July 05, 2009
『人生の大切なことは全て雀鬼に学んだ』~最終ゲラになりましたぁ

今年8月4日、伝説の雀鬼・桜井章一会長のお誕生日に上梓予定の拙書
『人生の大切なことは全て雀鬼に学んだ』(竹書房)
が最終ゲラの段階になりました。
いや~、いい本になります。
編集の高木君が、いいタイトルをつけてくれました。
先日は会長も電話をくださって、しっかりやれよと激励をいただきました。
ありがとうございます。

目次と、概要を添えますね。
麻雀牌なんて持ったこともない僕が書いたのですから、読んでも麻雀が強くなることは金輪際ありませんが、
なはは、こと人生においては、ちと新しいものが見えてくるはずです。
ぜしご期待くださいませ~。
「伝説の雀鬼・桜井章一の下に若者たちが集まる「雀鬼会」は、都内だけで約100人、全国では10以上の支部を持ち、その言動を慕う若者たちは日増しに増えている。
そこでは何が行われているのか。どんな集まりなのか。桜井はどんなことを語り続けているのか。何故若者たちは桜井にひかれるのか。
単に麻雀というだけでなく、そこで行われているのは、一つの部族の繋がりのような「超教育実践」だった。
本書は約3年間の取材期間を経て、その実態に迫った。雀鬼会の日常活動、試合、毎年伊豆で行われる一カ月の合宿、パラオでの野生との格闘、そして「師」と「弟子」たちを結ぶ太くて繊細な「絆」のあり方等、様々な角度から、桜井と若者たちの「繋がり」を記す。
著者は麻雀ができない。だからこそ、麻雀の常識を超越した桜井の言動に密着し、その奥深い世界を描くことができた。けっして歴史に名を残すことのない一人の男と若者たちが織りなす、奇跡的な「部族」のドキュメンタリーだ」
構成
まえがき「心温かきは万能なり」
1章、 教育に非ず――「誇り」の伝承
2章、 人生を変えた若者たち――「言葉」の伝承
3章、 負けない力―――「無敗」の伝承
4章、 内なる自然の目覚め―――「野生」の伝承
5章、 師との別れ―――「魂」の伝承
あとがき「変わり続ける」
2009 07 05 [雀鬼会・桜井章一] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
June 24, 2009
またまた「飽きちゃった」病がでちゃた拓郎さんへ、愛を込めて
長い間、ボクの「王様」として君臨している(最近はちとニュアンスが微妙ですが)吉田拓郎さんの
ファイナル全国ツアーが始まりましたね。
『フライデー誌』に頼まれて一本短文を書きました。
久しぶりに拓郎さんのことが書けたので、うれぴ~。
まだ発売前ですが、すこーしだけ、さわりの部分をご紹介しますね。
清志郎と拓郎。今週号には二人の巨匠のことを書いた拙文が載ることになりました。なはは。
一曲だけ、清志郎が拓郎さんに書き下ろした曲があるんですよね。
「心のボーナス」。いい歌っすよ。
んじゃ、いきますね。
「ところが自身が認める通り「天の邪鬼」な拓郎は、そのステージでは顔色よく野太い声も健在で、かる~いノリでこう言った。
「(コンサートの形態は)別にツアーじゃなくてもいいんじゃないかと。名古屋で4日間やって終えてもいいんじゃないかと」。
もちろん現在の拓郎のことを慮れば、体調の問題もあるだろう。体力的な不安もあるはずだ。けれどこの発言から察すると、そんなこと以上にこの人は「飽きて」しまったのだ。全国ツアーという名の「苦行に」。以前言っていたことがある。
「ファンはいいさ。ツアー中1公演を見てキャーキャー言ってればいいんだから。
(中略)
今からちょうど10年前、TV『LoveLove愛してる』でキンキ・キッズと組んでヒット曲が出ていた頃、拓郎はこう語ったことがある。
「正直言って、長い間吉田拓郎という名の孤独に耐えるのは大変でしたよ。そのことを口に出すことすらできない時代があったから。でも今(98年当時)それが語れるようになったのは、やっぱり若者の力でしょう。キンキ・キッズのような若者に「尊敬できる存在でいてほしい、カッコよくい続けてほしい」と言われることで、自分の中の何かが吹っ切れた」
