は二次元の平面ではなく、三次元の「立体」でなければならないと感じたから』(p.24)である。井上氏は日本に戻ってからも、自身が記憶したジャンの姿を常に映像として脳裏に蘇らせつつ、ジャンとピエールの継承者としてヌーベル・キュイジーヌの王道を進んでいく。まさに「料理に国境はない」のだ。これがシェ・イノの流儀だ。
×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  × 
本書の中で強く興味をもった点が2つある。一つはルセットを楽譜のようなものだと井上氏が理解した点である。二次元のルセットを記録するだけでは、師の表現する三次元の味覚は再現できないと考えたという。この点に自分が加わっているカトリック教会の合唱が共鳴した。無伴奏宗教曲の合唱も、各パートが楽譜通りに歌うだけでは美しいハーモニーは生まれない。呼吸や音程の微妙な揺れといった三次元の要素を互いに合わせることにより、音が引きあうように美しいうねりが生じる。そのためにはまず「イメージありき」。料理と音楽の意外な共通性に驚かされるとともに、料理を平面と立体として理解した若き日の井上氏の慧眼に私は惹かれた。
もう一つは「素材」と「お客様」の変化や差異を常に考えながら、料理をもっとおいしくする方程式を考えるという点である。私事で恐縮だが、今年1月に初めてシェ・イノを訪れた。グラン・メゾンにふさわしい雰囲気の中でいただいた料理は、すべてが自分の予想を超えたものであった。中でも「フォワグラのフラン」が印象的だった。あまりの衝撃に、つい家族にその体験を触れ回り、6月に母と共にシェ・イノを再訪した。事前にメートルの方にお願いをして「フォワグラのフラン」を入れたコースを作っていただいた。当日の料理はどれも味わい深く、頼んだグラスワインとも合うものだった。しかし執心だった「フォワグラのフラン」だけは、1月の方がよかった。何故か。自問自答した結果、問題は季節だと気づいた。1月の寒さの中ではフランの暖かさ、フォワグラの濃厚な味わいが身に染みるほどおいしかった。しかし6月は既に初夏。フランのワインソースも1月に比べてやや酸味が増しており、6月の陽気に合うように工夫されていた。それでも季節という要素は大きかった。私の季節を考慮しないオーダーがいけなかったのだ。次回からはシェ・イノが提供する、その時期に最高の素材と調理法に任せようと肝に銘じた。
私の希望を叶えるべく努力してくださったスタッフみなさんには心から感謝をしている。料理の素人である客の希望であっても大切にして、その時その時の最善を尽くす。それは磨かれた人間性がなければできることではない。これもシェ・イノの流儀なのだ。
×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  × 
本国フランスから離れた日本で足を踏ん張り、愚直なまでにヌーベル・キュイジーヌの王道を進む井上氏の姿を多くの若い料理人が「映像として」記憶していくことを期待する。そうやって王道は日本の地でも継承されていくのだ。フランス料理の王道がまっすぐに日本で伸び、育っていく姿を見守りたい。そのためにも私はこれからもシェ・イノへ通うだろう。毎回どんな驚きを提供してくれるかを楽しみに。なによりも井上氏と同時代に生きている幸福を噛みしめながら。