そのことを考えれば、今また語られた「やーめた」宣言は、63才を迎え癌との闘病も経験した拓郎が、また新たなカッコよさを目指す宣言ともとれる」
というわけで、今朝のBAZはずーっと拓郎です。
ここんとこ清志郎とRCで耳タコ状態だったから、気持ちE~。ってこれまた清志郎か。
ま、よろしくどーぞ。
2009 06 24 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
June 20, 2009
清志郎追悼文の連載はじまりましたぁ~祝! フライデー完売
『フライデー』での忌野清志郎さんの追悼文の連載が始まりました。
とにかく、いけるところまでいっちゃぇ!! というノリで始まった連載だから、
ほんと、取材しながら書きながら訂正しながらいろいろな人にお世話になりながら奇跡的な出会いに感謝しながら、の連続です。
清志郎さんだったらとんな風に受け止めてくれるのかなぁ。
そんなことも思います。
ま、できる限りのことを誠実に丁寧にやっていきたいと思っています。
んなわけで。第一回目と二回目のさわりだけね。
よろしくどーぞ。
第一回
栗原清志から忌野清志郎への「脱皮」。そしてRCサクセションの「誕生」の風景は、こんな言葉で刻まれている。
※
「RCサクセションはいつも好奇心をそそりたてる。しかも聞き終わった時に、誰でもその好奇心が充分に満たされない不都合感を持つ。手袋のお礼に」
この言葉は、高校2年の冬、当時のガールフレンド、チイコ(仮名)が贈った手編みのミントの手袋の返礼として、清志郎自身から手渡されたオープンリール・テープの箱の裏に書かれていたものだ。
好奇心をそそり人々を興奮させながら、決してそこに安住せずに「不都合感」を感じさせて裏切り続ける。そんな矛盾を生きようとするスタイルは、少年の日、清志郎自身が選びとったものだった。
今から振り返れば、おしもおされもせぬロック界の巨星となってからも原発反対の歌や法制化で揺れる「君が代」をロック・アレンジで歌ったり、理不尽な態度に出たラジオ局やライブハウスをも歌で糾弾するその姿勢の原点はここにある。自分の地位に安住せず、業界のしがらみに馴染むことを潔しとしないその態度。RCサクセション及び忌野清志郎の魅力は、後にこう語られている。
「頼りないのに力強い。ものがなしいのにかわいている。ひどく速いのに、安心感を覚える。けっして優しくないのに、やわらかい。言葉で説明すると、みな矛盾する」(角田光代『忌野清志郎が聴こえる』別冊宝島45)
第二回
つまり高校時代清志郎の前に現れた小林は、教師というよりもプロの絵描きだったのだ。
清志郎もまた、高校2年の終わりにはプロを意識している。交換日記にはこうある。
「この前‘プロになるの?’ってチイコがこのノートで聞いてたね。その答え。リンコ‘もちろんプロになる! ぜったいになる’。ケンチ‘大学に入ってからならなってもいいけど、今はまだ―――’。そして私‘なりたいね。普通の仕事じゃぼくはやっていけないような気がするんだ’。(中略)でも絵をかきたいっていう気持ちには変わりはないよ。美大にも行きたいし」
美術か音楽か、いずれにしてもプロを目指す、普通の仕事では生きている甲斐がないと感じていた。そんな若者が、存在の全てをキャンバスにぶつけようとする画家との出会いに触発されないわけがない。大きな夢を果たすために連日絵を描く小林と競うように、清志郎もまた、連日徹夜で曲をつくり続けた。
「夜中とか曲つくったりしてるからさ。起きれるわけないんだよね、朝なんか(笑)」「起きたら夕方だったとか(笑)」(ロンキンオン・ジャパン特別号『忌野清志郎1951-2009』)
2009 06 20 [神山典士の仕事] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
June 08, 2009
すごいぞ、伸りん!! ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝だぁ!!
友人からメールや留守電をいただいて知ったのですが、テキサスで行われているヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで、辻井伸行君が見事金賞(優勝ってことですよね?)に輝いたそうです。
おめでと~、伸りん、そしてお母さんのいつこさん。
ショパン・コンクールの応援に行ったのはもう4年前なのですが、今回も「一緒に行かない?」なんて誘われていました。でも、ホームステイだっていうし、期間も長いからちと難しかったのですが、それにしても見事ですねぇ。
ショパンコンクールよりもよほど難しい課題曲を弾きこなしての優勝ですよ。
調べてみたら、優勝者には3年間のコンサート契約がつくそうですね。
ということは、世界ツアーだ。日本には帰って来れんぞ。アメリカ永住かな。あ~あえなくなっちゃうな~。
6月2日には、現地からこんなメールが届いていました。
「何か信じられないけど勝ち進んでしまい伸は張り切っています
食事はホームステイだから炊飯器もあってカレーやハヤシライス作ってるから大丈夫で~す
最後まで頑張ります いつこ」
お母さんの手料理が背中をおしたんでしょうね。
これはショパン・コンクールに出かける前に神楽坂のラリアンスで開いた壮行会の様子です。
演出家の横内さんが眠っちゃってますが、なはは、彼も今頃驚いているかな。
これはワルシャワでの一枚。ショパン・コンクールの予備予選がおわって、親子でほっとしているところです。
あの頃もすごかったけれど、いまじゃもっと凄い演奏なんでしょうねぇ。
その詳細はアスコムから出ている『のぶカンタービレ』で読んでくださいね~。
んでもってこれもワルシャワでの一枚、番外編です。なはは。
。ボクの隣はこの時の応援団長多田さんです。一人で一カ月も滞在して、ショパン・コンクールの全期間応援してくれました。
多田さん、ありがとうございました。
この時は批評家賞でしたが、今回は優勝ですからね。
今頃好物の日本食を食べまくっているでしょうね。なはは。大食漢だからな~。
いやいや、でもほんとおめでとうございます。
親子で、家族で頑張ってきた甲斐がありましたね。
幼少時からレッスンしてきた川上先生ご夫妻も、お喜びのことでしょう。
伸りん、いつこさん、おつかれさ~ん。
おめでとうございまーす。
2009 06 08 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
May 28, 2009
お久しぶり、サリー・ワイルです
昨日何人かの友人からメールをもらいました。
なんでもJ-Waveで拙書『初代総料理長サリー・ワイル』が紹介されているというのです。
生憎BAZAARにはラジオがないので聞きそびれてしまったのですが、
↓のHPで紹介されています。
http://www.j-wave.co.jp/original/rendezvous/
いやはやなんとも。うれしいな。
見てやってください。
天国のワイルさんも喜んでくれているでしょう。
よろしくね~。
今日ニースの情熱のシェフ、松嶋啓介シェフの神宮の店の開店日だな。
レストラン『I、アイ』といいます。
神保シェフ、井上シェフソムリエがリードする若々しいレストランてす。
こちらもよろしくお願いいたします。
2009 05 28 [美味伝承 サリー・ワイルとその時代] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
May 12, 2009
『雀鬼と青春』もしくは『麻雀青春記』(仮)まえがきができました
振り返ってみると、もう足掛け3年間にもわたって、町田と下北沢の道場「牌の音」に通い続けていることになります。伝説の雀鬼・桜井章一さん率いる雀鬼会の取材です。
書き下ろしの文章も、GW中にやっと仕上がって、まえがきとあとがきに取りかかりました。
いろいろな思いがぎゅっと込められた作品になったので、これが意外と大変で。
まえがきはこんな書き出しになりました。
ちと見てやってください。
「―――随分「言葉」の多い空間だな。
最初の印象は、それだった。
「楽しくなければ牌の音ではない。
楽しくなければ会長ではない」
黄ばんだ紙に書かれた文字が、壁に貼られている。
そこは麻雀荘だ(と思っていた)から、この言葉は理解できた。