                         20016.7.10  阿部 和枝
「フレンチの大道 シェ・イノの流儀」

 今、私の時計は午前11時17分。もうすぐ予約していた美容室に到着する。今日は待ちに待った特別な日。今から想像するだけで、私の胸は高鳴る。この日がこれほどまでに待ち遠しかったのには訳がある。ある知人を介して「フレンチの大道 シェ・イノの流儀」という本を読んだからだ。
本のカバーには 「栄枯盛哀の激しい飲食業界で、不動のトップに君臨し続けてきた巨匠・井上旭、初の著書。日本のフランス料理黎明期50年第一線に立ち続け、一流の客を魅了してきた「超一流の秘密とは?」とあった。この本が私に「本物のフランス料理」を教えてくれた。「超一流」である井上旭シェフによる心躍る料理の数々がどのようにして完成されたのか得心できるものだった。
 美容院に着くと、受け付けには顔馴みの髪型が印象的若いスタイリストが笑顔で迎えてくれた。
彼女の人なつっこく、素直な所が私は好きだ。若いけれど安心して任せられる技術も持っていた。
 井上旭氏も25才でフランスのグラン・メゾン「トロワグロ」で、ソースの神様として世界中の客をとりこにしたジャントロワグロから多くを学んでいた。まさに星にたどり着いたのだから素晴らしい。
星までの道のりは、現在では考えられないものだった。当時は、多くの制約があり、為替えレートは1ドル360円。ヨーロッパまでの航空運賃がなんと24万8千円で、給料1年分以上というのだから驚きだ。語学での苦労も、想像以上のものだったに違いない。その「不可能」と思えることを「可能」にしてきたその熱い熱い情熱と才能があったからこそ、6年間での修業で得られたものは、ダイヤモンドのように堅く、永遠の光放つ宝石を手にしたのと同じだったはずである。世界が認める「トロワグロ」「マキシム」「ラセーヌ」という3星レストランでの本物の修業。特に「トロワグロ」での修業が「シェ・イノ」の基盤となっているのだから、その料理に最高峰であるオート・キュイジーヌだと自信をみって言えるのである。その料理を実際に味わい楽しめる喜び、これ以上の特別があるだろうか。
 ソースに関しては、私の想像を遥かに越えていた、その細やかさは、日々の食材によって変わるのだから、その知識といったら計り知れない。さらには加えるブイヨン・コンソメの手間のかけ方は、料理や食べる者への愛がなければ、決してできないであろう。素材の品質、分量、手間暇は、目には見え無いが、これがあるからこそ「シェ・イノ」の真価を発揮する。
 井上旭シェフの場合は、努力だけでは無く味覚を味わい取る「絶対味覚」という能力が備わっていた。料理人には、努力による技術のみならず、多くの感覚や能力が知識とともに必要であることが分かる。井上旭シェフには、それらがそなわっていた。才能で興味深かったのは常にルセットを忠実に再現するだけではなく、伝統を守ろうとする意志と新しいものを創造しようとする情熱があった。そして、そのルセットを「記録」よりも「記憶」という具合に味覚を三次元の「立体」と感じていたから恐ろしい。
 髪のセットも終わり、仕上げのネールは ピンクベージュとシャンパンゴールドの品の良い組み合わせにしてもらった。彩られるネイルの色は私の心を「シェ・イノ」へと誘う。
 今日のワインをとても楽しみにしている。フランス料理にワインは欠かすことができない。ワインの味わいや香りとソースに豊かなハーモニーを生む。ここだけの料理、その日の最上の素材で至福の一時を「シェ・イノ」では心ゆくまで楽しむことができる。井上氏の人間としての奥行きが、私達の心を掴んで離さない。まさに「超一流」の料理から生まれる特別な一日となる。
                                      完

2016 07 25 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク | トラックバック (0)

July 04, 2016

青い鳥文庫新刊発刊記念、小学生の読書感想文大会開催します~

講談社青い鳥文庫『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』刊行記念、小学生読書感想文大会のお知らせ
~主催、株式会社バザール、児童ノンフィクション作家こうやまのりお

楽しい夏休みが近づいてきました。
みなさん、元気に勉強と遊びに励んでいるかな?
夏休みは学校の宿題で読書感想文を書くことが多いと思います。
どうやって書こうかな?どう書いたらいいのかな?
そんなことを考えているみなさんのために、読書感想文大会を企画しました。
好きな本を選んで自由に書いてもいいし、学校の宿題用に書いてもいいです。
書き上げた感想文をコウヤマまで送っていただけたら、添削してお戻しします。
優秀作品のいくつかには、いろいろな人から賞と賞品がでますよ。
本を読むことが大好きな子どもになるように、
日頃から文章を書くことに親しむように、チャレンジしてみてください。
ではみなさんの文章と出会えるのを楽しみにしていますね~。いい夏を~。