けれど、そこに集まった若者たちが着ているTシャツの背や腹には、およそ麻雀とは縁遠い言葉が並んでいる。
素直と勇気
揺れない心
土に還る
自然には適わない
不調こそ我が実力
心温かきは万能なり
心を開いて行動を惜しむな
愛は瞬間なり
温破立
例えば「心温かきは万能なり」。この言葉の背景には、こんな思いがあるという。
~むかし狼に育てられた子供が保護されたことがある。
人間社会を知らず野生で育った彼らには、衣服を与えることすら難しかった。人間を警戒し、心を開こうとしないからだ。わずかに餌を与えるときだけは近づいてくるが、一瞬で獲物をさらうと、また逃げていく。
ところが唯一彼らが笑顔を見せることがあった。
それは、羊水と同じ温度のお湯に浸からせた時。
野生に染まった魂にも、母親の体内で過ごした「温かさ」は記憶されている。
愛で物を与えようとすると、野生は警戒し、拒む。
けれど「温かさ」だけは受け入れる。
だから、心温かきは万能なり。
これら全ての言葉にこのような誕生の由来があり、全ての言葉がこの空間で「会長」と呼ばれる人間のオリジナルだと知らされた時、改めて思った。
ここには「師」がいるな、と。 」
まだ編集者との詰めの作業が待っていますが、一応自分の中では、こんな構成です。
目次
まえがき
1章、 雀鬼と部族~「恥」と「誇り」の伝承
2章、 雀鬼と青春その1「出会い」~感じあう「言葉」の伝承
3章、 雀鬼と無敗伝説~「運」の流れを見抜く力の伝承
4章、 雀鬼と自然~大自然を舞台に「野生」の伝承
5章、 雀鬼と青春その2「別れ」~雀鬼からの「無言」の伝承
あとがき
できあがるのは7月末頃でしょうか。
となると、桜井会長は伊豆合宿中ということになりますか。
いずれにしてもあと一歩。
皆さん、出版の暁には、よろしくお願いいたしますね~。
2009 05 12 [雀鬼会・桜井章一] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
April 26, 2009
掛けたくなる軸、徳島・遊山箱
アエラ連載が始まりました。
『掛けたくなる軸、山口智子』というタイトルです。
ボクはその構成を担当しています。
1年間、山口さんの感性を出発点として、魅力的な職人の仕事を紹介できるはずです。
第一回目は「遊山箱(素材・スギ、製作・MIKAMO)」
ここでは、ボクのオリジナルバージョンを紹介しますね。
とはいえ、写真がないからなんか残念だけど。
写真はアエラの外山さん。
二年前一緒にハワイで「日立の樹」を取材したアーティスティックなカメラマンさんです。
素敵なページになってますよ。どこかでみてやってくださいね。
「四国・徳島の人は、遊山箱のことになると話が止まらなくなるという。
スライド式の扉を開けると、楽しかった幼少時代の思い出が吹き出してくる。
両親のこと、兄弟姉妹のこと、友人たちのこと。
昭和40年代頃までにこの地に生まれた人ならば、一人に一個、母親の手作りの味の記憶と共に、この箱で遊んだ楽しい思い出があるはずだ。
そら豆の羊羹、ぼた餅、お煮染め、ゆで卵で作った兎等々、旧暦の桃の節句(今の4月2日前後)になると、この箱には旬の味覚がぎっしり詰められた。
農村の子供たちは遊山と呼ぶ裏山に登り、漁村の子供たちは浜辺へ集まり、車座になって御馳走をいただく。
美しく懐かしいその風習は、今も各地で散見される。
約500年前から続く高度な船大工の技術が今に息づくこの地には、鏡台や木工細工の職人技が生きている。
遊山箱は、船の余材で作られたという説もある。
豊穣なる日常を感じさせる、地域の伝統文化を支える道具。
山笑う頃、遊山箱こそ徳島の季語となる」
2009 04 26 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
April 02, 2009
恩師還暦記念登山、沼津アルプスへ、
うっすらと春霞の向こうに、駿河湾が広がっています。
本当はもっと晴れていたら、ここでドーンと富士山の雄姿を紹介できるのですが、
じゃんねんながらこの日は曇天でした。
3月28,29日、沼津アルプスに登ってきました。
山はこんな感じです。

アルプスなんて名前がついてるから、どれだけ険しいのかと思うでしょう。なはは。
ピークはいくつかあるんですが、いづれも標高400メートル前後。
ま、かるーいハイキングコースじゃんなんて舐めて出かけたのでした。
この企画は中学時代の恩師、荒井先生の還暦祝い登山。
昨年一昨年とここでも紹介した北アルプスに誘ってくれた山男です。
還暦なんていっても、ものすごくお元気で、この日も御夫婦で夜行列車を使って米子からやってきてくれました。
山歩きも一番しっかりされています。
奥様の博子さんも北アルプスや地元大山で鍛えられているから、
楽しくアップダウンを繰り返していらっしゃいました。
ボクらの方がハーハーゼーゼー大変なことに。
ま、こんな感じです。

参加は、当時の同級生たち、男女あわせて11名かな。
だいたい皆、何人かを除けばふだん山なんて登らないし
登山靴も道具も持っていないから、前日新調したり友人に借りたりドタバタです。
アイボーなんて靴も服もぜーんぶオッチに借りて、その上荷物までぜーんぶオッチに持たせて
手ぶらで登ってるし。
そりゃ登山とはいわんだろって。
それでもピークに着くと、一応征服感はありますわね。


上は鷲頭山、下は徳倉山、看板には396メートルなんて数字が読み取れます。
ところがところが。アップダウンが結構直登ルートで、このあと一気に麓まで降りたら、
翌日しっかり筋肉痛が来ていました。とほほ。
こんなんじゃ、今年の夏の北アルプスは危ないっすね。
連れてってもらえないかも。
夜は宿で、中学校2年生時の話で大盛り上がり。
荒井先生は2年7組の担任で、ボクはそのクラスではなかったのですが、
人形劇をつくったりしていたんです。
その時のガリ版刷り(なつかし!)の台本を持ってきて下さったり、
職員室の内輪話を伺ったり。
この仲間と会うと、気分はいつでも14歳ですからね。酒飲める14歳は楽しいですよ。
今の活動の原点はこの時代にあったなと、再認識しました。
それにしても、あの頃はあんなに大人に見えた先生が、実は一回りしか違わなかったなんて、
新鮮な驚きでした。
今となっちゃ、48歳と60歳じゃ意識的にはあんまり違いはないし、
筋肉的にはこちらが先に衰えちゃったりしてるありさまですからね。
とほほ、ほんと、困ったもんです。
でも、皆元気で何より。
次回は米子の大山に登ろうという話になっています。
さてさて、どうなりますか。
楽しみですね~。
2009 04 02 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
March 15, 2009
昨夜、東京駅地下「パテ屋」にて---
昨日は冷たい雨が降る日でしたが、ここ「パテ屋」だけは、ストラビンスキーの春の祭典のような、とても暖かで華やかなムードに包まれました。

約40名の友人知人が詰めかけてくれました。
ボクが大学時代にアルバイトでお世話になった社長さんご一行様、編集者、デザイナー、ライター、フードプロデューサー、実業家、奥様、OL、学校の先生、等々多彩でしたねぇ。
もちろん初対面の方の方が多かったはずなのですが、約3時間のパーティーの中でとてもいいお仲間の輪が広がったようです。
皆さん、ありがとうございました。
料理は伊藤シェフと27歳のスーシェフ君が頑張ってくれて、もう百花繚乱状態。
「こんなに食べちゃっていいの~」なんて悲鳴もあがっていました。

この日はレストランのクロージングとあって、在庫のワインや食材等々のオークションも。
絶品パテ・ド・カンパーニュとかソーセージとかピクルスとかイタリア産の塩とか、いろいろありましたねぇ。
皆さん、勢いで買ってくださったのかな。なはは。今頃ご家庭でも美味しい料理とワインが並んでいることでしょう。
そしてそして。中にはこんなおバカさんたちも。なはは。
皆さん、ありがとうございました~。
シェフの伊藤君、シェフソムリエの須藤さん、お疲れさまでした。
また新しい職場でいいお仕事を。
参加者も全員応援していますから、頑張ってね~。
2009 03 15 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
February 22, 2009
シスナブ落語会大成功!~多数のご来場ありがとうございましたぁ
昨夜シスナブ池袋本町集会室で、三遊亭亜郎さんの落語会が開かれました。
居住者有志でつくるカルチャークラブの主催だったのですが、
多数のお客様にご来場いただいて、ほんと、大成功でした。
足をお運びいただいた皆様、ありがとうございました~。
今回の大活躍は、プロデュース役を務めてくれた木田さん(あとで打ち上げの写真で紹介しますね)
ポスターをつくったりチラシを全戸配布してくれたり、大車輪の活躍でした。
(一品持ち寄りの打ち上げの後で掃除までしてくれてました。べりべりさんきゅです)
豊島区の地域づくりの助成金もとってきてくれて、今回は財政的にはあまり無理なく開くことができました。
そして自分の現場から針金を持ってきて、舞台をつくってくれた八木さん。
ありがとうございました~

会場では橋本さんをはじめ、多くの方にもご協力いただきました。
べりべりさんきゅです。
亜郎さんの熱演に、子供たちも大喜び。
3席目の「文七元結」はちと難しかったかな。
でも最後まで聞けましたね。
よかったよかった。
そして打ち上げは、地下の和室で楽しくなごやかに開かれました。
今回は土曜日にもかかわらず大衆酒場明星の啓子さんが店を閉めて、常連さんを大勢連れてきてくれました。
こちらもべりさんきゅでした。
お土産の日本手拭い等々は、会場でプレゼントさせていただきました。
当選された方、おめでとうございまーす。

年に二度くらい、こんなことを企画したいと思います。
毎回開くたびに準備に手間がかかったり、当日まで動員を心配したりとけっこうしんどいのですが、ま、やればやっただけのご褒美をいただけますよね。
今回も遠方からも大勢の仲間がやってきてくれました。
小中学校の同級生も4人も来てくれたし。
みんなべりさんきゅね~。
2009 02 22 [地域文化活動] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)