・対象図書(いづれも著者は神山典士)
『ピアノはともだち 奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』(講談社青い鳥文庫)
『ヒット商品研究所へようこそ!~瞬足、ガリガリくん、青い鳥文庫はこうしてできた』(講談社)
『めざせ!給食甲子園』(講談社)
『怪魚ハンター、世界をゆく~巨大魚に魅せられた冒険家、小塚拓矢』(佼成出版)
『みっくん、光のヴァイオリン』(佼成出版)※この作品は絶版のため、書きたい人はコウヤマまでメールで連絡ください。メールで全文章を送ります。価格1000円(後日振込)。
ただし内容にはのちに真相が解明された「ペテン」が含まれています。

・応募要項
文字数は各自に任せます。学校の宿題用だったら先生の指示に従ってください。
おおよその文字数は、低学年ならば原稿用紙1枚(絵でもいいです)。3年生以上ならば2枚。高学年は3~4枚程度でしょうか。先生やご両親と相談してください。
本はご購入いただくか、近くの図書館に蔵書希望をだしてください。ただしこの場合は少し時間がかかります。

・費用、無料(ただし添削を返送してほしい人は、必ず切手を貼った封筒を添えてください)。

・作品の送り先
メールの場合はmhd03414@nifty.com、タイトルは「夏休み読書感想文」としてください。※メールの場合も切手を貼った返信用封筒を郵送ください。
郵送の場合は170-0011東京都豊島区池袋本町4-47-12-1603株式会社ザ・バザール「読書感想文大会宛」(※切手を貼った返信用封筒を添えてください)

・締め切り
2016年8月20日土曜日必着。8月末日までに添削して返送します。

・問い合わせ
株式会社ザ・バザール 170-0011豊島区池袋本町4-47-12-1603 03-5950-4848

・神山典士プロフィール
1960年埼玉県入間市生まれ。豊岡小学校豊岡中学校、県立川越高校(バレーボール部)を経て信州大学人文学部心理学科卒業。
1996年『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』にて第三回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞、現在は『不敗の格闘王、前田光世伝』(祥伝社黄金文庫)。『ピアノはともだち』は2012年度全国読書感想文コンクール課題図書に選定される。
2014年「佐村河内事件報道」にて第45回大宅壮一ノンフィクション大賞(雑誌部門)受賞。主な著書に、『伝説の料理長サリー・ワイル伝』(草思社文庫)、『フレンチの王道、シェ・イノの流儀』(井上旭氏と共著、文春新書)、『新・世界三大料理~和食は世界料理たりうるのか』(PHP新書)、『ゴーストライター論』(平凡社新書)等多数。
朝日カルチャーセンターエッセイ講座、自分史講座、高大生文章キャリアヴィジョン教室、小中学生の作文教室等の講師を務める。

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2016 07 04 [神山典士の仕事] | 固定リンク | トラックバック (0)

February 07, 2016

ラボパーティー50周年おめでとうございます~

今年はラボ教育センターの発足50周年。
各地でお祝い行事が行われているようです。

ラボは一言で言えば英語教育団体で、物語を語り演じながら
「言葉と文化」を学習していく「運動体」です。

ぼくは小学校5年生のころからお世話になり、
10代の時期にはアメリカ・ネブラスカ州でのホームステイという
「異文化交流」を体験させてもらって、
その後の人生においてとても大きな影響を受けました。

地域を超えて全国に友人知人もたくさんできたし、
30歳のころには、ホームステイをしている10代の子供たちの姿を取材して
「ひとりだちへの旅」という本を書かせてもらいました。

当時から先生方(テューターですね)には大変お世話になっています。

こんな文章を書いてみました。

「ラボパーティー50周年おめでとうございます。
ラボの歩みは、そのまま「異文化交流」の歩みですね。

日本は1964年の東京オリンピックと70年の大阪万博を境に、ようやく世界に対して門戸を開きました。
それ以前の一般人の渡航は、訪問先に身元引受人が必要だったり、
外貨持ち出し制限(500ドル)があったりして、非常に難しかったのです。

もちろん渡航費用もべらぼうに高かった。
取材で60年代にヨーロッパに渡って料理修業をした何人かのシェフにインタビューしたことがありますが、
みな一様に「あの時代の飛行機代は24万8000円もした」と、その代金を覚えていました。
当時の月給は2万円に届かなかったということなので、
給料1年分という金額が、強烈に記憶に残っていたのだと思います。

64年の出国者数は12万7000人余り、70年は66万3000人余り、
そしてラボが最初の国際交流を実施する72年には139万2000人余り。
初めて100万人の大台にのったこの年に10代の国際交流が始まっているのですから、
当時にあって「ラボ国際交流」がいかに時代を先取りした企画であったかがわかると思います。

しかも農村地帯へのホームステイという方法を徹底してくれたことも大きかった。
家庭に入り生活を共にすることで、私たちは互いの文化を直に感じることができます。

ぼく自身74年に国際交流に参加し、帰国直後の作文にこう書いています。
「向こうでの生活を経験して、ぼくはなんだか恥ずかしくなりました」、と。

作文の書き出しには、農場の広大さや14歳で自動車を運転できることや夏休みが3カ月もあること、
宿題がないことなどへの羨ましさが綴られているのですが、
最後には「恥ずかしい」という表現が刻まれている。それはなぜか。作文はこう続きます。

「彼らにとって一番大切なことは労働です。男の子は牛を飼い、
女の子は家事の手伝いなどをして、労働するのです。
そしてその対価としてお金を得て、一年間の小遣いにしています」

つまり14歳のぼくは、当初はアメリカという「異環境」に驚いているのですが、
その生活に入り込むことで、「自立」という開拓者の血に流れる逞しい文化に触れた。
そして自分たちの文化との差異を実感した。
まさに「異文化」。
遠くネブラスカの農場で、ぼくは初めて日本を、日本人であることを考えた。
そこからぼくの「ひとりだちへの旅」は始まった―――と言っていいと思います。

さらにいえば、異文化に入り込みその面白さや魅力に触れ、記録し、
のちに文章にして多くの人に伝えるというこの作文を書くプロセスは、
そのまま今のフリーランスの文章書きであるぼくの生活そのものです。

アマゾンを訪ねて明治時代に世界を闘い歩いた前田光世=コンデ・コマの評伝を書き、
北朝鮮を旅してその体験記を書く。
そんなぼくの書き手としてのスタイルは、この作文に「最初の一歩」が刻まれている。
あの10代の一カ月の夏が、ぼくの歩みのスタートとなっている。

その意味でも、ラボには大いなる感謝を捧げなければなりません。
あの旅を体験させてくれて、本当にありがとうございました。

これからも多くの少年少女たちがこの旅を体験することを願います。
そしてそこからこの星の未来を切り拓く価値が生まれることを、祈ってやみません。

                     ノンフィクション作家・神山典士」

この国の次の50年を担う若者が、ここから生まれてくることを祈りつつ----。

2016 02 07 [] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

February 01, 2016

新たな才能の登場----楽しみだな~エッセイ講座

1月26日から、朝日カルチャーセンター「エッセイ講座」の2ndセッションが始まりました。
3
(写真は1stセッションのものです、あしからず)

今回も3回だけ(1、2、3月)の講座なんですが、
前のセッションからの継続の方に新しい参加者が4名加わって、
新鮮な気持ちで講座に臨むことができそうです。

毎回出席のみなさんには作品を一本書いてきていただいて、
講座の中でそれをシェアしながら進めていきます。

何回か書いていくと、それぞれに文章の「鉱脈」があって、
それを掘り進める作業が楽しくなっていきます。

ある人は、「色彩感」が鉱脈です。

初回は「紫のバラ」がテーマとなり、二回目はラピズリーの青、
そして3回目は外苑前の紅葉の「黄色」をテーマに鮮やかな文章で綴ってくれました。

またある人は、月に一度程度帰省して世話をする「やもめ暮らしの父」のことをテーマに、
連作を書いてくれています。

齢80を過ぎたこのお父さん、ガールフレンドがいるんですね。しかも何人か。

その一人の「老女」がかいがいしく食事やお酒の世話をしてくれる様子が、ユーモラスに描かれています。

つまり娘としては独り暮らしの父親の世話をしてくれるのはありがたい。
老後にもそういう楽しみが必要なことはわかっている。
けれど亡くなった母親のことを思うと切ない。
母が生きているときから親しかったのではないかと疑念も沸く。

さらに父には、この老女の他にも親しい女性がいるようだ。
それを思うと老女にも申し訳ない。

そし文章の最後は決まって、

「私は夫より絶対に先には逝くまい」
「男って、本当に勝手な生き物だ」

と、男性批判で結ばれるのです。あぁ-----。

他の参加者から「今回もIさんの作品が読みたい」と指名がかかるほどの、人気エッセイになっています。

そしてもう一人、今回初参加の方のエッセイが素晴らしい。
こんな内容です。(僕が抜粋しました)

「○年○日に母から来たメールを携帯電話に保存している。
タイトルは「最後のメール」
母はいなくなった。死んだわけではない。縁切りメールだった。

物心付いたときから母は父の悪口を私に聞かせた。母心より女心の比重が大きすぎて、
成長する娘はライバルだったのだ。

思春期には「胸がないからブラジャーはいらないわね」と言われ買ってもらえなかった。

ある日、自分は母のごみ箱なのだと気がついた。40歳だった。馬鹿すぎるほど遅い反抗期。

「最後のメール」は返信せずに8年になる。月々の生活費を送る対価として、
幸せな縁切りが続いている」

続きが読みたいな~。
この鉱脈を掘り進んでほしいな~。

どうですか?
書かなければ前に進めないテーマでしょう。

書くことは生きること。
自分を癒すこと。

そんなふうに文章と対峙していけたらいいなと思っています。

興味ある方、これからでもご一緒にいかがですか?

2016 02 01 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

January 04, 2016

2016年新春、いかがお過ごしでしょうか。

あっと言う間に三が日もすぎてしまいました。

賀春です。
どんな新年をお迎えですか?

今年もよろしくお願いいたします。

初仕事は、東北関連のテーマになりました。

201512

震災以降、明星の会やリボンの仲間たちと東北に通ってきましたが、
日本全体でみても、あんなに優秀な若者たちや組織が集まっているところはない。
この国の未来を支えるイノベーションの萌芽が感じられる地だと思っています。

アエラでは昨年「東北食べる通信編集長高橋博之氏」
「教壇を離れて震災の語り部になった佐藤敏郎氏」を書いてきましたが、
今年もう一人、
震災直後に女川大槌に入り、コラボレーションスクールを立ち上げた今村久美さんを
書くことになりました。

同時に彼らの思想や取り組みを普遍的な価値にするべく、
単行本の企画も考えています。

10~20年後のこの国のエンジンは東北からの風であると信じて。
思いの丈を書いていきたいと思います。

去年からは、朝日カルチャーセンターで「エッセイ講座」も始めました。
これが面白い。

3

自分の文章が生まれてくるのも素敵なことですが、
他者の文章にかかわってそれが劇的によくなっていく様は、
これまた文章の醍醐味だと実感しました。

今年もどんな文章との出会いがあるか、楽しみです。

山と自転車と水泳もルーチンで続けたいと思っています。

2

夏山は念願の西穂高かな。
上高地~焼岳~西穂高~穂高山荘~涸沢の縦走ができたらいいな~。
子供たちとはどこの山に昇りましょうか。
去年台風で諦めた雲取山一泊もいいな。
ま、頑張ります。トレーニングもしなくちゃね。

去年は母親が倒れて入院したり(いまも続いていますが)、
明星が休み駒八が休業したり、
親しい友人がガンで倒れたりと、
環境的にも激変の年でした。
生は有限であり、
否応なくやってくる「老い」とも対峙しないといけないと実感しました。

ならば、せめていまできることを
「やっちゃえ、コウヤマ」
やらなければ前に進めないことを
「やっちゃえ、コウヤマ」

いろいろやっちゃおうと思っている新春です。

なんか借り物ですが、なはは。

今年もよろしくお願いいたします~。

2016 01 04 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)